5.つながり

 ――Alas, my love, you do me wrong,

   To cast me off discourteously.

 あの日、私が歌った歌。

『グリーンスリーブス』。

 シャロンが褒めてくれたっけ。

 イギリス人なら誰でも知っている、古い古い民謡。イングランドとスコットランドの国境付近で生まれたロマネスカ。

 十年ぶりに聴く故郷の歌だ。

 お願い、届いて。


「『闇』の侵食が弱まったぞ」

 バイロンが金色の目を細める。私にはよくわからないけれど、確かにパメルの体を取り巻いている黒い触手が動きを止めたような気がする。

「そのまま歌い続けろ」 

 バイロンは突如急上昇を始めた。私たちは太陽を背に、魔力結晶の上空に移動した。パメルは何かと格闘するようにもがいている。弓を引き絞ったまま、私は再び歌い始めた。

 ――Alas, my love, you do me wrong,

   To cast me off discourteously.

 パメルの体から黒い部分が徐々に消えていく。額に手を当てて、彼女は必死に何かを思い出そうとしているようだった。

 それでもまだ、『闇』はパメルを動かしていた。私たちの動きに合わせて、彼女も魔力結晶の真上に出た。魔力結晶とパメル、私たちの位置関係は垂直の軸線上に変わった。パメルが――彼女の中に残っている『闇』が矢を放った。

 さっきより威力が落ちてる。難なく矢を回避しつつ、バイロンは左側半身をほぼ九十度下に向けた。体を固定するハーネスがわき腹に食い込む。

「いくぞ」

 バイロンは自分の翼でぐるりと私の体を覆った。その姿は、さながら大きなつぼみのように見えただろう。浮力を失った私たちはゆっくりと魔力結晶めがけて落下していく。

 体ごとぶつかって、パメルを背後の『壁』に押さえつけるつもりだ。私が射つチャンスをつくるために。

 ――For I have loved you for so long,

   Delighting in your company.

 わずかに空いた翼の隙間から、パメルと魔力結晶が見えた。彼女を侵食している『闇』は私たちの目論見を察したようだ。短くした弓に矢をつがえ、神業的な速さで連射してくる。

 ドス、ドス、と嫌な音を立てて、矢がバイロンの体に突き刺さる。翼の内側に次々と魔法補正のかかった矢が突き出てきた。何本もの矢に翼を射抜かれて、バイロンの血が降りかかる。竜の翼が私を守ってくれている。

 私は歌い続けた。

 ――Greensleeves was all my joy

   Greensleeves was my delight,

 パメルがどんどん迫ってくる。彼女も『闇』の侵食と必死に闘っていた。私はまだ射たない。まだだ。弓は最大級のパワーを溜めて、解き放たれるのを待っている。

 戻ってきて、パメル。

 ――Greensleeves was my heart of gold,

   And who but my lady greensleeves.

 ぶつかる。そう思った瞬間、パメルの目に力が戻った。

 突如、私の眼下に黄金に輝く世界が現れた。

 あたり一面の麦畑だった。金色の穂が風に吹かれて、まるで大海原のように波打っている。私は上空からその麦畑を見下ろしていた。

 少女が一人、こちらを見上げて立っている。

 質素な服を着て、右手に鎌を持っている。左手で額の汗をぬぐい、不思議そうな顔をして、空を見上げている。

 やせ細った体は今にも麦畑に倒れ込みそうなくらい頼りなさげだった。

 こんなに若かったなんて。

 パメル。

 これが向こうの世界のあなたなのね。

 一八九五年頃の、イギリスにいるあなたなのね。


 金色の風景が消え去り、私はこちらの世界のパメルと目が合った。

 そこにはもう『闇』はない。

 パメルがワイバーンを回避させると同時に、私は矢を放った。

 ブワン、と大きな音を立てて、バイロンが翼を展開する。

 ペル渾身の矢は、次々に四層の魔法防御陣を突き破り、魔力結晶に吸い込まれていった。

 そして――。

 カンッ! という硬い音とともに魔力結晶が粉々に砕け散った直後、同心円状にすさまじい衝撃波が広がっていく。回避行動中だったウルマスたちはそのあおりをもろに受けて吹き飛ばされ、落下していく。パメルは彼らとは逆方向に飛び去っていった。

「バイロン!」

 血まみれのバイロンの体がぐらりと傾き、魔力結晶が入っていた檻の上にどさりと激突したあと、そのままずるずると地面に横たわる。細かな雪煙があたり一面に舞う。私はベルトをはずして飛び降りると、バイロンの頭を両手で抱えて叫んだ。

「ちょっと、しっかりして!」

 バイロンはうっすらと目を開けた。

「矢は抜くなよ。あとで分解魔法で処理してもらう。大丈夫だ、ワタシはそう簡単には死なないよ」

 私はその場にへなへなと座り込んだ。

「もう! 無茶しないでよ!」

 バイロンは、ふん、と鼻を鳴らした。

 私は満身創痍のバイロンの体にそっともたれかかった。

「パメルはだいじょうぶかしら」

「一度『闇』を退けたなら、その方法は身に付いたはずだ。これまでのように、易々と『闇』に支配されるようなことはないだろう。まあ、保証はできないがな」

 彼女とはもっと話をしたかったのに。私はパメルの去っていた空を眺めた。いつかまた会えるだろうか。

「エレ」

「うん?」

「よくやったな」

「へへ。まあね」

 よくやったな、か。誰かにそんなことをいわれたのは本当に久しぶりだな。

「バイロン」

「なんだ」

「『楔の竜』は世界を変える力を持つ存在なんだよね」

 バイロンは肯定のしるしに、小さく鼻を鳴らした。

「これまでの長い年月、私たち人間が滅びないように、あなたは手を尽くしてきた。女性が滅びそうになったら別の性を出現させた。魔法を人間に与えたのもあなたよね」

 今度は、バイロンは無言だった。

「あなたがそれほどの力を持つ存在なら、人間が滅んでしまうことも世界のあり方のひとつだと思わないの? 私たちは、そこまでして救うべき存在なの?」

「エレ。この世界と、お前がかつていた世界以外にも、世界は無数に存在している」

 やっぱり。

 ドラゴルノフの長老がいっていたとおりだった。

 私は体を起こしてバイロンを見た。 

 バイロンはうっすらと目を開けている。

「それら並行世界にはそれぞれの宇宙が存在している。それぞれの宇宙にはたくさんの生命が存在している。ワタシのようなものが存在している世界もあれば、存在しない世界もある。ただ、無数の世界で唯一共通しているのが、お前たち人間の存在だ。お前たちは特異な存在なのだ。お前たちを存続させることが、ワタシたちのようなものにとっての不文律となっているのだよ」

「ねぇ、バイロン。私たちは……いったい何なの?」

「それを考え、探り当て、理解すべきなのは、お前たち自身ではないのか」

 私は軽くバイロンの頭を小突いた。

「相変わらず、手厳しいね」

 ふん、とバイロンは大きく鼻を鳴らして目を閉じた。

 私は再びバイロンの体にもたれかかった。

 バイロンの暖かな体温を感じていると、体の中に張り詰めていた力が、ゆっくりと抜けていった。

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