3.出撃

 翌日、遅れて会議の幕舎に入った私は、ペルの憔悴ぶりに胸をつかれた。ほとんど睡眠を取っていない顔だ。

 レーンが立ち上がった。

「各方面からの情報から判断して、『冠』本隊の総攻撃は明日の正午。それまでに近衛隊が魔力結晶を破壊する」

「私が行きます」

 みんなが私を見た。

 レーンが淡々と告げる。

「失敗したときの第二、第三の備えを考えて戦力はほぼ全てこちらにまわすことになる。だから、もしも君が行くとしても、数騎で行ってもらわなきゃならない」

「私とバイロンだけでいい」

「エレ殿、早まってはなりませんぞ」

 ミハイル宰相が心配そうに声をかけた。

「ありがとうございます、宰相。大丈夫、まだ死ぬつもりはありません」

 私はレーンに向き直った。

「最後の魔力結晶は『白い牙』の頂上にあるんでしょ。竜じゃないと無理だし、私とバイロンが行くべきよ」

「わかった。常駐している護衛はいないはずだ。よっぽど敷設した防御に自信があるんだろう。しかも、本隊の指揮はたたき上げの老騎士ヴオリだ。魔法の助けがなくても力で押し切れると思っている。だが、もちろん何があるかわからない。はだかのワイバーン二頭を護衛につける。バイロンの指示に従うはずだ」

 ゆっくりと、レーンが机に身を乗り出す。

「エレは明日、日の出とともに出発、正午までに魔力結晶を破壊し、狼煙を上げろ。狼煙の伝達員は既に配置した。それ以外はみな、昨日の打ち合わせどおりにお願いする。以上」


 みんなが出て行くあいだ、私はレーンに目配せをしておいた。やがて二人だけになると、レーンがいった。

「来てくれると思ってたよ」

「エレのためよ。それにシャロンのため」

 レーンはうなずき、私に尋ねた。

「それで? 何か気になることでも?」

「『闇からのこだま』ってなんのこと?」

 私は単刀直入に切り出した。こちらをじっと見つめたまま、レーンは何もいわない。

「レーン、私に隠していることがあるんでしょ」

 唇に軽く曲げた指をあてて、レーンは考え込んでいた。

「もしかして――君はほかの『開く者』に会ったのか」

「『冠』の青服は『開く者』よ」

「そうか――十年前に南の地で『開く者』が召喚されたと聞いたことがある。ずっと消息が不明だったんだけど。生きていたか」

 私は昨日の夜の出来事を話した。

「わかった。最初にいっておくけど、このことは他意があって隠していたわけじゃない。君の本名、向こうの世界の君の名前は『言替えの魔法』をすり抜けてしまう。君の名前はこちらの世界の人間には憶えられないし、発音すらできないんだ。でも、『開く者』を召喚した魔術師はその名を知っている。また、名のある魔術師ならその名を憶えることができる。そして、その名を知る者は、『開く者』の命を握ることになる」

「命を握る?」

「『開く者』の名前そのものがこちらの世界の呪文なんだよ。その名前を組み込んだ魔法によって『開く者』を恐怖と苦痛で従わせることができる。『開く者』の生命を自由に奪うこともできるんだ。召喚した国を裏切ろうとした『開く者』が、この魔法によって命を絶たれたこともある」

 以前シャロンがいっていた――あなたの向こうの世界での名前を決して誰にも教えないで。そういうことだったのか。

「このことを知っているのは、僕と王妃と宰相だけ。シャロンも知っていた。もちろんペルも。そして、君の本当の名前を知っているのはペルだけだ」

 いつもペルは私と話をするとき気まずそうだった。この世界に召喚したということだけじゃない、何か私に対して後ろめたいことを抱えているような――正直な人だ。

「僕たちは君を召喚するときに、決めたんだ。僕たちの力になってくれるかどうかは、『開く者』の判断に任せようと。『闇からのこだま』は決して使わないと」

「それは何なの」

「この世界と向こうの世界との境界に『闇』と呼ばれる場所がある。そこには何もない。虚無だ。『闇からのこだま』は、『開く者』の魂を『闇』に放逐する魔法だ。そうなったらもう、その魂は誰にも救うことができない」

「パメルの――『冠』の『開く者』の体には黒い痣があった。『闇からのこだま』がつけた傷だっていってた」

「『闇からのこだま』は使い方によっては、『開く者』の心と体を『闇』に蝕ませることができる。それは相当な恐怖と苦痛を伴うはずだ。でも、君たち『開く者』にとって一番の恐怖は、『闇』に侵食されるたびにもといた世界の記憶をなくしていってしまうということだ」

