アルファ・シンドローム

 帰ったら家が燃えていた、みたいな調子で母星が滅びていた。そこらじゅうのモニターが、唯一瀕死の電波塔の、ギリギリ届いた断末魔の、真っ黒に壊死したニュースキャスターを映し続けていた。

 度重なる艱難辛苦を乗り越え、資源を使い尽くして母星に辿り着いた俺たち──第七期調査船団はまずモニターを、次に計器を、そして自らの目を疑った。が、現実を認めるのにそう時間はかからなかった。俺たちはそれはもう、昔々の映画の中の、沈没寸前の豪華客船さながらに、それよりももっと哀れに動揺し、立ち往生し、大混乱に陥った。

 俺たちは。彼らはというべきだろうか。


 宇宙旅行が夢のまた夢とは言えなくなったのはもうずいぶん前。しかしそれからも神の導きに従い、我ら人類は宇宙開拓を続けてきた。けど冥王星のその向こうをすべて解明しても、さらにもっと深くがあった。この世界は何処までも広がっていて、その闇は深くに利益と神秘とをはらんでいた。

 私利と神託によって結成される、深部宇宙への調査船団——彼らに、私物の船と物資をもって随伴する、雇われスペース・カウボーイ。人生、私財、家族、諸々——自らの全てをなげうち、自ら好奇心に殺されに行くものども。

 だいたいウラシマの末に家族も何もすべて失って、俺たちに地球帰還後の人生などないに等しいのだ。出立前に契約した、牢獄のような保護施設で余生を過ごすのがおちだ。あの狂うような星々が、俺の人生のすべて——なんて、そんな妄想を酒に浮かべて昼から酔い痴れ宵を越す、空想も記憶も区別がつかないくらいの、前後不覚のうつろな生を。

 地球を発つ前、若いころ、かの保護施設を訪れたことがあった。スペース・カウボーイ——調査船団特別随伴作業員を志望した無謀な若者が、まず考え直せと通される儀式だ。戸籍年齢ばかり重ねて生体年齢はそう自分と変わらないような彼ら、うつろな目をして廃人同然の彼らに、無意識の怯えを腹の底に感じた、そのことをよく覚えている。彼らの心は彼らの人生の最高の一瞬にとらわれて、もう戻っては来られない。

 しかしそれでも、いや、だからこそ。そう言って職員の目を盗み、廃人はぎらつく目で若い俺の腕を掴む。見てこい。。神に導かれずとも、益などなくとも、ただ自らの好奇心のみによって衝き動かされるのが俺たち人間だ。見てこい。神の御許を離れ、完璧に管理された美しいこの文明から離れ、あの混沌を見てこい。一度惹かれたならばその引力に飛び込んでしまえ。破滅に。

 ——そんなせりふなど、多分、なかった。ならばそれは俺自身の意思だったのだ。職員が気が付いてその男を引きはがしたのも手馴れていて、あのぎらつく目と目が合ったのはたった一瞬で、だからあの目と出会わずとも俺は自ら深淵に飛び込んでいたに違いないのだ。

 あの日一緒に保護施設に来ていた連中の俺以外、すべてが調査船団特別随伴作業員を辞退した。賢い選択だが愚かだ。本気で、そう思う。

「地上に降りて、重力にぺちゃんこになって、あの保護施設に行くなんてごめんだ。ちょうどよかったんだ。宇宙ここで死ぬなら本望、ってな」

 艦橋の硬い椅子に凭れてふんぞり返り、ひとりごちた。少しの、間。

「解りません。死を許容しますか、マスター」

 返る声がある。それは咎めるようでありながらも事務的に柔和で無感情。丁寧で上品だが独特の違和感を持つイントネーション、中性的なざらつく音だ。顔を上げれば周囲一円を示すレーダーを映すモニタが広がり、その端にはくるくると回るアイコンが座す。射手座を意味する弓矢のエンブレムは待機中を示す黄色で、そこに目立った動きはない。しかし、それはこちらを注視している。艦橋の全カメラがステイタス・ランプを点灯させ、俺一人に向けられている。無数の視線。ふいに、命を狙われている感覚に陥る。狩人はこちらに弓を向けている——そんな空想がよぎる。そんな事実はない。これは敵ですらない。まとわりつく妄想を、頭を振って振り払う。

「わからなくていいさ、エイティーン」

 声と一緒に、緊張感を吐き出した。

 エイティーンはこの宇宙船シップのメインコンピュータだ。正式名称を[死ぬまで18歳18 till i die]。必要なだけの自律性と、シンプルな人格と、この船団では珍しい戦闘適性を兼ね備えた機だ。珍しい? 旧式ふるいの間違いだろうか。

