第四章 竜
1.イリス・レーン
バシン!
私の右手がイリス・レーンの頬を打った。
「私はやっぱりあなたたちがエレにしたことを許せない。こうしないと私の気が済まないの」
レーンは私の言葉に答えることなくじっとうつむいている。乱れた前髪に隠れて表情が見えない。レーンの肩が小刻みに震えだし――と、突然レーンはガバッと顔を上げて、ペルルコンに詰め寄った。なぜかすごくうれしそうな顔をしている。
「ペル、すごいじゃないか! こんな逸材、どうやって召喚したんだい?」
ペルルコンと私はあっけにとられている。
「ああ、すまない。エレ、〝彼女〟は――ややこしいから召喚前のエレを〝彼女〟と呼ぶけど――、〝彼女〟は全て承知の上で、器となることを選んだんだ。自らの意志で。それだけは憶えておいてくれ」
レーンは私の背中にそっと手を置いた。
「今日はあいさつに来ただけだから、また今度ゆっくり話そう。カールと今後の方針について早急に話し合わなきゃならないんだ。ウリカ!」
窓の外に向ってピィーッと指笛を鳴らすと、一羽のふくろうが飛び込んできてレーンの肩に止まった。
「『湖』造反の件は残念だった。僕が情報をつかんだときには既に遅かったんだ。ウリカを飛ばしたんだけどね。申し訳なかった。あ、そうだ。ティルダに謝っておいて。ご馳走が食べられなくてごめん、って。じゃあ、また」
そう一気にまくし立ててレーンは出て行った。――と思ったら、またすぐにドアが開いて戻ってきた。
「あぶない、あぶない。忘れるところだった。ペル、これ奥さんから預かってきた。ロッテも元気だったよ。かなり良くなった」
レーンは懐から包みを取り出して、ペルルコンに渡した。
「では今度こそ、みなさん、ごきげんよう!」
バタン、とドアが閉まるのを私は呆然と見ていた。二人は慣れているらしく、ペルルコンは包みを解いて家族からの便りを読んでおり、シャロンはにこにこしながらドアに向って手をふっている。
「一体、何者なの?」
私の問いかけに、ペルルコンが答える。
「わが国で唯一の名誉騎士であり、作戦立案、諜報活動を束ねる男です。『森』の裏切りを知らせたのも彼ですよ」
私たちは、ティルダの用意してくれた夕食を堪能した後、シャロンのいれてくれたお茶を飲んでいた。エリックは一足先にベッドに入っている。
「レーンと私は『太陽の沈む国』出身で、彼とは古い付き合いです。十二年前、国を出た私たちは二年間諸国を渡り歩いて、ここに腰を落ち着けたんです」
ペルルコンの話に私は耳を傾けていた。
「ということは、そのあとすぐエレを引き取ったのね」
「はい。エレが八歳のときです。器の候補は何人かいましたが、彼がエレを選びました。レーンとエレはいろんな国をめぐり、旅の途中で孤児だったエリックと出会いました。そして、魔術師の素養のあるエリックを私のもとに預けたんです」
「七年前ですね」
シャロンが付け加える。
「そうだね。やがて、エレとシャロンが十六歳のとき、改めて器になるかどうか、本人たちに聞きました。器とならず、騎士や魔術師として生きてもかまわない、と。二人は器になることを選んだんです」
シャロンは私をまっすぐに見つめてうなずいた。
翌日、私はレーンと近衛隊の練習場にいた。
「その弓、使っているんだね」
私がいつも使っている長弓は、レーンが置いていったものだった。
「もともとは僕のものだったんだけれど、〝彼女〟が気に入ってね。ちょっと、引いてみて」
私は弓を引き、矢は標的の中心に的中した。以前標的を壊してから、私専用の標的は三本の太い杭で地面に固定されている。
「うん、わかった。じゃあ、次はこれ」
レーンが剣を差し出す。
「模擬戦用のだから、大丈夫、切れないよ。思い切りやってみて」
そういって、レーンは左手で剣を持ち、私たちは数メートル離れて対峙した。
レーンは剣をだらりと持ち、自然体で立って――。
ゆらり。
レーンの体が揺れたと思った次の瞬間には既に間合いに入られ、右下から高速の切っ先が来た。私はかろうじて剣で防ぐ。
休むまもなく、次々と激しい剣撃が私を襲う。頭の中の警告音は全く聞えてこない。レーンはまるで流れるように剣を繰り出していく。
防ぐこと二十回目、レーンの攻撃にほんの少し間ができた。反撃。私は左下から剣をふり上げて相手の剣をはじき、即座にふり下して――。
気がつくと私は左わき腹に衝撃を受けて吹き飛んでいた。レーンの蹴りがまともに入ったのだ。
「攻撃は剣だけとは限らないよ。いつも誰に稽古をつけてもらっている?」
「ブルーノかアクセルに」
私はわき腹を押さえながら立ち上がる。
