未来から来た女「あなたと二人なら……」


 この一年、色々なことがあったなぁと私はしみじみと振り返る。

 

 湊と二度目の初めましてを経験して、彼に嫌われようと画策した4月。

 でも結局うまくいかなくてもたもたしていたら、いつのまにか茉莉ちゃんと相模くんが付き合うようになった、嬉しいこともあった5月。

 けどそうして油断していたら、ストーカー男がまさかの湊もいける発言をしてきてふざけんなとキレた6月。

 まあこれはなんとか事なきを得て、湊が汚名をかぶることもなく、私の目的の一つは果たされた。

 けれどこの事件をきっかけに、私は湊に自分が未来から来たことを打ち明けたのだ。

 信じてもらえるかどうかは、出たとこ勝負だったけれど。

 意外にも湊はすんなり信じてくれた。

 そうして私が未来から来た理由を告げれば、彼は私に一つの案を提示する。



 ――"今日から僕と君の、二人だけのゲームを始めよう"



 ゲーム? と最初は首を傾げた私も、内容を聞けば絶対に負けられないと思った。

 だって湊が提示してきたそのゲームというのが、ようはどちらが最初に折れるか、というものだったからだ。


『僕は君に好きだと言いたいし、それをこの先我慢しなきゃならないなんて地獄だ。でも君は僕とは付き合いたくないって言う』

『そうですよ。だってそうすればあの日、ケンカなんかして飛び出した私を助けて、湊が死ぬこともなかったんですから!』

『うん、君の後悔も、分からないわけじゃないんだ。もしそれが逆だったら、僕は自分を殺してる』

『湊……冗談に聞こえないんですが』

『だって本気で言ってるから。まあそれは置いといて。とにかくそれさ、別に付き合ってても回避できるような気がするんだよね、僕としては』

『で、でも、あのひとが言ったんです。二人が付き合わなければ、きっと事故は回避できるよって』

『あのひと? って誰のこと?』


 途端に眉を顰めた湊に、私は私を過去に戻してくれたひとのことを教える。

 そのひとは自分のことを時空の神と名乗り、退屈しのぎに君の人生を見せてくれと言ってきた。

 湊が死んで絶望していた私の声に、あのひとは反応したのだと言う。

 そしてあのひとは言った。すでに起きてしまった過去を変えるには、大きな変化を生まなければならないと。

 そのために一番手っ取り早いのは、君たち二人が交際していないことかもしれないね? とも。

 だから私はそれを信じて、本当に過去に戻してくれたあのひとの言葉を信じて、湊とは付き合わないようにしてきたのだ。

 けど湊は、そう言った私に対して。


『じゃあ榎本さんは、どこぞの自称神と僕だったら、その胡散臭い自称神のほうを信じるってこと?』


 いや、そういう問題じゃないでしょう!

 たまらず私は叫んだ。

 真剣な表情で何を言ってるんだ、この人は。そこ拗ねるところじゃないと思うんです。


『じゃあやっぱり勝負しよう。君に「好きです、私と付き合ってください。私には湊しかいないんです!」と言わせたい僕と……』

『なんか具体的すぎません!?』

『僕を守るためとはいえ、絶対に僕とは付き合いたくないと言う君。どちらが先に折れるか、勝負しようよ』

『……つまり、私に告白させたら湊の勝ちで、湊と付き合わずに事故の日を何事もなく終わらせたら私の勝ち、ってことですか?』

『そういうこと』


 かくして私たちは、二人だけのゲームを始めた。

 きっと他の人が聞いたら呆れるようなことかもしれないけど、私たちは互いに真剣だった。

 

 そういう事情を抱えてしまったせいで、湊による公衆の面前でもどこ吹く風といった告白の嵐を、私は毎日受けることになる。

 それは卑怯ですと言った私に、湊はニヤリと悪どい笑みを浮かべて。


『だって、前は付き合ってたから虫除けもできたと思うけど、付き合ってない今はそれもできないでしょ? でもこうやって毎日僕が口説いてたら、僕より自信のない奴は君に手を出そうなんて考えもしないだろうからね。ようは告白兼虫除けだよ。合理的でしょ?』


 そんな合理性は誰も嬉しくない。

 と言いたいところだったけど、湊が見せてくれるその独占欲に、不覚にも私はきゅんとしてしまった。

 ちょっと心臓仕事して。ちゃんと仕事して。湊にときめいたらダメなんですよ分かってんですかおまえは!


