4.狂宴
一瞬何が起きているのかわからなかった。
もしかしたら、自分はとんでもない間違いを犯しているのか。パメルを倒そうとしたのは間違いだったのか。
でも、次の瞬間、そんな迷いは粉々に砕け散った。
パシュッ、という鋭い音とともに私の左手から剣が吹き飛んだ。
レーンだ。見事な蹴りだった。
パメルが手を上げて、落ちてきた自分の剣をつかみ取る。
レーンは肩を震わせて笑っていた。いつか私がレーンをぶったときのように。
「あー、もうだめだ、もう我慢できない。ずっと笑いをこらえていたんだよ。ああ、苦しかった」
ひとしきり笑ったレーンは、私の首元に短剣を突き立てた。
「まだ飲み込めてないみたいだね、エレ。それにしても、さっきのは素晴らしかったよ。いいつけどおり、ちゃんと左手でも剣を扱えるようにしていたんだね。感心、感心」
「そんな……嘘でしょ、レーン」
パシン、とレーンは私の頬を手のひらで打った。
「嘘じゃないよ。ちょっとは目が覚めた? それと、僕の名前はイリス・レーンじゃない。僕の本名はエルネスティ・ユーティライネン。『冠』の第七王子だ。たとえ『開く者』といえども、無礼な口をきくことは許されないよ。わかったかい?」
「エルネスティ、早く鍵を持ってこい」
エサイアスがレーンに呼びかける。
「まったく、エルネスティはエサイアス兄さんより芝居がかっているんだから」
「しかしまあ、余興としてはまずまずでしたな」
王子たちが話している。
レーンが玉座のほうに振り向いたとき、レーンの背後に透明な槍が襲い掛かった。
槍はレーンの背中に触れる寸前、パメルの黒い触手に阻まれ、砕け散った。
レーンがゆっくりと振り返る。
「空気中の水蒸気を集めて氷の槍を作ったのか。さすがだよ、ペル。しかも杖もなしに」
ペルルコンは肩で息をしている。
「君のことは個人的に嫌いではなかったよ。でも仕方ないんだ。ごめんよ」
「レーン……いつから……」
「そうだね、いつからといわれたら、最初から、としか答えようがないな」
レーンは私の首に短刀を突き付けたまま玉座のほうに歩かせた。パメルも剣を私に向けてあとに従う。レーンはペルルコンに語りかけた。
「僕は、子供のときに、『太陽の沈む国』の貴族の子供として送り込まれた。そこでペル、君に出会い、僕たちは『風』に身を寄せた。そして『風』に帰順した。
魔法が技術的に成熟を迎えた今、再び単性生殖への移行が始まることが予想された。魔法を使えば、病原体に弱い単性生殖の欠点を補うことができるからね。いずれ『風』の王妃が中心となって女性化の動きを起こすことは目に見えていた。
そして君も知っての通り、まったく同じような動きが、いま西の地でも発生している。世界は本来の姿に戻ろうとする力が常に生じているんだ。
予想は的中したよ。でも、それを防ぐのが僕の役目だった。
さて、始めようか」
そのときまで気づかなかったけど、最初にレーンがいた場所の数メートル後方にそれはあった。
床から一メートルほどの上の空間に小さな魔力結晶がゆっくりと回転しながら浮かんでいる。
パメルから鍵を受け取り、レーンはそれを魔力結晶にかざした。
魔力結晶の回転速度が徐々に速くなり、光を放ち始めた。
私は、光に照らされたパメルの横顔を見つめた。相変わらず表情がない。
「パメルに呼びかけても無駄だよ、エレ。彼女の聴覚を奪ったから」
私はレーンを見据えた。
「まさか、あんな方法があるとは思いもしなかったよ。歌で彼女を正気に戻すなんてね。いやぁ、感動したねぇ」
そのことは誰にも話していないのに。なぜレーンがそれを知っているんだろう。
「驚いたかい? 『白い牙』でウルマスの後方にいた騎士の一人は僕だよ」
あのとき確かに、ウルマスのほかに二騎のワイバーンがいた。そして、確かあの朝、レーンは姿を見せなかった。
「あの日は替え玉の用意に手間取ってね。もう少しで間に合わないところだったよ。
