3.王妃の言葉

 標的を壊してしまったことを謝る私に、ヴァンペルトとクララは気にするなといい、そのあと二人が話し合った結果、「隊長もお忙しいでしょうから」というクララの意見が通って、王妃の部屋までは彼女が案内することになった。

 途中、クララは喋りっぱなしで、でも、そのおかげで私は色々なことを知った。驚いたことに、近衛隊は全て女性で構成されていた。現在十三名。たったそれだけ、と意外に思ったけれど、ブルーノ率いる正騎士団で城に常駐している上級騎士は十名しかいないそうだ。それ以外は、普段それぞれの領地にいる貴族とその部下である下級騎士で構成されているらしい。有事の際はさらに一般領民が徴集される。今さらながら過酷な世界にいると実感してきた。


 クララは終わるまで待っているといい張ったけれど、誰かに送ってもらうから大丈夫だと説得して、私は王妃の居館に入った。

 出迎えたメイドは、私を三階にある小部屋に案内した。こぢんまりとしているけれど、居心地のいい部屋だった。華美ではない内装が部屋の主の趣味の良さをうかがわせる。窓の外には美しく紅葉した木々が見えた。そうか、今は秋なのか。ここに四季があるのなら、だけど。

 やがて王妃が入ってきた。丈の長い赤いチュニックに着替えている。たぶん普段着なのだろう、先ほどのドレスとは正反対の質素な格好なのに、やはりどこか気品があった。

「お待たせしました」

「こちらこそ、お伺いするのが遅くなってしまいました」

 王妃が席を勧め、私たちは丸いテーブルをはさんで向かい合わせに座った。メイドがポットから二人のカップに紅茶のようなものを注ぐ。ベルガモットに似た柑橘系のいい匂いがした。

「あとはもういいわ」

 と王妃がいい、メイドが出ていった。王妃がカップに口をつけたのを見て、私も一口飲んでみた。

「おいしいです」

「よかった。南方の国の特産品なんですよ」

 私はお茶の香りを味わった。アールグレイよりも少し柔らかくて、でもさっぱりした味だ。

「こうして見ると、本当に可愛らしい普通のお嬢さんね」

 ん? ああそうか。どうもまだ外見が十代の少女だということに慣れていないから、一瞬戸惑ってしまう。返事に困っている私の手を、王妃はそっと握った。なぜかアクセルに手を握られたときよりもどきどきしてしまった。

「ごめんなさい、変なことをいってしまいました。あなたはお幾つなのかしら」

「四十二歳です」

「私は今年四十歳になります。十六でこの国に嫁いできました。息子が一人います。十二歳。確かあなたの息子さんと同じ歳ね」

「はい」

「あなたの世界の寿命はどれくらいなの?」

「国にもよりますけど、平均すると七十歳くらいだと思います」

「私たちと同じくらいなのね」

 王妃はどうやら私が話し出しやすいように水を向けているようだった。そういうことなら、と私は話を切り出した。

「先ほど宰相から、『開く者』がその役割を達したら、おのずともとの世界に戻ることになると聞きました。それ以外に、もとの世界への道を開く方法はないと」

 王妃はうなずいた。

「『開く者』の役割というのは、戦いに出るということなんですよね」

 もし、それが帰還の条件だとしても、私にはとてもできそうにないことだった。

「それも重要な役割の一つです。でも、それだけではありません。今私からいえることは、しばらくのあいだ、ここでいろんなことを見たり、聞いたりしてほしいということです。もしかしたら、戦うこと以外で力になってもらえることがあるかもしれない。結論を出すのはもう少し経ってからにしませんか」

 私はカップを皿に戻し、窓の外を見た。なんとなく、そういわれるだろうと思っていた。

「わかりました」

「それまで近衛隊に居てもらってもかまいませんか」

「それはかまいません。私もここで暮らす以上、遊んでいるわけにはいかないでしょうから。ところで、近衛隊は全員が女性だと聞きました。この世界では女性も戦うことが普通なのですか」

「いいえ。ほかの国にもまれに女性の騎士はいますが、ここまで多くの女性騎士を抱えている国はないでしょう」

「近衛隊は王妃が作られたんですよね」

「ええ。少し長くなりますが、その話をしてもいいかしら」

 私はうなずいた。

「数年前まで、『東の地』は十数の小国が乱立し、領土を巡って常に紛争状態にありました。特に国境周辺の領地では、支配権がすぐに入れ替わる不安定な状況が長く続いていたのです。戦場となった地域では、侵略した国から力によって支配され、それを奪い返した国からは開放という名のもとに支配されます。いずれにしろ、戦いが終わった直後はそこに駐留した勢力によって、必ず略奪や不当な暴力が横行します。それを餌に騎士を募る国もあるくらいです。彼らは当然の権利のように土地のものを奪い、服従を強要し、そして女を漁ります。開放直後しばらくのあいだ、強姦がそこらじゅうで起きます。私はこれまで嫌というほどそういうものを見てきました」

