6.私の大切なともだち

 救援に駆けつけた近衛隊に運ばれて、私たちが城壁に戻ったときにはすでに戦いは終わっていて、『冠』は撤退したあとだった。

 あれから、パメルがどうなったのか、はっきりしたことはわからない。レーンの情報によると、『冠』の青服はあれ以来姿を見せてはいないらしい。私は引き続きレーンに彼女の消息を確かめてもらうように頼んだ。

 どうか生き延びて。そう祈るしかなかった。

 近衛隊も連絡や輸送、護衛の任務で忙しく、日々はめまぐるしく過ぎていった。新しく近衛隊に入った女性も数人いて、私は彼女たちに弓を教えることになった。

 そんなあわただしさがようやく一段落した春先、私の騎士叙任式が行われた。


「ここに私『開く者』は『風が生まれる国』の王に忠誠を誓う。この時より帰還の道が開くまで、たとえ我が弓が朽ち、矢が的を外れようとも、騎士としての誇りを失わず、最後まで戦い抜くことを誓言します」

 私の言葉のあと、王が私に弓を与え、私はそれを受け取った。

 ちらっと、王の隣に控えている王妃に目をやった。王妃は笑みを浮かべ、かすかにうなずいた。

 式は滞りなく進み、私は正式に『風が生まれる国』の騎士となった。もとの世界に帰るまでの期限付きで。


「おめでとうございます! エレさん!」

 式が終わり、『謁見の間』から出た私のそばに、いつの間にかクララが立っている。相変わらず元気な子だ。

「ありがとう、クララ」

「これ、近衛隊のみんなからです」

 クララが差し出した手の中には、弓をかたどった印が刻まれた金属の紋章のようなものが乗せられていた。

「これは……?」

『謁見の間』から出てきたアクセルとブルーノがクララの手に乗っている紋章を覗き込んで教えてくれる。

「家紋ですね」

「騎士は普通自分の家紋をかたどった紋章を身につけるものなのです」

「勝手に作っちゃって迷惑だったかもしれませんけど――」

 恐縮するクララに私は首を振った。

「ううん、そんなことない。ありがとう。すごく素敵」

 私はクララの手から家紋を受け取った。たぶん銅に細工しているそれは、とても細かな手仕事の跡がうかがえた。

「みんなにもお礼いわなきゃ」

 叙任式に参列したのは近衛隊を代表してクララ、騎士団を代表してブルーノとアクセル、ペルルコン、そして宰相や主だった文官たちだった。

「隊長がいなくて残念ですけど」

 ヴァンペルトは今、重要な任務を帯びて西の地に赴いている。

「やつがいたら一番喜んでいるだろうな」

 ブルーノの言葉にアクセルが相槌を打つ。

「ええ。出席できないのをとても残念がってましたから」

「隊長、大丈夫かなぁ」

「アリスなら大丈夫よ」

「そうですよね。あ、私、あとの準備があるからそろそろ行きますね」 

 夕方から、近衛隊と騎士団で私の騎士叙任祝賀会を開いてくれることになっていた。

「そんな大げさにしなくてもいいのに」

「なにいってるんですか、エレさん。すごく大事なことなんですから」

 アクセルがうなずく。

「そうですね。大々的にやって当然だと思いますよ。ねえ、団長」

「そうだな。だが、クララは酒が飲めればなんでもいいような気がするが」

「失礼だなぁ、団長は。そうだ、今日は歌、やめてくださいよ」

「ふん、お前こそ失礼だな」

「はいはい。それじゃ、エレさん。またあとで」

「うん。ありがとう、みんな」


 私はそれから中庭に面した回廊に立ち、芽吹き始めた草花を眺めながら、ヴァンペルトのことを思った。

 一か月ほど前、西の地で『開く者』と『楔の竜』の存在が確認されたという情報が入った。ヴァンペルトは数人の部下を連れて、その真偽を確認するため、西の地に渡った。もしそれが本当なら、今後どのような関係を構築すればいいのか、重大な判断を迫られることになる。

 ただ、西の地は、『夕日が燃える国』という大国がほぼ一国で治めており、その国は代々女帝が帝位についている。さらに新たな魔力結晶の取引によって、三国同盟とは友好的な関係を築けていた。なにより、西の地は『冠』のような男性中心の社会ではない。レーンの情報によれば、うまくいけば共闘することができるかもしれないということだ。

