4.裏切り

「単刀直入にいいましょう。あなたは『開く者』ですね、エレ殿」

『森』の宰相コシェクは四十代半ば、鋭い眼光の、爬虫類を思わせる油断のならない顔つきをした男だった。

「おっしゃるとおり、私は『開く者』です。私も回りくどいことは嫌いです。ご用件をお聞かせ願いましょう」

『森』の幕舎の中、私の前にはテーブルをはさんでコシェク宰相が椅子に座り、その周りに五人の騎士、私の背後にも二人の騎士がいる。今のところ頭の中の警告音は鳴っていない。

「我々は本日、五カ国同盟を離脱します。あなたも我々とともに来ていただきたい」

「あなたたちとともに『冠』へ来いと?」

「ほほう。話が早くて助かります」

「私にとってのメリットはなんですか?」

「あなたがもといた世界への即時帰還です」

「私をあっさりと帰還させてしまっていいのですか?」

「失礼ながら、『冠』は『開く者』の存在をそれほど重要視していません。しかし、彼ら同盟国は違うようですな。彼らからあなたを排除すればそれでいいのですよ。それともうひとつ」

 コシェクは一段声を落としていった。

「ベニシダ協定について、お知りになっていることをお聞かせ願いたい」


 五カ国間連絡会議に先立つこと数週間前、私が王妃に会議への護衛として参加することを告げに行ったときのことだ。私と王妃は、いつかの離れで話し合っていた。

「よく決心してくれました」

 王妃はねぎらいの言葉をかけたあと、『森』が五か国同盟を抜ける可能性があること、その際に私を抱き込む可能性があることを告げた。

「それらの可能性に対応した作戦は既に立ててあります。詳細については、のちほどカールから正式に伝えられるでしょう。私からは、もうひとつ大事なことを伝えておかなければなりません」

 そこでいったん王妃は言葉を切った。私はうなずいて先を促した。

「前に、『開く者』の本当の目的について話しましたね」

「ええ。覚えています」

「その目的のため、いくつかの国が通常の外交の枠を超えた協力関係をひそかに結んでいます。私たちの国と、『霧』『土』の三カ国です。今のところ信用できるのは彼らだけです。私たちはこの協力体制をベニシダ協定と呼んでいます」

「ベニシダ協定……」

「今はまだ、協定の内容を知る必要はありません。おそらく『森』があたなに接触したとき、この協定の内容を探ってくるでしょう。あなたはそれを餌にするのです」


 コシェクの行動は、事前に宰相たちが想定していた通りのものだった。

「わかった。ベニシダ協定について、知っている限りのことを話そう」

 私は腰の剣をベルトごとはずし、背後の騎士に渡した。

「私の望みはもとの世界へ帰ることです。案内を」


 やがて私は五名の騎馬に囲まれて『森』の幕舎を出た。すぐ後ろにコシェクも馬でついて来ている。私たちは次第に『ウルの額』から離れていった。十分ほど進み、左右を草むらに囲まれた街道に出ると、そこに馬車が一台待っていた。