 そんなこんなで逃げ回った7月。

 夏休みは学校に行かなくていいので湊から離れられる! と思った私は大バカ者だった。

 言ってしまえば、湊と出逢ってから初めて迎える彼のいない長い休み。ここで私は、自分の湊への想いの強さを再確認させられる羽目になっていた。

 一日一日がとても長くて、学校で顔を合わせるときはあんなに告白してくれてた湊は、ラインの一つも寄越さない。私のIDを知っているくせに。

 もともとそういうのが得意な人ではなかったけれど、それでも付き合っていた頃は短くても連絡をくれたりしていた。

 しかしそう思って、私ははたと気づく。

 これじゃあまるで、湊から連絡がないのを寂しがっているみたいじゃないか、と。


 ゲームの内容的に私から連絡を取るのは憚られる。

 そもそも寂しいという感情を持つこと自体が負けへの一歩を踏み出してしまっているようで、なんだかとてももやもやした。

 気分を紛らわせようと別のことをしていても、結局考えるのは湊のこと。

 そんなとき、茉莉ちゃんから花火大会のお誘いを受ける。

 湊も来るという連絡を受け取った私は、もうほんと、自分でもかわいそうになるくらい舞い上がってしまった。

 浮かれて浴衣なんか着て、何度も何度も髪の毛をチェックしながらみんなを待つ。


『……もしかして、榎本さん?』

『湊! は、早いですね』

『いや、それは榎本さんも同じで……てか、なんで浴衣なんて着て来ちゃったの』

『に、似合ってないですか?』

『君はもう少し自分が中身と見た目が一致しないことを理解したほうがいいと思う』

『……それ褒めてます? 貶してます?』

『中身はかわいい人なのに、見た目は色気ある美人だから困るって言ってるの』


 あれですね。このときの湊のセリフは今思い出しても悶え死にそうです。浴衣マジックって本当にあるんですねと、私はこのあと茉莉ちゃんに力説したような気がする。

 でもお祭りを回っている間に私が湊に会えなくて寂しがっていたことを茉莉ちゃん経由でバラされてしまい、結局私の心はお祭りを楽しむ余裕なんてなくなってしまった。

 湊に散々それでからかわれたのは、もちろん言うまでもないだろう。

 それでも、楽しい思い出ができた8月。

 

 ようやく夏休みが明け、すぐに学校では文化祭が始まった。

 私たちのクラスが劇をやるのはもちろん知っていたので、私は一年前と同じく衣装係に立候補しようとした。

 なのに、なのにですよ? 湊というふざけた野郎が「榎本さん、白雪姫で」とか勝手に推薦してくれちゃったものだから、クラスメイトたちは面白がって湊を王子役に抜擢した。

 もちろん私は湊を問いただした。なんでそんな勝手なことをしたんですかと。

 そうしたらあの大魔王、なんて言ったと思います?



『きっと君のことだろうから、どうせ前は衣装係でもやったんだろ? じゃあせっかく二度目なんだから、違うことをやらないとね』



 そんなの誰も求めてない。

 納得のいかなかった私は、盛り上がるクラスメイトたちに「だったら」と一つの提案をした。

 


『だったら男女逆転の劇がいいです! 白雪姫を九條くんに!』



 そう言った瞬間の女子の盛り上がりようは、今でも耳が痛くなる。

 湊はもちろん不満な瞳を私に向けてきたけれど、私は逆に高笑いしてやった。

 こうして私たちのクラスは、私も知らない「白雪姫と7人のオカマたち」という題目で劇を行うことになったのだ。小人は女装した男子のほうが面白いということで、題に「オカマ」が入っている。

 爆笑を誘ったのは言うまでもない。

 ただ誤算だったのが、湊は女装しても綺麗だったということ。しかも下手したら本物の女子がやるよりも綺麗で、その肌もザ・白雪姫! という感じで、この日だけは男子もライバルになったのは本当に思惑違いだった。