ちなみに、もうわかってると思うけど、ヘルミのところにパメルを置いたのは僕だ。まったく、気持ちいいくらい予想通りの動きをしてくれたね、君は。
そして、ある言葉をトリガーにして、『闇からのこだま』を発動させるようにしておいた、というわけさ。さて、そろそろかな」
回転する魔力結晶が光り輝き、目がくらんだ。
やがて光が消えると、そこには人が一人通れるくらいの灰色の扉が出現していた。扉の表面には複雑な文様が刻み込まれている。それは、この部屋の玉座の背後にかけられているレリーフの文様に似ていた。
王子たちから感嘆の声が上がる。
「みなさん、これが『理の扉』です」
レーンはペルルコンを振り返る。
「どうだい、ペル。素晴らしいだろう。さあ、みんな、もっと近くへ」
レーンの呼びかけに、王子たちは立ち上がり、扉の周りに集まってきた。王はまだ玉座に座ったままだ。
「次はどうするんだ、エルネスティ」
エサイアスがレーンに尋ねた。
「次はねぇ、兄さん。みなさんに死んでもらいます」
ぱちん、とレーンが指を鳴らすと、パメルが黒い触手をいっせいに伸ばし、王子たちの首に巻き付けた。
ぎりぎりとそれを締め上げていく。
「エルネスティ、悪ふざけはもういい」
「ふざけてなんかいないよ。ちなみに、僕はこれまで一度もふざけたことなんてない。兄さんたちと違ってね」
「いったいどういうつもりだ」
「兄さんたちこそどうするつもり? 計画通り、ユーティライネン家の永遠の支配を望む? 本気で男中心の社会を続けさせるつもりなの? 女だけの世界には戻させないつもりなの?」
「今さら何をいっているんだ。そのためにお前は最高の魔術師と最高の器を用意したのではないか。それに、お前が召喚したあの『開く者』たちがいれば、やつらを通じて我らの望みを実現させることができるんじゃないのか」
レーンは深くため息をついた。
「だからもうそういう時代じゃないんだよ。人の話、聞いてる?」
私はレーンの意図がわからなくなってきた。レーンは世界を変えようとしているのか。彼はいったいどちらの味方なんだ。
「貴様、裏切るつもりか」
レーンの目がすっ、と細められた。私の頭のなかで突如鋭い警告音が響く。私は初めてレーンから殺気を感じた。頭の中が凍り付きそうだ。それは、これまで出会ったなかで、最も冷たい殺気だった。
兄弟たちも尋常ではない気配を感じたのか、みな口を閉ざした。
「裏切る? 裏切るだって? 勘弁してよ兄さん。それはこっちのセリフだよ」
レーンは、首を絞められて身動きの取れないエサイアスの目の前に立った。
「イリナ姉さんのことを忘れたとはいわせないよ」
エサイアスは、少しでもレーンから離れようとしてもがいた。
「待て、あれはイリナも納得したことなんだ」
「いい加減にしてよ、兄さん。イリナ姉さんが納得するわけないじゃないか。どうせ無理やり嫁がせたんだろ、ほかの姉さんや妹たちみたいに。
まあ、まだそうやって他国へ嫁がせてもらえるだけ、彼女たちは幸せかもしれないけどね。外見の醜い子供たちはさっさと娼館へ売り飛ばしてしまうんだからさ」
パチン、とレーンが再び指を鳴らすと、兄弟の一人の首が強く締まり、やがて首が切断されて頭が床に転がった。
王子たちの間でいっせいに悲鳴が上がる。
エサイアスの顔が恐怖で引きつった。
「イリナ姉さんはどこにもやらない。それが僕の仕事の条件だったじゃないか」
パチン。レーンが指を鳴らすたび、、兄弟が一人ずつ死んでいく。
「それを」
パチン。
「よりにもよって」
パチン。
「あんな男の元へ嫁がせるなんて」
パチン。
「やめろ、エルネスティ、頼む」
「案の定、やつは賭博でかさんだ借金のかたに姉さんを売った。そのあとのことを知っているだろ。姉さんは自ら命を絶った」
