第8話 俺の目の前に落ちてきた少女
放課後。
大きく伸びをしながら、晴彦がにこやかに話しかけてくる。
「おっし。今日も終わった!」
「お前はまだ終わっていないだろ。サッカー部はどうした?」
「部活は趣味だし、苦痛じゃないのさ」
部活を趣味だと言い切るのもなかなか凄い。だから頑張れるし、練習量に伴って上手くもなるのだろう。こういう所は見習うべきところである。
「ってか、アッキーはこのまま帰んの?」
「いいや。これから河原掃除だな」
「はーっ、またボランティアか。中学からずっとすっげーな」
「人にいいとこ見せたいからやっているだけだよ」
「またまた。謙遜しちゃって」
いや、実際に悪い噂で俺の名前が呼ばれると、それも俺のせいになっちゃうから、結構必死なのだ。一度、不運が重なって万引き犯に間違われた時があったのだが、その疑いを晴らすのにどれだけ労力を費やしたことか。
「じゃ、俺は部活に行ってくるぜ。――そしてその後、彼の姿を見たものはいなかった」
「自分で言うか。――絶対に生きて戻ってこいよ。絶対だぞ」
「殺す気満々じゃねーか!」
なんていう軽いやり取りをして、晴彦は教室を出て行く。
さて俺も向かうか、と腰を上げた所で後ろから声を掛けられる。
「アッキー。ちょ、ちょっと屋上、来てもらえるかな?」
「……彼方。もうちょっと言い方と態度を考えてくれ」
「? 何かおかしいとこある?」
恥ずかしそうに言う所だよ。そんな態度だから勘違いされるんだよ。
「まあ、いいや。どうせ恋の相談だろ?」
「ッ!」
彼方は唐突に俺の手を取って教室の外に連れ出す。
そして一気に屋上前の踊り場まで物凄い力で引っ張った後、頬を紅潮させて抗議してくる。
「そ、それは言わないでって言ったでしょ!」
「いや、だってさ、勘違いされちゃうじゃないか。あそこでああ言わないと、お前が俺に告白するみたいになっちゃうからさ」
「うん。それは困る」
ひとしきり彼方は頷いた後、目を伏せる。
「……でも、恋をしていることが周りに知れても困る」
「ああ、それは大丈夫。みんなにばれてるし」
「なっ、えっ! ……うそー」
「まあ、女子だけなんだけどな」
男子は「男子って子供よねー」ってことだ。彼方が晴彦を好きなんてことは微塵にも気が付いていない。
むしろ……
「ねえ、それって本当なの?」
「近い近い。興奮しすぎ」
吐息が掛かるくらいに顔を近付けてくる彼方。唇を少し伸ばせばキスしそうな距離、と言えば彼女の異様さが判るだろう。
要するに、こいつは容姿が良いのに加えて相当な天然が入っている故に他人との距離が近いという、異性を惑わす魔女なのである。
だから男の子はみんな、彼方が自分のことを好きだと勘違いしている節がある。
ただ二人を除いて。
「そうやってみんなに対して距離が近いから、逆に晴彦がお前の好意に気が付かないんじゃないのか?」
「だからこんなクールキャラにしているんじゃない。昔は『好き好き~』って言っていたのに気が付かないから方向転換したのに」
そう。こいつの容姿はクールビューティで性格もそう見えるように振る舞っているが、実際は普通の可愛いらしい女の子なのだ。因みに彼女のこれは、高校デビューならぬ、中学デビューであるらしい。
「それはあいつが悪い。やっぱり元に戻そう。元の好き好き~の彼方の方が可愛いと思うよ」
「うーん……でも……やっぱり恥ずかしいっ!」
「あー、もう、何年経っているんだよ。そろそろくっつけよ」
先にも述べたが、彼方は晴彦のことがずっと好きなのである。少なくとも俺が二人と出会った中学一年生からは継続している。だからこそ本気で能力を使って命令しそうになるが、そこはぐっと堪えている。もしかしたら、今一番自分の能力を使いたいと思っているのは、この二人に関してなのかもしれない。
「うー……くっつきたいけど、でも、この微妙な距離感も良かったり……」
「まあ気持ちは分かる。だが、俺のことを思って、早くくっついてくれないか?」
「アッキーのことを思って? どういうこと?」