 やがて『謁見の間』で宰相たちと話していた王妃が出てきて、私のそばに立った。

「初めて会ったときのことを憶えていますか、エレ」

 私はうなずいた。

「陛下の御前会議でした」

「あのときあなたは、もし自分の子どもが殺されそうになったら、なぜそうなったかを知ることこそが大事だといいましたね」

「はい」

「この世界の、私たちの〝なぜ〟を知ることができそうですか?」

「まだわかりません。でも、もう少しでわかりそうな気がしています」

「私はあのとき、あなたに私たちの命運を賭けてみようと思ったのですよ」

「それは私も同じです、妃殿下」

「王妃さまでいいわよ、エレ」

 私たちは顔を見合わせて笑った。

「また遊びに来て」

「はい。では、失礼します」


 王妃と別れたあと、私はペルの館を訪れた。

 シャロンが死んで、その場所からは自然と足が遠のいていた。ペルとは城の中で毎日顔を合わせていたし、ティルダは引き続き私の身の回りの世話をしてくれていたから、尋ねていく用事もなかった。若い人が先に死ぬなんて間違ってる――久しぶりに会ったティルダが最初に私にいった言葉だ。最近はお互いにシャロンのことを口に出すことは滅多になくなったけど、私たちはまだうまく彼女の死を受け入れられていない。ティルダは未だにシャロンの部屋を以前のままの状態にしていた。いつか気持ちの整理がつくまでは、と。

 そして、エリックに会うのは、久しぶりだった。

「おめでとうございます、エレさん」

 この年代の男の子が総じてそうであるように、エリックもまた急速に大人びていた。彼は今まさに青年の入り口に足を踏み入れようとしていた。

「ありがとう、エリック」

 私たちはペルルコンの作業部屋のテーブルで向かい合っていた。

「ちょっと見ない間に大きくなったね」

「え。そうですか?」

「うん」

「でも、マスターは全然一人前として扱ってくれません」

「そりゃそうよ。そんなに簡単に認めていたら、マスターとしての威厳が保てないじゃない」

「いや、そういうことじゃないと思いますけど……」

 エリックは笑って首を振った。

「それで、私に渡したい物って?」

 私はペルを通じて、エリックに叙任式のあと、久しぶりに尋ねていきたいことを伝えた。すると、彼の方でも私に渡したいものがあるという返事が返ってきたのだ。

 エリックはチョッキの胸ポケットから小さな箱を取り出すと、テーブルの上に置いた。

 それは手のひらにすっぽりと隠れてしまうくらい小さな箱だった。

 私は手を伸ばして箱を開けた。パチン、と何かが弾ける音がした。

「封印?」

「はい。エレさんにしか開けられなくなっていました」

 中には指輪が入っていた。

 私の視線にエリックは無言でうなずいた。

「シャロン……」

 私はつぶやいて、指輪を手に取った。小さな石がはめ込まれている。

「魔力結晶?」

 再び、エリックがうなずく。

「たぶん、何かの魔法がかけられています。でも、僕にはそれが何の魔法なのかわかりません。相当複雑で高度な魔法だということしか」

 じっと小さな結晶を見つめてみたけど、もちろん私にわかるわけはない。

「ペルは?」

「実は、マスターにはこの指輪のことを話してません。このことは決して誰にもいうなって、お姉さんが……」

「それはいつ?」

「エレさんがドラゴルノフの採掘場から戻って来る少し前です」

 じゃあ、シャロンが死ぬほんの少し前か。

「シャロンはなんて?」

「自分にもしものことがあったら、これをエレさんに渡してくれって。エレさん以外の誰にもこのことを教えてはだめだって。マスターにも、レーンさんにも」

 どういうことだ。

「それと、何かあってもすぐには渡さないで、エレさんの気持ちが落ち着いてからにするようにって」

 もし、この指輪がシャロンの死に関係するものだとして、彼女の死後すぐに私が手にしていたら、私は誰かれ構わずこの指輪に込められた意味を聞いて回っていただろう。たぶんシャロンはそうしてほしくなかったんだ。