「仕方がなかったんだ! お前も知っているだろう。あの国が持つ結晶化の技術力の高さを! これもすべて国を支えていくため……」
レーンはくるりと踵を返すと、頭上に掲げた腕を下した。
「くだらない」
パメルが触手を操り、残りの兄弟たち全ての首を胴体から切り離した。床が王子たちの血に染まっていく。むせかえるような血の匂いがあたり一面に漂った。
全ての王位継承者を殺し終え、レーンは玉座の父親に向き直った。
「父上、勝手ながら少々筋書きを変えさせていただきました」
王はゆっくりと立ち上がり、事の成り行きを呆然と眺めていた騎士たちに告げた。
「この国の命脈は今ここで絶えた。みな、家族を連れて近隣諸国に身を寄せよ。さあ、ゆけ」
騎士たちは、王の言葉を聞くとようやく我に返り、慌ただしく立ち去って行った。
「さすがです、父上。引き際をよくわきまえておられる」
王は玉座から下りると、腰に佩いている剣を抜いた。たぶん、その剣とともに、彼は数々の死地を潜り抜けてきたんだろう。まるで自分の腕の延長のように、王は自分の剣を扱っていた。
「貴様は私が、自らの手であの世へ連れていく」
王は剣を構えもせず、一見無造作な様子で一歩一歩レーンに近づいていく。
「私はいずれお前に跡を継がせるつもりだったのだ。それがこんなことに……愚か者めが」
レーンはため息をつき、首を振った。
「父上、まだわからないんですか。
さっきもいったように、魔法がここまで進化して、病原体の脅威から脱した今、女性たちだけの単性生殖で種は滅びることなく永続できるんです。
こんな争いばかりを繰り返し、何の役にも立たない、無駄なコストを食いつぶしていくオスの存在なんて一切必要ない。強い遺伝子を残すために殺し合い、つがう相手を確保するために殺し合う、野蛮で非効率的な生殖システム――それがすべての元凶なんです。そして今ようやくその元凶から脱却できる。
最も合理的で無駄のない、美しい形の生の連鎖が実現するんです。
この世界では、もう僕たちオスは用済みなんですよ」
「それは貴様ごときが決めることではないわ!」
これまで自然体だった王の姿勢が一瞬で戦いのそれに変わった。一気に間合いを詰めた王は、その老いた外見からは想像もできないほど高速の切っ先をレーンに放った。
でも、王の剣がレーンに届く直前、黒い触手が王の体を包み込み締め上げると、一瞬でバラバラの肉片に砕いてしまった。王の剣がガラン、と空虚な音を立てて床の上に落ちる。
レーンは細めた目をパメルに向けた。
「ご苦労だったな。お前もそろそろ休ませてやろう」
思わず私は叫んだ。
「パメル、逃げて!」
ふとパメルの背後、バイロンがいるほうへ視線を向けたレーンが、「ちっ」と舌打ちしたその瞬間、パメルとレーンとの間に人影が割って入った。
レーンに向かって黒い棒のようなものが突き出される。
でも、すでに回避行動に入っていたレーンは、突き出された棒をかわし、逆に棒を掴むと人影ごと壁に投げ飛ばした。
ペルルコンが岩肌に体をぶつけ、崩れ落ちた。
ガラン、と金属の棒が床に転がる。
「結線も無しに『光差』を使うとは。ほんとに君は大したやつだよ、ペル。しかも、それは『楔の竜』を貼り付けていた槍の一部じゃないか。いつの間に」
どうやらペルルコンはバイロンを貫いていた槍の一部を切り取って、高速転移魔法でレーンに襲いかかったようだった。
「レーン。君の目論見はわかってる」
ペルルコンは苦痛に顔をしかめている。
「黙っていろ、ペル」
「待って、レーン。あなたの要求を聞くわ」
ペルルコンのほうに歩み寄ろうとしていたレーンが私を振り返った。
「あなたは、何がしたいの?」
私の問いかけに、満面の笑みを浮かべてレーンは答えた。
「決まってるじゃないか、エレ。君をもとの世界に帰してあげたいのさ」
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