前世の記憶を持つ男「無理だよそんなの」


 たとえば、祐介なんかが「実は俺、未来から来たんだ」とか言っちゃった場合。

 僕は間違いなくあいつに腕のいい精神科医を紹介することだろう。

 脳外科医じゃない。精神科医だ。


 たとえば、茉莉なんかが「実は私、未来から来たんだよね」とか言ってくれちゃった場合。

 僕は間違いなく茉莉に腕のいい内科医を勧めることだろう。きっと体調不良でおかしな夢でも見たんだな、とでも思って。


 けど。

 それが榎本さんの場合。

 どうやら僕はすんなり受け入れるらしい。

 


 ――"実は私、未来から来たんです"



 そう告げられたとき、僕は何よりもまず「同じだ」と思った。

 前世の記憶を持つ僕と、ある意味同じだ、と。

 不思議な巡り合わせ。

 過去を知っている僕と、未来を知っている君。

 そんな僕たちは、現実いまを一緒に生きている。


「すみません、急にこんな話。信じられませんよね?」

「いいや? それについては僕自身も意外なんだけど、なんかすんなり受け入れてて。むしろなるほどね、だからか、ってな感じで腑に落ちることがたくさんあるんだよね」


 正直な感想を伝えると、榎本さんのほうが逆に僕を驚愕の瞳で見つめてくる。

 まあ、そりゃそうだよなぁと僕は頭を掻いた。

 そんな話、普通は受け入れられないからだ。受け入れられると思って話す奴は、きっと本気でその話をしていないか、またはただのバカだろう。思い込みの激しい奴とも言う。

 僕だって前世の記憶があることを、今まで誰にも打ち明けたことはない。こんな話を打ち明けたところで、信じてくれる人もいなければ、共感してくれる人もいないからだ。

 ただ虚しさだけを生むのなら、いっそ最初から自分の中に封印しておいたほうがいいに決まっている。


「あ、あの。腑に落ちるって、なにが……」


 なぜか立場が逆転している僕らがおかしくて、僕は小さく笑みをこぼしてから口を開いた。


「たとえば、あの中原くんのこととか」


 実はあいつが榎本さんのストーカーを始めた直後、僕はあいつを捕まえて一度だけ脅したことがある。

 そのとき訊いたんだ。いつからこんなことをやっているんだって。

 そうしたら幸いなことにそのときがちょうど初日だったみたいで、僕は榎本さんに被害が出る前でよかったと心底安堵した覚えがある。

 なのに榎本さんはまるであいつがストーカーすることを分かっていたみたいに、最初からあいつに本気で嫌悪感を表していた。

 ほぼ初対面の人にそんな対応をするとは、とても思えないような彼女が。実際、彼女と同じ魂を持つ"彼女"だって、そんなことをするような人ではなかったから。

 僕との初対面のときだって、口こそ悪かったが、今思うと全身から醸し出される雰囲気が中原くんのときとは全然違っていた。

 

「それも榎本さんが未来から来たって言うなら、納得できるかな。中原くんにストーカーされること、知ってる感じだったからね」

「……はい。知ってました。でも以前は、私が中間テストで1位を取ったことが原因で、あいつに目をつけられたんです」

「なるほど。だから君、頭良さそうなのに41位だったんだ? でもそれなら、そんなに順位を下げなくてもよかったんじゃない?」

「いいえ。あんな奴の近くに自分の名前を並べてほしくなんかありませんでしたから」


 そこまで嫌ってたのか、中原くんのこと。


「それに、私があいつを嫌悪しているのは、ストーカーのことが原因ではありません」

「違うの?」

「一因ではありますけれど、最大の理由は、あいつが湊を嵌めて暴力事件をでっち上げたからです」

「えーと、その"湊"っていうのは……」

「未来のあなたのことです」

「マジか」


 中原くん、やっぱり殴っておけばよかったかな。

 まあでも、なんとなくそのときの全容が分かってきたかもしれない。


「もしかして、榎本さんをストーカーしてたあいつが、僕を邪魔に思って嵌めたってとこ? 今回みたいに君が襲われていたのならまだしも、僕はたぶん自分のことでは怒らないだろうから、タイミングよく……いや、先生が来るタイミングを見計らって『こいつに殴られました!』って事実無根の言いがかりをつけてきた、って感じかな」

「……凄いです。見てきたように言うんですね。……え、まさか」

「残念ながら、僕は未来は知らないよ」

「ですよね。まあでも、だいたいそんな感じです。私がストーカーされていたことを公にすれば、湊のことを助けられると思ったんですが」

「きっと僕が許さなかったんだろうね」


 榎本さんが「そのとおりです」と僕を恨めしそうに見つめながら頷いた。

 ごめん、怒ってるんだね。でもできればその怒りは未来の僕にぶつけてくれるとありがたい。


「結果、湊は一週間の停学処分。私が過去に戻ってきた一番の理由は別のことですけど、せっかく戻ってきたんです。湊の汚名を雪ぐいい機会だと思いました。そのためには、湊を私に近づけるわけにはいかなかったんです。あいつに湊を認識されないように」

