5.『ウルの戦い』

「敵の魔力結晶を破壊しろ!」

 私に走り寄りながらヴァンペルトが叫ぶ。

「やつらは『湖』だ。あの魔術師は知っている。能力はそれほど高くない。あれだけの魔法を同時展開させるには、魔力結晶からの魔力供給が不可欠だ。遠距離からの魔力結線を結べるほどの力はないから、必ずすぐそばに魔力結晶があるはずだ」

「わかった、やってみる」

「私たちは包囲陣のほうに注意を逸らす。いくぞ」


 再び上空を旋回しながら、私はそれらしいものを探す。

 あれか。

 魔術師のかたわらに複雑な模様が刻印された木の箱がある。箱の周りには盾を持った騎士たちが囲んでいて、わずかな隙間しかない。しかも、魔術師側にも対生物用の『壁』が展開されて、近づけない。

 でも、とにかくやるしかない。私は矢をつがえる。

 ヴァンペルトたちは上空から、進攻中の騎士たちに向って矢を放っている。やはり後衛の盾に阻まれて効果はあまり上がっていない。徐々に包囲網が狭まっていく。

 たぶん矢は届く。でも、的が小さすぎて的中させる自信がない。

「大丈夫! あなたならできる!」

 いつのまにかすぐそばを飛んでいたヴァンペルトが叫ぶ。

 私は目を凝らす。突如、ヴン、と視界がまるでズームアップしたみたいに拡大する。さらに眼をこらすと再び視界がクローズアップして、標的が大きく目の前に現れた。どうやらこれも『開く者』の能力らしい。

 いける。

「射ちます!」

 私が矢を放つと同時に、ヴァンペルトが急降下していく。矢はほんの数センチの盾の隙間を縫って、魔力結晶を入れた箱に的中した。中の結晶が砕け散り、その衝撃で魔術師と護衛の騎士たちが吹き飛ぶ。一瞬後、降下中のヴァンペルトが放った矢が魔術師の心臓を正確に射抜いた。

 魔法が解かれた河の氷は一瞬にして蒸発し、進攻していた騎士たちが次々と河の流れに飲み込まれていく。

 重装備の騎士たちの大半が河に沈んでいくなか、とっさに装備を解き、中州にたどりつく騎士たちがいた。既にペルルコンの魔法も力尽きている。

 敵の魔法が解けた瞬間から、中州にいた味方の騎士たちも動いていた。上陸してきた十数名をあっというまに倒していく。特に、ブルーノとアクセルは一撃で敵を葬り去っていた。

 やがて、眼下に動くものがなくなり、私たちは中州に降下した。


 残った『風』『霧』『土』の三国の宰相や行政官たちは今後の対応を話し合うため、再びロッジにこもった。

 まず、裏切った『森』と『湖』の魔力片採掘の権利を剥奪。コシェクと『森』の騎士たちの武装を解き、『森』に帰国させた。彼らは『開く者』とベニシダ協定の情報の奪取を条件に『冠』から同盟を持ちかけられていたみたいだ。その後『冠』は『森』の行動には一切関与していないと回答した。うしろ盾を失って、魔力片の利権からも外れた『森』は、遠からず『冠』に吸収されるものと思われる。

 『湖』も『冠』と密約を結んでいた。五カ国同盟調印を『冠』への正式な敵対行為とみなし、会議を占拠するつもりだったらしい。三国は合同の部隊を編成して『湖』の城を包囲、『湖』は再三に渡り『冠』に援助を求めたがここでも『冠』は動かず、結局無血開城となって、『湖』は『霧』の領地として吸収された。

 これらは『ウルの戦い』(今回の戦闘はそう呼ばれるようになった)からかなり経ってからのことで、あのときはまだ当面の対応策が話し合われただけだった。それでも、あのあと私たちは五日もあの場所に滞在することになった。

 カール宰相は、「時間がもったいない」といって会議場のロッジを自分のオフィスに改造し、文官たちを呼び寄せ、各方面への文書の作成と指示を行った。おかげで、近衛隊はワイバーンによる人員と書類の運搬のため(これが最も早い移送手段だった)、城と会議場を何往復もするはめになった。さらに、食料など物資の調達にも走り回り、五日後、働き通しで目の下のクマも痛々しい宰相が「ではそろそろ帰城しましょうか」といったときには、私たちはふらふらになっていた。


