2.トリガー

「じゃあ、まずは自己紹介といこうか」

 私たちは宿の女主人の部屋にいた。

 部屋はかなり広い。来客用に三人掛けソファが三脚とテーブルが置かれ、事務机と椅子がひと揃え、そこに女主人が座り、羽飾りのついたペンをもてあそんでいる。私はパメルを抱きかかえる格好で女主人の正面のソファに座り、ブルーノとクララはそれぞれひとりずつ私の両脇のソファに腰かけている。

 女主人は、自分が魔術師だと知っても全く動じない私たちを見て、自分の部屋に招き入れたのだった。

「私はヘルミ・パイヤ。ここの主人をやってる。さて、事情を聴かせてもらおうか」

 彼女はもしかしたら、もとは名のある魔術師だったのかもしれない。私は彼女から女性騎士に似た雰囲気を感じていた。

「もちろん、話せる範囲でかまわないよ。私も無駄な騒ぎは起こしたくない。せっかくの書き入れ時なんだ。お城から目をつけられて、変なケチをつけられたくはないんだよ」

 納得してもらえるかどうかはわからないけど、なんとかわかってもらうしかない。私は口を開いた。

「私はどうしても彼女を連れて行かなければならないんです」

「この子の正体を知っているのかい?」

「あなたは……知ってるんですか」

 ヘルミはうなずいた。

「知ってる。この子は『開く者』だよ」

 ブルーノから殺気が立った。一瞬、空気がぴりっと震える。

「おっと。早まらないでおくれ。私はお城の騎士たちとは今は何の関係もないんだ。あんたたちがどこの国の者かも聞かない。私はね、この子の正体を知ったうえで預かっている。ただ、それだけだよ」

「なぜそれを……」

 私の問いにヘルミは答える。

「ここにはね、お城のお偉いさんたちがよくお忍びでやってくるのさ。そのうちのひとりから、たっての頼みだとお願いされてね。うちもメリットがないわけじゃないし、恩を売っておくのも悪くないから引き受けたんだよ。それで?」