「ああ、だから中原くんが教室に来たとき、いきなり態度変えたんだ?」

「そうですよ! なのに私なんか追いかけてくるから……っ。あなたは本当、全然私の思いどおりになってくれなくて大変です」

「そうなの? それはどうも」

「言っときますが褒めてませんからね!? 今回も危うかったじゃないですか!」

「でも証拠握ってたし。……ん? ちょっと待って。その未来のほうは、僕って証拠掴まなかったの? 今回みたいに」


 なんとなく不思議に思って訊いてみれば、榎本さんがうっと喉奥で唸って視線を彷徨わせた。

 その予想外の反応に、僕は未来の僕を罵りたくなる。

 何やってんだ僕。自分の大切な子を守るために、それくらいのことはやってみせろよ。


「違うんです。そのとき湊は、その、あいつがいつ私に接触してくるか分からなかったので、私と一緒に帰ってくれていたといいますか……」


 ああなんだ。

 それを聞いて僕は少しだけ安心した。ちゃんと彼女を守ろうと動いていたのか。

 でも一緒に帰って護衛とか、なんて羨ましいポジション。そんなのまるで……


「へぇ。未来の僕は、まるで榎本さんの彼氏みたいだね、なんて――」


 未来の自分に嫉妬なんて相当バカげているとは思うけど、どうしてもそう言わずにはいられなかった。

 それでも僕が真剣に言っていると思われないよう、茶化した言い方で言葉を濁す。

 そう、茶化したんだ、僕は。

 つまり本気でそんな関係になっているとは思っていない。

 思っていなかったのに。


「あ、う、じ、実はその、付き合ってました、ので……」

「……は?」


 僕は自分の耳を疑った。

 祐介が精神科で茉莉が内科なら、きっと僕は耳鼻科に行かなければならないのだろう。


「ごめん、もう一回言って。よく聞き取れなかった」

「ですから、私と湊……えーと未来の湊? は、付き合ってたんです。その頃にはもう」

「……………………付き合ってた? 僕と、榎本さんが?」

「そ、そうです」

「だってまだ入学して三ヶ月ぐらいしか経ってないのに?」

「確かにそうなんですけど、お互い割と早くに意気投合しまして」

「僕のことはあんなに拒んで時には辛辣な言葉まで吐いてた榎本さんが? 未来の僕にはすぐに惚れちゃったっていうこと?」

「ほ、惚れっ……そうですけどそれがなにか!?」


 顔を真っ赤にした榎本さんが、なぜか涙目で僕に逆ギレしてくる。

 いやでも、正直泣きたいのはこっちだ。なんで未来の僕はよくて、今の僕には落ちてくれないんだ、この人。

 どっちも同じ僕じゃないの?


「これは由々しき事態だよ、榎本さん。どういうこと? 未来の僕にはあって、今の僕にはない魅力でもあるの?」

「いやいやいや! 何を勘違いしてんです!? 私別に今のあなたが好きじゃないとは言ってませんよね?」

「好きとも言われてないけどね」

「うっ」

「なのに未来の僕は言ってもらえてたってわけだ? 君に、好きだって。いや、そういえば『湊のこと大好きなんです』とも言ってたような……」

「ちょっとバカなんですかあなたアホなんですかあなた! それを掘り返さないでくれません!? だいたいその『湊』があなただって言ってんですよ私はっ!」

「でも僕は聞いてない。しかもそれだって他の男に言ってるんだと思って聞いてたから、正直実感が湧かない」


 そう思うと、僕は今までずっと自分自身に嫉妬していたというわけで……。

 あ、ダメだ。これ考えちゃいけないやつだ。考えたら恥ずかしくて死ねるやつだな。

 しかも確か僕「『ミナト』なんかより僕を好きだって言わせよう」とかなんとか意気込んだことなかったっけ?

 え、バカじゃない? その『ミナト』っておまえ自身のことだよ!


(ああああ知らない知らない僕は何も知らない、知らなかったんだっ!)


