第9話 舞と華
「寒いよ、お姉ちゃん!」
ゴールデンウィーク最初の土曜日は朝から曇りがちで、気温も5月とは思えぬほど冷え込んだ。
「これ、着てな」
「いいです、いいです。私の貸しますから」
舞が慌てて自分のウィンドブレーカーを脱ぐと、華に手渡した。
「いくらなんでもそれじゃ寒くね?」
見るからに寒そうな舞を見かねて、
「あらあら、仲のよろしいことで…… あ〜〜、さぶっ」
みんなのやり取りを見ていた伊咲がわざとらしく自分のジャケットの襟を締めた。
「ごめんなさい。寒いからね、って言ってるのに薄着で来るんだもん。華ちゃん、お兄さんたちにちゃんとお礼言いなさい!」
舞がお姉ちゃんぶって華を叱る。未来のパーカーと舞のウィンドブレーカーを手にした華はちょこんと首を竦めて、あざーすと軽く右手を挙げた。
「天使だよなぁ、華ちゃん。こんな妹欲しかったよ…… なあ一縷!」
未来が目を細める。確かに、まだ中3の華は、天真爛漫な笑顔が天使のように可愛らしかった。
この寒空の下、バーベキューに興じる物好きは少なく、敷地内は人影もまばら。わずかに、一縷たちと同年代の男子学生数人のグループが上半身裸で大騒ぎしているが、それ以外のグループは、まるで冬場の焚き火のように、それぞれの炭火を小さな輪になって取り囲んでいた。
「大丈夫! 炭火をガンガン熾せばそのうち温まるよ。よ〜し、うちもガンガン火おこしするぞ〜! 華ちゃん! これでガンガン扇いじゃって!」
未来の掛け声に、華がキャッキャと応じる。寒くて会話も凍りがちだが、未来のカラ元気に木炭もようやく赤く燃え出す。すると全員、焼き物そっちのけで火に手をかざした。
「こういうバーベキューも思い出に残っていいですね?」
舞はニコニコ楽しそうだ。バーベキューというより焚き火端の雑談が始まった。
「舞さんも華ちゃんも、毎朝その髪型にするの大変でしょ?」
伊咲がふたりのひっつめ髪をマジマジと見つめて質問した。女性らしく出来上がった髪型より、その髪型に至る手間に関心が向いたようだ。
「毎日のことなので、慣れというか……。それに、ひっぱって、上でクルクル、ってしてるだけで、そんなに手間でもないですよ」
「私はお姉ちゃんかお母さんがやってくれるから」
「えーっ、毎日?」
「うん」
「…… 羨ましい。私は母親にそんな手間暇かけてもらった記憶がない……」
伊咲が自虐的に笑うと、皆つられて笑った。
「こいつはかーちゃんの愛情たっぷりだから、わかるんじゃないか? その気持ち」
未来がトングを一縷に向けた。
「凄い美人なんですよ、こいつの母親。なあ」
未来が伊咲に話を振るが、以前、母親の話は絶対にするなと言われたばかりの伊咲は、ん?、と中途半端な反応しかしない。
なんとなく、あれ? って感じの不自然な空気が流れ、会話が変に途切れたのを気にしたのか、舞が華にY字バランスをやってみせろと急に話題を換えた。
「お兄さんたちにお礼に見せてあげなさい、得意でしょ?」
最初はえ〜っ、などと、あの年頃特有の恥じらいを見せていたが、やがて立ち上がった華は、見事なバランスを取ってみせた。
それはバランスを取るのが上手い、というより、身体の調和美が際立つもので、まるで造形を極めた西洋の彫刻を見ているように、皆うっとりした。そのあまりの美しさに、一縷たちだけでなく、周囲で炭火を囲んでいた連中まで拍手喝采したので、華はそのままクルリと回転すると、プリマドンナがカーテンコールで見せるように大きく身体を屈めて華やかな挨拶をした。