 ヘルミはペンをペン立てに投げ入れた。

「あんたたちがこの子をかっさらっていく理由はなんだい」

「彼女を助けたい」

「助ける? 助けるって、なにから?」

 私は言葉に詰まった。

 無言の私を見て、答えるつもりがないと判断したのだろう、ヘルミは言葉を継いだ。

「じゃあ、ひとつ、私の質問に答えておくれ。そうしたら、この子は持って行ってもいい。どうだい」

「いってみて」

「『開く者』は本当にこの世界を変えてしまえる力を持っているのかい?」

「本当です」

「この子にそんな力があるとはとうてい思えないけどね」

「詳しいことは話せませんけど、今の彼女にはもうそんな力はないかもしれません。でも彼女にもかつてはその力がありました」

「ふうん。じゃあ、もしあんたが『開く者』だとしよう。そしたら、あんたはこの世界をどう変えたいと思う」

 これは――試されているんだろうか。もしかしたらこの人は私も『開く者』だということを知っているのではないか。疑念が脳裏をよぎった。

「この世界から争いをなくします」

 私は正直に答えた。

「どうやって」

「女性だけの世界にすることで」

「女だけの世界? 女だけで、いったいどうやって子供を作るんだい?」

「そういう体に変化できるとしたら?」

 ヘルミは一瞬きょとんとした顔で私を見た。そして――。

「ぶっ……あはははははは」

 こらえきれないというように、ヘルミが吹き出し、大声で笑い出した。

「女だけになったら、争いがなくなる? あんた本気でそう思ってるの?」

 笑いながら、ヘルミは首を振る。

「馬鹿も休み休みおいいよ。女だけになったからって、争いがなくなるわけがないじゃないか。いや、もしかしたら、今よりもよっぽどみにくい争いが起こるかもしれないよ」

 ようやく笑いやんだヘルミは椅子の背にもたれかかった。

「それに、そんなことになったら、私の商売が上がったりだ。まったく、冗談はよしとくれよ」

 ヘルミは突然私に向かってぐいっと体を乗り出した。

「いいかい、お嬢ちゃん。私たちはもう知ってしまったんだよ。男は女を、女は男を。その味を知ってしまった。知ってしまったら、もうだめさ」

 そして再び椅子の背に体を預けると、独り言のようにいった。

「まあ、あんたにはまだわかんないだろうけどね」

 残念ながら今の私には彼女を納得させるだけのものを持ち合わせていない。私自身、それについての確信は未だに持てないでいるのだ。

 やがてヘルミは口を開いた。

「わかった。その子は持っていきな」

 驚く私に、ヘルミは告げた。

「久しぶりに大笑いさせてもらったからね、そのお礼だよ」

 戸惑いながら、私はヘルミに尋ねる。

「このことが城にばれたら、あなたは困ったことになるのではないですか」

「向こうはこの子がどうなろうと知ったこっちゃないってさ。厄介払いができてほっとしているみたいだったよ。そんなことならいっそ殺してしまえばいいのに、そうできない理由があるんだろうね」

 話は終わりだ、というようにヘルミは手のひらをこちらに向けて両手を上げた。

 私はブルーノとクララに目配せし、席を立った。

 ブルーノはパメルを体に担ぐ。

 二人に続いて部屋を出る直前、ヘルミは私に声をかけた。

「さっきの話、あんたは本気でそうなるって思ってるのかい」

 振り返った私に、ヘルミは真剣なまなざしを向けている。私には彼女を無言で見つめ返すことしかできない。

「まあ、いいさ。あんたは自分の信じる道を進めばいい。でも、人間っていうのは――男も女も――とても弱いものなんだよ。覚えておきな」

 私は無言でうなずき、扉を閉めた。


 私たちの宿の入り口にはアクセルとペルルコンがいた。アクセルは門柱にもたれて、ペルルコンは入り口の低い階段に腰をかけている。私たちを待っていてくれたようだ。

「みんな、本当にごめんなさい」

 私はみんなに頭を下げた。

「まあ、みんなだいたい予想はついていましたから」

 微笑むアクセルに私はいった。

「私って、そんなに勝手な奴って思われているのかな」

「いいえ。そういうわけじゃありませんよ」

 アクセルの言葉にクララがうなずく。

「そうですよ。こういうエレさんだから、みんなついていこうって思うんです」

「ありがとう」

 ペルルコンがブルーノに抱えられているパメルの右頬に手を触れる。

「ペル、どうなの」

「はっきりと断言はできませんが、『闇』の浸食は治まっているいるようです。『開く者』の力も安定しているようですから、いきなり暴走するようなことはないでしょう」

「よかった」

 私は胸をなでおろした。

「ところで、レーンは?」

「レーンさんは、さっきぶつくさいいながら出かけていきました」

「こんな時間に?」

「たぶん、こちらに潜入している人間に連絡をつけに行ったんでしょう。パメルさんを回収する手配をしているはずです」

 ペルルコンが答える。レーンにも謝らなくちゃ。

「さて、今日はもう遅い。ひとまず休むとしましょう」

 ブルーノの呼びかけでみんなは宿の部屋に戻っていった。


 パメルはとりあえず私のベッドに寝かせた。目を閉じて浅い寝息を立てている。ペルルコンのいったとおり、どうやら今は安定しているみたいだ。

 私とクララは同じベッドで寝ることにした。

「まだ起きてます?」

 横になってしばらくしてから、クララがそっと尋ねた。

「うん。どうしたの。眠れない?」

「なんか、私、昔のこと思い出しちゃって……」

 クララはそれから自分のことをぽつりぽつりと話し始めた。

「私の実家も、ああいう場所だったんです。パメルのいたような」

 思わず私はクララのほうを見た。彼女は天井を見つめている。

「そこそこ大きな娼館でした。父親は知りません。母親がひとりで切り盛りしていたんです。ヘルミみたいに。

 いろんな女の人がいました。女の人たちはみんな優しかった。いろんなひどいこともあった。悲しいこともあった。でも、麻痺しちゃうんですね、ずっとそういう環境にいると。それで、私は母親のもとを飛び出したんです。喧嘩別れみたいな形で。

