2.対峙

 私がドラゴルノフにいたひと月あまりのあいだに、情勢は大きく動いていた。

『森』が『土』の北部にある採掘場のひとつを武力で占拠しようとして、戦闘が起きた。これに『冠』が介入し、『冠』対三国同盟の本格的な紛争が勃発してしまった。『森』の侵攻直後に『冠』は『森』を併合している。

『土』の北端、『冠』との国境には古い城壁がそびえ立っている。昔は城があったらしい。今は城壁だけが残っている。『冠』との国境はどこも峻険な山が連なっていて、その城壁の前に続く谷間が二国間をつなぐ唯一の道となっている。

 今、そこで二つの騎士隊が対峙していた。


 城壁の内側は既にたくさんの幕舎が設けられ、駐屯している人々が動き回っている。私たちの城からも多くの人が出てきているみたいだ。

 人々はバイロンの登場に驚いていた。どうやら『楔の竜』という存在は広く人々に知られてはいないみたいだけど、ここまで大型の竜はさすがに珍しいのだろう。ひとまずバイロンは竜の飼育係のエマに預けて、私とシャロンは城壁の最上部、物見の塔に登った。

 石造りの塔の最上階の部屋は、中央に魔力片のストーブが燃やされていて、暖かかった。カール宰相、レーン、『土』の宰相、『霧』の女性執政官が私たちを迎えた。宰相が私の腕をぎゅっと握った。

「お帰りなさい、エレ殿。無事でなによりです。これで大きな問題がひとつ解決しました。本当にご苦労様でしたね」

「ありがとうございます。思わぬ邪魔が入りましたが、ほぼ計画どおり、こちらの案を全面的に受け入れてくれました。それと……」

 私は『楔の竜』のことをこの場で話していいのかどうか、躊躇した。

 そんな私の内心を見通して、宰相は微笑んだ。

「大丈夫ですよ、エレ殿。ここにいるのはみんな、ベニシダ協定の関係者です」

 宰相は私を『土』と『霧』の首脳に引き合わせた。二人とも連絡会議のときに見て知っているけれど、話をするのは初めてだった。

「こちらが『開く者』、エレです」

「『土が煙る国』の宰相、ミハイル・アバルキンです」

 ミハイルは六十代後半、小柄で小太り、定年退職して家庭菜園が趣味です、といった風情の味のある人物だ。

「連絡会議のとき以来ですね、エレ殿。ドラゴルノフの件、改めてお礼に伺いますよ」

「いえいえ、そんな」

 笑顔で答えながら、私は宰相に小声でいった。

「宰相、しっかり顔覚えられてるじゃないですか」

 カール宰相は涼しい顔をしている。

「『霧が呼ぶ国』の執政官、デボラ・コルテスです。エレさん、カールは私たち二人にはあなたのことを打ち明けていたのですよ」

 デボラは私の反応を見て教えてくれた。なるほど、宰相もなかなかの狸だな。デボラは『風』の王妃とはまた違った意味で貫禄がある。数多くの交渉事を切り抜けてきた人特有の深みのある雰囲気だ。私は彼らに告げた。

「私からもみなさんに紹介したい方がいます」

 宰相がうなずく。

 私は塔の窓から身を乗り出して叫んだ。

「バイロン!」

 すぐにバイロンが飛んできて、塔の出入り口につながっている城壁の上部に器用に降り立ち、こちらを覗き込んだ。

「『楔の竜』、バイロンです」

 宰相たちが膝をついて礼の姿勢をとった。

 私はバイロンにみんなを紹介した。

 みんなが立ち上がり、宰相がバイロンの前に進み出た。

「バイロン殿。我らは再び女性だけの世に戻すことを望んでおります。ぜひ、我らにお力をお貸しください」

「もとよりそのつもりだ。封印が解かれた以上、ワタシはお前たち人間の存続に寄与しなければならない。ワタシはそう運命づけられているのだ。そして今、ワタシも再び女性だけの世界に戻る時期に来ていると感じている」

 私はバイロンの言葉をみんなに伝えた。

「感謝します」

 宰相たちは深く頭を垂れた。

 再びバイロンが口を開く。

「ワタシが封印されていた三百年の間に、『冠』は強固な防衛体制を整えているようだ。お前たちが『天の裂け目』までたどり着くのは至難の業ではないのか」

 私はそれをみんなに伝えてから、宰相に尋ねた。

「あの、『天の裂け目』って……」

「今、『理の扉』は『天の裂け目』というところにあります。そこは『冠』の領地の最も深いところにあるのです」

 またまた厄介なことになりそうだ。

 宰相はバイロンに向き直った。

「我らが『天の裂け目』を目指すとき、おそらく少数で『冠』に潜入することになるでしょう。しかし、今はまだそのときではありません。『冠』が武力でもって我々に迫っています。まずはこの脅威を除くことが先決です」

 バイロンは目を細めて宰相たちをじっと眺めた。やがてレーンのところで視線を止め、しばらくしてからうなずいた。

「いいだろう。ワタシは基本的には人間同士の争いには与しないが、できる限りこの『開く者』の力になりたいと思っている。というわけで、ワタシは当分のあいだこの『開く者』と行動を共にするが、いいか?」

