第10話 一縷と未来と伊咲、そして舞

「な~んもないのにお茶碗とお箸だけふたり分ある! 怪し~い!」


 中学生と言えども女子は女子。はなの鋭い観察力に一縷いちるも舌を巻いた。


「マジで? あっマジだよ。ほれ、見てみ、引っ越しの日にはなかったよな!」


 未来みらい伊咲いさきに大声で確かめる。


 さすがの伊咲も動揺したのか、目が宙を泳いでいる。そこへまいが涼しい顔で華を諭し始めた。


「お茶碗とお箸ってふたつでひとつなの。そういう買い方をするものだよ」


 なんだかもっともらしい。だが、中3女子は簡単には騙されない。


「へぇ。だけど独り暮らしの人にはいらないじゃん。そういう人もセットで買わなきゃいけないの?」


 なぜか未来もウンウンと頷いて舞を見る。


「そうだよ。世の中の常識だよ。それが嫌な人はおどんぶり買えばいいの」


「おどんぶりは…… あっ! ひとつだ!」


「ねっ、そうでしょ。物には買い方があるの。憶えておきなさい」


 顔色ひとつ変えないで華を言い包めるところは、姉らしい…… というかちょっと怖い。


「へぇ~、そうなんだ。勉強になった」


 横で未来が感心している。お前はバカか!



◇ ◇ ◇


「さあ、お兄さんたちのお邪魔になるから、華、私たちは帰るよ」


 座って落ち着く間もなく、舞は帰ろうとした。


「もう帰るの? まだ3時にもなってないよ。まだいいじゃない?」


 伊咲と未来が引き留めたが、舞はお邪魔だし帰ると言う。一縷は伊咲と未来がコンビニの袋から取り出した酒やらポテトチップスに目をやり、呆れた顔でふたりを見た。


「舞はお前たちみたいに昼間から酒飲んだりしないから、こんな窮屈な部屋じゃ落ち着かないんだよ! 


 舞、送っていくよ、バス停まで」


「ありがとう。じゃあ、華、帰るよ。未来さん、伊咲さん、今日はお邪魔しました」


「いや~、なんだか悪いなぁ。オレたちも帰る?」


「いや、いてください。いてあげてください。おふたりまで帰ったら、きっと一縷さんが寂しいと思うし」


「一縷! お前が羨ましい……」


 未来が本当に羨ましそうな顔をする。伊咲は華に声をかけた。


「じゃあ、またね。華ちゃん、今度、発表会があったら教えてね。みんなで応援に行くから!」


「了解っす!」


 華が台所でクルリと軽やかに回転すると、ふたりはふたたび感心して彼女を眺めた。


「宝塚だよ、華ちゃん! そっちの方が有名になるかも!」


 未来はすっかり華のファンになったようだ。


「アハハハ、クラシックバレエは地味ですもんね」


 舞は笑顔で応えたが、目は笑っていなかった。



 結局、伊咲と未来も見送りに出て、さっきと同じように並んでバス停に向かった。


「夜、メッセージしてね、必ず」


 三人から遅れて歩きながら、舞が一縷の左腕に右腕を絡ませた。


「う、うん、いいよ」


「絶対ね」


「わかった。何時頃がいい?」


「何時でもいい。起きて待ってるから」


「じゃあ、あいつらが帰ったらすぐメッセージ入れる」


「なんか…… 伊咲さんに悪いかな」


「なんで?」


「なんとなく」


「変な気の回しすぎ」


「うん、そうかも」


「メッセージするから」


「一縷…… わ……」


 舞は何かを言いかけたが、一縷は前を向いたままだった。


「気をつけて帰ってね」


「うん…… ありがとう」



◇ ◇ ◇


 バスに乗るふたりを見送ると、思わず三人揃って、ふうっ、と息をついた。


「さっ、飲み直すべ」


 未来が背伸びしながら言う。


「当然一縷のおごりだよね」


 伊咲はそう言うと勝手知ったる道のごとく商店街に向けて歩き出し、途中の中華料理店に入るとビールと餃子を三人前注文した。




「一応確認だけど、お前、舞と付き合うわけ?」


 何の前触れもなく、しれっとした顔の未来が一縷に問いかける。伊咲は自分には関係ないわ、みたいな顔でギョーザを食べ始めた。一縷も知らん顔でビールを飲み始めたが、ふたりが回答を待っているような気がして、反応しないわけにもいかない。


