5.御前会議

 次の日、たくさんの疑問を抱えたまま、なんといきなりこの国の王と接見することになった。そんな簡単に王様と会うことができるのかとシャロンに尋ねたら、王の御前会議とやらがあるらしい。国王といっても、地方領主のようなものかもしれない。そのときはまだこの国の人口や広さを教えてもらっていなかった。

 これまで自分がいた世界とは異なる世界に来てしまった――まずそれを認めなければ、たぶんどこにも進めない。頭を抱えてうずくまっていても、何も解決しない。宰相に付き添われて城の中の廊下を歩きながら、そう腹を決めた。ここがどこだろうと、自分を見失ってしまってはだめだ。どこにいようと私は私だ。そして、必ずもとの世界に戻ってやる。

 やがて廊下の突き当たりの大きな扉の前に到着した。シングルマザーで管理職の問題解決能力をなめるんじゃないわよ。心の中でそうつぶやきながら、目の前の大きな扉がゆっくりと開くのを見つめていた。


 その部屋は大きな会議室という感じで、一方の壁に大きな旗が飾られ、その前に玉座が設けられていた。それ以外に椅子はない。

 玉座の前に敷かれた赤いカーペットをはさんで、男たちが数人程度のグループを作って、小声で話し合っている。灰色の服を着た人の集団と、剣を差した人の集団とに大きくわかれていた。文官と武官ということだろう。宰相に伴われて部屋に入っていくと、彼らはぴたりと話をやめて、こちらを注視した。

 玉座に一番近い扉が開き、立派なひげを蓄えた老人と、私と同年代の女性が入ってきた。国王と王妃だろう。女性騎士を一人従えている。昨日、竜に乗って追いかけてきた赤毛の騎士だ。確かヴァンペルトという名前だった。王が玉座に座り、王妃がその左に立った。ヴァンペルトは王妃のすぐ斜めうしろに控えている。

 まず、彼らの着ている服に目を奪われた。国王は重厚なローブをまとっている。真っ青なビロードの生地が艶々と輝いていた。王妃のほうは、極端なパニエではなくゆったりとした形のドレスだ。繊細な草花の刺繍が施されていて、落ち着いた深緑色が印象的だ。それに茶色のケープを羽織っている。あれが全部手縫いだとしたら、かなりの手間がかかっているはずだ。

 よほどぼーっとしていたのだろう、宰相に小声で「礼を」といわれて初めて、部屋の人たちが頭を下げていることに気がついた。私も慌てて頭を下げる。

 宰相が口を開いた。

「『開く者』です。陛下」

 王がうなずく。宰相は王から巻物のような物を受け取り、王妃の反対側に立ってそれを開いた。

「下知」

 宰相がいうと、みんな姿勢を正した。

「『開く者』よ。古よりの典に従い、あなたをこの世界に召喚した者の権利として、以下のことを命ずる。今から語る言葉は、『風が生まれる国』国王、オスカー・フォン・グランデールの言であると心得よ」

 宰相はそこから先は巻物に目を落とさず、こちらを見ながら続けた。

「ここ東の地では大国『冠を戴く国』の力が日に日に増大し、我ら周辺諸国は危機感を強めている。いずれ遠からず、均衡は崩れるであろう。その、事ある日に備え、万事怠りなくするは我らの勤めである。

 彼の国では今のところ『開く者』の存在は認められていないが、戦の備えが急速に進められている。今後火急の折、あなたには我が国の力になっていただきたい。

『開く者』は、古来、一騎当千の働きをするといわれている。その功に対しては、望みのものを取らせることを約束する。あなたに常に良き風が吹くことを願わん」

 宰相は巻物を下ろした。

 私は宰相の言葉を必死に咀嚼していた。

 それってつまり、戦争になったら戦えってこと?

 冗談じゃないわよ。

 部屋は静まり返ったまま、いたたまれないような時間が過ぎていく。

「では、沈黙を持って是と……」

 宰相がいい終わる前に、私はなんとか口を開いた。

「ちょっと待ってください。それは、私に戦えとおっしゃっているんですよね」

 宰相は王をふり返った。

 王はかすかにうなずく。

「そのとおりです」

 と、再び宰相がこちらを向いて答え、それに対して私はいった。

「私は軍人ではありません」

「グンジンとはなんですか?」

 どうやらこの世界には軍という概念がないらしい。

「ええと、つまり、私は騎士ではありませんし、戦争の経験もありません。武器を持ったことすらないんです。そんなの無理です」

「『開く者』には私たちにはない能力が備わっています。エレ殿もそのうち気づかれるでしょう」

「それは、例の魔法のようなものですか?」

「いえ、エレ殿に魔術師の力はありません」

 その時、騎士の一人が口を開いた。

「失礼だが、私もこの可憐なお嬢さんにそれ程の力があるとは信じがたい」

 可憐なお嬢さん?