「うん。説明しよう。お前が晴彦のことについて俺に相談する。俺と会っている時間が多い。あれ? 妻夫木さんって佐藤君のことが好きなんじゃないの? じゃああたしは勝ち目がないから身を引くね。――って流れになるから、はっきりとしてもらわないと俺に彼女が出来ない」
「そうなんだ。ごめん……って、あれ? さっき女子は私がハルのことを好きだって知っているって言わなかった?」
「ちっ」
そうだよ。モテないのは俺のせいですよ。だが美人のこいつが近くにいるせいで近寄りがたくなっているのも事実だよ。俺が女でもちょっと引くよ。勝てる気がしないもん。
「あーあ。早くくっついてもらうための策だったのに、お前、頭もいいもんな。美人で頭脳明晰とか、どこの星の下に生まれればそうなるんだよ」
「買いかぶり過ぎだって。……そう。私は一人の男も振り向かせることが出来ない、ただの愚かな女よ……」
「お、今度は中二病キャラで行くのか。だが晴彦には効かないと思うぞ」
「……本気で悩んでいるんだけどなあ」
彼方は、はあ、と深い溜め息をつく。
「具体的に次はどうすればいいのかな?」
「告白することが一番だろ。……といっても無理なんだよな。大きな胸を好きにさせた、っつーかあいつは元々好きだったんけど……よし。それで攻めよう。挟め」
「揉ませるんじゃなくて挟むのっ? 告白するより恥ずかしいって!」
「まあ、冗談は置いといて……とりあえず、晴彦と他の男子で反応を変えることだな。なんなら他の人を無視しても構わない」
「それはやだ」
「何でだよ」
「だってそれじゃあアッキーも無視することになるじゃん。そんなのやだよ。もっと一緒にいたい」
「……」
瞳を潤ませてそう言うのやめろ。そういう所が勘違いさせる原因なんだよ。
「……全く、俺じゃなかったら惚れていたぞ。気を付けろ」
「うん?」
「とりあえずだな、普通にキャラ作らずに、好きな気持ちを持ちながら晴彦と接すればいいんだよ。お前は可愛いんだから」
「……」
そこで少し、彼方は押し黙る。
「……そういうこと、さらっと言うね」
「ん? いや、だって可愛いのは事実じゃないか。前々から言っているだろ」
「……ホント、何でアッキーに恋人がいないか分からないよ」
お前のせいだよ、と言うとまた悩みそうだから「んー、まあ晴彦と違ってイケメンじゃないからな」と誤魔化しておく。
「俺の話は置いておいて、今は彼方、お前の話だ。お前と晴彦がくっつけばこっちもなんか雰囲気で告白されるかもしれないからな。告白するのが無理なら、頑張って晴彦に告白されろ」
「そっか……じゃあ、アッキーのためにも頑張らないとね」
小さく拳を握りしめ、彼方は顔を上げる。
「ありがと、アッキー」
「いえいえ。感謝するなら、成果を見せておくれや」
「うん。じゃあ早速、アピールしてくる。また明日」
晴れやかな顔で手を振って、彼方は階段を去る。
「……青春っていいなあ」
その後ろ姿を見てぽつりと言葉を落とす。
俺視点で見れば、晴彦も彼方のことが好きなのは明白である。だから告白すれば解決するのは見え見えなんだけど、でも流石に彼方の気持ちも分かる。古い考え方かもしれないが、男の方が告白してあげるべきではないかと思う。少なくとも彼方は目に分かるようにアピールしている訳だし。
「……ああ、もう、何で俺が悩まなくちゃいけないんだよ、もう」
理不尽さに憤りを感じたので、外の空気を吸おうと屋上に飛び出す。
開けた空間に、危険だからと屋上に登ることを禁止している学校は勿体ないなと思いを投げつつ、誰もいないことを確認して、また一つ息を吐く。
「これもまた青春なのかな? ……まあ、立ち位置が主人公の悪友っぽいけど」
成程、これがギャルゲー世界の主人公の親友の日常なのか。ならば寝取りに走るキャラクターがいても仕方がないな、とクリエイターの気持ちを理解したつもりで空を見上げた。
――その時だった。
「ファイヤー!」
そんな掛け声と共に人が降ってきた。声質から女性だろう。
そこまで推測した所で、俺は素早く金網の方に身体を投げ出す。
ガシャアアン、と大きな音を立てて、女性は俺の真上で金網に突き刺さる。
……っていうか何で横に刺さるんだよ。ホーミングしてくるな。
「……」
よく見るとウチの高校の制服を着ている彼女は、突き刺さったまま動かない。