 そりゃ同じ名前なのも納得できるというものだ。だって同じ人間なんだから。

『ミナト』なんか榎本さんに嫌われればいいとか思ってたけど、今思うとなんか、複雑だな。


「榎本さん」

「なんですか腹黒大魔王」

「君、実はやっぱり僕のこと嫌いだろ?」

「違います。好きです」

「ああうん、知って――――え?」

「そうですか。知ってましたか。じゃあもう言いません」

「いや待って。ごめん。今のは本当に僕が悪かったから、もう一度言ってくれない?」

「嫌です。これでもかなり勇気を振り絞ったんですから。そもそもですね、私が過去に戻ってきた一番の理由をまだ伝えてません」

「分かった。じゃあ榎本さんの気持ちを聞いてからそれも聞こう」

「なに真面目な顔してふざけたこと言ってんですか! そんなものよりこっちのが大事なんですよ!」

「いや、まずは君の気持ちが一番知りたい。僕がどれだけおあずけくらったと思ってるの。嫌われてると思いながらも好きな子とのキスを拒めない僕を弄んで楽しかった?」

「ちょっと!? なんか私、かなりの悪女になってません!?」

「今の僕にとってはそうにも見える。でも君がちゃんと気持ちを伝えてくれたら……さらに伝えたあとにキスしてくれたら、僕も今までのことは水に流そうと思うんだけど」

「なんか要求増えてますよ!」

「榎本さん」

「くっ……」


 僕は自分の顔面偏差値がいいことを最大限に利用して、じっと榎本さんを見つめる。

 僕が初めてこの姿を見せたとき、彼女からの反応はとても好感触だった。つまり、榎本さんの好みはばっちり押さえているはずだ。しかも付き合っていたというのなら、なおのこと。


「う〜っ、で、でも私、本当に湊が大切なんです」

「つまり?」

「た、大切で、大事で、湊のためならチーズだって食べれます」

「吐くほど嫌いなのに? それはありがとう。で、つまり?」

「や、ですから、つまりそういうことなんですよっ」

「それじゃ納得できない。なんで言ってくれないの」

「だーかーらぁ! それを話すためにも続きを話させてくださいって言ってんですよっ!」


 ついに僕の攻撃に耐えきれなくなったのか、榎本さんが腹の底から叫んだ。

 肩で息をして僕を睨んでくるけど、正直全然怖くない。

 でもこれ以上攻めるのはさすがにかわいそうになってきたし、意外と口を割らない榎本さんを見ていると、たぶん本当にその一番の理由を話すまで彼女は何も言ってくれない気がして、結局僕のほうが折れることになっていた。

 

 そうして明かされた、真実は。

 未来の僕の、とてもとてもバカとしか言いようのない結末だった。


「――――なるほど? つまり僕は、榎本さん以外の誰とも知れぬ女にキスされて、そのせいで君に大っ嫌いと逃げられて、挙げ句の果てに榎本さんを遺して車に轢かれたと」

「そ、そうです、けど……やっぱり怒ってます?」

「ああ、安心して。君には怒ってないから。怒るとしたら、それは僕自身にだよ」


 にっこりと口元に弧を描いて安心させるつもりで言ったのに、なぜか逆に榎本さんの顔はさあっと青ざめていく。

 どうしたんだろ。僕は君には怒ってないって言ったんだけどな。


(そうだよ、腹立たしいのは未来のおまえだよ、九條湊。なんで他の女なんかにキスされてんの? それを見られて一番好きな子に嫌われるとか究極のバカだろ。しかも最後死んでるって…………おまえがそんな間抜けだから、遺された榎本さんがあんな思いをする羽目になったってことじゃないか)


 いつかの昼休み、屋上で昼食を食べ終えた榎本さんが、倒れるほど取り乱したことがあった。

 そのときは彼女が必死に名前を呼ぶ『ミナト』に嫉妬と羨望の感情を抱いたけれど、それが僕自身だと分かれば羨望なんてとんでもない。羨ましいことなんて一つもない。

 彼女に遺される者の辛さを味わわせて、おまえはそれで本当に満足か。彼女を守れてよかったと、そう思って逝ったのなら、僕がぼこぼこに殴ってもう一度昇天させてやる。

 

(……けど、榎本さんを死なせなかったことに関しては、唯一褒めてやらないこともないけど)


 ちらりと視線を彼女に移せば、彼女は僕の様子を窺うようにそわそわとしていた。

 彼女曰く、だから今の僕にはそういう好意的な言葉は伝えられないのだと。

 伝えてしまったら、また僕らは以前のように恋人同士の関係になる。僕が死んだのは自分の嫉妬のせいだと思い込んでいる彼女は、そういう状況に再び陥らないよう、僕とは恋人同士になりたくないんだとか。

 だからこそ、最初は嫌ってもらうために、初対面からいきなりエンジン全開で僕にぶつかってきたらしい。

 

(なんというか、焦点がズレているというか。そんなところもかわいいというか)


 いや、ダメだ。僕も焦点がズレてきている。

 でも、過去に戻ってまで僕を救おうとしてくれる榎本さんに、僕はもう自分の感情を止めることなんてできそうにない。

 好きな子にそこまで想ってもらえて、惚れ直さない男がいるか? いるわけないだろ。

 ほんと勘弁して。もうやばい。

 やばいくらいに好きだ。大好きだ。

 君を抱きしめたい。君も僕と同じ気持ちなら、今度こそ両想いのキスをしたい。その先だって君とじゃなきゃしたいとも思わない。

 こんなにも愛しい君への気持ちを、君に伝えるなって? 

 無理だよそんなの。

 僕は我慢強いほうじゃないんだから。

 

「じゃあ榎本さん、僕から一つ、提案があるんだけど――」



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