最終話「好きですよ、湊」
あれから緩やかに月日は流れ、私はいつのまにか高校三年生になっていた。
今はその中盤に差し掛かったところで、今日は高校生活最後の文化祭がある日だ。
私のクラスは着物カフェをやっていて、かくいう私も今は着物姿である。紺色から白にグラデーションしていく生地の上に、一輪の菖蒲が大きく咲いている現代調の着物だ。
それを着て接客をしていた私も、今は休憩時間をもらってとある場所に向かっている。
着ているものがものだから、なかなか動きにくくて大変だ。しかも指定された場所は、まさかの屋上である。
教室棟とは別の特別棟のほうにある屋上まで行くのは、正直かなり憂鬱だった。
それでも私は足を黙々と動かし、やっとの思いで屋上に続く扉を開ける。
そのとき差し込んだ眩い光に目を細め、太陽に熱された風が柔く頬を撫でていった。
私を呼び出した人物は、どうやら先に到着していたらしい。緊張した面持ちを私に向けている。
「あの、すみません、急にこんなところに呼び出してしまって」
「いえ、かまいません。それで用事とは?」
今私の目の前にいる人は、相模くんも所属しているバスケ部で活躍中の、私の一つ下の後輩だ。
なんでも茉莉ちゃんについて行って観戦に行ったバスケ部の試合で、私を見て気に入ってくれたんだとか。これは相模くんから聞いたことなので、私は彼から呼び出されたとき、なんとなくその用事を察した。
そして案の定。
「榎本先輩、俺、榎本先輩が好きです。よかったら俺と付き合ってくれませんか」
今どきちゃんと対面で告白してくれる人なんて少ないから、私は彼のその勇気を尊敬する。
尊敬はするのだけど、告白をOKするかどうかはまた別の問題で。
「ごめんなさい。私、ずっと好きな人がいるんです。ですからあなたの気持ちには応えられません」
「……そう、すよね。いえ、知ってました、それは。ただどうしても、伝えたかっただけなんです。聞いてくれてありがとうございました」
なかなか好青年な彼は、私が気に病まないようにだろうか、笑ってそう言ったあとそのままこの屋上を去っていった。
あとに残された私の真上で、ぎらぎらと真夏の余韻を残した太陽が輝いている。
おかけでもう9月も終わりだというのに、日向はまだ暑くて。
しかも私は今着物だから、余計に外の気温を暑く感じる。
「そんなところでぼーっとしてたら、日射病にでもなるんじゃない?」
少しだけ呆れたような、不貞腐れてもいるような、そんな声が私の背中にかけられる。
私はすぐに振り返ってその人を見た。
「湊、よくここが分かりましたね」
「そりゃあ、君を捜してたからね。捜して、やっと見つけたと思ったら他の男に告白されてるし? 僕なんかが邪魔するわけにもいかないかなと思って」
「よく言いますよ。今まで散々邪魔してた本人が」
「あいつ意外としぶといんだよね。それとなく邪魔してもめげないし、だったらもう、ましろから断ってもらったほうが早いかなって」
「とんだ腹黒野郎ですね」
「それ言っちゃうの? その腹黒野郎が大好きなくせに」
「あなたもそれ言っちゃいますか? ……もう、そうですよ。大好きです」
「うん。それが聞きたかった」
「ふふ、拗ねると子供みたいな人ですね」
「それは仕方ない。ましろを手に入れるために、僕がどれだけ頑張ったと思ってるの。こうして生きてるのだって、ましろのためなのに」
「はい。感謝してます、それに関しては」
そう、高校一年の冬。
私が知る未来とは違う展開で起きた事故は、でもこちらも運転手の居眠り運転が原因だった。
一緒に登校する私と湊目掛けて突っ込んできた乗用車は、完全に私のほうを捉えていた。
気づいた湊が私を助けようと手を伸ばす。
一瞬で私の記憶は最初の事故に巻き戻り、私もそんな湊に手を伸ばした。
二人が二人とも、互いを助けようと動いたのだ。
今思うと、それが奇跡に繋がったのかもしれない。だって最初の事故のとき、私は突然のことに固まってしまって全く動けなかったから。
そんな私を自分を犠牲にしてまで押し出してくれたのは、私を庇って死んだ湊だった。
けど二度目の事故のときは違った。
車がトラックではなく、乗用車であったことも幸いしたのだろう。
そして私がもし本来いた場所から一歩も動けていなかったら、まともにぶつかっていたらしいということはあとから警察の人に聞いた。
だから湊の声に反応して、互いに手を伸ばした結果、私たちは奇跡的に軽傷で済んだというわけだ。
――"ほら、だから言ったでしょ? 僕らが付き合ってても、回避できると思うんだよねって"
本当にそのとおりだった。
湊を信じてよかった。