腰から上半身は屋上の金網の外側に向いており、こちらにはお尻を向けている状態である。
そんな状況把握も一瞬。
俺の視線は、ある一点に集中していた。
白。
悪くない。
だが、いつまでもそちらにばかり目を向けている訳にはいかない。
「おーい、大丈夫ですか」
俺は視線を外し、彼女の顔を覗き込もうと立ち上がる。
と、同時に。
「よっ、ほい」
何事もなかったかのように、呑気な声を上げながら金網から体を離し、屋上へと着地する。
そこでようやく、俺は彼女の全身をはっきりと目に映した。
艶やかな腰まである黒髪。
細い腰。
ボリュームのある胸。
そして、整った顔。
まるでモデルのような美少女がそこにいた。
だから先程見た白布は、とても価値あるものになった。
心の奥にしまっておこう。
「いやー、参ったっすよー。まさかあそこで曲がるとは思いもしなかったっす」
体育会系の特有の砕けた口調で、少女ははにかむ。
……あー、そういうことか。
俺は素早く携帯電話を取り出すと、メールを打ち始める。
「あれー? 何か展開おかしくないっすかー?」
「うん。ちょっとごめん。先読みしておく必要あるかな、って」
「やけに冷静っすねー。上空から女の子が降ってきたのに『親方ぁあ!』って叫ばないとか、どこの一般人っすか!」
「ごめん。そこまで考えが及ばなかったよ」
そう言って携帯電話を閉じるのと同時に、彼女は唇を尖らす。
「なーんか、調子狂うっすねー。色々とツッコミどころありまくりな登場をしたのに、こんなに反応薄いと、芸人、冥利に尽きないっす」
「芸人なの?」
「違うっすけど。……まあ、いっか」
とりあえず、と少女は改めてこちらを向いて、
「お訊ねします。貴方、佐藤明さんっすね?」
「『俺だ』」
能力が発動し、少女は土下座をした。
毎度おなじみのパターンである。
なのでいつものように命令する。
「まあ、冗談はそこまでにして、土下座は止めて――」
「嫌っす!」
「え?」
俺の命令が……拒否された?
俺は少女を凝視してしまう。
拒否された事実が表す可能性は二つ。
一つは、彼女が俺の能力が効かない人間であるということ。
もう一つは、彼女がその行動を無理だと考えているということ。
後者について少し補足するが、例えば、「今から三秒でパン買ってこい」と言っても不可能なのは言うまでもない。そうなると相手の反応はどうなるかというと、何も実行しない。そしてそこで土下座も何もなくなる――つまり、能力の効果が無くなる、ということである。
だから分かると思うが、もし彼女の行動が後者となると、話が色々とおかしくなる。
「あの、分かったから、もう顔を上げて」
「嫌っす!」
後者だった。
ってか良く考えたらどっちでも同じだった。
どっちにしろ彼女は俺への土下座を止めたくない、ということだ。
へ、変態だ……
「あ、待って。引かないでくださいっす」
彼女は面を上げて目を潤ませる。
「こういう体質なんっす。どMなんっす!」
「堂々と宣言しているし、うわー、ひくわー」
「いやいや、ちょっち待ってくださいっす! これも理由があるんすよ」
「理由?」
「ええ。私は幼い頃から、痛みつけられて生きてきたっす。だから、こうしなくちゃ心が壊れるんす!」
彼女は自分の両胸を、両手で下から持ち上げる。
「まあ、おかげでこんな副産物も出来たっすけど。もみもみ」
「おいおい。こんなにも重い話なのに何でそんな明るく語っているんだよ」
「だって嘘っすもん」
「嘘?」
「どMなのはともかく、そんな重い過去なんて現実にあるわけないじゃないっすか」
からからと笑う少女。
「それに、そういうヒロインは人気でないんすよ。他の男に汚された、って。その点、私は大丈夫っす。他の男と手を繋いだことなんかありませんし、キスも女の子としかやってないっす!」
「じゃあ、ひどい目に遭わされた女の子なんていなかったんだね。良かった」
「さっきからツッコミどころに突っ込んでくれないむず痒さマックスハートっす!」
むきー、と頭を振る少女。
……もう見た目とのギャップがあり過ぎて、逆に萌えてきたよ。
