第三章 戦端

1.召喚の器

 私は馬鹿だ。大馬鹿者だ。

 町の路地を全速力で駆け抜けながら、私は何度も自分自身を罵っていた。

 何かおかしいと、いつも心のどこかで感じていた。でも、あえて深く考えないようにしていた。エレはどこから連れてこられた? エレの家族はどこにいる? もしエレの家族が、こんな形で彼女が生きていると知ったらどう思う? それをまず考えるべきだった。誰かに尋ねるべきだった。

 広場の中央にある井戸にもたれてシャロンが待っていた。

「すぐ城に戻る」

 私はシャロンの手を取ると、たまたま通りかかった馬車の前に飛び出て無理やり止めた。

「すいません! 城まで乗せてください。お金は払います」

 御者の隣に座っていた商人風の男が驚いた顔でいった。

「え? ああ、ちょうど今からお城に商品を納めに行くから、別にかまわないが」

「ありがとう」

 私たちは品物が積まれた荷台のわずかなスペースに身を寄せ合うようにして乗り込んだ。

「出してください!」

 馬車が動き出すと、私は戸惑っているシャロンに告げた。

「エレの母親に会った」

 シャロンは驚いた顔で私を見た。

「本当のことをいって。エレは私を召喚するために殺されたの?」

「それは……」

「シャロン!」

「……宰相からは、あなたにはできるだけ黙っているようにといわれていました。私もエレの全てを知っているわけではないんです。でも、私の知っていることはお話します」

「わかった」

「エレは、子どものときに召喚の器として城に引き取られてきました。お城の近くに『冥森くらもり』という、誰も訪れない場所があります。彼女はそこでひそかに育てられたんです。どうして彼女が選ばれたのか、どんなふうにして育てられたのか、私は知りません。お互いの存在は知っていましたが、私たちが初めて会ったのは召喚が行われる前日でしたから」

「ペルルコンが殺したのね」

 シャロンが私の腕をつかむ。

「マスターを責めないであげてください。お願いです」

 シャロンの手に力がこもった。

「召喚されたあの洞窟で、私の隣にあなたも寝ていたわよね。どうして?」

「それは……私も器の候補だったからです」

 やっぱり。

「エレが失敗したら、私が器になる予定でした。彼女は騎士の器、私は魔術師の器です。

 私は戦災孤児でした。たまたま魔力の集約力が高かったから、マスターに引き取られたんです」

 私はシャロンの手を握りしめた。

「そんなの間違ってる」

「信じてもらえないかもしれないけど、私、器になることは嫌じゃなかったし、怖くなかった。ほんとよ。

 私はエレがうらやましかった。魔術師としても出来損ないで、器にもなれなかった今の私には、だって、価値がないもの」

 無意識のうちに、私はシャロンの肩をつかんで揺さぶっていた。

「そんなこと、二度といわないで。そんなこと、絶対にいっちゃだめ」

 シャロンはきょとんとした顔をして、私を見つめた。

「お願い」

 突然の私の剣幕に驚いたまま、こくこくとうなずくシャロンを、私は思わず抱きしめていた。

「……わかった。もういわない」

 耳もとでシャロンがささやく。

 ううん、わかってない。ちくしょう、あなたはほんとうにはわかってない。ちくしょう、ちくしょう。

 あのとき、心の中で一体何に対して悪態をついていたのか、何度も何度も、何に対して毒づいていたのか、私には答えることができない。


「ペル!」

 ドアを乱暴に開けて、私はペルルコンの部屋に飛び込んでいった。テーブルの上にあった果物ナイフをつかむと、突っ立ったまま硬直している彼の喉もとに刃を突きつける。

「エレを甦らせて。私はどうなっても構わないから」

 ペルルコンはじっと私を見つめていた。そういえば、彼と視線をまともに交わしたのは初めてだ。彼の目はまるで深い闇をのぞき込んでいるような底知れない暗さをたたえていた。

 その瞳の暗さに戸惑った私は、思わずナイフを持つ手に力が入った。ペルルコンの首に血がにじみ始める。

「お姉ちゃん?」

 声のしたほうを見ると、部屋の入り口にエリックが立っていた。

 私のすぐあとに入ってきていたシャロンがエリックをうながして部屋の外に出て行く。

「大丈夫よ。ちょっと出ていましょう」

 シャロンの声が聞えた。

 私はナイフを下ろした。

「死んだ者を甦らせる魔法はありません」

 ペルルコンがつぶやくようにいった。

 その言葉を振り払うように、私は窓の脇に備え付けられている作業台にナイフを力任せにふり下ろした。ナイフはまるで人間の体に突き刺さったみたいに柄の部分を残して深々と埋まった。


「エリックに謝っておいて。びっくりさせて悪かったって」

 あのあと、私はシャロンを連れて城にある自分の部屋へ戻った。私はベッドに腰かけ、シャロンはベッドの脇の椅子に座った。最初に会ったときと同じように。そして、あの時と同じく、窓の外は真っ暗で、遠くの方でふくろうが鳴いていた。

「あの子、昔のエレが帰ってきたと勘違いしたみたいです」

「エリックは昔のエレを知っているの?」

「はい。よく会いに行ってました。本当はいけないんですけど、こっそり」

「そう……。エレはどんな子だったんだろう」

「気性の激しい子だったそうです。だからエリックは昔のエレが戻ってきたと思ったんでしょう。私が会ったときのエレはとても落ち着いていて、それになんだか生き生きとして見えましたけど」

「これから死ぬというのに?」

 シャロンはそっと目を伏せた。

「……ごめん」

「器になることは誇りだと、彼女はいってました。この日のために、自分は生きてきたんだって」

 私にはエレの気持ちがわからなかった。でも……。私は自問した。自分には理解できないからといって、彼女の気持ちを否定してしまっていいのだろうか。

「もうひとつ、あなたに謝らなければならないことがあります」

 シャロンが肩を落としてうつむく。その肩に私はそっと手を乗せた。

「私を監視しろといわれていたこと?」

「知ってたんですか?」

「まあ、なんとなく。だって、『開く者』に大きな力があるのなら、諸刃の剣よね。もし、この国を裏切ったら、私はどうなるの?」

 シャロンが口を開こうとしたのを私は制した。

「やっぱりいいや。いわないで」

「ひとつだけ、覚えておいてください。あなたの向こうの世界での名前を決して誰にも教えないで。例え独りのときでも口に出していわないほうがいいです」

「わかった。覚えておく」

「怒ってますか?」

「私を見張ってたこと? ううん、怒ってない。だって私はこの国を出て行く気はないもの」

 シャロンは微笑んだ。

「私、シャロンのお茶が飲みたい」

「わかりました。入れてきます」

 うれしそうに彼女は部屋を出て行った。

 このときまで私は、自分の身に起こったことをどこか他人事のように感じていた。これは全部夢で、朝目が覚めたらもとの世界に戻っているんじゃないか。いつもそう思いながら眠りについていた。

 でも、このときから私は、この世界でどうやって生きていくかを真剣に考えるようになった。若くして死んでしまった一人の少女のことをいつも気にかけながら。この世界にいるあいだはせいいっぱい生きなければ、と思うようになった。

 もうエレは戻ってこない。

 来た道を引き返せないのだとしたら、あとはもうその道を前へ前へと進んでいくしかない。エレのためにも。

 次の日の朝、私は王妃に小国間連絡会議の護衛に参加すると答えた。

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