3.国境の山
緒戦はこちらの勝利に終わったことで砦の中はひとまずほっとした雰囲気に包まれていた。人々はそれぞれの簡易テントや幕舎で食事をとったり、武具の手入れをしている。どこから聞きつけてくるのか、砦に集まってきた行商人たちが商品を売り込む声があちこちから聞こえてくる。
私とレーンは急ごしらえで作られた幕舎の中にいた。そこで簡単な作戦会議が行われているらしい。テーブルには地図が広げられ、質素な椅子が周りに置かれている。地面がむき出しで、敷物は敷かれていない。ドラゴルノフの採掘場では嗅ぐことのできなかった草の匂いがした。
「それで、確かめたいこととはなんだい、エレ」
レーンは椅子に腰かけ、私もテーブルをはさんで座った。
「ドラゴルノフの長老から話を聞いたの。四十六本の組み紐の話。あなたはそれを知っていたのね」
「知っている」
「女性だけの世界で争いがなかったのは、病への抵抗力がなくて生き延びるだけで精いっぱいだったから。でも、魔法がある今、その心配はなくなった」
無言でレーンはうなずく。私は続けた。
「ということは、たとえ女性だけの世界になったとしても、戦争がなくなる保証はどこにもないなんじゃないの?」
レーンは無言だ。
「答えて、レーン」
「エレ。それは誰にもわからないんだ。でも、やってみる価値はあると僕たちは判断した。もしかしたらとんでもなく無駄なことを僕たちはやろうとしているのかもしれない。しかし、今のままだと世界はいつまでたっても良くならない。それは君自身がよくわかっているんじゃないのかい」
「みんなは――宰相やペルたちもこのことは知っているのね」
「知ってる。少なくとも『冥森』に集まっているメンバーは。それ以外の人たちには、ここまで詳しい話はしていないけどね」
私はテーブルに置かれた作戦地図を見下ろした。敵と味方の集団が小さな旗で示されている。『冠』の領内近くの地図上には、赤い旗が無数に立っている。
今のままだと世界はいつまでたっても良くならない。レーンのいう通りだ。このまま何もしなければこの世界は……。底知れない深い無力感が足元から徐々に体を這い上ってくる。私は羊皮紙に描かれた地図に再び目を落とした。
青い旗と赤い旗が刺さった地図。これからも敵味方に色分けされた地図がたくさん作られていくのだろう。私は地図の片隅がめくれているのをそっと直した。
レーンが再び口を開いた。
「君は本当に、病に対する脆弱性だけが単性生殖時代の平和を生み出した要因だと思うかい?」
私は答えに窮した。
「わからない」
「『理の扉』を開けるのは君だ。そして、そこで何を願うのかも君次第だ。こんないいかたはあまりにも無責任すぎると思うけどね。君がこの世界に来てから、僕たちはずっと君のことを見てきた。そして、君にならこの決断を任せてもいいと僕たちは思っている」
レーンの深い緑のまなざしが私を射た。
「『開く者』よ、君は何を望む?」
緒戦のあとの膠着状態が続く中、レーンは次の作戦を実行に移した。
『冠』は、この戦いのために用意した三つの魔力結晶のうちのひとつにダミーを設け、情報をリークしていた。罠だ。レーンはわざとそれに乗り、五十名の隊を編成してダミーの破壊に向わせた。と同時に、私たちが本物の魔力結晶を密かに破壊しにいく。
私とシャロンに同行するのは、初戦から戻ってきたアクセル、『霧』の騎士が一人。場所は、『冠』と『土』の国境近辺の山岳地帯だった。魔術師が守っているため、おそらく魔術師同士の戦いになる。
「足もとに気をつけて! そこは滑りやすいよ!」
道案内の一人、レフが軽々と岩場を登りながら私をふり返る。
魔力結晶までの道は、山岳地帯に住む少数民族の『朱き崖の民』三人が案内してくれることになった。私は宰相から彼らの置かれている状況を聞かされた。
彼らは支配者である『冠』にずっと不満を抱いてきた。ここでも魔力片が採れるのだ。彼らは長いあいだ、採掘のための労働力として搾取されていた。
案内役は、男二人と少年が一人だった。男たちは二人とも素朴で、いかにも山の民といった感じだった。無口で、人懐こそうな笑顔を時折見せた。
最年少のレフは十五歳だった。彼だけは、私に色々と話しかけてきた。
「ねえ、その弓、変わってるね。何でできてるの?」
私たちは針葉樹の林の中で小休止していた。
「グリフォンの骨から削られた弓よ」
「すごい!」
彼らもみな背中に弓矢を背負っている。
「お姉ちゃん、グリフォンを仕留めたの?」
「ううん、私じゃないよ。すごく強い騎士がいるの。持ってみる?」
私はレフに弓を手渡す。
「長い弓をイメージしてみて」
レフが目を閉じると、弓の長さが伸びていく。
「うわ!」
「グリフォンの骨には魔力が宿っているの」
「弦も伸びるんだ。何でできてるんだろう」
「グリフォンのひげだって」
レフは弓をもとの長さに戻し、私に返した。
「お姉ちゃんは弓使い?」
「うん、まあ。一応」
「じゃあ、これあげる」
差し出されたレフの手に、ブローチが乗っていた。
「的中のお守りだよ」
それは、木の葉の形をした木工細工の中に小さなガラスのかけらが埋め込まれた可愛いブローチだった。
「へぇ。ありがとう」
私は胸にブローチをつけた。レフは、恥ずかしいのか、ぷいとよそ見をしている。
「そろそろ移動します」
『霧』の騎士アロンゾが私たちに告げた。ひげを蓄えた優しそうな男で、アクセルとは知り合いらしい。
目的地に着いたとき、雨が降りはじめた。
針葉樹の林を抜けた私たちの目の前に開けた岩場があらわれた。向こう側に切り立った崖があり、中腹に洞窟が穴を開けている。魔力結晶はあの中だ。でも、すんなりとは入らせてもらえそうにない。洞窟の前にフードつきのマントをまとった女魔術師が立ちはだかっていた。
緑色の髪に切れ長の目。私よりもかなり若そうなのに、女魔術師はすでに風格のようなものが備わっていた。
「やっぱりね。あのレーンのことだから、あっさり引っかかるとは思ってなかったけど。『朱き崖』を抱き込むとはね、なめられたものだわ」
「女の魔術師とは、『冠』にしては珍しいな」
アクセルがつぶやき、シャロンがそれに答える。
「あちらの国では最近魔術師が減っていると聞きます」
女魔術師は洞窟の入り口から身を躍らせ、数メートル下に軽々と着地した。木の杖を地面に突き立て、先端部分の金属がガキッと岩に食い込む。
「私は『冠を戴く国』の中級魔術師オルガ・ヘルスト。裏切り者たちもろともあの世に送ってあげる」
笑みを浮かべながら、オルガが口の中で呪文を唱え始めた。
雨がどんどん激しくなってくる。
「みんな、私のうしろに下がっていてください」
シャロンが前に進み出て、同じく、杖を地面に突き立てる。
「そうか。あなたがペルルコンの例の秘蔵っ子ね。しかも『開く者』にアクセル・ソランデルまで。とんだごちそうが舞い込んできたわ」
オルガが舌なめずりをする。
「それじゃあ、実力のほどを見せてもらいましょうか、お嬢ちゃん」
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