 ああ、私のことか。

 生まれてこの方、そんなふうに呼ばれたことなんて一度もなかったから一瞬戸惑ったが、すぐさま自分の今の姿を思い出して納得した。

 発言したのは、騎士たちの中でもひときわ大柄で、自信に満ちた雰囲気を漂わせている男だった。

「この場で試したほうが話が早いでしょう」

 大柄な騎士がゆったりとした動きで半身をこちらに向けた。

 突然、頭の中でキーンという不快な音が鳴り響いた。騎士が腰を落とし、剣に手を伸ばす。それがまるでスローモーションのように私の眼に映った。

 剣を抜こうとする彼の、数え切れないほど繰り返されてきた無駄のない美しい動き。そう認識すると同時に、体が勝手に動いていた。ひと飛びで大柄な騎士の前に跳躍する。右手で剣の柄を握っている大柄な騎士の手を押さえ、左手で彼の隣に立っている若い騎士の剣を逆手に抜くと、そのまま大柄な騎士の首もとにぴたりと当てた。大柄な騎士が身につけているコスチュームから、汗がしみ込んだ古い革独特の甘い匂いがする。

 その場の誰もが凍り付いたように動かない。でも、一番驚いているのは当の本人である私だ。

 学生時代はバスケットボール部で、運動神経は今でもそれなりだとは思っているけど、さすがにこれはあり得ない。これが『開く者』の能力ということなのか。

 剣を当てられた騎士は身動きできず、驚きに目を見開いている。いつのまにか頭の中の不快な音は止んでいた。ごくり、と騎士の喉仏が動く。

 私は体の力を抜き、剣を下ろした。

「あの、ごめんなさい、これ、お返しします」

 隣の若い騎士に剣を差し出すと、彼が素手で剣身を握ったので驚いた。

「王の御前ですから、これは模擬剣ですよ」

 あまり騎士らしくない柔和な顔をした青年は剣を鞘に納めると、にっこりと微笑んだ。

「お見事でした」

「いえ、そんな、すいません」

 その時ようやく、自分の右手が剣を抜こうとした大柄な騎士の手を押さえたままだということに気づいた。

「ご、ごめんなさい」

 大柄な騎士に向かって頭を下げると、彼は首を振った。

「いや。こちらこそ、無礼をいった。許されよ」

「いえ、その、失礼します」

 あー、びっくりした。

 私はおずおずと、宰相の前に戻った。宰相は満足そうに微笑んでいる。

「それはあなたの力のほんの一部分ですよ、エレ殿。戦争はまだ始まっていません。しかし我々はその準備をしておかなければならない。あなたの力をお借りしたいのです」

「戦いになれば、人を殺すことになりますよね」

「そうです」

「私は、人殺しはしません。それだけは絶対にお断りします。どんな理由があっても」

 そのとき、凛とした女性の声が響き渡った。

「『開く者』、あなたに聞きたいことがあります」

 王妃だった。

 やっぱりきたか。彼女が部屋に入ってきたときから、私はその存在がずっと気になっていた。この部屋にいる誰もが、はっきりと態度には示さないものの、常に王妃の出方をうかがっているような気配があった。

 それは、初めての相手にプレゼンする時、必ず気にすることのひとつだった。プレゼンする相手のなかで誰が最も影響力を持っているのか。その人間は必ずしもその場で最も上席の者とは限らない。その人間を素早く見分け、味方につけること。それが、プレゼンを成功させるための秘訣のひとつだ。

 王妃は美しい女性だった。でも、彼女の存在感は単に外見上の美しさのみからくるものではなく、内側からにじみ出てくる芯の強さと賢さによるものだと感じた。

 この部屋の中で最も注意しなければならない人物は彼女だ。

 私は王妃の前に立つと、姿勢を正した。

 王妃が問いかける。

「あなたは別の世界からやってきたと聞きました」

「はい」

「向こうの世界で、あなたに家族はいましたか?」

「息子が一人。十二歳です」

「さぞ、立派なご子息なのでしょうね」

 いえいえ。まだほんの洟垂れ小僧ですよ。

「もし、あなたのご子息が誰かに殺されそうになったら、あなたはそれでも戦わないのですか」

 私は大きく息を吸い込んだ。

「王妃様、問いに対して問いで答えるご無礼を承知でお尋ねします。私の息子はどうして殺されそうになったのでしょうか」

 王妃はじっとこちらを見つめた。

「私たちの世界では、普通、なんの理由もなしに人が人を殺したりはしません。そこには必ず理由があるはずです。

 改めてお答えします。息子が殺されそうになったら、私は相手を殺してでも息子を守るでしょう。でも、それよりもまず、なぜ息子が殺されなければならないのか、それを知ることのほうが大事だと、私は考えます」

「しかし、『開く者』よ、戦争になれば、そんな悠長なことはいってられないのですぞ。あなたも否応なくなんらかの形で関わらざるを得なくなるはずだ」

 先ほど剣を抜こうとした大柄な騎士が発言した。それに対して王妃が答える。

「現実は確かにそのとおりです、ラーソン。しかし、『開く者』は義というものについて語っておられるのだと私は思います。それは国の行く末を考える我々にとってとても大事なことではないかと思うのだが、ラドウェル、どうか?」

「仰せのとおりだと思います」

 灰色の服を着た集団の中で一番年かさの男が頭を下げた。王妃は王に、次いで宰相に語りかけた。

「陛下、エレ殿は、私が預かることにいたします。よろしいですか、カール」

 王がうなずき、カール宰相はこうべを垂れた。

「はい。仰せのままに」

「異論のあるものは今、申し出よ」

 誰も何もいわない。私は王妃と視線を交わした。この場で具体的な約束を取り交わしてしまうのはまずい気がする。とりあえず今はこの人に預けるしかなさそうだ。私は王妃だけにわかるくらい軽くうなずいた。

「では『開く者』は、本日より私の近衛隊に仮配属とします。今後我ら危急の際、必ずや『開く者』の助力が必要となるときがくるでしょう。『開く者』は騎士ではありませんが、騎士と同等の扱いとします。礼を持って遇するよう、各自部下に伝えるように。

 これにて本日の御前会議は終了とします。ご苦労でした」

 私は詰めていた息をほっと吐き出した。結局この人が全部仕切ってしまった。

「ヴァンペルト、あとは任せましたよ」

 王妃はそういい残し、王と部屋を出て行った。

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