保温ポッド

だくさん

保温ポッド ('17/11/11 修正)

 まだ夕方だというのにお腹が空いてしまって、その上にどうしようもなくラーメンを食べたくなってしまった私はラーメン屋に行く決心をした。すぐに辿り着きたいな、と思ってスニーカーを履いた。玄関を開けて左右を確認する。マンション五階の通路には誰もいない。辺りは静かだ。行ける、と思った。私は手すりを乗り越えて、外へと飛び降りた。落ちていく最中、着地難しいかな、と思ったけど、着地の瞬間に膝をぐっと曲げたら上手くいった。着地した歩道には誰もいなかったが、そういえば飛び降りる前に歩道を確認しなかったな、と思って反省した。

 そのままマンション一階にある駐車場の車に乗り込み、ラーメン屋へと向かった。運転し始めてすぐに、時速120kmくらいのスピードが出ていることに気づいて、80kmまで落とさないとな、と思ったけどなかなかスピードが落ちてくれなくて、車を追い越したり反対車線の車を避けたりと、なかなか大変だった。

 ラーメン屋が見えてきて、確かテレビでサイドブレーキをかけて車の左側面を壁に擦りつけると止まる、と言ったのを思い出して、ラーメン屋の隣のビルに車体を擦りつけて止めた。思ったより止まらなくてラーメン屋にかなり接近してしまった。危なかった、と思って、車を出た。

 ラーメン屋に入ると、他に客はいなかった。いつもの店主がもうラーメンを三杯作り終えていて、カウンターの上に器を三つ並べていた。どれも麺と具は入っているが、スープが入っていない。

「残り三十分しかありませんので、お気を付けください」

「ああ、はい」

 一応答えはしたものの、何が三十分なのかわからなかったけど、器の横に保温ポッドが置いてあったので、お湯を入れるのだとわかった。

 私は席について器の一つを自分の前に置き、保温ポッドからお湯を注いだ。このラーメンは何分で完成なんだろう。残り三十分しかないので、できれば時間は掛けたくない。

 とりあえず三分くらいで見た目がいい感じになったので麺に箸を通してみると、これもいい感じだった。店主も特に何も言ってこなかったので、そのまま食べた。いつものとんこつしょうゆラーメンだ。おいしい。

 残り三十分しかないので急いで食べた。そしたら10分も掛からず食べ終わってしまったので、もう少しゆっくり食べれば良かった。このまま帰るのも何か癪なので、何かをしたいなと思ったけど、周りに残り時間を有意義に過ごせそうなものはなかった。

 あ、と思い出して、少しためらったが意を決して店主に聞いてみた。

「ここ、グランドピアノってありませんでしたっけ?」

「二階に息子のものがあるよ」

「そうなんですね」

 と会話が終わる。確か、この辺りでグランドピアノを見た気がしたので聞いたのだった。確か、そのときもこのラーメン屋の息子さんのものなのかな、と思った気がする。

 グランドピアノを思い浮かべると、イワオも同時に思い浮かんでしまう。翼をくださいを弾いて、と頼まれて、イワオの前でピアノを弾いてから妙に意識してしまう人になった。私、さっき質問したとき顔が赤くなってたかもしれない。

 とりあえず、もうすることもないので帰ることにした。ついでに、残り二つの器に入っているラーメンって買えるのかなと思って聞いてみたら「構わないよ」と店主は言ってくれた。1,500円出して少しお釣りをもらって、私は器を一つ持って店を出た。運転気をつけなきゃな、と思った。

 なんとかラーメンも具もこぼさずに家に着き、台所に器を置いて一息ついた。

 すると突然、玄関の方で扉をバンバンと叩く音が聞こえた。驚いて玄関の方へ向かう。玄関の扉はかなり切迫した様子でバンバンと外から叩かれていた。イワオが来た、と思った。

「開けるから待ってて」

 玄関の鍵を開けて、扉を押してみるが開かない。あれ、もう一つの鍵ってどこだっけ、と思う。

 その間にもバンバンと扉を叩く手は止まらない。ふと、本当にイワオなのかな、と思って、バンバンという音の合間を縫って扉についている郵便受けから外を覗こうと郵便受けを見ると、スウェットを着た小人の後ろ姿が見えた。イワオの大事な人だ。間違いない、外にいるのはイワオだ。

 イワオの方からも、この郵便受けの穴の中の小人が見えている。そうだ、イワオは穴の向こう側へ行きたいんだ。

 イワオが穴の向こう側へ行ける、そしてその運命は私の行動にかかっている。早く鍵を見つけなきゃ。

「残り三十分しかありません!」

 と、店主が台所で叫ぶ。やばい、本当にどこだっけ。

 店主の声と同時に、扉を叩く音が消えた。何か嫌な予感がする。イワオは何かをしようとしている。その前に何とか扉を開けなきゃいけない。

 そうだ、保温ポッドがある! と思った。

 台所に駆けていき、保温ポッドを探す。だが見つからない。ラーメンと具はあるのに、保温ポッドだけが見つからない。残り三十分しかないから、見つけてもそこから三分かけないとラーメンは完成しない。

 必死に保温ポッドがある場所を思い出そうとするけど、全然その映像が思い浮かばない。思い浮かぶのはラーメン屋にあった保温ポッドだけだ。あれはラーメン屋のものだし、あそこまで取りに行く時間なんてない。

 少しでも間に合わそうと、ラーメンの入った器を玄関の前まで持っていく。そしてまた、台所や洗面所、風呂場、ベランダを探すけどまったく見つからない。

 もうラーメン屋に借りるしかない。でも借りに行ったら絶対間に合わない。玄関の前でおしっこを漏らしてしまいそうになりながらオロオロしていると、玄関の扉を大きな岩がぶち破ってきた。イワオが投げ込んだのだ。

 壊れてしまった扉を挟んで、イワオと向かい合う。扉は壊れてしまったので、もう穴もないし、小人もいない。もうイワオは穴の向こうには行けないんだ。イワオは呆然とこちらを見ている。

「ごめんなさい」

 私は謝ることしかできなくて、ボロボロと泣き崩れた。

 そこで私は目が覚めて、涙を拭った。変な夢だ。それにしても、私はこんなにイワオを意識しているのか。恥ずかしい。



 それからしばらくして、家の時計が壊れてしまったので近所のショッピングモールに買い物に行ったところで、イワオと会った。イワオの方から話しかけられたのだけど、ショッピングモールではまさか誰かに話しかけられるとは思って行動していなかったので、すごくアホみたいな顔を向けてしまった。

「ああ、ごめん。急に話しかけちゃって」

「あ、いや。びっくりしただけ」

「時計買うの?」

「うん、家の時計壊れちゃって」

「時計ってなんだかよく壊れるイメージあるなあ。時間が合わなくなってきたと思ってたら止まっちゃったりね」

「そのパターンです」

「ああ、やっぱり?」

「そういえばイワオは何買いに来たの?」

「ちょっとね、俺一人暮らし始めるから色々ね」

「へー、そうなんだ」

 あ、と思い出す。

「何?」

「せっかくの一人暮らし記念だし、便利なものプレゼントしてあげる」

「ええ、いいよそんな」

「私がプレゼントしたいだけだから大丈夫」

「大丈夫って」

 私は保温ポッドを手に取って、これ、と言った。

「ああ、確かに便利だそれ」

「ね? まあいらないかもしれないけど、受け取って欲しいなあ」

「そっか。なんか悪いなあ、ありがとう」

「いえいえ、こちらこそ」

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