5.禁忌
私はレーンの真意がつかめず、戸惑っていた。
ペルルコンがうめきながら体を起こす。
「エレさん、レーンはあなたの世界に逃げ込むつもりです」
レーンが舌打ちをする。
「まったく、余計なことを」
「どういうことなの?」
「エレさんがこの世界に来る前、何度か前触れのようなものがあったはずです。そのとき、レーンを見ませんでしたか?」
見た。二回とも、そばにレーンがいた。
「本格的な召喚の前に、何度か試してみたんです。あのとき、レーンも一時的に召喚の道を通っています。そして、向こうの世界の様子もそのとき探っています」
「エレたちの世界は素晴らしかったよ。ほんのわずかな時間だったけど、僕はすっかり気に入ってしまった。あそこまで進んだ文明を持っている世界は珍しい。しかも、力を持つ者が評価される世界だ。よくもまあ『楔の竜』のような存在もなしに滅びなかったものだと感心するよ。たぶんとても危ういバランスのもとに、これまでなんとかやってきたんだろう」
「でも、どうやって向こうの世界に……」
「向こうで器になる存在さえあればいいのさ。若くして死んだばかりの体があれば、それでいい。こちらの世界のような『開く者』の使命なんてないんだから」
レーンは楽しそうに話し始めた。
「あのときから、僕なりにいろいろと調べてみた。魔術師を大勢雇い、エレのいた世界からたくさんの人間を召喚させた。でも、ペルほどの実力のある魔術師はそうそういないから、中途半端な召喚になっちゃったけどね。それでも、得るものは大きかった。彼女たちからいろんなことを教えてもらったよ。聞けば聞くほど素晴らしい世界だ。僕の力をあそこで試してみたい。そう思った」
レーンは右手を私に向けて差し出すと、手のひらを開いて鍵を見せた。
「さあ、鍵を受け取って、『理の扉』を開くんだ。そして、道を通って自分の世界に戻ればいい。道はすぐにわかる。そのときに僕も一緒に連れて行ってくれるだけでいいんだ」
私はペルルコンに目を向けた。ペルルコンはうなずく。
「その通りです。『理の扉』を開けて世界の法則を変えた後、扉をくぐれば元の世界に戻ることができます」
「そう。『理の扉』を通れば確実に帰れる。君は、なんとしてでも、元の世界に帰るんじゃなかったのかい?」
そうだ。私はなんとしてでも、もとの世界に戻ると誓った。
「ペル。エレを帰してやれ」
「そのつもりだよ。ただしあいにくだけど、レーン。君を向こうの世界には行かせない。なぜなら、シャロンを殺したのは君だから」
レーンは目を見開いた。
「へえ。いつから気づいてたんだい?」
ペルルコンは答えない。
「その様子じゃ、はったり半分といったところかな。シャロンは僕の正体に気付き始めていた。いっそのこと、ばれちゃってもよかったんだけどね。いや、本当はばれていたのかも。ただ、そうなると兄弟たちが何かとうるさくてさ。
レフのあのブローチ、本当はシャロンに渡すはずだったんだよ。でも馬鹿なレフは間違えてエレに渡してしまった。まったく、そんなことも満足にできないなんて、本当に間抜けなやつらだ。だからほかの国に蹂躙されてしまうんだよ。まあ、結果オーライだったけどね。
それにしても、野営地で君が『闇からのこだま』のことを尋ねたときはひやっとしたよ。もしかしたらパメルが寝返ったんじゃないかってね」
いつの間にか、パメルが頭を抱えてうずくまっている。
行き場をなくした黒い触手が、パメルの体中を這いまわっていた。
「名誉騎士で、作戦参謀のあなたなら、『風』を簡単に滅ぼせたんじゃないの」
「それがねぇ、そんなに簡単じゃないんだよ。システムってやつはそうそう簡単には崩せない。それに、王位継承者、僕の兄弟たちにもプライドがあってね。僕の力を借りず、自分たちの力で周辺諸国を制圧したかったのさ。クズたちにはクズたちなりの意地みたいなものがあるんだよ。そんな彼らの馬鹿な意地のおかげで君たちは命拾いしていたわけだ」
私は王が持っていた剣を床から拾い上げた。
切っ先をレーンに向ける。
「レーン。あなたを私たちの世界には行かせない」
「ふむ。そういうと思っていたけどね。じゃあ、力ずくでいうことを聞いてもらうしかないな」
「やれるものならやってみなさい」
「生前のエレが誰に剣術を教わったと思っているんだい? 君に勝ち目はないよ」
「イリス・レーンともあろう人が、大きな勘違いをしているみたいね。あなたの相手はエレだけじゃない。あなたの相手はエレと私――」