「アクセルのほうがいいな。ブルーノは剣気が強いから君の反射攻撃が発生しやすい。アクセルになるべく剣気を放たないようにしてもらって」
痛さに顔をしかめながら、私はうなずく。
「あなたは左利き?」
「僕は右利きだよ。もし利き腕が斬られたらどうするの? 両手で使えるようにならないと。あ、それと、正騎士団のボリスは体術を極めているから、教えてもらって。出発までまだ少し時間がある。君ならすぐにマスターできるよ」
「出発?」
「君にはこれからある場所で働いてもらうことになるんだ。たぶんそこでは剣よりも体術のほうが役に立つはずだよ」
どこに行けというのだろう。
「魔力片の採掘場に行ってほしい。『東の地』最大の採掘場、ドラゴルノフに。長い任務になるかもしれないけれど、もしかしたら大きな掘り出し物が出てくるかもしれないよ」
「採掘場の利権を『冠』が狙っていることは既に知っていると思います」
数日後、主だった騎士が集められ、宰相とレーンから説明を受けた。
「レーン殿の情報によると、彼らは待遇に不満を持つ一部の労働者に武器を流し、反乱の手引きをしています。そうやって事を起こし、それを理由に『冠』はあそこを制圧するものとみられます。彼らは採掘に多くの援助を行ってきましたから」
宰相のあとに、レーンが続ける。
「というわけで、エレとブルーノ、君たちには夫婦としてあそこに潜入してもらうので、よろしく」
ブルーノと私は思わず顔を見合わせた。騎士の一人が尋ねる。
「エレ殿はいいとして、団長は顔を知られているかもしれませんよ。『双頭の赤い竜』を憶えている人間は多いんじゃないですか」
「うーん、そうなんだよなぁ。でも今回はこの人選がベストなんだ。その件はこちらでなんとかするよ。さて。二人の任務は、反乱を未然に防ぎ、背後にいる『冠』の人間を捕え、できれば労働者たちの信頼を回復すること。どうかな、ブルーノ」
「あいかわらず無茶なことを申されますなぁ、レーン殿は」
「そうかなぁ。まあ、君たちなら大丈夫。簡単、簡単」
いやぁ、そうかなぁ。私は首を傾げた。
「詳細はペルとラドウェルたちも交えて詰めなきゃいけないので今日はここまでにしよう。打ち合わせの日時は追って通達するからね。じゃあ以上、解散」
よくわからないけれど、ものすごく難しい任務のような気がする。大丈夫かなぁと思いながら『会議の間』を出ようとすると、アクセルと一緒になった。
「ねぇ、アクセル。さっきいってた『双頭の赤い竜』ってなんのこと?」
「そうか。エレさんは知らなかったんですね」
アクセルは立ち止まり、考え込んだ。
「たぶんエレさんにはお話しておいたほうがいいでしょう。ちょっと長くなりますけど」
私たちは、中庭へと続く石段に腰掛けた。
「僕たち、つまり僕とブルーノは、『古い丘の国』の出身です。その国は『霧が呼ぶ国』に併合されて今はもうありません。ブルーノはそこでも騎士団の団長をしていました」
すぐそばに咲いているコスモスに似た花を眺めているアクセルの顔はいつもの柔らかな笑顔だった。
「前に、僕に姉がいたことは話しましたよね。姉はブルーノの婚約者だったんです」
「……そうだったの」
「はい。五年前、『冠』に攻め込まれて一時的にその支配下にあった僕たちの領地に、再び『丘』が侵攻し、奪還しました。その時、僕たちは『冠』の本隊と戦っていて領地を離れていたんです。戦後の混乱時、駐留していた『丘』の人間たちに姉は殺されました。本来は味方の人間たちに。それも、彼女の尊厳を踏みにじるようなむごい殺され方です」
私は、以前王妃から聞いた近衛隊を作ったいきさつを思い出していた。
「僕たちは姉を弔ったあと、駐留騎士隊に出向きました。犯人たちはわかっていたのですが、上級騎士は彼らの引き渡しを拒みました。ブルーノが剣を抜き、そのあと斬り合いになりました。僕たちは彼らを斬りました。四十人。そこにいた人間全てです。返り血を浴びながら背中合わせに剣をふるう僕たちを見て、命をとりとめた者がこういったそうです。双頭の赤い竜のようだったって」
アクセルは花に手を伸ばし、花びらに触れようとして、結局手をおろした。
「僕たちはそのまま『丘』を出奔して、この国に身を寄せました。当時この国の騎士団は弱かったので、僕たちを受け入れてくれたんです。で、今に至る、というわけです。すいません、暗い話に付き合わせちゃって」
なんと答えていいかわからず、私は首を振るしかなかった。
「団長はどんなことがあってもエレさんをお守りすると思います。まあ、エレさんも相当強いですけどね」
