彼らの時計は止まらない

 数日後、クォーツ時計店を尋ねる者がいた。


 クロックは作業の手を止めて顔を上げる。


「……そろそろいらっしゃる頃だと思ってましたよ」


 客はトーマス・マクレガーだった。

 彼はハットを脇に抱えて申し訳なさそうな顔をクロックに向ける。


「こういうときに、どんなお礼の仕方をすればよいのか……まったく、嫌なものだ」


 トーマスは苦笑いを浮かべる。クロックは椅子から立ち上がって彼を招き入れた。


「どうぞ。お宅とは比べものになりませんが、安物でよければコーヒーを出しましょう」

「ああ、長い話になる。コーヒーがなければ始まらんよ」


 彼の言い草に、クロックも苦笑した。

 トーマスはコーヒーを用意しているクロックの後ろ姿に声をかけた。


「聞かないのかね?」


 クロックは後ろを向いたまま言った。


「これでも一流の時計職人を自負しておりましてね。自分の腕には絶大な自信を持っているんですよ。できない仕事は最初から請け負わないってのが信条なんです」

「ははっ、それではこの国一番の時計職人の名が泣くのではないかね?」

「職人ってのは難しいもんですよ。自分の腕を上げることと、今の限界で仕事をすることは別でしょう?」

「これは失敬」

「構いませんとも」


 トーマスは小さく息をついて彼の手元で膨らむ豆の粉末を眺めていた。


「……だが、完璧だったよ」


 クロックは肩を竦めて「それはよかったです」とまんざらでもなさそうに言った。


「本当に何も聞かないのだね。せめてどんな言葉で娘が目覚めたか、私は君に尋ねてぜひとも他に答えがあったか知りたいのだが」

「その必要はありませんよ。だって、その言葉は、あなたたち家族のものなんですからねえ。それ以上もそれ以下も、ないんですよ」


 クロックのからかうような雰囲気に、トーマスは苦笑して「そうかもしれないな」と相槌を打った。


「お代はどうするかね? 私に払える金額であればいくらでも払う。あるいは私にできることであればなんでも引き受けよう」

「お好きなだけお支払いくださいな」


 クロックはトーマスにコーヒーを差し出して言った。

 トーマスはきょとんと目を点にして尋ねる。


「お好きなだけ、とは?」

「愛する娘の時間にふさわしいだけの金額、あるいは品物、はたまたそれ以外のものでも構いませんがね」


 クロックの難題にトーマスは音を上げた。


「それは払いきれる自信がないな。娘の〝時間〟は私自身の〝時間〟を差し出しても足りないほど、かけがえのないものなのだからね」


 トーマスの優しい笑顔を見て、クロックはいつもの微笑みを浮かべた。


「その言葉が聞けただけでも、十分ではありますがね」

「おや、お代はいらないのかい?」


 トーマスがいたずらっぽく尋ねるとクロックは首を横に振った。


「まさか。ちゃんとお代はいただきますよ」

「ふむ。いくら包めばいいだろうか」

「まあ、まずはコーヒーでもお飲みになってくださいな」


 促されて、トーマスは安っぽい香りのコーヒーを一口飲んだ。


「不味いでしょう?」

「ああ、言いたくはないが……不味いなあ」


 クロックはくすくすと笑った。

 そして、ふと思い出したように言う。


「美味いコーヒーでも入れてくれる従業員がいればいいんですがね」

「おや、従業員を探しているのかい?」


 トーマスの問いかけにクロックは首を横に振った。


「今は繁盛してますけど、まあこんな仕事ですから別に人手はいらないんですよ」

「ふむ。考えてみればそうかもしれんな。ほとんど時計の修理ばかりなのだろう?」

「たまに作ることもありますよ。でも、俺は簡単に壊れるような時計は作っていませんからねえ」

「だが、しかしクロック君。君はあまり接客向きではないようだ」


 その通り、とクロックは頷いた。


「弟子をとろうとは思わんのかね?」

「弟子入りさせろってやつはいっぱいいるんですがね。まだ俺自身が自分の腕前に納得してないんですよ」

「難儀なものだなあ」


 トーマスは不味いコーヒーを啜って肩を竦めた。


「人を雇う余裕はあるのだろう?」