踏み込む。
「――よ!」
レーンは難なくかわす。
想定内。
そのまま体をひねり、連続で斬撃を繰り出す。
ことごとく防がれる。
想定内。
蹴りがくる。
これも予測済み。
レーンの蹴りをかわして、間合いを取る。
ひとまず、大きく深呼吸。
呼吸を整え、体の力を抜くと、無防備な状態で立ち尽くした。
レーンは一瞬ためらったけど、すぐに冷静さを取り戻した。
「ふん。そんなものが通用するかな」
私は目を閉じた。
さっき、レーンは何度か殺気を放っていた。一瞬だったけど、それはとても鋭い殺気だった。彼は殺気を全く発していないわけではない。それが極めて小さいんだ。ならば、こちらの感度を上げればいい。
耳の奥で、かすかに音が聞こえた。
見えた。
レーンの動きが三手先まで。
体が勝手に動く。
三回連続してレーンの攻撃を跳ね返し、間髪を入れず、剣を叩き込んだ。
レーンがひるんだ。
ここだ。
チャンス。
隙をこじ開ける。
レーンの顔に初めて焦りの表情が浮かんだ。
「ふうん。やるね」
でもその表情はすぐに不敵な笑みに変わっていった。
懐から、レーンは何かを取り出すと口に咥えた。それは親指の先くらいの大きさの黒い魔力結晶だった。レーンはそれをガリっと嚙み砕いた。
「エレさん、き、気を付けて。それは――」
ペルルコンがいい終わらないうちに、それはやってきた。地面――正確には私たちの足元にある黒い岩盤が大きく揺れた。私は思わず膝をついた。あちこちで床がひび割れ、そこからバチバチと火花が散っている。
魔力結線。
今、レーンはどこかから強力な魔力の供給を受けている。
私はペルルコンを見た。
「お、おそらく『開く者』たちから……」
その答えを聞くまでもなく、私の耳には『開く者』たちのうめき声が聞こえてきた。かなりの数の女性たちの苦痛に満ちた声だ。中途半端な方法でこの世界に召喚された人たち。彼女たち自身に魔力があるということか。
「ふーっ」
大きく息を吐き、レーンは髪をかきあげた。
「ああ、これはすごいよ。ペル。直接人間から魔力の供給を受けるのがこんなにも気持ちいいものだったとは。しかも中途半端とはいえ『開く者』十人分だ。とてつもない力を感じる。うん、これは禁忌とされるはずだよ。さて」
ばりっとい布の裂ける音とともにレーンの左腕が伸びて、数メートル先にいる私の右手から剣を奪った。あまりの速さに反応できない。
「そろそろ幕としようか」
今度はレーンの右腕が伸びて私の首を掴んだ。殺気を封じ込めている。反射攻撃が働かない。
ぎりぎりと、レーンの右手が私の首を絞めつける。
左手に剣を持ち、レーンはこちらに近づいてくる。
「もちろん、扉を開けるまでは殺さないよ。でも、申し訳ないけど、抵抗できない状態にはさせてもらわないとね」
首を絞めつけていた指のうち二本がさらに伸びて、私の右腕に絡みついていく。
「とりあえず、腕を一本もらっていくよ。悪いね」
私の右腕が、絡みついたレーンの指の力で徐々に伸ばされていく。
息ができない。
視界がぼやけていく。
さっきまでとは違って、レーンはもう、いっさい自分の殺気を隠さなくなっている。
大音響で警告音が頭の中に響く。でも、動けない。
にじんだ世界の奥でレーンが剣を振り下し――。
光。
首を絞めているレーンの指をほどこうとしていた私の左手のあたりから、真っ白な光が突然あふれ出した。
あまりの眩しさに目を開けていられない。
この世界に来る前、リビングで見た光を思い出した。あのとき、光の向こうに誰かの姿が見えたんだ。
あのときと同じように、眩しい光の中、私の目の前に誰かが立っている。レーンじゃない。女性のシルエットだ。
光が徐々に弱まっていき、その人影が誰かわかった。
目の前に、シャロンが立っていた。
彼女は私に背を向けて、レーンに対峙している。
シャロンの体でレーンの表情は見えない。
でも、狼狽しているのが感じられる。
私の首を絞めていたレーンの右手がほどけ、私は大きく息を吸い込んだ。激しくせき込み、その場にしゃがみ込んでしまう。
私はシャロンの後ろ姿を見上げた。
驚いたことに、シャロンは右手の親指と人差し指でレーンの振り下ろした剣を押さえている。
懐かしい声が私の耳に届いた。
「それを待っていたんです、レーンさん」
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