 コシェクと私は馬を降り馬車に向う。馬車のドアが開いて――中から出てきたのはヴァンペルトだった。

 コシェクがぎくりと立ち止まる。

「お前は、確か『風』の近衛隊の……」

 いい終わらないうちに、背後で五本の剣を抜く音がする。さすがに上級騎士、反応が早い。でも――。

 私も同時にブーツの中に仕込んであった短刀を抜き、背後からコシェクの喉もとに当てると、くるりと騎士たちのほうにふり向いた。騎士たちの動きが止まる。

 ピィーッとヴァンペルトの笛が鳴り、周囲の草むらに伏せていたワイバーン五騎がいっせいに飛び立つ。竜に乗った近衛隊騎士たちが弓で狙いをつけている。

「剣を捨てよ!」

 ヴァンペルトが叫ぶ。

「やつのいうとおりにしろ」

 諦めた声で、コシェクが騎士たちに告げる。

 騎士たちは剣を捨て、私は彼らの一人から自分の剣を奪い返す。

「お見通しだったとは、恐れ入ったよ」

 私を睨みながら、コシェクが歯ぎしりする。

「そんな甘い言葉にほいほいと乗るわけないでしょ。だてに四十年以上生きてるんじゃないのよ」

「しかし、残念だったな。裏切ったのが我々だけだと思っていたのか?」

 コシェクが粘着質な笑みを浮かべる。

 思わず私はヴァンペルトをふり返った。

「アガタ、カリタ、彼らの確保を。残りは私に続け!」

 ヴァンペルトは既に自分のワイバーンに向って走りながら指示を出している。

「レン!」

 私が叫ぶとレンが舞い降りる。レンに飛び乗り、私はヴァンペルトを追いかけた。


 上空から見た会議場周辺は惨憺たるありさまだった。各国の幕舎の残骸と、倒れた騎士たちがあちこちに転がっている。そして、河はすっかり重装備の騎士たちに包囲されていた。その数およそ百。中州にはまだ渡っていないようだ。しかし、これだけの数の伏兵が今までどこに? 河の上流にはかなりの数の警備が置かれていたはずなのに。

 考えるのは後回しだ。城のみんなはどこだ。中州に目をこらすと、宰相以下、全員ロッジの前にいた。渡し船はまだ中州にある。

 船もないのに一体どうやって渡河するつもりなんだろう。河幅は百メートル近くあり、水深が深くて重装備の騎士は渡れないはずだ。

 ヴァンペルトを見ると、右手を挙げて、手のひらを開いている。〝攻撃待て〟の合図だ。私たちは低空に先行の二騎、中空に私とヴァンペルト、その上空に監視の一騎というフォーメーションを組んだ。

 敵が動いた。魔術師がいる。ペルルコンが着ていたようなマントを羽織ったやつが盾を持った騎士に囲まれて河辺にひざまずいた。彼の周囲の水の色が徐々に変わっていく。私は少し高度を下げた。いや、色が変わったんじゃない、凍っているんだ。

 魔術師を中心として河の水はみるみる凍っていき、数分で中州の周りの河の水は全て氷になってしまった。これが魔法をかける、ということか。

 ヴァンペルトが手信号で指示を出す。〝各個に射て〟。同時に、敵の包囲陣が凍った河を渡り始める。ワイバーンの騎士たちが弓を構え、私も長弓を引き始める。

 ああ。とうとう人を射つのか。

 でも射たなきゃシャロンたちが殺される。腹を決めろ。

 先行の二騎が放った矢は、あえなく敵の構えた盾に防がれてしまった。包囲の騎士たちは前進する前衛と、盾を持って上空や背後からの攻撃に備える後衛が背中合わせにペアになって進んでいる。矢は役に立たちそうにない。

 さらにヴァンペルトからの指示が飛び、二騎は急降下しながら咆哮を放った。

 竜の衝撃波は空中の見えない防壁にあえなく阻まれた。空気がぶるぶると震えている。まるで敵の前に透明なゼリー状の物体があるみたいだ。魔術師が発生させている対生物用の『壁』だ。これでは上空からの攻撃が効かない。

 包囲の騎士たちは河の半分を渡りきった。中州にいる三カ国の騎士は八名。いずれも名のある上級騎士だ。とはいえ、あの人数では防げまい。なんとかしなければ、と急降下しようとした私をヴァンペルトが遮り、中州を指差す。

 ペルルコンが杖を地面に突き刺して、右手を掲げるのが見えた。シャロンが彼の肩に手を置いている。

 突然、包囲陣の動きが止まった。まるで見えない壁にぶち当たったみたいに、騎士たちが氷の上で尻餅をついている。どうやらペルルコンも中州全体を覆う対生物用の『壁』を展開させたらしい。

 これでいったん進攻は止まった。ただし、このままではこちらも打開策がない、と思うまもなく敵が新たな動きをみせる。前衛の騎士たちが小さな盾を取り出し、透明な壁に押し当てている。盾が赤く発光し始めて、じりじりと壁が押されていく。たぶん盾に対抗魔法の補正がかかっているんだ。

 ペルルコンがガクッと膝をつき、シャロンがそれを支える。五十人分の対抗魔法の圧力が彼を襲っている。二人の足もとでバチバチと火花が散り、はじかれた小石が宙を舞う。地中の魔力片が急激に燃え尽きている。このままでは……。

 突然視界をヴァンペルトが横切り、下に降りろと私に合図を送った。私たちは近くの丘に降下した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る