[案件2] 『できません病』にかかってない?

「それでは、弊社の『休暇代行サービス』について、ご説明させていただきます」

 

 一ノ瀬さんはこちらに紙の資料を手渡して言った。テーブル越しに受け取った僕と佐々木課長は資料の表紙に目を向ける。そこには、「休暇代行サービス活用により期待できる経営上のメリットとサービスの利用形態について」と、シンプルなゴシック体で記してあった。


 会議室にいるのは、休暇代行士である一ノ瀬カワリさんと、契約対象の社員となるであろう僕、そして僕の直属の上司である佐々木課長の3人だ。


 結局、休暇の取得を勧められたあの日のうちに、僕と課長はこの未知なるサービスを利用してみようと決めたのだ。上手くいけば、僕個人としては仕事に打ち込みながら休みを取ることができるだろうし、会社としても、僕という労働力を欠くことなく年間休日を増やすなんてことができるかもしれない。効果は魅力的だ。

 もちろん、正式に契約を結ぶかどうか決めるのは、一ノ瀬さんの説明を聞いてからだけど。


「さて、すでにご存じと思われますが、我が国では最近、働き方改革という名のもとで、これまで良しとされていた長時間労働に代表される日本型のビジネス慣習が見直されつつあります。

 すでに、欧米型の成果主義、効率主義を取り入れる企業はそれほど珍しい存在ではなくなってきましたが、昨今の動きはそれにとどまらず、従来では軽視されがちになっていた『職場の働きやすさ』や、『社員のプライベートの充実』にスポットが当てられるようになり、ワーク・ライフ・バランスという言葉は今や働くうえで無視できない要素となりました」


 一ノ瀬さんがよどみなく説明する。口調は丁寧だが、最初に出会ったときよりも堅苦しさが抜けたような印象だ。


「とくに問題視されるのが『休暇の少なさ』です。お手元の資料にある通り、日本人の有給休暇取得率はOECD加盟国の中でも低い水準にあり、『バカンス』の語源の国であるフランスや、その他の欧州諸国と比べると差は歴然です」


 ニュースや新聞でよく見る、この国の労働環境を示すデータがグラフで載っていた。佐々木課長はそれを見てうんうんと頷いている。

 仕事が忙しくて休む暇がない人、仕事がもたらす成長の魅力にあらがえない人、あるいは僕のようにその両方に当てはまる人が、この国には大勢いるのだろう。


「単純に考えると、休暇の増加とは労働時間の減少です。もちろん、労働時間の短縮の割合が、そっくりそのまま売上や利益に反映されるわけではありません。一般的に、長時間労働より短時間労働の方が生産性が高いからです。とはいえ、売上への影響を懸念して、休暇の確保に踏み切れないというのが、多くの企業の現状です。

 しかし一方で、少子高齢化の今の社会においては、休暇の重要性はますます高まっています」


 そう言いながら見せられた次の資料には、いくつかのアンケート結果を説明するグラフが複数あった。お馴染みのオフィスソフトで作られたであろう、お馴染みのフォーマットだ。


「こちらの資料は、卒業後の就職を希望する大学3年生に対して行われた、就職活動についてのアンケート結果を表しています。

 ご覧の通り、『企業選びで重視する3つのポイント』として、『休暇・休日が確保されていること』を選ぶ学生の割合は、ここ10年を通して上昇傾向にあります。特にリーマン・ショック以降は顕著です。 また、『福利厚生をチェックする上で重視するポイント』として、『リフレッシュ休暇制度』を選ぶ割合は50%近くになっています」


 課長が興味深そうに資料を見ている。やはり課長クラスにもなると、人材確保の観点から、こういう調査結果を無視できないのだろうか。

 うちの会社は、新卒の学生をあまり採用しないというわけではないけど、中途社員の割合が結構多い。とはいえ労働市場が縮小しつつある昨今、今のうちに若い労働力を獲得していかないと、いずれは痛い目を見るのかもしれない。もっともこの手の問題は、人事部の人間の方が僕より真剣に考えているのだろうけど。


 一ノ瀬さんはこの他にも、「休暇の意義」について客観性のあるデータとともにいくつか紹介した。

 休暇が社員の自己成長につながることや、人間的な幸福追求の話、モチベーション向上の効果、働きやすい職場づくりに努力している企業への自治体による特別な認定、といったことだ。

 純粋なビジネスの観点にとどまらず、社会的、哲学的、心理的、ときには脳科学的な観点など様々な知見が引用されたが、そのせいで話の軸がぶれていると感じることはなく、むしろ、ある一つの感情に訴えかける魅力的な演説を聞いているような印象を抱いた。つまり、僕はこの時「休暇を取りたい」と思ったのだ。こんな感情は社会人になって初めてだ。


