前世の記憶を持つ男「やっぱこいつダメだな」


「ほんとおまえは、学習能力ってものがないね?」


 そう言って嘆息した僕に、勢いよく抱きついてきたのは榎本さんだった。


「ダメです湊! やめてください!」


 たぶん僕が振り上げた腕を見て、こいつに殴りかかると思ったんだろう。

 

「大丈夫だよ、榎本さん。これはあまりの呆れに頭を抱えたくなっただけだから。こんな奴、殴る価値もないよ」

「湊……」


 僕の言い訳を信じてほっとしてくれる榎本さんに内心で謝って、僕はとりあえず掴んでいた中原の襟首から手を放した。

 本当は、ちょっとだけ殴ろうとしていたけれど。

 でもそのときどうしてか、僕の頭の中で"彼女"が「だめ!」と叫んだ気がして、僕はなんとか自分の衝動を抑える。

 それでも榎本さんが抱きつくように僕を止めてくれなかったら、やっぱり僕は中原を殴っていたかもしれない。

 それだけのことをこいつはやったんだ。ドアを開けた瞬間に飛び込んできた光景に、僕がどれだけあいつに殺意を抱いたことか。

 殴られなかったのは奇跡だと思ってもらわないと。

 

「で、中原くん。僕はおまえに散々忠告したはずなんだけど、どうしてまた榎本さんに近づいてるのかな?」

「え?」


 隣から聞こえた短い驚きの声に、僕は苦笑して彼女の頭を優しく撫でる。

 彼女を怖がらせないよう、せっかく裏で色々と動いていたのに、その全てをこいつは台無しにしてくれたんだ。やっぱり殴っときゃよかった。


「ち、違うっ。お、おまえ……彼女につきまとってるのは、おまえのほうじゃないか!」

「それはちょっと違うよ。僕は榎本さんにつきまとうおまえにつきまとっただけだ」

「え、え? どういうことです?」


 榎本さんは僕らの話についていけないといった感じに、頭の上にたくさんのハテナマークを浮かべていた。

 それもそうだろう。だって僕が、彼女には気づかせないようにしていたんだから。中原が榎本さんをストーカーしているということを。

 そして僕はただ、そのストーカーしていた中原を見張っていただけだ。

 

「なんで、なんでおまえが俺につきまとっ――――まさかおまえ」


 と、そこで何かに気づいたように僕を見てきた中原に、なんだか嫌な予感がした。


「おまえ、お、俺のことが好きなのかっ?」

「そんなわけないだろうが頼むから脳外科に行って二度とそこから出てくるな」


 隣の榎本さんはまるで人外を見るような目で中原にドン引きしている。

 やばいやばいとは思っていたけど、こいつの思考回路ってほんとどうなってんの。脳外科の名医でも治せないんじゃないだろうか。


「も、申し訳ないけど、俺が好きなのは、ここにいる俺のアプロディーテ様だけだから……」

「ねぇ榎本さん、やっぱりこいつ殴っていい?」

「奇遇ですね湊、私も殴ってやりたくなってきました。先生が来るまでに殴って偽装工作でもしましょうか」

「いいね。勝手に転んで楽器に頭ぶつけたとでも言っておく?」

「名案です。どの楽器にします?」

「そうだなぁ、うんと痛いやつで」

「ま、待て! 待ってくれ。分かった、分かったから。女神とおまえの、ふ、二人と付き合えばいいんだろ!?」

「「それ何も分かってない(です)から!」」


 なに。なんなのこいつ。本当になんなのこいつ。

 男の僕でさえ気持ち悪くなってきたんだけど。てか、え? 僕男として見られてないの? いや変な意味で見られても困るけど。


「お、おまえは、その、見た目が綺麗だから、いける」

「いやあああっ湊をそんな目で見てんじゃないですよこの変態! ふざけんな今すぐ警察に突き出してやります! じゃないと危険っ。湊が、湊がっ」

「榎本さん落ち着いて。さすがにこいつなら返り討ちにできるから」

「そういう問題じゃないですッ」


 いや、うん、僕もそれは分かってるんだけどね?

 でもこいつの狙いが榎本さんから逸れたのは、僕としては喜ばしいことで。

 もちろん本気で僕のほうにきたらトラウマでも植え付けてやるつもりではあるけれど。


「まあでも、あれだね。中原くんてさ、ようは誰でもいいの?」

「そんなっ。それは違う! 彼女は気分の悪い僕に天使のような微笑みを向けてくれて、かと思ったらアプロディーテのような色気があって……そ、それに、柔らかかったし」

「なんだって?」

「……え?」

「今なんて言ったおまえ」

「え、だ、だから、柔らかかったって……」

「それは聞き捨てならないな。榎本さん、こいつにさわられたの?」

「いやいやいや! 触らせてませんよ! 腕を掴まれたくらいで……って腕のこと言ってんですか!?」

「あの、俺、同い年の女子の手を触ったの、実は初めてで」


 照れ臭そうに頬を掻く中原に、僕は固く心に誓った。


「やっぱこいつ警察だな」

「同感です」

「えぇ!? や、やめてくれたんじゃなかったの!?」


 やめる? バカなこと言うなよ中原くん。

 おまえには榎本さんの髪の毛一本だってれさせるつもりはなかったのに、それが手を掴んだだと? そんなの万死に値する。警察で終わらせてやろうという僕と榎本さんの温情に、むしろ中原くんは泣いて感謝すべきだ。