 あれから一度も家には帰っていません。噂ではまだ母は元気で商売を続けているみたいですけど。今さら帰りづらくって。

 ヘルミを見ていると、なんだか急に母のことをが気になりだしちゃって。

 勝手ですよね。女手ひとつで育ててくれたのに」

 クララはへへっと、笑った。

「すみません。急に変な話しちゃって」

「遅くないよ」

「え」

「今からでも全然遅くない。大丈夫」

「エレさん……」

「私も母親だから。大丈夫よ」

 クララはうなずいた。

「ありがとう」

「うん。おやすみ、クララ」

「おやすみなさい」

 クララはシーツを頭まで、がばっとかぶった。


 翌朝、再び私たちは集まった。

 パメルが私の部屋で寝ているから、今回は私の部屋に集合することになった。

「レーン、昨日はごめんなさい」

 私が謝ると、レーンは苦笑を浮かべた。

「まあ、君の性格はもうわかってるからね。こうなるだろうとはうすうす思っていたよ。さて、パメルの件は回収の人間を手配しておいたから、問題ないだろう。今後の打ち合わせに入ろうと思うんだけど。いいかな」

 私たちはうずいた。

「クララ。悪いけど、窓を閉めてもらえるかな」

 クララは立ち上がりかけて、戸惑ったようにレーンを振り返った。

「窓なら閉まって――」

 そのとき、寝ていたパメルが突然身をよじり、短い叫び声をあげた。

「パメル!」

 私は彼女のベッドのそばにひざまずいた。

 パメルは苦しそうにうめき声を上げて、はっきりと目を覚ました。まだ焦点は定まっていないままだ。パメルは私たちを見ると慌てて上半身を起こし、自分の身を守るように膝を抱えてうずくまった。まるで常に誰かから傷つけられている者のように。

「この人が本当に『開く者』?」

 クララがつぶやく。

「マスター、これは――」

 アクセルがペルルコンに尋ね、みんながペルルコンのほうを向いたとき――。

「ああああああ」

 突然パメルが頭を抱え、叫び声を上げた。

「しまった。ペル!」

 レーンが叫んだ瞬間、パメルから黒いものが伸び、ペルルコンを壁に弾き飛ばした。

 全員が一斉に立ち上がり、剣に手を伸ばす。

 でも、それよりも速くパメルから伸びた触手は、レーンの体に巻きつき自由を奪った。

 一瞬でレーンのそばに跳躍したパメルは指笛を吹く。

 ばさっ、と窓の外から空気を切る音が聞こえた。

 この気配。

 いけない。

「耳をふさいで!」

 叫んだ直後、衝撃波が窓ガラスを割り、部屋を震わせた。みんなその場にうずくまるしかなかった。

「くっ」

 顔を上げたとき、パメルは軽々とレーンを持ち上げていた。おそらく『闇からのこだま』の触手の力だろう、レーンは気を失い、ぐったりとしている。パメルはレーンを窓のそとに放り投げると、自分も窓から飛び降りた。窓の外に、パメルとレーンを乗せたワイバーンが上昇していくのが見えた。

 私は窓に駆け寄ると弓に矢をつがえ、上空を旋回するワイバーンに狙いを定めた。

 キン!

 突如、頭に不快な音が響く。とっさに体を引くと同時に、窓枠に矢が三本立て続けに刺さった。

 そっと窓の下をのぞくと、宿屋は大勢の騎士たちに包囲されていた。

 ワイバーンの咆哮をまともに浴びて、クララ達はふらふらしながらもようやく立ち上がりかけている。ペルルコンはまだ倒れたままだ。

 やられた。

 私は唇をかみしめた。

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