5.母
ガタゴトガタゴト。
木製の車輪から伝わる振動が想像以上に激しくてお尻が痛い。生まれて初めて乗った荷馬車(この世界にも馬はいて、『言替えの魔法』でもやっぱり『馬』と翻訳された)は決して快適とはいえない乗り心地だった。
王妃とペルルコンを訪ねた次の日、私は町に用事のあるシャロンについて、初めて城の外に出かけた。町までは数キロで、歩いて行けないことはないけれど、運よく城に出入りしている農家のおじさんの荷馬車のうしろに便乗させてもらうことができた。
シャロンは私の肩に頭を乗せて、またもやすやすやと寝ている。よくこの振動で寝られるものだ。それにしても、この子、そんなに疲れているだろうか。なんだか少し心配になってきた。
そんなことを考えながら外を見ると、所々に木が生えた草原が延々と広がる雄大な風景が続いている。しばらくすると、遠くに町が見えてきた。低い建物が集まっている。
「あ、すいません、また寝ちゃってました」
シャロンが起きて、伸びをした。
「ねえ、よく寝てるけど、疲れてるんじゃないの?」
「あ、違うんですよ。私、魔力を集める力が強いっていいましたよね。魔力がたまると、こうやって睡眠時に放出しなければならないんです。熟練した魔術師は寝なくてもできるんですけど、私は未熟なので」
やがて荷馬車は町の入り口の井戸のある広場で止まった。私たちはおじさんにお礼をいって荷台から降りた。
町の大通りには色々な店が軒を並べていた。シャロンはペルルコンから薬草を買ってくるように頼まれていた。歩きながらシャロンが私の顔をのぞき込んできた。
「マスターのこと怒ってますか」
「よくわからない。誰に怒るべきなのか、それがわからないのよ。ところで、ペルルコンの家族って、お城にはいないの?」
「マスターは南の『太陽の沈む国』の出身です。奥さんとお子さんを向こうに残してきています。お子さんに持病があって向こうを離れることができないので。魔術師の職を求めてあちこち渡り歩いたあと、この国に来たそうです。お子さんの治療費をあちらの国に送っています」
「ペルルコンって幾つ?」
「三十五歳だと思います」
私は思わず「げっ」といってしまった。自分と同じくらいの年齢だと思っていたのだ。
「ふうん。苦労してるんだ」
私の言葉に、シャロンは当然のようにうなずいた。
「東の地最高の魔術師ですから。あ、ここです」
シャロンは小さなお店に入っていった。私は店の近くをぶらぶらすることにした。人通りが多い。町の市場には、おいしそうなものが色々と並んでいた。特に、色とりどりの野菜がおいしそうだった。今度シャロンにこっちの料理を教えてもらおう。そんなことを考えながら角を曲がろうとした私の前に、歳をとった女の人が倒れ込んできた。そのあとから、男が二人追いかけてくる。
「おい、ばあさん。困るんだよ。勝手に商売されちゃあよ。まったく性懲りもなく。もう何年も前からあんたのことは噂になってるんだよ」
「上がり全部といってるんじゃないんだ。半分もらえばいいんだからさ」
女の人はうずくまったままだ。
「おい、なんとかいえよ」
男の一人が彼女を蹴り飛ばした。
「だいじょうぶですか?」
私は倒れている女の人に駆け寄った。彼女はお金が入っているらしい袋を抱えて小さくなっている。
「お嬢ちゃん、どきな」
「あたしは大丈夫だから、もう行ってください」
女の人はそういって私を見ようとしない。
「おい、嬢ちゃん」
ん? ああ、私のことか。ここでようやく気付いた。そうだった。つい忘れてしまうのだが、外見は十八歳なんだった。
私は立ち上がって男たちを睨みつけた。
二人とも腰に短刀をぶら下げてヘラヘラと笑っている。どの世界でも愚にもつかない男というのは本当にわかりやすい。私の頭の中にブーンという鈍い音が鳴り始める。どうする。ここで騒ぎを起こしてしまっていいものか。
「このばあさんの身内か? だったら代わりに店の上がりを払ってもらわないとな」
「おい。こいつ、なかなかの上玉だぜ。どうだい、ちょっとおじさんたちとゆっくり話し合わないかい」
下卑た笑いを浮かべて男が近づいてくる。
頭の中の音がどんどん大きく鋭くなっていく。だめだ。このままでは体か勝手に反応してしまう。私にはまだこれをコントロールする自信がなかった。
そのとき、急に男たちが立ち止まった。いつのまにか、彼らのうしろにシャロンが立って、二人の肩に手を置いている。彼らがふり返ると、何かに驚いたように後ずさり始めた。
「うわ! なんだこいつは」
「ば、化け物!」
「く、くるな!」
彼らは口々に叫んで腰を抜かしそうになりながら、慌てて逃げ去った。
「すいません、魔法の準備に手間取ってしまいました」
「シャロン、今のは?」
「幻惑の魔法をかけました」
彼らには一体何が見えたんだろう。いや、そんなことよりも――。
女の人はまだうずくまったままだ。
「おばさん、もう大丈夫。行っちゃったよ」
彼女はようやく顔を上げて私を見た。そして驚いた顔でつぶやいた。
「エレ……」
私がはっとして体を引くと、彼女は慌てて立ち上がり、転がるように駆け出した。
一瞬ののち、私は立ち上がって彼女を追いかけようとした。
「エレ!」
シャロンが叫ぶ。
「ごめん、町の入り口で待ってて!」
私は走り出した。