私のほうを向いたアクセルの顔は、やっぱりいつもの微笑んでいるような表情だった。
アクセルと別れたあと、私はペルルコンの館でシャロンと昼食を食べていた。私の居室は城の中にあるのだけれど、シャロンとティルダが作る料理を目当てに、私は毎日のようにペルルコンの館に来ていた。ペルルコンは忙しいらしく不在がちで、その日も会議のあとはエリックを連れて遠方の町まで出かけていた。
その日の昼食は燻製の肉と野菜をパンのようなもので挟んだ、私がもといた世界でいういところの、いわゆるサンドウィッチだった。味は素朴だけれど、素材がいいのか、これまでに食べたサンドウィッチのなかでも群を抜いたおいしさだった。ただし、一点だけを除いて。
私の皿の上に除けられている野菜を見て、シャロンがいった。
「だめですよ、ちゃんと野菜も食べないと」
まるで叱られた子供のように、私は首をすくめた。
「ねえ、これ、なんていう野菜?」
「ああ、これはクルッコですね」
私はうめいた。うう。なんか響きまでキュウリに似ている。
「あたし、これ苦手」
「……エレって、何歳でしたっけ?」
「……四十二」
シャロンがため息まじりでいった。
「エリックでさえ好き嫌いなんてないんですよ」
「だってしょうがないじゃない、苦手なんだもん」
「わかりました。今回だけは見逃します。でも、次も出しますからね」
「ええ~。勘弁してよ~」
だめです~、と笑いながら、シャロンは空いた皿を片付け始めた。
私はずっと、シャロンのことを誰かに似ているなぁと思っていたけど、ようやく気付いた。なつみに似ているんだ。外見が似ているということではなく、言動や雰囲気が似ている。だからなんとなく最初から親近感が湧いていたのか。私が一人納得していると、シャロンが、来客があることを知らせた。
訪ねてきたのは、宰相の使いの者だった。
「本日深夜、例の場所へマスター・ペルルコンとともに来てください。重要な案件についてのお話しがあります」
使いの者はそれだけいうと、帰っていった。
私は何かが本格的に動き始めようとしているのを感じた。
例の場所というのは『冥森』にあった。
『冥森』は、城の背後にひっそりと存在する小さな森だった。昼間も陽が差し込まず、夜になると魔物が徘徊すると伝えられているその森は、誰も近寄ろうとはしなかった。
その暗い森の中に、小さな小屋がある。かつてエレが暮らしていた小屋だった。
深夜、そこに集まったのは、私、ペルルコン、レーン、宰相、そして王妃の五人だった。
「みな、大儀です」
王妃が全員を見渡した。それにしても――。
「王妃がこんなところに一人で来ても大丈夫なんですか?」
私が小声で宰相に尋ねると、宰相も小声でささやいた。
「『冥森』には城へと通じている地下通路があるんですよ。ですから、心配には及びません。それに、レーン殿が付いていますし」
王妃が話を続けた。
「では、あとはレーン、お願いします」
「御意」
王妃に一礼すると、レーンは立ち上がった。
「これからエレとブルーノがドラゴルノフの採掘場へ潜入します。いよいよ、我々の計画も中盤に差し掛かってきました。ここからが正念場です。そこで、確認を兼ねて再度計画についておさらいしておきます」
レーンは視線を私に向けた。
「エレはこれまで計画の詳細を聞かされてなかったと思う。実は、僕が帰国するタイミングを待っていてもらうよう宰相たちにお願いしたんだ。今からそれを説明する。待たせて悪かった」
私はレーンにうなずいた。
「ところで、『開く者』の本当の役割については聞いているかい?」
「この世界から争いをなくすこと」
私の答えにレーンは満足げにうなずいた。
「その通り。そのための具体的な方法を今から説明する。エレ、君がいた世界にも男性と女性がいたよね?」
その不思議な問いかけに私は戸惑った。
「え? ええ、男性と女性がいたわ。この世界と同じように」
レーンは首を振った。
「いや、実は同じではないんだよ。この世界には女性だけしか存在しない時代があったんだ。正確にいうと、もともとこの世界には女性しかいなかった。それが普通の状態なんだ。まれに男性が存在する時代もあるが、それはイレギュラーなケースだ。そして今、僕たちは再び女性だけの世界を作ることを目指しているんだ」
あまりにも突飛なレーンの発言に私はさらに困惑した。
「女性だけの世界……」
「そう、文字通り、女性しか存在しない世界だ。つまり、この計画が成功したら、いずれ女性しか生まれてこなくなる。早晩、世界は女性だけになるだろうね」
この人はいったい何をいってるんだ?
