第七章 扉

1.王都

 いったいどこからこれだけの人が集まってきているのだろう。

 私は、以前仕事で行ったインドのマーケット、パハールガンジを思い出していた。道の両側にはずらりと並んだ商店があり、さらにその前の路上でも食材や衣類など様々な物が並べられている。いろんな国から来ているらしい人々と、馬や牛や山羊などの家畜(もといた世界とほとんど同じ姿をしている)で道はひしめき合っている。香辛料と人の体臭と動物の排泄物が混ざりあった強烈な臭いが、布で顔を覆っているにもかかわらず私の鼻を刺激した。

 そんなカオティックな状況のなか、私とブルーノは旅の商人を装って人ごみの中を進んでいた。

 そこは、『冠を戴く国』の王都、ケミ。

 そして、私たちはが目指すのは、王城ヴィーレキッサ。


 私たちが『白い牙』を攻略してからもうすぐ一年が経とうとしていた。

 東の地はあれから大きな変化はないように見える。しかし、『冠』は体制を整え、再度侵攻してくるであろうことは容易に想像できた。三国同盟はドラゴルノフの採掘場を押さえたとはいえ、これまで『冠』が蓄積してきた魔力結晶のストックは相当なものがあるはずだった。『白い牙』クラスの魔力結晶を新たに設置することは可能なはずだ。

 そんななか、ベニシダ協定はいよいよ計画を最終段階に移すことにした。

 私はレーンとペルから説明を受けた。

 世界を転換するためには、『開く者』が『理の扉』を開かなければならない。その、『理の扉』は今、『冠』の王城ヴィーレキッサの背後にそびえたつ天然の砦、通称『天の裂け目』にある。

 どうやってそこまでたどり着くか。

「年に一度、王都ケミで大きなお祭りがある。その際、ヴィーレキッサに各地から王への貢物が献上される。地方領主をはじめ、祭りのあいだは一般の商人も城への参内が許されるんだ。王を満足させられた品は、お墨付きをもらって膨大な利益を生むことになる。もちろん、賄賂は横行しているけどね。ともかく、祭りの数週間前から王都は各地からの旅行者でごったがえす。それに紛れ、城に侵入する」

 ペルの館で、レーンはリンゴに似た果物、エプレをもてあそびながら説明した。

「そんなにうまくいくのかしら」

「城の警備自体はそれほど厳しくはない。その日は通行証さえあれば誰でも入れる。実際、僕もペルも何度も入っている」

「そうなの?」

「ええ」

 ペルがうなずく。

「当然、城には騎士たちがうようよいる。よほど自分たちの腕に自信があるんだろうさ」

「で、問題は?」

 レーンはにやりとして、エプレを一口かじった。

「城の後ろにある『天の裂け目』に行くには、何重ものチェックを通過しなければならない。『天の裂け目』には重要な軍事機密や武器庫があるからね。一応通過するための名目と書類は整えておいた。あとは……」

「あとは、出たとこ勝負?」

 食べ終えたエプレの芯を窓の外にぽいと投げ捨てて、レーンは笑った。

「まあね。ここまで来たんだ。腹を決めよう」


 潜入メンバーは、私とブルーノ、レーンとペルルコン、アクセルと少年の姿に偽装したクララの六名がそれぞれ二人一組となった。

 ヴァンペルトはまだ西の地から帰ってきていない。最近の報告では、かの地の『開く者』との接触は成功し、こちらの目的にも基本的に賛同してもらえるようだ。しかし、情報の伝達は遅く、詳細を把握できていない。

 いずれにしろ、予定では彼女はそろそろこちらに戻ってくる頃だった。

 西の地の結果を待ってから動くべきだという意見もあったけれど、潜入のタイミングをレーンは優先した。


 私とブルーノは無事『冠』の領土に入り込み、もうすぐ城下町の宿に着こうとしていた。

 確かに、いわれてみれば町なかでは男性の姿が目につき、女性は男性の後ろにひっそりと控えていた。一度、背中に大きなかごを背負っていた女性がつまずきそうになり、かごの中の荷物を落としてしまった。雇い主だろう、前を歩いていた中年の男は当然のように女性を殴りつけた。周囲の人間たちも誰も騒がない。私たちも黙って通り過ぎるしかなかった。

