未来から来た女「歯を食いしばれ!」


 中間テストの結果発表日。

 私がこの日をどれだけ待ちわびたことか。

 湊についに打ち明けるときがやってきた、からではない。

 この約一週間、私は彼と恥辱の戦いを繰り広げてきたからだ。彼曰く、中間発表までの間覚悟しておくといいよと言ったのは、どうやらそれを指していたようで。

 あいつを追い払った次の日から、湊はさっそく行動を開始してきた。


「おはよう、榎本さん。あれ、走ってきたの? ここ跳ねてる。かわいい。そんなところも好きだよ」

「「「!!?」」」


 このとき、湊のこの突然の告白に驚愕したのは、何も私だけじゃない。

 湊のセリフから分かるとおり、このときは朝だった。朝の、HRが始まる少し前。教室の中にはほとんどのクラスメイトが登校していて、ほとんどの子が友達と談笑していた。

 そんなときだ。

 そんなときに、湊がバカみたいに声を抑えずにさらりと告白してきたものだから、談笑していたはずのクラスメイトが一斉に湊のほうを向いた。

 その様子はいっそ圧巻だったと後になって思う。

 

 また、週が明けてからも。


「榎本さん、さっきなんか呼ばれてたね? なんだったの?」

「え゛……や、あの」

「もしかして告白されてた?」

「……」

「へぇ。まあ榎本さんが誰と付き合うかは君の自由だけど。君を一番に想ってるのは僕だってこと、ちゃんと覚えておいてね?」

「「「!!?」」」


 悲しいかな。このときも周りにはクラスメイトがたくさんいた。

 というか、わざと人のいるところでやってるんじゃないかと疑いたくなってくる。だとしたらなんで私はこんな恥ずかしくてたまらないことを人前でされなければならないのか。

 ちなみに湊の幼なじみであり、同じクラスの相模くんにいたっては、早々にこの件に関しては手を引いている。


 触らぬみなとに祟りなし。


 幼なじみがゆえに、彼は身に染みてこの言葉のありがたみを知っていることだろう。

 そして噂を聞いたのか、未だに続いている4人での昼食時にこれを話題にしてきた茉莉ちゃんは、そんな湊を「あはははナイス湊!」と爆笑しながら褒め称えていた。

 他人事だと思って笑い過ぎですよ茉莉ちゃん? 

 

 そしてまた次の日には。


「実は今、他クラスの子に告白されてきたんだけど……」


 ドキ、と私の心臓が嫌な跳ね方をする。


「でもちゃんと断ってきたよ。僕が好きなのは君じゃないからって」


 このとき、そのあとに続く言葉を察したクラスメイトたちが一斉に耳を傾けてきた気配を、私は嫌でも感じ取ってしまった。


「だって僕が好きなのは、榎本さんだからね。あ、シャンプー変えた?」

「「「!!!」」」


 いや、おかしいでしょう。

 何が「シャンプー変えた?」なんてあっさり当ててくれてんですか、この腹黒大魔王改めド鬼畜大魔王は!

 人の髪に簡単に触るなっ。

 しかもなんで私のシャンプーの匂いなんて知ってるんですかこの人は!

 

(だいたい、クラスのみんなもみんなですよ!)


 ほらやっぱり告ったよ九條のやつ、みたいな空気は本当にやめてほしい。しかも今「よっしゃ、俺と足立と坂下の3人勝ち〜」とか聞こえてきたのは私の空耳? 空耳ですよね?

 まさか私たち使って賭けなんてしてないでしょうね表出ろやクズどもめっ!

 

 とまあ、私の心が色んな意味で荒れる日々が続き、でも心配した中原くんのストーカー行為はなく、ある意味平和な日々が過ぎ去って、私はようやくテストの結果発表日を迎えることができていた。

 でも正直、私のHPなんてこの日にはもうゼロに近い。

 いつのまにか湊の私に対する告白は名物にされているし、クラスのふざけた男子どもはついに告白の言葉まで当てるという賭けに手を染め出すし、湊にはなんだか外堀を埋められているようで全くもって面白くない。

 いったいどういうつもりでそんなことをしていたのか、今日という今日は絶対に聞き出してやる。

 と、私はそんな意気込みでテスト結果が貼り出される瞬間を待っていた。

 そして――。


「おっ、やった。俺22位」

「うっわ俺ここにのってねぇし」

「1位だれ、1位」

「中原って奴だ」

「ああ、あの体弱い?」

「へぇーあの人頭いいんだねー」


 みんなが貼り出された長い紙に夢中になっているなか、私は1位と湊の順位、そして茉莉ちゃんと相模くんと自分の順位を確認すると、さっさとその人混みの中から抜け出した。

 結果が貼り出されたのは今日一日の全ての授業が終わってから。

 つまり、このあとにはもう帰宅一択の私は、湊と事前に約束していた屋上へと向かう。

 

