4.魔術師
オルガが右手を差し出すと、彼女の前の雨粒がスッと停止した。シャロンも口の中で詠唱し始め、右手を前に突き出す。
オルガの前で静止していた雨粒の形が変化して、細い針のようになっていき――、ヒュン! という音と同時に、私たちの両側の岩が粉々に砕け散った。
なんだこれは。
足元に転がっている岩の断面には細い溝が残されている。おそらく、水を高圧で発射させることで対象物を穿つんだろう。
私は思わず自分の体を見下ろした。なんともない。よく見ると、私たちの目の前で、針のようになった雨粒が静止している。シャロンが手を下げると、雨粒はばらばらと足もとに落下した。
「やるじゃない」
オルガは右手を高く掲げた。
私たちの周囲全ての雨が静止した。まるで時間が止まってしまったみたいな、不思議な光景だった。思わず見とれてしまいそうになる。
静止はほんの一瞬だった。雨粒はまた細い針に形を変えて、全方位から私たちに襲いかかってきた。
シャロンの杖の根もとからバチバチと火花が散り、岩がえぐられる。
私たちの周囲数センチで針は止まった。顔のすぐそばに透明の針が浮かんでいる。
再びシャロンが詠唱を始めた。
静止していた雨粒がゆっくりと集まっていく。
ボールのような雨の塊が互いにくっつき合って、やがてそれらはみるみるうちに水のチューブとなり、私たちをぐるりと取り囲んだ。降ってくる雨を吸い込みながら渦のように私たちを取り巻いていく。
目の前にシャロンが立っている。シャロンの魔力がどんどん上がっていくのがわかる。今、地面の下の膨大な魔力片が、杖を通してつぎつぎとシャロンに結線されているんだ。
渦の回転速度が上がった。
オルガが驚きに目を見張る。
「なんて力……」
「行け!」
シャロンが叫んだ。
水の渦は先端を鋭い槍に形を変えて、恐ろしい速度でオルガに襲いかかった。
「くっ」
オルガが必死の形相で杖を構えて、なんとか防ぐ。
バシッという音とともに、槍はオルガの前で四散した。
「今度はこちらの――」
そのあと、オルガは言葉を継ぐことができなかった。
四散した槍はオルガの背後でひとつにまとまり、高速の鋭い切っ先となって彼女の体を背後から貫いた。
『冠』の中級魔術師が倒れると同時に、シャロンもがくりと膝をつく。走り寄る私を見上げてシャロンは微笑んだ。
「大丈夫。さあ、魔力結晶を破壊しましょう」
魔力結晶を破壊したあと、名のある魔術師だから丁重に弔いたいというシャロンの希望で、私たちはオルガの簡単な墓を作った。雨が小降りになり、各々、帰りの準備をしていたときだった。
普段どれだけ訓練を積んだ人間でも、突発的な想定外の事態に即座に対応することは難しい。
だから、『朱き崖』の男が抜いた剣に胸を貫かれたアロンゾがまったく反応できなかったのも無理はない。でも、アクセルは違った。左腕を切られながらも、もう一人の男の剣をかわして一閃のもとに切り捨て、返す剣でアロンゾを刺した男の喉もとに剣を貫通させた。
アロンゾは既にこと切れていた。
その間、私とシャロンは呆然と立ち尽くしていた。
「レフ!」
シャロンの声に私がふり向くと、林を背に、レフが私たちに弓を構えている姿が目に飛び込んできた。
アクセルは剣を鞘におさめ、右手を差し出した。
「弓を下ろせ、レフ。君には何もしない」
「だめだ。あんたたちを殺さなきゃ」
「君たちは魔力結晶の破壊を手伝ってくれたじゃないか」
「あんたたちが『冠』の魔力結晶を壊すのはありがたいんだ。でも、あんたたちは殺さなきゃならない」
「金か」
レフは無言だ。
「誰からだ? 『冠』か?」
かすかにレフがうなずく。
「それと、僕たちの村からもう人を取り上げないって約束した」
「よく聞くんだ、レフ。そんなことを信じちゃいけない。この戦いが終わったら、同盟が君たちの村を保護する」
レフが笑う。
「ふん、それこそ信じられないよ。『冠』も『土』も同じだ。僕の両親は『土』の領民たちに殺された。『冠』は『土』を追い払ったけど、姉ちゃんたちを無理やり連れて行って……」
まただ。またここでも同じことが起こってる。私は唇をかみしめた。
「わかった。では、射て」
アクセルは自分の胸に手を当てていった。アクセルはレフと話しながら徐々に体を移動させて、私とシャロンをかばう位置についた。私たちの十数メートル先にアクセル、さらにその先に弓を構えたレフがいる。
あの距離でも、アクセルは確実に矢を防げるだろう。私の反射攻撃は発動しない。レフの心の中で感情がせめぎあっているからだ。反射攻撃は、相手が私を攻撃しようとする明確な意思がないと発生しない。
シャロンがそっと呪文を唱え、私たちの周りに対物理攻撃用の『膜』を展開させた。目の前の空気がゆらめき、雨粒がにじむ。
シャロンがささやく。
「あの矢、強力な魔法補正がかかっています。たぶん『膜』を貫通すると思う」
「アクセルが止める。大丈夫」
「そうだけど……」
レフの腕がかすかに震えている。そろそろ弓の保持が限界に近い。アクセルは徐々に剣を抜く体勢に入ってる。再び雨脚が激しくなった。四人とも体から雫をぽたぽたと落としている。
「……あの矢、なにかに紐付けされてるわ」
シャロンが不安そうにつぶやき、あたりを見渡す。そして、ふと私の胸もとに目を止めた。
「エレ、そのブローチは?」
「え? これは、レフが……」
私の言葉をさえぎり、シャロンが叫ぶ。
「アクセル、だめ! その矢を射たせちゃ――」
その言葉をいい終わらないうちに、レフが矢を放った。
反射攻撃が発生していないにも関わらず、私はそのあとの数秒をまるでスローモーションの映像を見ていたかのように鮮明に覚えている。
アクセルの剣のタイミングは完璧だった。確実に矢を捉え、はじき返す――はずが、矢はまるで生きているみたいに軌道を曲げて、彼の斬撃をすり抜けた。
シャロンがなにかを叫んでいるけれど、私は自分めがけて向ってくる矢に気をとられて聞き取れない。
そうか。
胸のブローチに手をやる。
これを狙っているのか。
でも、もう間に合わない。
そのとき、誰もいなかった私の目の前に突如人影が出現した。
ドン。
その人影の左胸に矢が刺さる。背中から突き出た矢から飛び散った血が、私の頬を濡らした。
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