第8話 恋人?
「おはよう! もっと前に座らない? 私、黒板の字がよく見えないの」
「あ〜、ごめん…… 前はちょっと」
「そう…… じゃあ、あとでね!」
授業が始まると、
彼女が席を移ると、
授業が終わると舞は必ず一縷の傍に戻り、教室の移動やランチに向かう時は並んで歩いた。それまでいつも一緒だった
彼女と並んで歩くと周囲の視線が集まる。しかし、知り合いの少ない一縷は当然としても、舞にも特段話しかける人物がおらず、一縷同様知り合い少ない様子はやや意外な気がした。
「舞は地元の高校だろ? 知り合いもたくさんいるんじゃないの?」
気になった一縷はそう彼女に問いかける。
「女学院高校だよ。何人かいるけど、あそこはエスカレーター式に大学に上がる人が多いから、ここは少ないよ。仏文は誰もいない」
「そうなんだ」
一縷の顔に安堵の表情が浮かんだ。
「小さい頃からバレエばかりして、あまり普通の友達がいないんだ」
彼女は悲しそうにそう話した。一縷は逆に嬉しそうな笑顔になった。
「ボクも口をきくのは同級生のふたりだけ。未来ともうひとり薬学部の子だけ」
「そうなんだ。薬学部の子って女性?」
「うん、幼馴染。幼稚園の時からずっと一緒」
「へぇ~。ちょっと気になるかも……」
「幼馴染だよ。庭の大きな木の下で素っ裸で並んで撮った写真もあるくらいだよ」
「イヤらしい……」
「えっ…… 1歳とか2歳の頃でも?」
「うん、イヤだ」
一縷はなぜか嬉しかった。
「舞はヤキモチ焼き?」
「うん。すごく」
「…… そうなんだ」
一縷は抑えようとしても笑いが止まらない。
「おかしい?」
「おかしくない! 嫌いじゃないよ」
「だって、一縷ってモテそうなんだもん」
「えっ! 言われた本人びっくり!!」
「だって、会った初日に呼び捨てしていいか、なんて、一縷以外の人に言われたことないから、一瞬、この人…… って思ったよ!」
彼女は屈託なく笑った。
晴れやかな青空が広がっていた。一縷の笑顔は中学生の頃の無邪気な笑顔に戻ったように見えた。
「ところであの本、翻訳始めた?」
「ううん、一縷と一緒に読もうと思って手付かず」
「じゃあ、そろそろ取り掛かる?」
「うん! 良かったらお
「えっ! だって家族もいるだろうし」
「平気平気! 昼間はお母さんと妹だけだから、全然平気!」
「それを聞いたらなおさら行けない……」
「えーっ! どうして?」
「何話したらいいかわかんないよ」
「えーっ! ホフマンの舟歌歌う人と友達になったよ! ってお母さんに話したら、会いたい〜、って言ってたのに!」
「…… 絶対行けない」
「が〜〜〜ん…… ケチ!」
「お前がハードル上げるからだよ!」
「お前だって……」
「あっ、ごめん」
「初めて言われた……」
「ごめん」
「ドキっとするものなんだね……」
「…… ごめん」
「一縷……」
「ん?」
「私たちは恋人?」
一縷は驚いた顔で舞から目が離せない。舞は変わらぬ笑顔で一縷を見つめ返している。先に目を逸らした一縷を見て、舞が軽く一縷の左肩を押した。
「もぉ〜〜〜、そう思ってない! ショック〜〜〜!」
軽く押しただけだが、一縷は手にしたコーヒーを溢しそうになり、慌てて椅子から立ち上がる。その様子をみて舞は足をバタつかせて喜んだ。
◇ ◇ ◇
夜、伊咲から電話があり、ゴールデンウィーク最初の土曜日にバーベキューすることになった。入り江の島に渡れば、何も準備がいらないお手軽なバーベキュー施設があるらしい。
「遠くない?」
「そんなことないよ。でも、嫌なら一縷のアパートから歩いていける場所にもあるけど、そっちにする?」
「たかがバーベキューに船にまで乗らないでしょ、普通」
「じゃあそっちね。帰りは一縷のところでシャワー借りよっと」
「なんだよ、寄るつもりかよ」
「悪い?」
「多少、邪魔」
「まさか、あの子と付き合い始めたとか?」
「誰?」
「ひっつめ髪」
「あ〜、あの子はそんなんじゃないよ」
「…… じゃああっちか」
「お前の想像力は凄いけど、大概外れてるよ」
「どうだか……」
「あのねえ…… 伊咲にはホント感謝してるけど、そっちに引っ張り込むのやめろよな」
「引っ張り込むって人聞き悪いね! あんたが意気地なしだからだよ!」
「幼馴染って、大人になるとこんなに面倒くさいもんになるのかね」
「失礼しちゃうよ、全く。まあいいわ。幼馴染の意見では、あっちはイヤだ。なんとなくイヤらしい。なんか想像しちゃうからイヤだ」
「なんの想像だよ…… 伊咲、欲求不満なの?」
「なっ、何言ってんの! あんた失礼にもほどがあるよ!」
「あっ、そう。じゃあ、ひっつめなら誘っても文句ないよな」
「マジで言ってる?」
「来るか来ないかは知らないけど、誘うだけ。素直で良い子だよ。伊咲とは合うと思うけど」
「ふ〜ん」
「ふ〜ん、って何だよ」
「連れてこない方がいいと思うな」
「なんで?」
「先週、一縷の部屋に泊まったことバラすかも」
「別にただ寝て帰っただけだろ?」
「一縷のベッドで寝たって言うかも」
「別に一緒に寝てないよな」
「朝方、抱き合ったって言うかも」
「…… 未来がショック受けるだろうな。あいつ、大学辞めちゃうかもな」
「…… 卑怯者」
「どっちがだよ!」
「アハハハハハ、まあいいや、連れておいでよ。私はいいよ。多分、未来も賛成だと思うな」
「一応、誘うよ。伊咲、アリガトな」
「ちょっと悔しい気もするけど、やっぱり一縷とは幼馴染の方がいいかも、ってこの前思った」
「そうだろ? それがいいよ、長い付き合いができて」
「仕方ない」
「お前がもうちょい色っぽかったら、ヤバかった、アハハハ」
「あの子はそんなに色っぽい? そんなタイプじゃない気がするけど」
「ああ。だからただの友達だよ」
「ふ〜ん…… じゃあやっぱりあっちが本命か……」
「どうだろうな…… 今はまだわかんないよ」
「あの人、なんか怖いんだけど」
「うん。すげー気の強いところはあるな」
会議室から出て行った涼音の後ろ姿が蘇った。
「そうなんだ。じゃあ、年上の色っぽい人に、うぶな田舎者が憧れたって感じ?」
そうだったかもしれない…… そうでなかったかもしれない。
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