 予想したとおり1位はあいつ。これであいつのプライドは守られた。もう必要以上に私に関わってくることはないだろう。

 そして湊の順位は7位。

 私が41位だったから、相模くんは一年前と変わらず54位。ちなみに圏外だった茉莉ちゃんは、今回もやっぱり圏外ではあったけれど、なんと赤点は一つもなかったらしい。それを聞いた私たちは嬉しさにハイタッチした。


 やがて人混みを抜けると、私は自然と駆け足になる。逸る心に従うように、真っ直ぐ目的地に向かって急いだ。

 湊はもう先に行ってるんだろうかとか、まずは何から話そうかとか。

 まとまらない思考をなんとかまとめようと頭を働かせながら、一段飛ばしで階段を上っていく。

 外に出られる屋上に繋がっているのは特別棟のほうだから、私は美術室の前を通り過ぎ、音楽室も通り過ぎようとした――そのとき。


 ガラッ。


「な――」


 突如開かれた音楽準備室の扉から出てきた手に、驚く声を塞がれる。

 そのまま力強く引っ張られて、乱暴に部屋の中に押し込められた。そのせいで危うく楽器にぶつかるところだったけど、なんとか踏みとどまって倒れることを免れる。

 そして睨みつけるのは、私を逃さないよう扉の前を陣取ったストーカー男――中原宏輝だ。


「ご、ごめんね、乱暴なことして」

「そう思うならそこをどいてくれませんか。なんのつもりです?」

「あのね、あれから、か、考えたんだ、俺。君を天使だと思ってたのに、でも俺、あのときの君に、こ、興奮した自分に気がついて」

「はあ?」

「て、天使なら、あんな淫らなことはしないだろ? だからショックで……。でも、そんな君も、すごくいいなって」

「はいぃ?」


 開いた口が塞がらないとは、まさにこのことだろう。

 というか私のことは諦めてくれたんじゃなかったのだろうか。


(だいたいこんな奴にそんなこと言われても気持ち悪いだけなんですど! あ、なんか吐き気が……)

 

 思わず口元に手を当てる。

 とにかく私には湊との大事な約束があるのだ。こんな奴にかまっている暇なんてない。


「何度も言いますけど、私はあなたを軽蔑しています。これ以上私に関わらないで。一年前と違って、今の私は怖いもの知らずですよ。警察にだって連絡できますからね」

「け、警察!? な、なんで? それは、や、やめよう? それにほら、俺と君はもうすぐみんな公認の仲になるんだよ?」


 ぞわぞわぞわぁ。


(鳥肌っ、鳥肌が……!)


 なんだその妄想は。どこからその妄想が出てきた。その前にその自信もどこから湧いてきたのか。

 私はもう外国人というより異次元の世界の人間と話しているような気分になってきた。

 世の中には、私が知らないだけで色んな人間がいるらしい。ここまで会話が通じない相手がまさかこんなに近くにいたなんて。勘弁して。


「もういいです。あなたなんかに付き合ってられません」


 そう言うと、私はすぐにスマホを取り出した。こういうときのためにすでに担任を取り込んでいる。つまりお助けキャラだ。音楽準備室の鍵が壊れてるとでも言って、とにかくここに来てもらおう。

 私は担任の番号を画面上に引っ張ってくる。

 けどどうやら私はまだ奴を甘く見ていたようで、その手を容赦なくはたかれた。


「いっ、た」

「な、なにしてるんだ!」

「それはこっちのセリフです! あなたさっきから暴力的過ぎません!? まさか……まさかあのとき、湊のことも殴ったんじゃないでしょうね?」

「うるさいっ。い、いいか。これからここに、吹奏楽部の奴らが来るんだ。そいつらに、君と俺のあられもない姿を目撃してもらうんだ。そしたらほら、君と俺は、もう噂の的だよ。君は俺から逃げられない」

「なっ、あなたって人はっ――」


 なんでそんなにバカなんですか!?

 と言ってやりたいのに、あまりの怒りで喉に言葉が詰まる。怒り心頭とはこのことだ。

 私は今、ある意味顔を真っ赤にさせているに違いない。

 

「あのですねぇ、そんなことしても、私が嫌がるんですから普通にあなたが犯罪者になるだけですよ!」

「嫌がる? 君が? え、どうして?」

「はあああ!? 逆にこっちがどうしてって訊きたいんですがっ! なんで嫌がられないと思ってんですかあなたは!」

「えっ、だって、君はそういうことをするのが好きな女の子なんだろ? あんな悪魔みたいな奴にも喜んでキスしてたし……。だから君は、天使じゃなくて、その、愛と美と性を司る女神、アプロディーテのような女の子、なんだよね? アプロディーテって浮気が酷いって聞いたことあるし、き、きっと男好きだったんだよ」


 じゃあ何か、私もその女神と同じで男好きだと言いたいのか。

 よし決めた。こいつ東京湾に沈めよう。


「こんな奴に湊が停学にさせられたのかと思うと……ふふふ……腸が煮えくり返る思いですね」

「じゃ、じゃあ、いいかな?」


 ぶちっ。

 私の中の堪忍袋の緒が、稲妻並みの威力をもって弾け散った。


「なあにが『じゃあいいかな?』ですかこの変態ストーカーキモ男!! "じゃあ"の意味が分かりません"じゃあ"の意味が! あなたを同じ人間だと思った私が大間違いでしたよ。歯ぁ食いしばれ!」