 もう二度とやらないからと、絶対零度の笑みで怒られた9月。


 そして季節は本格的な秋になり、私と湊の勝負もまだ続行していた。

 けれど文化祭の影響があってか、この頃から湊に告白する女子がだんだんと増えてくる。

 湊じゃないけど、前は付き合っていたから、そんな湊を見てもまだ心に少しの余裕があった私も、今はそうじゃないから心の余裕なんてものは存在しない。

 湊は毎日のように私に告白することで他を牽制していると言っていたけど、それもできない私では牽制する手段が思い浮かばない。

 しかもあんなに告白されておきながら断っている身で、牽制も何もあったものじゃない。

 とにかくやきもきして、面白くない日々を過ごした10月。


 それから2学期の期末テストがあった11月が終わり――このときには学年1位を奪取――短いとはいえまた湊に会えなくなる冬休みの12月を心も体も寒々しく過ごし、湊との勝負もいつのまにか終盤となる1月をなんとか乗り越え、ついに、運命の2月がやってきた。

 

 ちなみに、このときの私と湊の勝負はというと。


「おはよう、榎本さん」

「おはようございます、湊。あれ、今日は手袋してないんですか?」

「うん。手袋よりあったかいもの、やっと手に入れたからね」

「…………そうですね」


 結局、運命の日を迎える前に、私のほうが折れて負けてしまったのだ。

 

「はは、不満そうな顔だね?」

「だって! ……だってあれは、卑怯だと思うんです」

「え〜? そうかな? あれも作戦のうちだよ。でもおかげで、ようやく君から告白してもらえたからね。やってよかったと思ったよ。なんだっけ『湊のこと一番好きなのは私なんですから、あんたは引っ込んでなさいってんですよこの小悪魔ガールが!』だっけ」

「あああああ違います最悪です私は何も聞こえません!」

「ちなみに教えておくとね、小悪魔ガールってあんまり悪口に聞こえないよね」

「だって咄嗟に浮かんだ言葉がそれだったんですもん! 男の人を誘惑する女ってそう言うじゃないですか! 私はテレビの言うことを真似しただけですっ」

「まあ別になんでもいいんだけどね? あの役をお願いした茉莉の友達が、それ言われて実は吹き出してたの気づいてた?」

「なっ、そんなの知りませんよなんで笑われてんですか私は!」

「いやほんと、いじめがいがあって嬉しいよ、榎本さん」

「私はちっとも嬉しくないですよっ」

 

 そう、私はちっとも嬉しくない。

 この男、九條湊とその愉快な仲間たちに騙されて、私はまんまと湊に好きだとってしまったのだ。2月に入ってすぐのことだった。


 茉莉ちゃんから、なんでも湊を狙っている女子がいると聞いて、それ自体はそんなに珍しくないから内心ドキリとしながらも私は平静を装って応えた。

 けれどどうやらその狙っている女の子は、色んなイケメンを食っては捨て食っては捨ての、男遊びの激しい女の子とのこと。さらに一度狙いを定めたターゲットは、釣れるまで全力でアプローチに入るんだとか。

 それを聞いた私はいてもたってもいられず、「実は前々から狙われてたらしいんだけど、さっき湊がその人と校舎裏に行くのを見て……」という今思うとかなり迫真の演技をしていた茉莉ちゃんの言葉に騙されて、教えてもらった校舎裏へと足を急がせた。

 

 湊の告白を断っている私だから、湊のことを本当に好きで告白する女子にはもちろん何も言えない。

 けど、湊をただの遊び相手として選ぶような人には、私にだって何か言う権利はあるだろう。

 とまあ、そんな感じで。

 現場に到着した頃には、すでに私の頭は怒りで沸騰していた。

 そのせいか、その女子から次々と挑発めいたことを言われるたび、私は冷静さを失ってしまっていったのである。

 おかげでさっきの湊が言ったようなセリフを全力で叫んでしまって、その瞬間湊に抱きしめられた自分の体にしばし固まる羽目になる。

 いつまでそうしていただろう。私のフリーズ状態が溶けるまで、湊はとにかくずっと、まるで今の喜びを噛みしめるようにぎゅうっと私の体をきつく抱きしめていた。

 やがて。

 


 ――やっとってくれたね? 僕が好きだって。



 毎度のごとく意地の悪い笑みを浮かべて、彼は私の頬にキスを落とした。

 