 王妃はテーブルに置かれたカップに視線を落とした。私の世界でも、これまでにあらゆる場所で同じようなことが何度も繰り返されてきたし、今でもそれは続いている。

「近衛隊の最も重要な任務は、騎士団全体の風紀取締りと秩序の維持です。そのため、近衛隊は正騎士団の命令系統とは独立し、特定の範囲では正騎士団よりも権限が上になっています」

 私は、会ったばかりのブルーノとアクセルのことを思い出していた。王妃はそんな私の心を読んだかのように告げた。

「そういう狼藉をはたらくのは、下級騎士や徴集された領民たちです。少なくともうちの上級騎士にそのような者はいませんよ」

「でも、彼女たちが戦いに出るということは、彼女たち自身が同じような危険を背負うことになりますよね」

「そのとおりです。ですから、前線での彼女たちの任務は、通信、情報収集、後方支援が中心です。剣よりも弓を使うことのほうが多いですし、竜に乗るのも彼女たちだけです」

「ずっと疑問だったんです。なぜ『開く者』が女性なのか。戦場に出るのであれば、男性のほうが色々な面で有利なはずなのに」

 王妃は苦笑しながら答えた。

「それは残念ながら私の意志ではありません。召喚魔法は、女性にしか効きません。ですから、必然的に『開く者』は女性なのです。

 もちろん、私は男性のほうがよかったと思っているわけではありませんよ。それに私は、あなたが『開く者』で本当によかったと思っています」

「それは……。そういっていただけるのは光栄ですが、ご期待に応えられるとは思えません」

「わかっています」

 王妃は目を閉じて何かを思案していたが、目を開けてこういった。

「ひとつ、大事なお話をしなければなりません。これはもう少し時間がたってからお伝えしようと思っていたことです。でも、あなたになら今いっても大丈夫でしょう」

 なんだろう。私は少し身構えた。

「先ほどの御前会議では、『開く者』の役割を戦いを有利にするための存在だといいました。それは本当です。でも、正確にいうと『開く者』の役割はそれだけではありません。『開く者』の本当の役割は、この世界から争いをなくすことなのです」

 あまりにも唐突で捉えどころのない話に、私はただ王妃の言葉を繰り返すしかなかった。

「争いをなくす……」

「そうです」

「そんなことができるんですか」

「できます」

 うなずきながら私を見返す王妃の視線に、揺らぎはまったく見られなかった。

「いったいどうやって……」

「それはまだいえません」

 戸惑いながら、私はいった。

「私は……人間が争いを起こすのはある意味、仕方のないことなんじゃないかと思っていました。戦争を肯定するということではありません。ただ、現実問題として、人間はそういうふうに、争わざるを得ないように、できているのではないかという気がします。こちらの世界のことはまだよくわかりませんが、基本的な成り立ちは私たちの世界とそれほど違っているようには見えません」

「わかります。あなたの世界でも戦争は起こっているんですよね」

「起こっています。常に。それが絶えたことは、人類が誕生してからおそらく一度もないでしょう」

「今私がいった、『開く者』の本当の力が必要なときがくるのはまだまだ先のことです。でも、『開く者』の存在意義が、ただ戦いの道具だけではないということを忘れないでいてください」

 どう判断すればいいんだろう。王妃はただ自分の心をつなぎとめるために、嘘をいっているのだろうか。それにしてはあまりにも突飛な話だ。だめだ、情報があまりにも少なすぎる。

「私には、まだどう考えればいいかわかりません」

「ええ。構いません。私がいったことを忘れずにいてくれさえすれば」

「わかりました」

 王妃は微笑んだ。

「ほかにこの世界のことでわからないことがあれば、マスター・ペルルコンかヴァンペルトに尋ねてください。力になってくれるはずです。それと……ああ、そうでした、もうひとつ大事な話を忘れていました。

 もうすぐ『東の地』の小国のあいだで連絡会議が開かれます。あなたにはその護衛に加わってほしいのです。会議の内容や周辺国の情勢については、改めて事務方から説明してもらいます。どうですか?」

「……少し考えさせてください」

「まだ時間はありますから、ゆっくりと考えてください」

 王妃が立ち上がったので、私も立ち上がった。

「またいつでも遊びにいらっしゃい」

 そういって、王妃は私の手を握った。私もその手をそっと握り返した。

「ありがとうございます。お茶をごちそうさまでした」


 部屋を出て階段を下りると、入り口の広間にシャロンが椅子に座って待っていた。またもや彼女は居眠りをしている。よく寝る子だ。

「シャロン」

 小声で呼びかけて、彼女の肩にそっと手を置いた。

「はっ、すいません!」

 シャロンは飛び起きた。

「ごめん、びっくりさせちゃって。迎えにきてくれたんだ」

「宰相の使いの人が、エレ様が王妃のところにいらっしゃると知らせてくださいました」

 エレ様? 私は戸惑った。

「どうしたの? エレでいいよ」

「私は正式にエレ様の従者になりましたから、そういうわけには……」

「これまでどおり、エレと呼んで。お願い」

「でも……」

「もしシャロンに迷惑がかかるのなら、せめて二人だけのときはそうして」

「わかりました。エレ」

「ごめんね、わがままいって」

 シャロンは首を振った。

「よし。じゃあ、マスター・ペルルコンのところに連れて行って」

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