よかったんだけど、私より怪我の状態が酷かった湊は、命に別状はなかったとはいえ、事故直後は血を流して起き上がってくれなかったのだ。
その光景を二度も見せられた私としては、あのときは本当に生きた心地がしなかった。
「でも、あのあとのましろはかわいかったね。僕が目を覚ますとぼろぼろ泣きだして」
「人の心配をなんだと思ってんです。あのとき私、本当に怖かったんですよ」
「うん、僕も怖かった。ましろが轢かれそうになってるの見て、ぞっとしたよ。あんな思いは二度とごめんだ」
「私もです。ですから湊、生きててくれてありがとうございます」
「なに、急に。そんなことで僕の機嫌は直らないよ?」
「なんでですか、直してくださいよ」
「だって君、僕のこと彼氏じゃないとか言ったみたいだからね?」
「うっ、あ、あれは」
「あれは?」
湊が言っているのは、おそらく私が他クラスの女子に詰め寄られたときのことだろう。
相も変わらずおモテになる湊様は、学年が上がるたびに着実に男の色香を増していった。そのせいで私の元に時々怖いお客様が来ることがある。
それでもほとんどの場合、私はその彼女たちと真っ向から立ち向かう。一度失ってしまったと思った湊を取り戻した私は、ある意味心が強くなった。
けど湊の言っている人に関しては、ちょっといつもと毛色が違ったのだ。
「だってあれはっ、向こうが強すぎたんですよ!」
「ん?」
「湊は知ってました? あの人実はプロの女子ボクサーなんですよ。体格も身長も大きくて、目の前にどんっと立たれたときのあの威圧! しかもずずいっと顔を近づけられて『あんた九條くんの彼女?』とか鋭い眼光で睨まれたら、そりゃあさすがの私も『い、いえ』とか言っちゃいますよ! 私悪くない!」
「でもおかげで僕はその威圧たっぷりの人に延々と粘られたよ。彼女いないんでしょ? って。初めて女子に襲われる恐怖を感じた」
「でも……………………私悪くない」
「危うく唇も奪われそうになって」
「えっ」
「なんか体も狙われてた気がして」
「ええっ」
「それでもましろは……」
「う、く……っ」
湊がわざとらしく項垂れて私をチラ見する。
彼の魂胆なんて百もお見通しだ。おそらく私にそれを認めさせて、許す代わりに自分の言うことをいくつか聞くこと、という条件を出してくることだろう。
最近の私たちのケンカは、そうやって仲直りすることが多かった。
でもやっぱり私は悪くないとおも、う、のに……
「うぅ、私が悪かったです……」
湊の捨てられた子犬のような瞳には、どうしても勝てない。
たとえそれがわざとだと分かっていてもだ。
そもそも湊が捨てられた子犬のような瞳とか、わざとじゃなければあり得ないくらいに似合わない性格をしている。
「よし、認めたね。じゃあましろには僕の言うこと聞いてもらうから」
「途端に目を輝かせるのやめてもらえません!?」
「そうだなぁ、前はましろからキスしてもらったし、今度はなにしてもらおうね?」
「湊のバカ! そのためだけにあんなわざとらしい演技するなんて……!」
「はは、ましろはあれに弱いからね。でもさ、仕方ないよね?」
何がですか、と恨めしい目で睨んだ私の耳元に、湊がそっと囁いた。
――だって僕は、千年前からずっと君だけを求めてきたんだよ。
湊がよく言ってくるその「千年前」の本当の意味を、私が彼に教えてもらったのはもう少し先のお話。
その話を聞かせてくれた湊が「だから僕らは似た者同士なんだ」と、私のことが愛おしくて仕方ないというような瞳で告げてきたのを、私は一生忘れない。
互いに互いを求めて、時空を超えてきた私たち。
湊の言うとおり、本当に似た者同士だ。
でもそんな私たちだけど、また来世で会おうという約束はしない。
不確かな
変わらない明日が来ることが、絶対とはいえないのだと知ったあの日。
あの日から、私は今の大切さを思い知った。
だから伝えられる"今"に、私は彼への愛を紡ぐ。
「好きですよ、湊。過去のどんな湊よりも、一緒にいるたびに、私の好きは増えていくんです」
***
世界は、今日も穏やかに廻っている。
誰が生まれようと誰が死のうと、世界は変わらず廻り続ける。
この世界で、彼らはとてもちっぽけな存在だ。
だがちっぽけだからこそ、彼らは必死に生きている。
私はそんな人間の輝く魂が好きなのだ。
私が与えるチャンスを、どう生かすは人の子次第。
今回の人の子は、私の言葉に惑わされず、自分を、そして相手を信じて幸せな日々を掴み取った。
全ては彼女たちが自分で選んで切り開いた道だ。その選択を、私も喜ばしく思う。
さてさて。
ではお次は、どの人の子の人生を見せてもらおうか――
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