「幸い証拠はたくさんあるんだ。中原くんが今まで榎本さんをストーキングしてくれた写真。彼女の家のポストに送りつけた変態的内容の手紙。差出人名は残念ながら書かれてないけど、おまえが投函するところもちゃんとカメラに押さえてるから。もちろん現物てがみもね。あんなの榎本さんに読ませられるわけないから全部僕が預かってるよ。あとはそうだな……」

「ちょ、ちょっと待ってください湊。それってもしかして、ここ一週間の話です?」

「あー……」


 しまった。

 こんなことまでは言わないつもりだったのに、つい口を滑らせてしまうくらいには、どうやらまだ僕は冷静さを取り戻せてはいなかったらしい。

 さすがに怖がるよな……と思っていたら。

 それを聞いた榎本さんは怖がるというよりも、なんだか呆れたような瞳を中原に向けていた。


「やることが変わらないといいますか……いやまあそれが当然ではあるんですけれど……なんかほんと、バカらしくなってくるといいますか……」


 はぁ、と盛大なため息をついている。

 これには僕も中原もその言葉の意味が分からなかった。でも僕が心配したように、彼女が怯えているわけではなさそうなので一安心する。

 こんな奴のせいで榎本さんの心に傷をつけられるほうが嫌だ。


「でも、そうですか。分かりました。どうりでストーカーされなかったわけですね。いえ、実際はされてたみたいですけど、湊が守ってくれてたんですね。……ありがとうございます、湊」

「いや、どちらかというと僕は君に謝らないと。君にこのことを忠告していれば、こんなことにはならなかったかもしれないのに」

「いいえ。もし湊がそれを悪いと感じているなら、そう感じる必要は全くありません。どちらにしろ、私はもともと知っていましたから」

「は?」


 知っていた? 何を?


「でも、湊が証拠を掴んでくれたのはとても助かります。前はそれが無くて、色々と歯がゆい思いをしましたからね」

「前……?」


 榎本さんの言葉の節々に、なぜだか違和感を感じる。

 まるで自分がストーカーされることを、最初から分かっていたような。

 

「さて。では中原くん、こちらには証拠というカードがあります。対してあなたは何も持っていない。もしあなたが自分の体の弱さを盾に嘘の証言をするのなら、今度は私があなたに襲われたところを湊に助けてもらったんだと証言してやりましょう。実際これは事実ですしね。つまり、あなたはもう詰んでるんです。この先平和な学校生活を送りたいなら、二度と私たちに近づかないこと。と・く・に! 湊を変な目で見ないこと。いいですね?」

「榎本さん、真剣な表情で言うことじゃないからね、最後のは」

「何言ってんですか! これが一番大事なんですよ!」


 いや、それが一番どうでもいいから。

 というツッコミは内心だけにしておいた。僕まで噛みつかれそうだ。


「それで、お返事は」

「わ、分かった。もう君には、何もしない」

「私!」

「はいっ! き、君たちにはっ」

「よろしい」


 おお、凄い。なんか榎本さんがかっこいい。

 結局このあとに来た音楽の先生に、僕らはどうやら勘違いだったみたいですと誤魔化して、去っていく中原のしょぼくれた背中を見送った。

 

 それからは約束どおり二人で屋上に行き、他に誰も人がいないことを確認してから備え付けのベンチに並んで腰を下ろす。

 いつのまにか時間は経っていたみたいで、太陽はだいぶ傾いていた。オレンジよりも黄色に近い色が、地平線を縁取っている。


「まずは湊に、お礼を言わないといけませんね」


 風に遊ばれる髪を押さえて、榎本さんが言う。

 けど僕はこのとき少しだけ目を丸くした。

 彼女もそんな僕に気づいたのか、どうしました? と恐る恐る尋ねてくる。


「いや、僕のことまだ"湊"って呼ぶから。さっきまではあいつがいたし、この前の演技の続きかなって思ってて」

「あっ、すみませんついっ……――――いえ、やっぱり違わないです。私が『湊』と呼ぶ人は、世界中でたった一人、あなただけですから」

「……え?」


 一陣の風が舞う。

 一瞬聞き間違いかとも思ったけど、榎本さんの表情がどこか悲しそうに笑んでいたから、だからたぶん聞き間違いではなかったのだろうと僕は思う。

 彼女の顔にかかる夕焼け色が、余計に彼女を寂しく見せる。


「そういえば、順位は見てくれました?」

「ああ、うん。見たよ。君の言ったとおり僕は7位で、君が41位だったから祐介は54位だったね。全部ぴったりだからびっくりしたよ。もしかして予知能力にでも目覚めたの?」


 冗談めかして言ってみるけれど、きっとそうじゃないことは僕もなんとなく分かっていた。

 だって隣に座る榎本さんが、全然そんな雰囲気じゃなかったから。


「予知能力だったら、まだよかったのかもしれません。失う前に、失わないよう力を尽くすことができたんですから」


 それから一呼吸置いて、榎本さんは体ごと僕に向き直る。

 その次に紡がれた彼女の言葉に、僕の脳が真っ先に思い浮かべた感情は、驚きでも、不審でもなく。

「同じだ」というただただシンプルな思いだった。


「実は私、未来から来たんです」



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