「今思うと、茉莉ちゃんの友達のあの人、女優いけるんじゃないですか。まんまと騙されました」

「そりゃあ演劇部でもあるからね。それ伝えたら喜ぶんじゃない?」

「でも湊も湊です! あの人に迫られて鼻の下伸ばしてたくせにっ」

「まあ悪い気はしないよね」

「――!」

「なんて、君にやきもちいてもらえるのもなかなかいいもんだね」

「なっ、全然よくないですよ! 私が今までどれだけやきもきしてきたと思ってるんです? 湊みたいに牽制なんてできないから、いつもいつも茉莉ちゃんに宥めてもらってたんですよっ」

「へぇ、それはいいこと聞いたな。でも僕からも言わせてもらうとね、ごくたまに僕の牽制に気づかない奴とか身の程を知らないバカが君に何度か近づこうとしてたから、それの排除に苦労したんだよ?」

「は、排除……?」

「そう排除。高校に入ってから、今まで人から言われたことない? 榎本さんって、モテそうでモテないよね、とか」


 そう言われて私は心当たりにぶつかった。

 そういえばクラスの女子たちに「榎本さんのこと狙ってる男子とかたまに聞くんだけど、意外と告白はされないよね、榎本さんて」となら言われたことがある。

 

「まさか……」

「告白なんてさせるわけないよね。またあの中原くんみたいによからぬことをしようとする男だっているかもしれないし」

「あれは限りなく少数派だと思いますけど」

「それでも、可能性がわずかでもあるならその芽は潰す。……こんな僕を、君はどう思う?」

「……非常に残念ながら、そんな湊を変わらず好きだと思ってしまう私は、もう病気ですかね?」

「はは、そっか。そういえば君も、未来からわざわざ来ちゃうくらいには、僕に執着してくれてるんだもんね」

「うっ、まあそうなりますね」

「……似た者同士ってところかな」

「え? 何か言いました?」

「いや。今はまだ、何も」

「?」


 すると誤魔化すように、湊が私のまぶたに軽いリップ音を響かせる。

 朝の、しかも登校中になんてことをしてくれるのか。私は沸き起こる照れをぶつけるように湊の背中をばしんと叩いた。

 

「さて。じゃあ今日は榎本さんの言う運命の日なわけだけど」

「はい。絶対に、あなたを死なせはしません」

「うん。僕も君を遺して死にたくはないな。そのあとの君をもう知ってしまっているから」


 私が湊とのゲームに負けて、また付き合うようになったとき。

 私たち二人はもちろんこの日のことを考えた。そうして出した結論は、いたってシンプルなもの。

 

 湊はこの日に限っては女子の呼び出しに応じないことにして。

 私はもし万が一湊が他の女子にキスされてしまったところを見ても、怒らないということ。

 

 やっぱり嫌なものは嫌だけど、あの日、怒りで湊の話を聞こうとしなかった私では知り得なかった彼の気持ちを聞けたから、きっと大丈夫。



 ――"榎本さん以外の人とするキスなんて、キスにカウントされないよ。嬉しくもなんともないしね"

 


 こんなに私のことを想ってくれる人の話を、一年前の私はどうして聞かなかったのだろう。今さら後悔しても遅いけれど、そう思わずにはいられなかった。

 いや、でもまだ、後悔も遅くはないはずだ。

 私たちはこうして二人、一緒に生きているのだから。

 二人でこの日を乗り越えると決めている。

 きっと私一人では、色んなことがフラッシュバックして結局何もできなかったかもしれない。

 時空の神というあのひとの言葉だけを信じて、付き合わなければ大丈夫だと曖昧な根拠だけを持って、この日を迎えたことだろう。

 

 でも、湊と一緒に乗り越えるんだと思うだけで、不思議と私の胸の内には恐怖だけじゃない感情も生まれてくる。

 一人では生まれなかっただろう、勇気が湧いてくるのだ。

 二人なら絶対大丈夫だと、私たちは確信していた。

 

 


 けれど、運命というものは。

 時に残酷に、己の身に降りかかってくる。


 それが起きたのは本当に一瞬の間だった。

 高校の門の手前にある、最後の横断歩道。

 私の知っている未来では、湊は今日の夕方に轢かれる。

 けれど鼓膜をつんざくブレーキ音が、今日一日頑張ろうと気丈に笑い合っていた私たちの間を突き抜けた。

 

「危ない榎本さんッ!!」

 ――"危ないましろッ!!"



 重なった光景が、私を再び絶望の底に叩き落とす。



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