[案件3] 26時間、働けますか?
いつも通りオフィスで軽い昼食を済ませると、家に電話をかけるため外に出た。正確に言えば、家ではなく、僕の家にいるであろう一ノ瀬さんにだ。
長期休暇の初日は自宅のアパートでゆっくりと過ごすのが僕の定番だから、休暇代行である一ノ瀬さんにもそうしてもらうよう頼んでおいた。だからこの昼休みの間に、彼女が僕の代わりにきちんと休暇を取っているか確認したかったのだ。
とはいえ、昨日の印象から、一ノ瀬さんが休みをサボって働いたりするようなタイプには見えなかったけど。
そう思いながら発信ボタンを押す。
「……はい、一ノ瀬です」
7コール目でようやく出た。あまり急がず電話を取るなんて、なかなかに休暇らしい振る舞いじゃないか。
「どうも、藤宮です。あのー、そっちは今どんな感じですか? 家で何してますか?」
そう言った後に、自分が友達でもない女性に休暇の過ごし方を電話越しで尋ねていることに気づいて、少し恥ずかしくなった。まるでストーカーのようだが、気にもかけず一ノ瀬さんが答える。
「初日は藤宮さんに言われた通り、家でだらだらしていますよ。今はテレビを観ています。この時間帯は、あんまり面白いのがないですね」
一ノ瀬さんの声にノイズっぽい笑い声のようなものが混じっている。何かバラエティーでも見ているのだろうか。平日の昼間というものを長らく会社に捧げ続けているから、どんな番組なのかまったく見当がつかない。
「そうですか、きちんと休んでいるみたいで安心です。ああそうだ、もしも家のことで何か分からないことがあったら、遠慮なく聞いてくださいね」
「ありがとうございます。今のところ特に困っていませ……、ごほっ、ごほっ……」
一ノ瀬さんが急に咳き込んだ。具合が悪いのだろうか。
「一ノ瀬さん? もしかして具合が悪かったりしますか。もしそうなら無理をなさらないで……」
「すみません。違います……。お菓子を食べながら、喋っていたら……、変なところに、入ってしまって……ごほっ、ごほっ、。」
「ああ……、そうですか。えっと、特にないみたいなのでそろそろ仕事に戻りますね。それでは失礼します」
「はい、失礼しま、ごほっ、ごほっ……」
ぷつり、と電話が切れた。
どうやら、僕が思っていたよりもくつろいでいるみたいだ。よかったよかった。そう思いながらオフィスに戻ると、同僚の川口から「嬉しそうな顔してるけど何かあったのか」と声をかけられた。川口に「休暇代行サービス」について話してやると、「お前は働くためにしか生きられないのか」と言われてしまった。
川口とは長い付き合いになる。彼は自分のことを皮肉っぽい人間だと自称しているが、たびたび僕のことをこんな感じで素直に褒めてくれる。
この日は仕事の量が少なかったから、いつもより早い11時半に家に戻ることができた。終電じゃない電車に乗るのは久しぶりだ。
部屋に入ると、スーツ姿の一ノ瀬さんがお疲れ様ですと声をかけてくれた。缶ビール片手に吹き替えの洋画を鑑賞している。購入以来、深夜のニュースくらいしか映していなかった42インチの液晶が、こんなにも鮮やかな発色だったとは知らなかった。そうか、こういったささやかな「発見」も、休暇を取ってもらってこそ気づけるものなのか。
「早速ですが、今日一日の休暇内容を報告してもよろしいでしょうか?」
プシュッ、という音がした。一ノ瀬さんが2本目の缶ビールに手を出した。
「ええ、かまいません」
僕も一ノ瀬さんに向かい合う形で机の前に座り、机にあったビールを開けた。
「お昼に電話でも話した通りですが、今日は1日中ほとんど家でくつろいでいました。外に出たのは、コンビニでお菓子とお酒を買ったのと、近所のGE〇で何本か映画を借りるためくらいでした」
テレビ台の上に目を向けると、レンタルのブルーレイディスクが3本ほど置いてある。どれも僕の好きなジャンルだ。「本人の生活パターンに沿った休暇を取る」と言っていたが、こんな部分にまで配慮してくれるとは思ってもいなかった。
「そうですか、分かりました。ところで、僕の通勤時間の分まで休んでもらっているのは、少し申し訳ないですね」
僕が働いている間に、代わりに休んでもらうというのが休暇代行サービスの基本的な名目だったけど、実際の契約では通勤時間も込みで休んでもらえるということになっていた。
「お気になさらずに。これが私たちの仕事ですから」
そう口にした一ノ瀬さんの言葉からは、お客様に満足してもらえる休暇を過ごすのが自分たちの務めだという、プロとしての意識が垣間見えた。
「休暇内容の報告については、ドキュメント化したものをすでに藤宮様のメールに送っておりますので、お時間のある時にご確認ください。本日購入したものについても、明細を記録してあります。他に何かご質問等がなければ、私はそろそろおいとまさせていただきますが……」
「はい、とくに問題ありません。ああ、お帰りでしたら玄関まで見送りしますよ」
一ノ瀬さんが手際よく荷物をまとめ、帰る支度を整えた。
「今日の様子から本当にきちんと休みを代わってくれていると分かりました。明日からもお願いします、一ノ瀬さん」
「こちらこそ、よろしくお願いします。今日も一日、お仕事お疲れさまでした。明日も頑張ってくださいね、藤宮さん」
玄関で別れを告げて、僕は部屋に戻った。軽い食事と入浴を済ませたあと、机の上にあったチョコレートを1つ食べた。一ノ瀬さんが買ったものだが、「残ってるお菓子とか、食べていいですよ」と言っていたのでかまわず口にした。仕事の疲れに、チョコの甘さが心地よく沁みる。
スマホを開いてメールを確認すると、さっきの報告がPDFファイルで届いている。内容もきちんと記録してあった。これなら安心して休みを任せられるだろう。2つ目のチョコレートを口に入れた。
休暇、請け負います。 弐ノ宮条次 @nGeorge
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