第21話 我がままなのはお互い様。

 周りは既に真っ暗で、スマホを開けば、液晶画面の光が目立つくらいになっていた。

 僕は今、小泉とともに、川を跨ぐ国道が通る橋の下近くにいる。コンクリートでできた橋桁に背中をつけ、車がひっきりなしに通る下の川岸を見ていた。

「もうそろそろですね」

 小泉は身に着けている腕時計の方へ視線をやってから、言う。

 彼女の格好は紫の雨合羽を着ていた。

 決して、雨は降っていないし、今後そうなることも、テレビやネットの天気予報では伝えていない。

「本格的だね」

「何がですか?」

「その格好」

「この格好ですか」

 小泉は口にするなり、片腕を上げ、雨合羽の袖を僕へ見せるようにした。

「そうですね。というより、こういう格好をしないと、血しぶきが服について大変です」

「そ、そうだね……」

 僕は声をこぼすと、小泉が片手に持つものへ目をやる。

 小泉は包丁を握っていた。本人曰く、学校の家庭科室で盗んだものだそうだ。ばれやしないかと思ったけど、事が終わったら、洗って元に戻すらしい。警察とかが調べたら、すぐにばれそうだけど、「その時はその時」と小泉は話していた。

 で、僕と小泉はただ単に、川を眺めてぼんやりしてるわけではない。

「今野宮さんはちゃんと呼びましたか?」

 小泉が顔を向けてくる。

 僕はうなずいた。

「一応反応もあったから、大丈夫だと思うけど」

「どういう反応があったのですか?」

「『OK!』っていう猫の絵で」

「そうですか」

 小泉は僕の返事だけで事足りたのか、顔を川岸の方へ向けた。

「それじゃあ、本当にもうそろそろですね」

「そうだね」

 僕は言いつつ、改めて、小泉が今野宮を殺す気満々だということを感じた。雨合羽に包丁という準備からだ。なので、改めて人を殺すんだということに怯えてきたのか、手が震えていた。

「本当に、僕は何もしなくてもいいの?」

「しなくていいです」

「でも、これは、僕だけメリットがあるわけで、小泉さんは何も……」

「いいです。これは人助けです。それができるだけでも十分です」

 背中を見せたまま、小泉は答える。

 どちらにせよ、既に止めることはできないかもしれない。

「来ました」

 小泉の声に、僕は橋桁から体を覗かす形で視線を移す。

 真っ暗な川岸をひとりの人影が橋の下に向かって歩いてきていた。誰だかわからないものの、先ほどまで通る人がいないことから、今野宮に間違いないかもしれない。

「行ってきます」

「行ってらっしゃい」

「はい」

 小泉はこくりと首を縦に振ると、橋桁から川岸の方へ降りていった。

 同時に相手の人影が足を止める。

「誰かな?」

 声の主は明らかに今野宮だった。

「小泉早苗です」

 小泉は僕と初めて会った時と同じ調子で自己紹介をした。

「わざわざフルネームで教えてくれるなんて、律儀だね」

「そうでもないです」

 小泉は淡々としていた。

 僕は距離を置いて、橋桁のそばから、二人のやり取りを見つめる。

「そういえば、片垣くんはどこかな?」

「片垣くんは来ません」

「それは変だね。ここにこの時間で呼び出してきたのは、片垣くんなんだよ?」

「それは、あたしが頼みました」

「小泉さんが?」

「はい」

 二人は、お互いに正面を向かい合ったまま、話を続けている。だが、表情まではわからない。けど、和やかな雰囲気でないことは確かだろう。

「片垣くん、ひどいね」

「何がひどいのですか?」

「それって、結局、わたしを騙したってことなんだよね?」

「騙したですか……。確かに、今野宮さんから見れば、そう見えるかもしれません」

「小泉さんの言い方、わたしには他人事みたいな言い方に聞こえるよ」

「それはそうです。あたしにとっては、他人事ですから」

「小泉さんもひどいね」

 今野宮は涙ぐんだような声を漏らし、片手で瞳を拭っているような仕草をした。

「それじゃあ、わたしがこれからすることに対して、小泉さんは文句を言えないよね」

「どういうことですか」

「こういうことだよ」

 不意に、今野宮は左右の手から何かを取り出した。

 視界が暗く、僕には何を手にしてるのかわからなかった。

「そっちも準備していたということですね」

「念のためだよ。だけど、それが結果的によかったというのは、何だろうね」

「そこは誤算でした」

 小泉は淡々と受け流す。

 何が起こってるんだろう。

 僕が近づこうとしたところで。

「それじゃあ、死んでくれるかな」

 今野宮は小泉の前へ向かってくると、左右の手を使って、襲いかかってきた。

 すかさず、小泉が包丁で守りに入る。

 続いて、刃同士の当たる音が響く。

 瞬間、僕は状況を飲み込めた。

「今野宮さんも、刃物を持ってる……」

 僕は口にするなり、動かずにはいられず、橋桁から離れた。

「片垣くん」

 小泉の焦りが混じった声に、僕は事態が悪い方向に進んでいるとわかった。

「やっぱり、いたんだね、片垣くん」

 今野宮は口にするなり、小泉から距離を取った。

 僕が橋の下にある川岸に降り立つと、小泉は息を切らしていた。

「大丈夫?」

「大丈夫、です。ここでやられるわけにはいかないです」

 小泉はやせ我慢しているものの、今野宮の攻撃を何とかかわしたといったところらしい。

 僕は今野宮へ目を合わせた。

 視界からようやく捉えた彼女の手には、左右それぞれ、サバイバルナイフが握られていた。

「今野宮さんは、小泉さんを殺す気で、ここに来たわけ?」

「それはこっちのセリフだよ。というより、片垣くんは知ってたんだよね?」

 今野宮はなぜか綻んだ表情を浮かべていた。まるで、今の場を楽しんでいるかのように。

 僕は問いに対して、ゆっくりと首を縦に振った。

「やっぱり、そうだったんだね」

「僕としては、もう、これしかないから」

「これしかないからっていうのは、ちょっとあれかな。わたしのことはどうだっていいっていうことなんだよね。それはひどいと思うよ。だって、他人の命を粗末に扱っているんだもん」

「けど、こうしないと、僕はこれからの学校生活や人生が億劫になる」

「それは違うよ。これからは、わたしが片垣くんのことを愛し続けるよ。今は疑似カップルだけど、いずれは本物のカップルになるんだから」

「それは、単なる我がままです」

「そんなこと言ったら、わたしの方から見れば、片垣くんと小泉さんのやろうとしてることも単なる我がままだよ」

「お互い、我がままってことですね」

「そうだね。だったら、我がまま同士、仲良くなれるかもって思ったけど、今の状態からは、無理そうだね」

「ですね」

 今野宮と小泉のやり取りを、僕は黙って耳を傾けていた。どうなるにしろ、どっちかが死ぬまでは、ここから逃げることはできないみたいだ。当たり前とはいえ、僕はそう思うなり、改めて、自分の手が震え続けていることに気づいた。

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