 適当に見つけた木琴のバチを掴み、怒りのまま振り下ろそうとする。

 しかし、そのとき廊下から聞こえてきた声に、私は振り下ろす直前で動きをぴたりと止めた。


「……でさぁ、テストが……てんだと…………たんだよね〜」

「えーマジで? それ……にな……じゃない?」

「だよ……よね?」


 あははっと甲高い笑い声だった。

 奴が言っていた吹奏楽部の女子たちだろうか。

 ドアを一枚挟んでいるからか、声の大きさからその距離を測ることは難しい。

 でも、声がそれなりに聞こえる程度には、近いところにいるようだ。

 そしてその一瞬の隙をついて、固まった私の両手をがっと掴んで、奴が私を壁際に追い込んできた。手加減を知らないせいで、私は背中を強打する。

 

「もうすぐ、もうすぐだよ。やっと結ばれるね、俺たち」


 本当にふざけたことしか口走らないこの男に、私の体は嫌悪で肌が粟立っていた。

 目の前にこいつの顔があることにも嫌悪感が募るし、こいつがその顔を私の胸元に近づけてきていることにも吐き気が溜まっていく。

 

(ていうかちょっと! こいつ人のこと散々痴女扱いしておきながら、あんただっていきなりそっちいくんですか!)


 でももちろん、それを簡単に許す私じゃない。

 手がダメなら足である。残念ながらそこはバカじゃなかったのか、振り上げられないように奴の足によってある程度は固定されてしまっているけれど、蹴れないのなら別のやり方を探せばいい。完全に固定されている手よりは、足のほうがまだ自由に動くのだから。

 

(蹴れぬなら、踏んづけてしまえ、ホトトギス!)


 すごくどうでもいいことを考えながら、私は奴の爪先目掛けて自分の踵を落としてやる。もちろん、今持てる力の最大限をもってして。


「そう……さぁ、きょう……パートれん………だっけ?」

「ああ、確か……のところ…………うよ?」

「うわ、あそこかぁ」


 そうして痛みに奴が怯んだ隙に、第二弾を繰り出した。

 おかげであいつの足が私の足から離れていく。手は未だに押さえつけられているけれど、足が完全に解放されればあとは無敵だ。

 

「じゃあ練習……たら、ごほう……駅前のあた……カフェ行かない?」

「あ、いいねー。私もそ……てみたかっ……ね」

「インスタ映えな」

「それな」

 

 私は自由になった足で男の急所を狙った。今はもうこんな奴に触りたくないとか言ってる場合じゃない。

 たとえ周りが私を被害者として見てくれたとしても、そもそもこんな奴と噂になんてなりたくないのだ。

 

 知らない女子の声がだんだんと近づいてくる。

 ここの扉を開けられたら終わりだ。

 でもその焦りが、私の足元を狂わせた。それとも奴の男の本能が、来たる痛みを察知して避けたのか。

 とにかく狙いを外した私は、もう一度チャレンジしようと今度こそ狙いを定める。

 それに気づいたあいつも私の足を再び押さえ込もうとしてきた。

 そのとき。

 ガラッと勢いよく開けられた扉の音に、私は反射的に絶望を感じて、逆に目の前にいるあいつの顔は歓喜に輝く――――と、思ったら。


「……」


 今度はぴしゃんッとその扉が閉まる音が聞こえて、不思議に思った私が扉を見ようとしたところ、その前に目の前にいたあの男が急に視界から消え失せた。

 同時にガタガタンッという大きい音が聞こえてきて、そちらに視線を移せば私の大好きな人がそこにいる。

 

(なんで、湊が、ここに……)


 人はあまりに予想外のことが起こると、リアクションも忘れて放心状態になると聞いたことがあったけれど、今の私はまさにそれだった。

 無表情の湊があいつの襟首を掴んで、さっきの私があいつにやられていたように、壁際に追い込んで押さえつけている。

 醸し出されるオーラは、少しでも触れれば肌が切れてしまいそうなほど鋭利なものだ。

 そのとき、湊が閉めた扉がガタガタと音を立てた。


「あれ、準備室鍵かかってる。おっかしいなぁ。誰か入ってったと思ったのに……。すみませーん、誰か中にいますかー?」

「います。でもなんか、鍵が開かなくなっちゃったんです。先生を呼んできてもらえますか?」

「え、そうなんですか? 分かりました、すぐに呼んできますね」

「ありがとうございます」


 そのやり取りを、湊はずっとあいつを見据えた無表情のままでやっていた。

 だからこそ、その異様さを恐れずにはいられない。

 その怒りの矛先ではない私でさえ息を呑むほどなのだから、実際に矛先を向けられているあいつはすでに青ざめて震えていた。


「ほんとおまえは、学習能力ってものがないね?」


 湊の腕が、大きく振り上げられる。


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