魚釣り星の夜

 どおんとおおきく、水柱が立ちました。高く高く昇って水滴をまき散らすと、そのさまをサーチライトがきらきら照らします。まっくろな海面もぐわんぐわんと揺れて、見物人や、漁師たちが、船の上でわっと沸きます。拍手や歓声や口笛でそれぞれ、特別な夜のはじまりを祝います。

 今日は、釣りの日です。

 大サソリが天上からがさがさと降りてきて、しっぽの釣り針を海に垂らすのです。大サソリは天のサソリですから、そのしっぽだって、それはそれはたいへんな大きさです。それならそろりと針を垂らしたらばいいのに、大サソリは景気良く釣り針を投げ込んでしまうので、あんな水柱が立つのです。

 でも大サソリは全く気遣いがないわけではなくて、人間たちが溺れてはいけないので、波が落ち着くまでじっとしてくれます。騒ぎや、船酔いや、木の葉のようだった船も、一緒にゆっくり静まります。

 みんなが落ち着いた頃、しきたりにしたがってサーチライトがふつっと消されます。日の落ちるのが遅い季節の、まっくらな時間です。夜の海ですから、一度しんとしてしまえば、暗闇が何より優ります。普段ならば、まっくらになっているところです。朔月でもないのに月がないのは、アルテミスが怒って目を瞑ったのでしょうか?

 けれど、それは普段であればのこと。今日は天のサソリがいますから、波間や、あぶくや、人間たちの瞳を、シャウラやアルニャートやサルガスや、アンタレスがすぐ近くで照らしています。漁り火より明るい星明りで、漁師たちが投網の準備を始めます。

 その間の時間を使って、船と船との間を縫う一隻、他よりすこし大きな船が進み出ます。舳先にいるのは勇敢なアナウンサーさん。揺れる船の上で、お茶の間にこの夜を届けています。放送は生中継です。いくつか波をこえてサソリを見上げる位置に陣取ったらば、マイクを持って、大きなスピーカーを背後に、インタビューがはじまります。


「サソリさん、こんばんは!」

「一年ぶりだな、テレビさん。こんばんはだね」


 大サソリが喋りますと、星が一斉に囁くので、その場のどんな人にも声が届きます。だからマイクはいらないのですけれど、いくらアナウンサーといえど人の声ならばそうはいきません。だから周りの人や、なにより大サソリの耳に届けるため、スピーカーにのせて声を大きくするのです。

 アナウンサーさんは、昔の人はどうしていたのかしらと思いながら、言葉を続けます。スピーカーがあるとわかっていても、なんだかがんばってしまうし、叫ぶようになってしまいます。


「今日は、月もなく、絶好の釣り日和ですね!

 やはり、今年も大物を狙っていかれますか、サソリさん!」


 するとサソリは当然、と鷹揚に笑います。星々もしゃらしゃらほほ笑みます。


「おうよ。ハイドラもケトゥスも、見事この釣り針に引っ掛けてみせようではないか。

 人間よ、そなたらの豊漁も祈っているぞ。でかい酒宴が開けるようにな!」


「天のサソリよ、祝福をありがとう!」


 アナウンサーさんは力一杯叫びかえしました。何倍にもなった彼自身の声で、彼の鼓膜と、全身がぐらぐらと揺れてびりびり震えました。でもそんなことより、彼のことばにサソリがほほえみ返したので、そのかがやきにじーんと感じ入っていたのでした。

 サソリの祝いを受けましたから、これできっと今日も、そしてこれからも豊漁でしょう。その場にいた人も、テレビの前の人も、わっと歓声をあげました。


 ざわめきが大きくなります。アナウンサーさんはインタビューのお礼を言って引き下がり、テレビの船はエンジン音を上げ、いそいで他の船の輪の後ろまで下がります。沢山の船の輪、漁船たちの輪です。今や大サソリを囲んで、たくさんの人間たちが、今か今かと釣りの始まりを待っていました。

 海原に太鼓が響きます。サソリのために捧げる酒が海に流されます。これは撒き餌の役目もして、大サソリの獲物を引き寄せます。今年の出来は最高だと酒屋さんは自信いっぱいで、オリオンもついつい寄ってきちまう香りだと胸を張りました。

 人間たちにも酒が注がれ、掲げる盃にアンタレスが映ります。サソリは水面越し、人間たちにほほえみかけます。人間たちもほほえみを返し、そしてさそりの釣りが成功するように、大物が釣れるように願います。

 さあ、準備ができました。アナウンサーさんがスピーカーを使って、サソリに合図を送ります。サソリが叫ぶ神話のことばに合わせ、漁師さんたちはみんなで一斉に網を投げます。星明りをまとう白い糸たちが、しゃらしゃらと輝きながら海に沈んでいきます。歓声がワァと高まって、海面をつぶしそうに揺らしました。

 今日は、釣りの日です。みんなが暗い水底の奥、大きな鰭に夢を見ます。

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