 そこまでは想像できる。でも、肝心の指輪自体の持つ意味にはどうやってたどり着けばいいんだ。一体何の魔法がかけれれているんだろう。

 私は一瞬どちらの指にはめるか迷った。結局、左手の薬指に指輪をはめた。サイズはぴったりだった。

「決してはずさないようにって」

「ほかには?」

 エリックは首を振った。

「それだけです」

 たぶんいつかわかる日が来る。その日を待つしか私にできることはなさそうだ。

「わかった。確かに受け取ったわ。ありがとう、エリック」

「いえ……。あの、エレさん……」

 珍しく、エリックはいいにくそうにもじもじしている。

「どうしたの?」

「僕に、剣術を教えてもらえませんか」

「剣術? でも、あなた、魔術師になるんでしょ」

「魔術師が剣を使えても別におかしくはありません」

「それはそうかもしれないけど……」 

 エリックは真剣なまなざしで私を見ている。

 私は大きく息を吐いた。

「ごめん。それはできない」

「どうしてですか」

「もし、シャロンが生きていたら、あなたは今と同じように私に剣術を教えてほしいって、いったかしら?」

 エリックは言葉に詰まった。

「それが理由」

「でも僕は……」

 それ以上は言葉にならず、エリックは唇をかみしめて俯いた。

「そんなにシャロンの仇がとりたい?」

「だって、僕も男ですから。実は、ブルーノさんとアクセルさんにも頼んでみたんです」

 それからふっと、肩の力を抜いて、エリックは首を振った。

「でも、断られました。今のエレさんと同じことをいわれました」

 心の中で、私はふたりに感謝した。ありがとう、ブルーノ、アクセル。

「エリック、私はこの世界を変えてみせる。必ず。まだどうすればいいのか、よくわからないけど。でも、必ずエレやシャロンみたいな子が苦しまなくてもいい世界にしてみせる。約束する」

 エリックはうなずいた。


 そこは城の近くで最も見晴らしのいい丘だった。古い大きな木が枝を広げ、その根もとに一頭の大型竜が翼を休めている。もうすぐここはあたり一面の花に覆われるだろう。

 私は丘の斜面にぎっしりと並んでいる墓のひとつに花を添えた。

 ここは、女性だけの時代、どれだけ多くの人々が病に倒れていったかを物語っている場所だった。大小の朽ち果てた墓石が所狭しと丘を埋め尽くしている。

 私が花を供えた墓はペルルコンが数日おきに掃除しているので、墓石のまわりはとても綺麗だった。

『言替えの魔法』がかかっていないから、私には墓石の文字は読めないけれど、そこにはこう書いてあるはずだ。

 ――美しくも勇敢な若き魔術師、ここに眠る――

 私は墓の前に弓を置き、ひざまずいた。

「シャロン。私、とうとう騎士になっちゃった。期限付きだけどね。

 あなたは反対したかな」

 エリックから託された指輪に手を触れた。久しぶりにつけた指輪は、まだあまり指になじんでない。

「おかしいよね。だって、こんなことをしても、私にはなんの得にもならないのに。

 私が逃げ出しても、たぶんレーンたちは『闇からのこだま』は使わない。

 だから、私は逃げ出せる」

 遠くの木々が風に吹かれて、ざわざわと鳴った。やがてその風は丘の斜面をこちらに渡ってきて、私の髪を乱した。

「ずるいよ、シャロン。それにエレも。あなたたちはずるい。

 私、もう逃げられなくなっちゃったじゃない」

 二羽の小さな鳥がさえずりながら飛んできて、墓石にとまった。

「もうすぐ私たちは、『冠』に潜入する。

 そしてたぶん私は『理の扉』を開くことになる。

 でも、私はいまだにわからないの。

 本当にこんなことをしていいの?

 本当にこうすることで争いがなくなるの?

 魔法で生存率が上がった今、女性だけの世界なら戦争が発生しないという前提が揺らいでる。女性だけの世界になったからといって、戦争がなくなるという保証はどこにもない。

 もしかしたら、私たちは無意味なことをしているのかもしれない。

 そもそも、こんなことをする資格が私にあるのか、今でも悩んでる。

 たとえこれが無数に存在する可能性の一つに過ぎないとしても」

 鳥たちは墓石の上でせわしないダンスを踊ったあと、不意に飛び去っていった。

「とにかく、もとの世界に戻るまで、私はここでみんなと精一杯やってみる。

 だから私は騎士になったの。

 どうか私たちを見守っていて」

 墓石に手を触れ、私は弓を持って立ち上がった。

「また来るね、私の大切なともだち」

 私が墓地を出て大きな木の木陰に入ると、バイロンが首をもたげた。

「もういいのか、エレ」

「うん。行こう、バイロン」

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