「まあ接客係を雇うぐらいは」

「ならば一人斡旋しよう」

「よろしいんで?」


 クロックが意外そうに尋ねると、トーマスは快活に笑って言う。


「当然だとも。これでも市議だ。ツテはいくつだってある」

「頼もしい限りで」


 二人はくすくす笑い合ったが、トーマスは一つ条件を出した。


「ただ、私がぜひ君に雇ってもらいたい人材がいてね。その人物は余裕をもっても二ヶ月ほど先からしか雇うことができんのだよ」

「別にそんなにすごい人じゃなくても構いませんが?」

「いやいや、そういうわけにはいかんよ、クロック君。君には金で払うことなどできない大きな恩ができてしまった。その恩人に生半可な人物を紹介するなどできるわけもない」


 クロックは急いで人が欲しいわけではないので、それでもいいと了承した。


「給金はいくらぐらい欲しいとかわかります?」

「お茶汲みに店の掃除程度なら五千ダラスで十分だろう」

「そんなもんですか」


 頭の中で毎月の出納帳をチェックして、クロックは「じゃあその条件で」と彼にお願いすることにした。


 話はついたと立ち上がりかけたトーマスだったが、思い出したように座り直して尋ねた。


「それで、お代はどうするかね?」

「そうでしたね。その話をしていたんだった」


 クロックも忘れてしまっていたのか、頭をかいて笑った。


「正直に言えば、この手の仕事って明確な相場がないんですよ。だからまあ、いつも相手の言い値のままだったんですがね」

「君は商売にも向いていないかもしれんな」

「いくら払ってでも取り戻したい〝時間〟ですよ? ケチケチする客なんてうちには来ませんよ」


 トーマスはそれを聞いて納得し、けれども払わないわけにも行かず、かといって相場もわからずに唸った。

 そんな彼を見かねて、クロックはこう言った。


「じゃあ、こういうのはどうでしょう。トーマスさんにはうちの時計を買ってもらって、その後の修理も全部うちに頼むってのは」

「ふむ……それならば、君が作った中で一番の最高級品をもらおうじゃないか」

「最高級品、ですか」


 頷くトーマスに、クロックはしばらく考え込んで了承した。


「わかりました。今現物をお見せしますから、少々お待ちください」


 そう言って彼が持ってきた懐中時計は、一見すると最高級品には決して見えなかった。

 かろうじて銀細工がそれらしく見えるぐらいで、基本的な作りは普通の懐中時計だ。


「これが最高級品かね?」

「ええ、そうですよ」


 トーマスがこの国一番の時計職人の腕を疑いそうになったとき、クロックは自慢げに言った。


「ちゃんとメンテナンスさえすれば、こいつは末代まで動く代物ですよ。子々孫々まで購入した人の思いが持ち主を守ってくれる――そういう一品ですから」

「買おう。いくらだい?」


 クロックの説明を聞いてトーマスは即決した。


「末代までのメンテナンス費用も含めて二百万ダラスです」

「なんと……屋敷が一軒建つではないか」

「やめときます?」


 トーマスは笑って首を横に振った。


「むしろ安いかもしれんな。よろしい。また改めて金を持って伺おう」

「お待ちしてますよ」


 クロックは予約証明書を手早く書いてトーマスに渡した。

 店を出るトーマスを見送ろうとして、クロックは尋ねる。


「そういえば、ご紹介いただく人のお名前をお聞きしても?」


 トーマスはそうだなとしばらく頭を悩ませて言った。


「アンジェラ・マクレガーと言うのだが、君さえよければ永久就職でも構わんよ」


 クロックは苦笑を浮かべて「ご冗談を」と頭をかいた。


「冗談ではないのだがね」


 トーマスがハットをかぶって扉をくぐった。

 クロックはいつもの微笑みを浮かべて言った。


「お気をつけて。時間を忘れちゃダメですよ」

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メモリーバック ~時計職人は時間を戻せない~ 裂田 @Akr_yrz04

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