「あ、何度も言うと嘘くさく聞こえるかもしれませんけど、マジで男の人に悪戯されて育ったわけじゃないっすからね。これは天然モノで、男の手に触れられたことなどないっす。そこはお姉さんとのお約束っす」
「お姉さん、ということは、上級生なの?」
「いや、同い年っす。ノリっす」
「へえ」
「いやいやいや! そこは『あれ? 入学式の時にいたか? お前のような目立つやつがいた記憶はないぞ』とか『あれれー? こんなところに青酸カリペロッ』っていう反応じゃないんすか?」
「まあ、君みたいな美少女がいたら一発で分かるのは確かだよな。すごく可愛いから噂にも絶対なるし」
だから敢えて彼女が望むようなテンプレのようなセリフは吐かない。実際、もうある程度、彼女の正体については推測できているし。
と。
「あ、う……び、美少女……? か、可愛い……?」
物凄く顔を赤くして、彼女は眼前で両手を振る。
「いいいいいきなり何を言うっすか! そんなお世辞言われたら焦るっすよ! あー、もう。何言うんすか! ばかっ!」
「はいはい、あざといあざとい」
「ないがしろっ! ひどいっす!」
涙目で抗議してくる彼女は「……まあいいっす」と首を一度振る。
「で、佐藤明さん」
「『俺だ』」
「ははー」
土下座する彼女。……いちいちこんな反応だとテンポ悪くなるなあ。
俺は頭を掻きながら彼女に問う。
「とりあえず、君の名前を教えてくれる?」
「ヴィヴァルヴァローサ・デルメンデル・ライコネン・クラウチピーター・パルストランス・ランデブー・ビヨウジョ・幸恵・ニョホホアキ・レラウンドベリシッチ・タケタテカケタです」
「……え? 何だって?」
「はっ! い、今、何を言いました?」
「こっちがそれを聞きたいよ。――ねえ、君の名前を教えてくれる?」
「姫子っす」
さらりと涼しい顔でそう言う彼女。
「姫子っすよ。佐藤明さん」
「『俺だ』。――もう一度、君の名前を教えてくれる?」
「ヴィヴァルヴァローサ・デルメンデル・ライコネン・クラウチピーター・パルストランス・ランデブー・ビヨウジョ・幸恵・ニョホホアキ・レラウンドベリシッチ・タケタテカケタです」
「長いよ!」
「ですから、私の名前は姫子っす!」
汗をだらだら流しながら、彼女はそう主張する。
「まあ、いいや。姫子さん」
「呼び捨てでお願いっす。じゃないと脱ぐっすよ」
「姫子さん」
「くっはーっ! そこで引かないとかマジ鬼畜っす! 仕方ないっすね! 佐藤明さんが言うなら――」
「『俺だ』」
服をへそまでずり上げた所での能力発動はナイスタイミング。強がったが、流石に本当に脱がれると困る。実は免疫ないんだって。
「ぐだぐだしてきたから、早く話を進めてくれ。姫子って呼び捨てにするからさ。――どうして屋上から落ちてきたの?」
「了解っす」
土下座の姿勢から顔を上げ、姫子(本名は長いので、以下、この名前を呼ぶことに決めた)は人差し指を立てて説明する。
「私は佐藤明さんに――」
「『俺だ』。――これから俺のことを『アッキー』と呼んでくれ。テンポやばいくらいに悪くなっているから」
「了解っす。――私はアッキーに会いに来たっす。だから空から来たっす」
「へえ、そうなんだ」
「そうなんす。だからこれから異世界に行くっすよ。いいっすね?」
「いいよ」
「ふふん。驚いているっすね。嫌だと言っても連れて行くっす。さあ、ゲートオープン!」
彼女は右手で俺の手を取ると、余った左手を上空に手を広げる。
すると、その先に、ブラックホールを髣髴とさせる黒い空間が出現した。
途端に、その空間に身体が引っ張られ始める。
「さあ、無限の彼方にいざ出発っす。――――って、はあっ! 『いいよ』ってどういうことっすか!?」
「リアクション遅くない?」
「どこまでテンプレ壊すんすかああああああっ!」
彼女の叫び声を聞きながら、俺は黒い空間へと飲み込まれる。
……ああ、やっぱり予想通りだったよ。
俺はポケットにある携帯電話を触りつつ、安堵の息を吐く。
――事前に、ボランティアの不参加連絡を済ませておいて良かった。
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