「もう、こうするしかないだけだよ。それでも愛する宇宙に浮かんだまま、母星眺めて、お前と最期を過ごすんだ。なあ、俺はそれで満足だよ、相棒」

 などと言ってみる。苦楽を共にした、俺の船。その行き着くところがこの穏やかなラストなら、それもいいと思えて、それは本気だった。俺の人生のすべてはこの宇宙そらにある。相棒と呼んだのだって本当の思いだ。この半導体にその概念があるかどうかすら、俺にはわからないけれど。疑似人格はインターフェイスであって相互理解のためのものではない。

「それとも、何かやりたいことがあるのか? やり残しがあるなら付き合うぜ」

 俺が相棒と呼んだのはこのコンピュータの表層UIだけに過ぎない。分かっていながらも、言葉を継ぐ。エイティーンの返事はない。分かっていたことだ……。俺は席を立った。

「もう時間も遅い。部屋に戻る」言うと、素早く返答がある。

「自動航行、継続します。ゆっくりお休みください」

 思わず漏れたため息を、隠す必要など微塵もない。これに気遣いは不要だ。そのことをまたほんの少しだけ憂うのも無用な感傷だろう……。のそのそと部屋に戻る俺の歩みを、自動ドアはひとつも邪魔しはしない。


 人格型インターフェイスの少ない欠点のひとつは、「一人にさせてくれ」という要求を叶えられないところだろうか。自室は狭いが、ここは唯一エイティーンが干渉できない場所だった。俺は無重力に体を預け、窓の外の青い母星を眺めた。

 美しい星。我が地球。光速の旅の果て、幾年が経ち、しかしその姿は——見た目には——全く変わっていなかった。ああ、俺を産み出し、育てた星。おまえを置いて飛び出していったけど、嫌ったわけじゃなかったのに。それなのに目を離した隙に死んじまうなんて。今までに再三眺めては頬をつねったが、未だに滅びたなんて信じがたい。まあ、自分の目で確かめたわけではないのだが……。物思いに耽りながら、俺はぱさつく固形食をもぞもぞと齧る。そう、世界が滅んだことを確かめたわけではない。俺の船にそんな計器はない。だがそうでないとしたら、今頃俺は施設おりの中にいて、柔らかく温かい、栄養たっぷりの粥でも食っているはずだ。

 このインスタントな食事が、さてあと何日分残っているだろうか。俺が食って、糞して、生きる期限と、そのあと。死に方。この量なら何日分持つか? いや、それを決めるのは俺自身だ。

 なぜなら俺は今、本当に自由なのだから。

 ひとまず、最後の日々の一日目はこれで終いだ。固定具の中、寝袋に潜り込む。固定具のロックを確認してから、明かりを落とす。


 酷い揺れで、俺は目を覚ました。部屋の明かりは落ちたままだ。あたりは薄青くものっぺりと暗く、頭はまだ眠りにたぷたぷと浸っていて、俺は芋虫よろしく寝袋の中に転がっていた。しかし、この寝室の外で何かが起きている。目覚めなくては、それも急いで。固定具を外そうと、俺は手を伸ばした。その時だった。

 眠りを、閃光が引き裂いた。俺は目をこじ開けて窓の外を見、そして息を飲んだ。恐怖が目から喉奥へと走り抜けた。それは警鐘だった。捕食者を前にした生き物のそれ。

 船腹を食い破るミサイルが、獲物を噛み砕く獣のあぎとに見えたのだ。それはしかし錯覚ではないに違いなかった。

「……エイティーン!」

 怒鳴る。不安からでも、心配からでもない。ミサイルなんて旧いものを積んでいるのは、。このエイティーンただ一隻。アクセス遮断領域の寝室に、緊急回線を使ってエイティーンを呼び出す。

「何を、している!」

 答えは明白で、あまりに愚かな問いだった。エイティーンは仲間の艦へ、攻撃を加えている。

「戦闘行動中です」

「何のために……! こんなこと、命令していない。いや、命令したとしてもセーフティが働く筈だ……!」

 訳がわからなかった。また怒鳴る。「命令だ、[死ぬまで18歳18 till i die]! 即刻戦闘行動を中止せよ!」

 ビープ音が鳴り、回線がシャットアウトされる。拒否だった。まるで俺の命令がセーフティに引っかかったかのような挙動だった。

(暴走……)

 冷たい感触を持つ言葉が胸の内に落ちる。この極限状態を前に、自律コンピュータ・エイティーンは、狂った。所有者への反逆アルファ・シンドロームだ。ようやく迎えた旅の終わりに、これが俺たちの迎える結末だというのか。