「美しい…… この子、天才!?」
感動した伊咲が舞に尋ねると、華は中学を卒業したら東京で本格的なレッスンを受ける予定だと、舞はちょっと複雑な顔を見せた。才能は時に残酷なものかもしれないと、一縷は姉妹の顔を見比べてそんなことを思った。
12時過ぎても一向に寒さが和らぐことはなく、バレリーナのふたりは想像以上に少食でもちろんアルコールもダメ。そんなふたりを尻目に三人もガツガツ飲んだり食べたりするわけにもいかない。華が寒い寒いと言い続けたこともあり、早々に解散しようか、という話になった。
とは言え、このまま別れる時間でもなく、それじゃここから歩いて20分だから一縷の部屋で温まろう、ということに落ち着いた。舞も華も一縷の部屋には関心があるらしく、すぐに帰るけど寄っていっていいかと言われると断る理由もない。5人は揃って彼の部屋に向けて移動を始めた。
なぜか先頭に華と未来。やや遅れて伊咲が続き、一縷と舞は並んで最後尾を歩いた。一縷にしてみれば、同級生の集まりにやってきた舞はゲスト、という位置づけだったから、おもてなしの気分が優先した。
「どんな部屋? 凄く興味ある!」
並んで歩きながら舞が話しかける。一縷は少し恥ずかしそうな顔を正面に向けたままだ。
「な〜んもないよ。ベッドとちゃぶ台だけ」
「ちゃぶ台!?」
「あっ、そう呼んでるけど舞が想像してるちゃぶ台とは違うかも」
「アハハ、な〜んだ、頑固オヤジがひっくり返すあのちゃぶ台想像しちゃった」
「今どき、そんなの探す方が大変だよ」
「だよね〜、でも小さな食卓でふたりだけの食事してみたいな。なんか憧れる」
「へぇ〜、やっぱり人間って、ないものねだりなんだね」
「どうして? ふたりきりの生活に憧れたらおかしい?」
一縷が返事しないので、ふたりの話に聞き耳を立てていた伊咲が振り向いて口を挟んだ。
「舞ちゃん、この男は無神経だから気をつけなきゃダメだよ。まともに受け止めると、神経ズタズタにされるよ」
「え〜っ、そんな印象ないのに……」
「ねっ。でも一縷は見た感じと中身違うから。マジで。オレ様だから」
第三者が見れば伊咲の告白、宣戦布告とも聞こえるが、舞は表情ひとつ変えず、素直に一縷に問いかける。
「オレ様はわかるけど、一縷ってそんな悪人なの?」
一縷は舞の問いかけには応えず、前を歩く伊咲を蹴り上げるフリをする。
「伊咲! ないことないこと言ってんじゃねえ!」
伊咲はちょっと肩を竦めると、バカバカしいとでも言いたげに、前のふたりに駆け寄り、三人並んで歩き始めた。
「伊咲さんって可愛いね。ああいう人に生まれたかった…… 」
「そう?」
「うん。ぶりっ子しなくても愛される人って感じ。私なんかと大違い……」
「えっ? 舞はぶりっ子?」
一縷は笑顔で舞の横顔を覗き込んだが、意外にも舞は真剣な顔つきのままだ。
「うん。ぶりっ子だよ、私は。真面目ぶりっ子だし、かわい子ぶりっ子、お嬢様ぶりっ子……」
人の心には誰にでも何かしらの闇があるのかもしれない。一縷に彼女の闇などわかるはずもないが、穢なき笑顔の裏に何かが隠されているとするなら、それを完璧に隠せるだけ、彼女は自分よりよほど大人だと思った。いつか、あの白い後ろ姿のことを、彼女に打ち明ける日が来るのだろうかと一瞬考えたが、やはりそれは無理のような気がした。
ただ、彼女のことはできるだけ大切にしてやりたい、そんな感情が沸き起こった。
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