 私の背筋に冷たいものが走った。もとの世界の記憶がなくなる。それは私たちにとって最大の恐怖だ。

 そうか。それでパメルは何かを必死に思い出そうとしていたんだ。彼女はすでに向こうの世界の記憶をなくしかけているのか。

 パメルはもう一人の私だ。もしかしたら、私が彼女だったのかもしれないんだ。

「その魔法を防ぐことはできないの?」

「名前を知られてしまったら、もうどうすることもできない。ただし、抵抗することはできる。元いた世界とのつながりを強めれば、完全に『闇』に飲み込まれるのを防ぐことはできる」

「元いた世界とのつながり……」

「それは人それぞれだから何ともいえない。例えば、向こうの世界に残してきた肉親や体験したことの記憶、そういったものが有効だ」

「わかった。憶えておく」

「エレ。僕たちは今でも僕たちが決めたことを変えるつもりはない。だから――」

 珍しくレーンは言葉に詰まった。 

「だから君がどのような決断をしても、僕たちはそれを尊重する」

「レーン」

 私はじっとレーンを見つめた。

「私は無理やりこの世界に連れてこられたことを決して納得はしない。これまでも、この先も。何があろうとも。私は必ずもとの世界に戻る。でも、私を召喚したのがあなたたちでよかったと思ってる。ほんとよ」

 レーンはうなずいた。

「魔力結晶は必ず破壊するわ」


 日の出前。うっすらと明るくなりかけた駐屯地はもうすでに人の動きが激しい。人々の吐く息が白い。

 私はバイロンに鞍を載せて、体を固定する金具を点検した。

「なあ、それ載せないといけないのか」

 バイロンがむずがゆそうに体をゆする。

「もし空中戦になったら、私ふり落とされちゃうわよ」

 仕方ない、という感じでバイロンはふん、と鼻を鳴らした。

「ノア、レア、よろしくね」

 柵につながれている護衛のワイバーンたちに話しかける。

「ちゃんと指示は出しておいた。なかなか優秀だ」

 バイロンの言葉にうなずきながら、私はワイバーンたちの頭をなでた。

「エレさん、エレさん」

 いつのまにか、背後にクララが立っている。

「びっくりさせないでよ、もう」

「へへ。これ、途中の休憩のときに食べて」

 クララは葉でくるんだ戦闘食を差し出した。

「ありがとう。クララ、心配かけてごめんね。すごく感謝している」

「やだなぁ、もう、エレさん。そんなの何でもないですよ」

 照れくさそうにクララは笑った。

 ふと顔を上げると、騎士団や近衛隊のみんなが集まっていた。宰相たちまでいる。

「ちょっと、みんな。こんなとこにいて大丈夫なの?」

「作戦までまだ時間がありますから。気をつけて、エレさん」

 アクセルはいつもの笑顔だ。

「こっちのことはご心配なく。全て蹴散らしてやりますよ」

 ブルーノが豪快に笑う。

「頼みましたよ、エレ」

「はい、デボラ執政官」

「エレ殿。戻ってきたら、一献やりませんか」

「はい、ぜひ。ミハイル宰相」

「みなさんもご一緒に」

「でも宰相、ブルーノの歌には気をつけてくださいね。いっきに酔いが醒めますよ」

 騎士団と近衛隊のみんなが笑う。

 私はカール宰相の前へ進んだ。宰相は何もいわず、ただ私の腕をぐっとつかんだ。私はうなずいた。

「ところで、レーンは?」

 みんなが顔を見合わせる。

「それが……」

 クララがいいにくそうにしている。

「レーンさんは寝ています」

「寝てる?」

「はい。全て指示は出したから、もう自分の出番はないって」

 あいつらしい。

「ま、待ってください!」

 騎士たちをかき分けて、ペルルコンがよろけながら飛び込んできた。

「間に合った……」

 息を切らしながら、私に矢筒を差し出す。

「最高度の魔法補正がかかっています。あなたなら、複数の『膜』を貫通できます」

「ありがとう、マスター」

 ペルルコンは照れくさそうに笑う。

「三本しかありません。大事に使ってください」

「それだけあれば充分よ」

 矢筒を背負い、私は最後にヴァンペルトと視線を交わした。

 ありがとう、アリス。

 私たちは無言でうなずき合った。

「じゃあ、みんな。行ってきます」

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