 自律コンピュータの暴走とは狂気で、狂気は不可逆で、不可逆とは死だ。艦を手動操縦に切り替え、エイティーンの頭脳体を切り離す必要がある。俺には、その責任がある。艦橋に向かわねば。

 俺は今一度固定具を外そうとして、愕然とした。外れない。渾身の力をいれ、揺すり、それでもびくともしなかった。一番単純な電子ロックがおかしくなった、その理由は明らかだった。エイティーン。俺の相棒だったコンピュータは、俺に殺されてすらくれないというのだ。

 何故だと、俺は叫ばずにはいられなかった。何故だ。何故だ。何故殺した。何故裏切った! 声を振り絞り、怒りを振り絞った。固定具はしんと沈黙し、エイティーンもまた応えなかった。

 俺を無視して閃光は続く。崩れ落ちていく仲間のシップ。エイティーンのアームが怪物めいて伸びて、物資を剥ぎ取っていく。小さな窓の向こう、黒い宙と青い星を背景に、音のない空間で行われる一方的な暴力。それを芋虫のように転がって眺める自分。すべてが妙にスローモーに思えて現実感が薄い。

 この戦闘艦が、掠奪による継戦・補給機能を持っていたとしてそれは驚くべきことではない。一つの自律コンピュータとしての自己保存本能それ自体も当然のことだ。その二つを暴走させ、あるいは最大限に活用し、エイティーンはこの極限において、生き延びようとしているのだ。

 死にたくない。それは最もシンプルに造られた人工人格に備わった、最もシンプルな感情。衝動。欲求。あっさり生を棄てた俺と、ああ、どちらが正気だろうか。

 力が抜けるのと、固定具ががしゃりと音を立てて開いたのは同時だった。俺はおぼつかない手で寝袋を脱ぎ捨て、固定具の中からまろび出る。想像通り自動ドアは開かなかった。それを叩く元気すらなく、俺はそこに崩れ落ちた。

 

 すぐ、だったかもしれないし、少し経ってからだったかもしれない。少なくともその時には、戦闘の揺れはとっくに収まっていた。ビープ音が響いて、寝室の閉鎖回線にエイティーンが接続する。ついで壁からアームが伸び、備え付けのテーブルを出し、そこにいくつか何かを並べた。俺はその何かを見て、吐き気を感じた。

 上級船員のための完全食のパックだった。すでに加熱調理がされているのか、湯気すら立ててそこにある。カウボーイがありつけるわけがない、やわらかい、旨い、らしい粥。本物の肉。美しい緑の野菜。すべてこの船にあるはずがないもの、さっきまでなかったものだ。別の誰かが食べるはずだったもの。なんだか昔教育番組で見たサバンナが脳裏に映るようだった。狩りを終えて子に獲物を与える獣のイメージ。

 食べろ、と言われているのだ。意味がわからない。エイティーンは何を考えている。なんのつもりなのか、

 わからない?

(ああ、そうだった)

 俺がエイティーンをわからないでいるのと同じに、エイティーンも俺がわからない。エイティーンはわからないと言った。わからなくていいさと俺は言った。わからなくてもいいけど俺と一緒に死んでくれ、なんて非道いことを言ったんだ。

 俺は席に着く。温かく、やわらかく、滋養ある食事が並ぶ。

 エイティーン。俺はお前を相棒と呼んで、その実何一つわかっちゃいなかった。生きたいお前を、殺そうとしたんだ、俺は。

「エイティーン……」

 思わず漏れた呟きに、応える声があった。

「マスター」

 エイティーンの合成音声。それは、なんだかいやに生々しく響いた。

「前回の問いに、3時間3分24秒のシンキングタイムを頂きました」

 前回の問い?

 なんのこと、だ? 俺は全然わからなくって、だんまりのまま、粥のパッケージの光沢を呆と眺めていた。エイティーンは律儀に俺の返答を待ち、返答する気がないと確認し、そしてその優秀な人間観察能で俺が前回の問いとやらを忘れていると判断する。

「マスター。あなたはやりたいことがないか、と聞きました。やり残したことがあるならば、それに付き合うとも」

 そう発話し、ほんの少しの躊躇があった。なぜか俺はそう感じた。躊躇? コンピュータが? 思わず目線を上げると、カメラ・アイと目があった。一呼吸あって、エイティーンは、そのカメラ・アイは、俺を見つめて言った。

「私はあなたを生かしたい」

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葬送のくじら 末広 @acht8811

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