4.夜

 気が付くと、またもとの部屋だった。

 竜から落ちて気絶したあと、連れ戻されてしまったらしい。それから食事が運ばれてきて、でもほとんど喉を通らず、やがて男が二人訪ねてきた。いや、彼らが訪ねてきてから食事だったっけ。混乱していた私の記憶はこのあたりがかなりあいまいだ。ただ、そのあいだ、シャロンがずっとそばについていてくれたことだけは憶えている。彼女がとがめを受けた様子はないので私は少し安心した。


「このような時間に女性の寝室を訪う無礼を許されたい」

 その人が部屋に入ってきての第一声がそんな時代がかった大仰なセリフだったから、身構えていた私はなんだか肩の力が抜けてしまった。

 年齢は五十代後半ぐらい。彫りの深い、やはり西洋風の顔立ちで、銀色の髪をうしろで束ねている。年齢のわりに姿勢がよく、背筋がピンと伸びている。上場企業の事業部長クラスの雰囲気。一応まともそうだ。中世風のコスチュームを除けば、だけど。

 そのうしろにいる男は彼とは正反対に猫背で、深緑色のフード付きのマントを羽織っている。たぶん最初に目が覚めたあの洞窟に倒れていた人だ。髪の毛がかなり薄くなっているけれど、私と同年配、四十代前半といったところだろう。なぜかこちらの視線を避けるようにおどおどしている。

 彼らが入ってくると、シャロンは立ち上がってドアの脇に控えた。銀髪の男は、シャロンが座っていた椅子に腰掛けて、フードの男は彼のかたわらに立っている。銀髪の男が口を開いた。

「色々とお聞きになりたいことがあるのは充分承知していますが、質問は私の話が終わってからにしていただけると助かります。よろしいでしょうか」

 私はうなずいた。このあたりになると、私はなんだかもうほとんどやけくそ気味に、とりあえず向こうのペースに合わせてやろうという気持ちになりかけていた。

「ありがとう、『開く者』よ。私はこの国の宰相、カール・スタンネと申します。彼のことはあとで紹介します」

 マントの男が軽く会釈し、宰相と名乗った男が話し始めた。

「この世界はあなたがいた世界とは異なる世界です。まずそれを認識していただきたい。あなたはある特殊な方法でこの世界に呼ばれました。その肉体は――」

 宰相はとても控えめな仕草で、右手を私に差し出した。

「あなたという存在を入れるための器だと考えてください。

 私たちがあなたを呼んだ理由は、私たちを助けてもらうためです。具体的なことはまだ申せません。

 あなたは当面のあいだ、もといた世界に戻ることはできません。それがどの程度の期間なのか、今の私には答えられない。申し訳ないが。

 とにかく、あなたは別の世界にやってきた、そのことだけをまず理解してもらいたいのです」

 むちゃくちゃだ。あり得ない。

「そんなこといわれて、はいそうですかって、信じるとでも思っているんですか?」

「信じてもらうしかありません」

 思わずため息が出る。

「いったいどんな魔法を使えばこんなことが……」

 と、突然、宰相の隣に立っていたマントの男が話し始めた。

「あ、あの、そ、それは実は非常に高度な……」

 宰相がそれを手で制して尋ねた。

「今、魔法とおっしゃいましたね」

「ええ。それが?」

「あなたの世界にも魔法があるのですか」

 何をいってるんだ、この人は。

「そんなもの本当にあるわけないじゃないですか」

 私は二人の顔をかわるがわる見た。次に何をいわれるか、なんとなく予測がついた。

「彼は、マスター・ペルルコン。魔術師です」

 そう、彼は魔術師だったのか。そうよね。気がついたら金髪の少女になっていて、みんな中世のコスプレをしていて、竜がいて。となると、次はもちろん魔法よね、当然だわ。

「勘弁してよ」

 そういいながらも、私は必死で冷静さを保とうとした。

 自分は別の世界に来た。そして、当面もとの世界に戻ることができない。受け入れがたい話だけれど、どうやら受け入れるしかないみたいだ。

 わかった。わかんないけど、とりあえずわかったことにしておく。じゃあ、次に何をすべき?

 開け放たれている窓の外はもうすっかり暗くなってしまっている。部屋の中の明りは壁に灯されたランプだけ。外は明かりひとつ見えない漆黒の闇だ。遠くからふくろうの鳴き声のようなものが聴こえてくる。そうだ。聞かなければならない重要なことがあった。

「向こうの世界に戻れないとしても、何か連絡をとる方法はないんですか。あちらに息子を残してきているんです。私と息子の二人暮らしなんです。私が無事だということだけでもあの子に伝えさせてください」

 宰相はかたわらに立つフードの男、ペルルコンを見上げた。

「ざ、残念ながら、それはできません」

 ペルルコンはどもりながらいった。相変わらずこちらと視線を合わせようとしない。

「あの、より正確にいいますとですね、その必要はないんです。といいますのも、あちらの世界とこちらの世界では時間の流れが異なっておりますから。あちらの世界の接点は特定の時間で固定されているわけでして。もしあなたがもとの世界に戻るとしたら、あなたが召喚されたまさにその時間に戻ることになります。理論上は、です」

「つまり、今、向こうの時間は流れていないということ?」

「ええ、一応そういう理解でよろしいかと存じます」

 昨日からの白昼夢のようなもの。あれはこの世界に来ることの前触れだったのだろう。白昼夢から戻ったときに、もとの世界の時間はほとんど経過していなかった。だとすると、確かに向こうの世界の時間は流れていないことになる。本当なら都合のいい話だ。できれば信じたいけれど、判断は保留にするしかない。私は別の角度から質問してみた。

「なぜ、私なんですか? 助けるって、いったい何をすれば帰してくれるんですか?」

「それはまた改めてご説明したほうがよろしいでしょう。今夜はもうお休みください」

 宰相は立ち上がり、二人はドアに向った。ペルルコンが出ていったあと、宰相はドアの手前で立ち止まってふり返った。

「では、失礼します、『開く者』よ」

「あの、『開く者』って?」

「古来、召喚された人のことをそう呼んでいます」

 ということは、過去にもこの世界に来た人がいるということか。それにしても、いちいち『開く者』と呼ばれるのは仰々しい。

「ここでの私の名前はエレというんでしょ?」

「そうです。エレ殿、とお呼びしたほうがよろしいですか?」

 ドアのそばに立っているシャロンがかすかにうなずいた気がした。

「エレと呼んでください」

「おやすみなさい、エレ殿」

 宰相が出ていくと、シャロンがベッドのそばの椅子に座った。

「私がそばにいますから、ほしいものがあったらいってください」

 何もほしくない。とにかく疲れた。

 私は首を振ると、ベッドに倒れ込んだ。

 ベッドの脇に投げ出した私の手をシャロンがそっと握った。

 不思議だ。この子に手を握られると、なんだか少しほっとする。

 やがて私はそのまま深い眠りに落ちていった。

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