 私がそれを伝えると、ミハイルは「是非、エレ殿の力になってあげてください。私からもお願いします」といってくれた。

 バイロンはまた地上に降りていった。それを見ながらレーンはニヤニヤしている。私はレーンにこっそりささやいた。

「ちょっと、ちっとも簡単じゃなかったわよ」

「はて。そんなこといったっけ?」

 私はレーンの脇腹を肘でつついた。

「それと、あなたに確かめたいことがあるの」

「なんだろう」

「昔、女性だけの時代に起こったことで」

「わかった。あとで時間を――」

 そのとき、塔の階段から若い騎士が飛び込んできた。

「動きました!」

 宰相たちは、さっと顔色を変えて、城壁の上部の通路に向った。


 城壁の高さは約十メートル、眼下には両側に切り立った険しい山と、それに挟まれた谷間が一面に見渡せた。

 城壁のすぐ前に木の柱を組み合わせて作った柵が百メートルにわたって設けられ、その前に同盟の騎士隊が展開している。その数およそ百。そして、その向こうに『冠』の騎士隊が二つの長方形の隊列を組んで進んでくる。二つの隊の中央の馬上に魔術師がいた。対して、こちらの隊の中心にはペルルコンが立っている。

 敵は徐々に進行の速度を上げ、やがて――。

 バチィン!

 大音響とともに空気が震える。双方が展開する対生物用の『壁』が激突した衝撃だ。数メートルの間隔をはさんで、両陣営ともぴたりと動かなくなった。静かだ。でも、水面下では魔術師同士の死闘が繰り広げられている。

「シャロン、相手の力はどれくらいなの?」

「実力はでマスターには遠く及びません。でも、敵は強力な魔力結晶と魔力結線していますから、パワーは互角だと思います」

 じりじりと、相手の魔術師が押してくる。壁同士が触れ合っている場所の地面は、ばちばちと土がはじけ飛び、深い溝ができている。

「レーン殿……」

 ミハイルが心配そうにレーンを見た。

「大丈夫、敵の進行が思ったよりも早かったけれど、もうすぐ――」

「結線、切れます!」

 シャロンが叫んだ。

 バン! という大きな風船を破裂させたような音とともに、敵の『壁』が消滅し、抵抗を失ったペルの『壁』が急拡大して敵を吹き飛ばしていく。

 同盟の騎士たちがいっせいに剣を抜き、敵に襲いかかる。

 敵の左翼はすぐに体勢を立て直した。一方、敵の右翼はみるみるうちに蹴散らされていく。敵右翼に攻め込んでいる味方の左翼はアクセルが指揮する隊だ。動きでわかった。アクセル一人であっというまに十数人を討ち取ってしまった。敵はばらばらに逃げ惑っているところを次々と斬られていく。

 敵左翼は持ち直し、逆にこちらが押されている。

「左翼の指揮はアリ・カスキね、イリス」

「そうです、デボラ。彼が先遣隊とはね、『冠』はやはり層が厚い」

 アクセルたちが打ちもらした騎士数人が、中央に突進し、そのうち二人がペルルコンの目の前に躍り出た。

「ペル、危ない!」

 声が届くはずもないのに、私は思わず叫んでいた。騎士がペルルコンに斬り込む。その寸前、彼の体がフッと掻き消えて、数メートル先に現れた。

「大丈夫。マスターは高速転移魔法『光差』が使えます」

 シャロンが私の手を握る。

「エレの反射攻撃と似ています。私はまだできないけど」

 なるほど、反射攻撃中はああいうふうに見えるのか。私は詰めていた息をほっと吐き出した。

 敵の右翼を蹴散らしたアクセルは間髪入れず隊を細長く組みなおし、敵左翼集団の背後にぐるりと廻りこんでいく。味方右翼の隊もそれに呼応して敵を囲い込もうとしている。

「さすがですな、アクセル殿は」

「あの輪が閉じればこちらの勝ちだけれど、カスキはそれほど甘くないよ」

 輪が閉じる寸前、カスキの隊も細く隊列を組みなおし、包囲の一箇所を狙って突進していく。

 そこを一瞬で突き崩され、開いた穴から敵の隊列が後方に抜け出ていく。数名の騎士がその場に残って追撃を防ぎ、隊列が全て抜けきったあとに離脱していく。

「やられた。あそこは新しく徴集した領民たちの集団だったんだ。一瞬で見抜くとは」

「しかし、初戦はこちらが取った。損害もほとんど出ていない。上出来ですよ」

 くやしがるレーンをカール宰相がなだめた。

「先遣隊ということは、本隊が別にいるの?」

 私の問いにレーンが説明する。

「敵の本隊は三千ルーテ後方に陣を敷いている」

 三千ルーテ、ということは。約五キロ先か。

「精鋭の第一騎士団五十名を含む三百名、さっきのカスキの隊を入れると三百五十、それに破城槌が二基」

「こちらは?」

「現在二百。最も遠い『霧』の領地からあと百名来る予定だけど、間に合うかどうかは微妙なところだね。つまり、数では圧倒的に不利なんだ」

 一羽のふくろうが飛んできて、レーンの肩に止まる。ふくろうの足にくくりつけてあった布をほどき、レーンが読み始める。

「魔力結晶は破壊。こちらの損害は二名」

 デボラがうなずく。レーンは私とシャロンに向き直る。

「敵がこの戦いのために用意した魔力結晶は三つ、いずれも場所は確認している。ひとつはさっき『霧』の騎士たちが破壊した。本隊用の巨大な魔力結晶はまだ結線されていない。準備に時間がかかるんだ。そして、もうひとつの魔力結晶を、エレ、シャロン、君たちが破壊してほしい」

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