 別々の経路で『冠』に潜入した私たち六人はひとまず宿で落ち合うことになっていた。

 人々でごった返す大通りを抜けると、道は徐々に登りになっていく。レンガ造りの建物が軒を連ね、曲がりくねった小さな路地が迷路のように走る。ヴィーレキッサの城下町は、山全体がひとつの町を形成していた。山の頂上付近には王城があり、その背後には巨大な崖、『天の裂け目』が大きく口を開けている。

 私とブルーノは行商人たちがそうするように、ときどき荷物を下ろして道端で小休止を取りながら、ゆっくりと坂道を登っていった。

「そろそろのはずですが」

 石畳の坂道の途中には赤い旗の立てられた建物がいくつもあった。その建物の前には決まって長い椅子が置かれ、女たちが座っている。売春宿だった。女たちは皆決まって長いスカートをはいていた。

 私たちはそんな店の前をいくつも通り過ぎた。そのうちのひとつ、比較的大きな宿の前に座っている娼婦の一人を見て、私は思わず立ち止まりかけた。

 私の気配に気づき、ブルーノが耳元でささやく。

「どうしました」

「『冠』の『開く者』――パメルよ」

 ブルーノは立ち止って、汗をぬぐう仕草をしながら周囲をうかがっている。

「なんでこんなところに……」

 私も立ち止まり、腰の水筒から水を飲むふりをする。

「わからないわ」

「どうします」

 一瞬の躊躇ののち、私は答えた。

「連れていく」

 足を踏み出そうとする私の腕をブルーノがつかむ。

「待ってください。今ここで騒ぎを起こすわけにはいきません。それに、こんなところにいるというのはどうも怪しい。もう少し様子を見たほうが……」

 確かに、ブルーノのいう通りだ。でも、私にはこのまま放っておくことなんてできない。

「ブルーノ、お願い」

 ブルーノはしばらく思案して、いった

「まずはいったんみなさんと合流してから考えましょう。独断専行はよくない」

 私はさりげなく店の前のパメルを目の隅に捉えた。

 彼女は色あせた水色のフードを頭にかぶって、長椅子にだらりと腰かけている。

 まるで放心しているみたいにぼーっと足元を見つめたまま動かない。

「……わかった。とりあえず宿に行こう」

 私たちはその場を離れた。


 集合場所の宿屋『寂寥亭』は名前ほどさびれている感じはなく、こじんまりしているけど、清潔な感じの宿屋だった。三階建てで、各階に六部屋。私が宿に着くと、すでにみんな到着していて、私たちは三階にあるレーンの部屋に集まった。

 私は来る途中の売春宿でパメルを見たことを話した。

「だめだ」

 彼女を助けたいという私の提案はレーンに却下された。

「なぜ」

 私はレーンを見据えた。

「危険すぎる。相手は敵側の『開く者』なんだよ。もし仮に、『闇からのこだま』に飲み込まれてしまっていたとしても、彼女の力を甘く見ちゃだめだ。それは、直接戦った君が一番よくわかってるはずじゃないか」

「それは……」

 レーンのいうことはもっともだ。もし、パメルが本気で戦いを挑んできたら、今度は勝てる自信がない。でも、彼女がそんなことをするとは、私には考えられなかった。

「彼女が私たちに危害を加えることはないわ」

「どうしてそういいきれる」

「なぜなら、私が直接彼女と戦った人間だからよ」

 レーンはため息をついた。

「もし、彼女にちゃんとした意識が残っているのなら、そうかもしれない。でも、もしも想像以上に『闇』に浸食されていて、なにかのきっかけで『開く者』の力が暴走してしまったら。そうなったら、たぶん誰にも彼女を止めることはできないよ」

 それは私も危惧していた点だったから、反論することができない。

「こうしよう。王都に潜入させている者たちが何人かいる。彼らに様子を見てもらい、問題がなさそうなら、折を見て彼女をあそこから連れ出す。どうかな」

 仕方がない。これから私たちには重要な仕事が待っているのだ。

 わたしはうなずいた。

「わかったわ」


 とはいったものの、やっぱり私にはこのまま黙って見過ごすことができなかった。

 夜、私はそっとベッドを抜け出した。隣で寝ているクララには気付かれないように、音を立てずに着替えて外に出た。

 宿の近くには酒場も多く、もう夜中に近いというのに人の声がそこかしこの店から漏れてくる。私は例の売春宿の建物の角に身を潜め、入り口の様子をうかがった。宿の前に置かれている椅子には今は誰も座っていない。