「お前、舞が話しかけてきた時のこと、もう忘れちゃったの? 彼女、あの分厚い本の翻訳したいから、って言ってただろ?」


「オペラがなんちゃら?」


「ありゃオペラじゃなくバレエの本だよ」


「それも出来過ぎな感じもするよね」


「なにが?」


「なにが、って…… ねぇ?」


 そういうと伊咲は意味ありげに未来を見る。どうも、このふたりはどこまでかわからないが通じている。


「大体さ、伊咲の目の前で化粧女の話を聞きに行ったり、今日はわざわざ舞を呼び出したり…… お前、そりゃちょっとないだろ! と、オレは思うよ。


 お前が変になってからも、伊咲はずっとお前の傍にいたのに…… なぁ」


 今度は未来が意味ありげに伊咲を見る。伊咲もそれに頷いているようだ。


「私ね、舞ちゃんはいいと思う。可憐で素直で、男の子は誰でもいいなぁと思うんじゃない? 未来だって嫌ってないよね」


 伊咲が再び意味ありげに未来を見る。さすがの一縷も、どうやらふたりがかりで何か言いたいことがあるらしいと悟った。


「でもあの人はイヤ。大人の色気だけじゃなく、男の人を挑発する感じがしてイヤ!」


 そっちか……


「その…… 今、その人のことは関係なくね?」


「関係ある! あの人と付き合ったら一縷は私達とはもう会わなくなる気がする!」


「ちっ…… 未来! お前が変に絡むから、話がこんがらがって来ただろ! バカ未来が!」


 未来は伊咲の話は織り込み済みとばかり、知らん顔してビールを飲み続けている。


「これだけは言っとくよ。オレはお前たちふたりには感謝してる。


 オレな、正直、高校辞めようと思った時期も、受験辞めようと思った時期もあった。お前らがいなきゃ多分どっちも辞めてたかも。


 だから…… お前ら…… 邪魔すんなぁ〜〜〜!」


 一縷が急に大声を出したので、ふたりはキョトンと目を見合わせた。が、じきに大笑いし始めると、それまでのことがなかったかのようにいつもの三人に戻った。



◇ ◇ ◇


 焼き鳥屋が開くまで中華料理店で時間を潰し、焼き鳥屋に一番乗りすると、結局、23時頃まで同じ店で粘った。さすがに伊咲は帰ったが、未来は面倒だから泊まると言い始め、部屋に戻るとビールを一口飲んで、そのまま眠ってしまった。


 一縷もかなり酔っ払っていたが、シャワーを浴びて目を覚ませ、深夜0時を過ぎて舞にメッセージを入れた。


『遅くなってゴメン』


『…… 遅すぎ』


『未来が横で寝てる。参ったよ』


『伊咲さんでしょ?』


『そんなわけないよ。アイツは帰ったよ』


『そうじゃなくて、お茶碗』


 指先が止まった。一縷が画面に文字を打ち込もうかどうしようか迷っていると、先に彼女からメッセージが届いた。


『いいの。分かればいいの』


 応えないことが答えとして伝わっていた。


『付き合ってるの?』


『ううん。そんなんじゃない。ただの幼馴染だよ』


『良かったぁ…… 私は?』


 また一縷の指先が止まった。するとまた先に舞からのメッセージが届いた。


『私ね、レッスンの時に他のこと考えたことないよ』


『うん』


『でも、ここ何日間か、一縷のこと考えながらレッスンしたりしてる。こんなんじゃダメだと思うのに』


『うん』


『私ね、華みたいな才能ないのわかってるの』


『そんなことないと思うよ』


『いいの、わかってるから』


 三度みたび一縷の指先が止まった。


『一縷…… 』


『ちゃんと聞いてるよ』


『私、夢を追った方がいいのかなぁ』


 さらにまた止まる。


『夢を追わない私でも好きでいてくれる?』


『そんなことで悩むな!』


『うん……』


 夢を追ったことのない一縷が彼女にかける言葉などない。ただ、もし彼女が自分を必要とするなら、いつまでもメッセージの相手くらいしてやろう。そんなことしか思いつかなかった。

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