第10話 とりあえずは、諦めないらしい。
「あれは入学式の時に遡るわね」
「入学式ですか……」
「わたしはその時、初めて今野宮さんに会ったわ」
ゆっくりと口にした神前の表情は嬉しそうだった。
「多分、今野宮さんは、わたしのこと、先輩と思ったのかもしれないわね」
「それは、何となくわかります。神前さん、その、クラスメイトの中でも、何だか、大人のお姉さんみたいな感じで……。というより、本当に高校生かなって思う時もあります」
「それは大げさ過ぎるわね」
「大げさじゃないです。僕は真面目に」
「まあ、それはいいわ。それで、わたしは学校で初めて今野宮さんに会ったのだけれど」
「だけれど?」
「今野宮さん、泣いてたわね」
神前は当時を思い出しているのか、僕の方ではなく、宙に目を向けていた。
「入学式が始める前、体育館の横で泣いてたわ。わたしは心配して、今野宮さんに声をかけたの。そしたら、今野宮さん、『周りに誰も知ってる人がいなくて、怖い』って話してたわ」
「えっ? それ、本当ですか?」
「本当の話よ。片垣くんは本人から聞いてないのかしら?」
「いえ、初耳です」
僕にとっては、信じられない話だった。教室で他の女子と話す普通の子かと思いきや、入学当初は人見知りみたいだったからだ。
「で、よくよく話を聞いてみたの。そしたら、小学校、中学校まではいじめとかに遭ったとかで、高校は自分のことを知ってる人が誰もいないこの学校に入ったって話したわ」
「今野宮さんがいじめられっ子だったなんて、僕にはとても見えないですけど……」
「そうよね。現在の今野宮さんを見れば、誰だってそう思うわ。よほど努力したと思うわね」
「その話の展開的に、逆に今野宮さんが神前さんのことを好きになりそうな気がしますけど」
「どうしてかしら?」
「それはその、多分、この後の展開は神前さんが今野宮さんを元気づけたりしたのかなと」
「よくわかったわね」
「何となく、想像が」
「その時の、今野宮さんの笑顔ね」
「笑顔?」
僕が問いかけると、神前は視線を向けてきた。
「今野宮さん、『頑張ります』って言ってくれたのよ。その時の弾けるような笑顔は素敵だったわ。いわゆる、一目惚れというものかしら」
「そこで今野宮さんのことが好きになったんですか?」
「その時は、ちょっとドキッとしただけね。それから、今野宮さんが頑張って、今のようにクラスメイトと話すような普通の女の子になっていくのを見て、段々と好きになってきたわ」
「それが、今野宮さんを好きな理由ですか」
「そうね」
うなずく神前は、頬をうっすらと赤く染めていた。どうやら、僕に話していることが恥ずかしくなったようだ。当たり前だ。僕なんて、今目の前にいる神前が好きになったきっかけとか、他人に言えない。考えるだけでも、顔が熱くなってくる。
「それで」
「は、はい」
「あなたたちは付き合っているのだけれど、先に告白してきたのはどちらなのかしら?」
「どちらって、僕か、今野宮さんのどちらかってことですか?」
「そうね。これはわたしの推測なのだけど、今野宮さんから告白してきたのではないかしら?」
神前は問いかけつつ、僕の方をじっと見てくる。ウソはつけない。というより、ついてもしょうがない。下手なことをすれば、すぐ神前にバレてしまう、そんな雰囲気があった。
「今野宮さんです」
「やっぱり、そうだったのね」
「よくわかりますね」
「何となく、そう思ったのよ」
神前はため息をつくと、つけている腕時計の方を見た。
「そろそろ、お暇しようかしら」
「帰るんですか?」
「ええ。本当は、今野宮さんにこの場で電話するとかで別れてほしかったのだけれど、片垣くんの様子を見る限り、それは難しそうだから」
「まあ、その、僕としては別れたくないというか、その……」
「曖昧な返事なのね。普通、今野宮さんの恋人なら、迷わずに断ると思うのだけれど」
口にする神前の視線は鋭かった。本当に付き合っているのかと疑っているようだ。無理もない。僕は神前が好きなので、今野宮と別れたくないなど思っていない。そもそも、付き合ってもいない。
「わたしとしては、そういう片垣くんの様子が気に喰わないのだけれど」
「その、ごめんなさい……」
「別に謝る必要はないわ。わたしが勝手にイライラしているだけだから」
神前は立ち上がると、横の椅子に置いていた学校の鞄を肩に提げる。
「片垣くん」
「はい」
「あなた、本当は別の人が好きなのではないかしら?」
問いかけてくる神前に対して、僕は何も答えられない。まさか、あなたですと言うわけにもいかず、反応に困った末、乾いた笑いを浮かべてしまった。
「そうだったら、今野宮さんに失礼なんで……」
「そう。まあ、本当だとしても、ここでは言わないわよね」
神前は声をこぼすなり、玄関の方へ足を進ませていく。
僕は後から駆け寄り、彼女が外へ出ていくまでを見送った。
神前は背を向けたまま、最後にこう言い残した。
「わたしは諦めないから」
力強い口調に聞こえた神前の言葉は、いなくなってからも、耳に残っていた。
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