あちこち探しまわり、入り組んだ路地の奥で、ようやく私は彼女をつかまえた。
「私のことを知っているの?」
私が問いかけても、なかなか口を開こうとしない。
「おばさん、なんとかいって」
「許しておくれ、エレ。許しておくれ」
彼女は両手を組み合わせてしゃがみ込むと、私を拝むようにしてつぶやいている。
「私はエレだけど、中身はエレじゃないの。うまく説明できないんだけど……。あなたは誰なの?」
「わかってます。あんたがもうエレじゃないってことは、わかってます。あたしはここに来てはいけないんです。ごめんなさい。あんたは『開く者』でしょう?」
「そうです」
「ああ。なんともったいない。あたしはエレの母親です」
エレの母親は、私が自分を罰しないとわかると、ぽつりぽつりと話し始めた。
「あたしたちはとても貧しかった。夫が戦争で死んで、四人の子どもを抱えて。その年は作物が不作でしたから、その日の食べ物にありつくことさえ難しかった。
十年前の冬ことです。お城から、健康な女の子を捜しているとお触れがありました。さし出せば、たくさん報酬を出すと。四人の中であの子が一番健康でした。あたしはあの子を売ったんです」
私たちは狭い路地裏の行き止まりにいた。あたりにはいろんなごみが転がっていて、すえた匂いが漂っている。
「じゃあ、城は十年も前に、召喚魔法に使うための子どもを買い取っていたっていうの?」
「お城の偉い人から説明を受けました。あの子は『開く者』の器になるって。そのために城で引き取って育てると」
「『開く者』っていったい何なの」
つぶやくようにいった私の言葉に、エレの母親は答えた。
「『開く者』のことは誰でも知っていますよ。どんな苦しい戦いでも味方に勝利をもたらす強き者。そして、この世界が滅びの危機に瀕したとき、必ず現れて私たちを救ってくれる、大いなる力を持つ者。千年に一度の大変革の時、人々を良き方向に導く存在。人買いに売るよりも、器となるほうがまだましかもしれない。あたしはそう思って……」
「でも、『開く者』の器になるということは、死ぬってことでしょう?」
「名誉なことです。ありがたいことです。あの子は立派に務めを果たしたんだね」
足元がぐらりと揺れた。私は壁にもたれかかると、そのままずるずると地面に座り込んだ。確かにそんなうまい話があるはずがない。難しい召喚魔法発動の直前に、たまたま条件に合った死んだ子を持ってくるなんてことは。
シャロンはなんていってた?
『エレは死んでしまいました。彼女が死んだあとにあなたが来たんです』
確かそういっていたはずだ。
嘘はいっていない。ただし、正確には、彼らは召喚魔法のために子どもを育て、その時がきたら殺して、直後に私を召喚させたんだ。私のためにエレは死んだんだ。
確かめないと。
「おばさん、今どこに住んでるの? お城の人にいって、もっとちゃんとした暮らしができるように頼んであげる」
「だめだよ。もうあのときお礼は頂いているし、お城の近くに来ちゃいけないっていわれたから。もうあたしはここへは来ないよ。ありがとうね」
「でも……」
エレの母親は立ち上がって、私に尋ねた。
「あのね。変なこと聞くようだけどね。あなた、夜中に咳が止まらなくなったりしてないかい?」
私は覚えがなかったので、首を振った。
「そうかね。ならいいんだけどね。もしよかったら、これ、預かっていてくれないかい」
そういって懐から包みを出して開き、古ぼけた赤いスカーフを取り出すと、私に手渡した。
「エレは病気ひとつしたことなかったけど、たまに夜中に咳が止まらなくなることがあってね。でも、これを巻くと不思議とピタリと治まったんだよ。私はあの子に、これは魔法がかかってるんだっていってね。もちろんそんなことないんだよ。ただ、あの子はそれを信じて、いつまでも大事に持っていたんだ。あの子が連れていかれたときに渡しそびれてしまって」
私は、手の中の色褪せて擦り切れた赤いスカーフを見つめた。
「いえね、もし迷惑ならいいんだよ。捨ててしまって構わないんだからね」
スカーフをぎゅっと握りしめながら、私はいった。
「ちゃんと私が持ってますから。大事に持ってますから」
「ありがとう、『開く者』。あたしはもう行くよ。あなたにいつもいい風が吹きますように」
母親は路地の出口に向かって歩き始めた。
その後ろ姿を見ながら、私はよろよろと立ち上がった。そして、何度も彼女を呼び止めようとして、何度もためらった。あの男たちは、「性懲りもなく」といっていた。「何年も前から」とも。彼女はこれまでずっと、エレに会えることを願ってこの町に来ていたのではないか? このスカーフを渡したくてこの町に通っていたのではないか?
結局、彼女の姿が見えなくなるまで私は立ち尽くしていた。とうとう呼び止めることはできなかった。
この日から私は、もとの世界のことを思い出して眠れない夜などに、この古ぼけたスカーフを取り出して眺めるようになった。そしてそのたびに、決まって後悔するのだ。最後に声をかけてあげるべきだったんじゃないかと。たとえそれが私の自己満足だったとしても。
あの時、喉もとまで出かかっていたのに、必死で飲み込んだ、たった一言を。
お母さん。
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