 そして当然のことだけど、この感情は、以前から僕の中にある「常に働いていなければいけない」という思いと、激しく衝突する。

 休みたいけど、休むわけにはいかない。むずむずする。この矛盾を解消したい。


「しかしながら、休暇を増やそうと思って簡単に増やすことができたら、苦労はありません。多くの職場では、人手不足による多忙や取引先への影響の懸念から、なかなか休みを確保できないでいます。社員が自分が休むことに罪悪感を覚てしまったりすることや、職場に休暇を取りづらい雰囲気がある、といった意識的な側面も問題です。このような難しい事情を解消していく姿勢が、昨今の企業に求められる在り方となっているのです」


 一ノ瀬さんの説明が、僕の中のせめぎあいと一致した気がした。


「そこで、私たち『休暇代行士』が皆様に代わって休暇を過ごさせていただくことで、円滑な休暇取得をサポートいたします」


「あの、ちょっといいですか」


話を遮らないタイミングを見計らって僕は言った。


「はい、何でしょう?」


「代わりに休んでもらう、というのは、具体的にはどのような形で行われるのでしょうか? 仮に一ノ瀬さんが僕の代わりに1日の休暇を過ごすとして、一ノ瀬さんはその日どんなことをするのですか。あるいは、僕はその間何をしたらよいのでしょうか?」


 恐らく、質問をぶつけなくてもいずれ説明はされるだろうし、それに、実際どういう形であっても、僕は僕の代わりに休暇を取ってくれるという人がいるのなら、もうそれだけで満足ではあった。ただ、ビジネス上そういう部分はきちんと明らかにしておくべきだし、単純にこの興味深い業務が、どう履行されるのか気になって仕方なかった。


「はい。その場合でしたら、まずご契約者様となる藤宮様については、基本的にいつも通り業務を遂行していただくだけです。会社の勤怠記録の上では一切働いていないことになるだけで、特別なことをする必要はありませんのでご安心ください。

 そして代行士であるわたくしは、藤宮様がいつも過ごしているのと同じように過ごします。どこかへ旅行へ行ったり、買い物に行ったり、役所や銀行で手続きを済ませたり、家でゆっくりとくつろいだり……。そんな休日らしい休日を、できるだけ藤宮様の生活パターンに近い形で再現いたします。もちろん、家で過ごす場合はご契約者様本人のご自宅を利用させていただく形になります」


「契約者の生活パターンをはみ出るような行動はしない、というわけですか」


「事前にご契約者様から『このような休暇を過ごしたいと思っている』といった申し出があれば話は別ですが、基本的にはその通りです。ただ何も考えず休暇を過ごすのではなく、その人らしい休暇をきちんと取ることが、よい休暇であると私たちは考えております」


 そう言って一ノ瀬さんは少しほほ笑んだ。

 彼女の言う通りだ。休みの日は必ずスポーツクラブで汗を流す生活をしている人が「休暇代行サービス」を利用したとして、代行士が休み中ショッピングに夢中になって運動とは無縁の生活をしたらどうだろう? 利用者としては、「こんなの自分らしい過ごし方じゃない」と不満を感じるに違いない。


「なるほど、分かりました。ところで、代行士の方が休暇で使った食費や光熱費、娯楽費などの負担はどのようになりますか」


「先ほども申しましたが、ご契約者様に自分らしい休みを過ごしていただきたいというのが弊社の方針ですので、それらの出費はすべてご契約者様自身が負担することになっております。もちろん、どのような出費があったかは活動報告の中できちんとお伝えいたしますので、ご安心ください」


 お金についても特に心配なさそうだ。これなら契約してもいいだろう。


「課長、僕の方は問題ないと思いますが」


ちらりと課長の顔を見る。課長も納得したような表情だ。


「そうだね、藤宮くんが納得しているのなら、正式に契約を結ぼうじゃないか」


「はい、ありがとうございます」


 一ノ瀬さんがにっこりと笑った。



 この後、細かいサービス内容の確認をして、僕は契約書に「藤宮ツトム」の名を記した。


 利用期間は僕の希望で明日から1か月になった。僕が持ち腐れにしていた有給20日分と、その間の土日を合わせた日数だ。有給だけでなく普通の休暇日も利用できるのは便利だ。一ノ瀬さんは、さすがに初回の利用は数日程度にした方が無難だと言っていたし、佐々木課長は到底理解しがたいものを見る目で僕を見ていたけど、とにかくたくさんの休暇を取りたかったからこれでいい。


 明日から1か月間、僕は働き続けていられるし、同時に休み続けていられる。

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