「お兄さんたち、ちょっと遊んでいかない?」

 客引きの女性が店の前を通りかかった二人組の男を呼び止めた。

「いい娘、いるかい?」

「上玉じゃないと金払わねぇぞ」

 男たちは酔っているようで、おぼつかない足取りで店の中を覗き込んでいる。

「若い子いるわよ」

「おい、ほんとに若いんだろうな」

「ちょっと変わっているけど、何やっても文句いわないわよ。少々痛めつけても大丈夫。三人で楽しんでもオッケー。どう? 今日は暇だから一人と半分の料金でいいわ」

 それを聞いて男たちは興味が出てきたようだ。

「じゃあ、ちょっと寄ってくか」

「年増が出てくるんじゃねぇだろうな」

 男たちが店に入っていく。どうする。あれはたぶんパメルのことだ。どうやって中に入ればいい?

 逡巡している私の肩がちょんちょんと誰かに叩かれた。

 飛び上がって振り向くと、クララだった。

「どうして……」

 つぶやく私にクララはしっ、と指を立てて、その指を宿の入り口のほうに向けた。

 いつの間にか、新しい客が宿の前にたたずんでいる。よく見ると、それはブルーノだった。昼間の商人の格好をしている。ちらり、とこちらに視線を向けてから、宿の中に入っていった。

 再びクララを振り返ると、彼女はくるりと背を向けて建物の裏手へ回った。裏口に小さな扉があって、彼女はその扉を開けるとするりと中に入っていく。私も彼女のあとに続いて、中腰になりながら扉を開けて中に入った。

 そこは、宿の炊事場に当たる場所で、食材や酒樽などがところ狭しと置かれている。幸い誰もいない。

「クララ、あなたここに来たことあるの?」 

「いいえ、初めてですけど。こういうところは大抵ああいう隠し扉があるんです。とにかく、今は彼女を探しましょう」

 宿の中は思っていたよりも清潔感があって、調度品もなかなかセンスが良かった。廊下の両側に小さな部屋が並んでいて、どの扉も閉ざされている。

 静かだ。こういうところは部屋からもっと声が聞こえてくるものだと思っていた。

 どこかから甘い香りが漂ってくる。香がたかれているんだろう。

 ピィーッと、鋭い口笛のような音が聞こえた。

「こっちです」

 クララが足早に廊下を行き、ある部屋の扉を開けた。

 部屋は縦長で、天蓋付きの大きなベッドが置かれている。ベッドが部屋のほとんどを占めていて、残りの狭い床の上に男二人が気を失って倒れている。さっき店に入っていった二人組だ。二人とも下着姿だった。

 ベッドの上にはパメルが仰向けに横たわっていて、その体にブルーノがシーツをかけようとしていた。

「あなたたち……」

「話はあと。すぐにここを出ます」

 クララの言葉にブルーノがうなずき、パメルの体にシーツを巻き付け始める。

 パメルは目を開けているけど、焦点の合わない瞳で天井を見つめているだけで、されるがままになっている。右頬の痣は前と同じだ。

 ブルーノはシーツにくるまったパメルを軽々と肩に担ぐと、クララの開けた扉から廊下に出た。私もあとに続く。

「こっちです」

 クララが先導しようと前に出たそのとき――。

「待ちな!」

 私たちの背後で鋭い女性の声が響く。

「うちの大事な商売道具をどうするつもりだい」

 振り返ると、ボルドー色のドレスを着た女性が立っている。私と同じか、少し上くらいの年齢に見える。この宿の女主人みたいだ。

 私たちがとっさに身構えたのを見て、彼女はにやりと笑った。

「ふうん。あんたらただもんじゃないね。どこぞの騎士様たちとお見受けするけど」

 陰影をつけた化粧、でも決して嫌味じゃない。長い髪をシニョンにまとめている。ほつれた髪が自然な色気を漂わせていた。

「ワケありみたいだね。でも、こととしだいによっちゃあ、ただじゃすまないよ」

 そういうと、手に持っていた細い杖のようなものを床にカツンと突き立てた。

 彼女が立っている足元からパチパチと何かが弾ける音がしている。

「あれは……」

 クララが私をかばうように前に出た。

「この人、魔術師です」

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