「お疲れ様でした、エレ」

 ヴァンペルトが荷馬車の私の隣に座った。

 帰路はまたもや馬車だ。手伝いにきていた領民たちは、戦いのあいだ、近くの森に避難していて無事だった。『湖』は彼らに手を出さなかったのだ。ワイバーンたちは酷使してしまったため一足先に城に帰し、私たち騎士は荷馬車に便乗した。みんなぐったりしている。

「さすがにちょっと疲れました」

「戦いは後始末のほうが大変ですから。それにしても、『森』の行動はつかんでいたのですが、『湖』の裏切りを予測できなかったのは痛かった」

 ヴァンペルトは爪を噛んだ。

「でも、最悪の状況は免れました」

「確かに。ただし、今後『冠』の揺さぶりは更に激しくなると思います。城に戻ったら、早速今後の新たな方針が出されるでしょう」

「ところで、『森』はどうやってあれだけの伏兵を?」

「ああ、あれは地中に伏せていたんですよ。魔法で仮死状態にした騎士たちをあらかじめ埋めておき、時がきたら埋めた土を吹き飛ばすんです」

「えっ。そんなことして大丈夫なの?」

「大丈夫じゃありません。成功率は六割から七割、仮死状態から目覚めないか、体ごと吹き飛ぶ可能性があります。私なら絶対に採用しません」

 ヴァンペルトは、キュッと唇を結んだ。美人なんだけど、どこか人を寄せ付けないところがあるんだよなぁ。いつも張り詰めていて、私はたまに少し心配になるのだ。

「ねぇヴァンペルト、みんながあなたのことを苗字で呼ぶのは、あなたがそうしてほしいからなの?」

「え? どうしたんですか、いきなり」

「うーん、別に。なんとなく」

「変な人ですね、あなたは」

「へへへ。どうもありがとう。ねえ、今度、ゆっくり飲みにいかない?」

「そうですね、結局お互いばたばたしてましたから。じゃあ、帰城の次の日にでも」

「了解。私、アリスっていう名前、好きだよ」

「……どうもありがとう」

 プイとあちらを向いてしまった彼女の頬は少し赤くなったように見えた。


 道中一泊し、城に戻ったのは夕方だった。私とシャロン、ペルルコンの三人は、荷物を抱えてとりあえずペルルコンの家に向った。

 家の前にエリックがしょんぼりと座っていた。私たちに気づくと、はじかれたように立ち上り、扉を開けて家の中に向かって叫んだ。

「ティルダ、帰ってきたよ!」

 家の中からペルルコンの元家政婦のティルダが出てきてみんなを出迎えた。ティルダは十年前にペルルコンがこの城に来てからずっと、彼の身の回りの面倒を見てきた人だった。家政婦の仕事は引退したけれど、今でもときどき彼の家の様子を見にきている。そして、同じ頃引き取られてきたシャロンを育てたのも彼女だった。シャロンは今も彼女と二人で暮らしている。六十代半ば、恰幅のいい、頼りがいのあるお母さんといった感じの人で、私も何かとお世話になっている。

「お帰りなさい。大変だったわねぇ。さあさあ、入って。あらあら、みんな、ひどい格好よ。食事の前にお風呂に入りなさい。エレ、あなたもよ! ああ、そうだ、その前に、みなさんを待っている人がいるの」

 ティルダのあとについてペルルコンの作業部屋に入ると、机に腰かけて本を読んでいた男が顔を上げてこちらを見た。

 黒髪を無造作に伸ばしているその男は、長身で細身、一見柔らかな物腰。それでいて隙がない。相当の手練。エレの感覚がそう私に告げる。そして、その男とエレは初対面ではない、ということも。

 思い出した。あの男だ。白昼夢に出てきた男。やはりあれは、この世界へ来ることの前兆のようなものだったんだ。

「レーン! 戻ってたのか」

 ペルルコンが男に歩み寄る。

「そろそろ僕の出番だと思ってね」

 二人は懐かしそうに腕を取り合う。

「ペル、元気だったかい?」

「ま、まあね、なんとか」

「ふむ。シャロンも変わりなさそうだね。いつもペルの手助けをありがとう」

「お帰りなさい、レーン」

 シャロンが微笑む。

「さて、と。こうやって会うのは、たぶん初めてだね、エレ。調子はどうだい?」

 レーンと名乗った男が私の前に立った。

 私が何もいわずにいると、レーンはちらりとシャロンに視線を移す。シャロンが私に告げた。

「イリス・レーン。エレを育てた人です」

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