「ちょっと待って。女性だけでどうやって子供を作るの」
私はペルルコンの館で医学書も読んでいたから、この世界の人間が生殖器官を含めて私たちの世界の人間と全く同じ身体構造を持っていることを知っていた。
「そういう体に変化するんだよ。女性単独で子供が作れる体にね」
「そんなことが……」
私は自分の乏しい生物学の知識を必死でかき集めていた。確かに、世の中には性が単一の生物もいる。そして、そのような生物は無性生殖で子孫を増やすことができる。けれど、哺乳類は全て有性生殖だったはずだ。
この世界は私のいた世界とは異なっている。なにしろ魔法が存在する世界だ。そういうことも可能なのかもしれない。でも……。
レーンは話を続けた。
「世界が女性だけになれば、戦争は起こらない。それが僕たちの目指していることだ」
私は首をかしげた。
「もし仮に女性だけの世界が実現するとして、それで本当に戦争がなくなるの? 私はそうは思えないわ。確かに一般的な傾向として、男性は女性に比べて暴力的で攻撃的よ」
そう、それは身をもって知っている。それに、統計データもある。向こうの世界で仕事がら、そういうデータを調べたことがあった。
「でも、戦争の原因はさまざまだし、政治的な問題のはずだわ。個人レベルの喧嘩じゃないのよ。指導者が男性であれ女性であれ、戦争にならざるを得ない状況はあるはずよ。その政治的な判断に性別は関係あるのかしら」
「君のいうことはもっともだと思うよ。しかし、女性だけの時代には、実際に戦争は一度も起こっていないと伝えられているんだ」
「伝えられているって、それはいつのこと?」
「直近の女性の時代は今から約千年前に終わっている。このことを知っているのは、ほんの一部の王族たちだけだ。正式な記録は一切残っていない」
そのあとを宰相が続けた。
「男性と女性が共存する時代になって千年が経ちます。その間、男たちはずっと戦争を続けています。こんな愚かな時代は、もうそろそろ終わらせたいのですよ」
私は頭をフル回転させた。
これは人間というひとつの種の生態系を根本から変えてしまう大それた行為だ。そんな重大な決定を私たちだけでしてしまってもいいのだろうか。
もし自分が信仰を持っていたら、そんな神をも恐れぬ行為に対して拒絶反応を起こしていたかもしれない。でも、私は神に対しても、その神という便利な概念を生み出した人間に対しても、それほど甘い期待も信頼も抱いていない。
もといた世界で、世の中に女性だけしかいないという状況は一度も存在していない。だから判断することはとても難しい。でも、もしかしたら……。もしかしたら、女性だけの世界になれば何かが変わるかもしれない。
「その時代の切り替えに『開く者』の力が必要というわけ?」
「そ、その通りです」
ペルルコンが答える。
「せ、世界の切り替えを行うためには、いくつかの条件をクリアすることが必要です。今からそれを説明します」
「昼間説明したドラゴルノフの潜入作戦はもちろん重要なんだけど、あちらはあくまでも表向きのものだ。真の目的は、今から話すことにある。そして、エレ。作戦の成否は君にかかっている」
そういって、レーンは不敵に微笑んだ。
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