未来から来た女「気持ち悪いッ」


「榎本さーん、なんかお客さん来てるよー?」


 お客さん? 私は首を傾げた。

 湊と舌戦――というより私が一方的に湊を罵っていた――を繰り広げていたら、教室のドア近くにいるクラスメイトに呼ばれたので振り返る。

 他クラスから私を訪ねてくる人なんて珍しいから、私は小首を傾げながらもその"お客さん"とやらに視線を移した。

 その瞬間、私の中の血が一瞬で凍った。


「えーなになに。ましろってばモテ期到来? 呼んでるの私と同クラの男子じゃん」

「……んで……っ」

「ましろ?」


 私は愕然とした。

 女のように大きい瞳。

 日焼けを恐れるような白い肌。

 目元に並ぶ二つのほくろは、おそらく他の人ならチャームポイントにでもなりそうだけど、正直奴に関しては気持ち悪いとしか思ったことがない特徴。

 たぶん女子の制服を着せたなら、なんの違和感も感じないほど華奢な男。

 そして私が初めて心の底から消えろと願った、一年前に湊を嵌めた男。

 中原宏輝――名前も思い出したくない奴だ。


「ましろ、どうしたの? 行かないの?」

「っ、茉莉ちゃん、お願いが、あります」

「うん?」

「私はいません。いないことに、してください」

「え? でも……」

「いいんです分かってます。むしろあえて隠れません。そのほうが思い知ってくれるでしょうっ?」

「ちょ、ましろ? ほんとどうしたの。ましろがそこまで言うなんて……。もしかしてあいつに何かされた?」


 返答に困る私は、うんともすんとも言わなかった。

 ただとにかく、私はあなたなんかに用はないと言外に伝えたいだけなのだ。


「分かった。じゃあ僕が行ってくるよ」


 するとそのとき聞こえた湊の一言に、私は俯けていた顔をばっと上げる。

 私を見つめる湊の瞳は、思わずこちらが縋ってしまいたくなるほどに優しかった。

 でも、それだけは。

 それだけは、絶対にさせるわけにはいかない。


「ダメです。絶対ダメです! あなただけは、絶対に……っ」


 ぎゅっと、覚悟を決めるように唇を噛む。

 本当は行きたくなんかないけれど、湊を行かせるくらいなら自分で行こう。私の身勝手なわがままで、一年前のことを繰り返すわけにはいかないのだから。

 息を吐き出す。


「いえ、なんでもありません。茉莉ちゃん、じゃあ私はちょっと行ってきますので、先に帰っててもらって大丈夫ですよ」


 極力笑みを作ってそう言った。

 大丈夫、怖がるな。自分自身に、そう言い聞かせながら。


「でも榎本さん、全然大丈夫そうじゃ――」


 ぱしっ。


 そのとき湊が伸ばした手を、私は容赦なく振り払う。

 視界の中、湊の目が大きく見開いていった。いつになく強い私の拒絶に、彼は言葉を失っている。

 茉莉ちゃんもそんな私を見て面食らっていた。

 私は二人に気づかれないよう深呼吸すると、自分の持つ最大限の鋭さをもって湊を思いきり睨んでやった。


、あなたのそれは余計なお節介です。頼んでもないのに勝手なことをしないでくれません? 迷惑です。それとこの際だからはっきり言わせてもらいますが、最近のあなたは面倒なことばかり言ってきてそろそろうんざりしてたんですよ。そうですね……ここらへんでもう一度、私たちの関係性をはっきりさせましょうか」


 言って、私は嫌いな奴に向かって歩き出す。

 誰よりも大切な、大好きな人に背を向けて。

 やっぱりどうしても、湊の顔を見て"それ"を言えそうにはなかったから。


「私はあなたがです。もう二度と、私にあんな戯言たわごとを言わないでください」


 冷たい声であしらって、私はこの人が嫌いなのだとあいつに見せつけるように言う。

 その効果はあったのか、私が目の前に来たときの奴は信じられないものでも見たように困惑していた。

 おどおどと、私と後ろにいる湊とを交互に見ている。


(これで、いいんです)


 最初からこうしていればよかった、なんて。

 そんなことは絶対に思わない。

 あの日湊にぶつけてしまった最後の言葉を、私は尋常じゃなく後悔しているのだから。

 でも。

 それでも今は、この言葉が最も効果的だと知っていた。

 

 敵を騙すなら、まず味方から。


 この言葉を最初に使った人は、いったいどんな思いでそれを実行したのだろうか。

 少なくとも私は、自分を殺してやりたくなった。







「それで、用とはなんです?」


 いくらもう少なくなっていたとはいえ、教室であんなことをしたあとではやっぱり居辛くて。

 私は困惑していた中原くんを無理やり連れて人気ひとけのない階段下に来ていた。

 そしてもちろん彼に愛想を振りまく意味はないので、必要以上に冷たく尋ねる。


「あの、えっと、なんか怒ってる?」

「怒ってますけどそれが何か」

「えっ。えーっと、その、お、俺のせい?」

「そうですね」

「えぇ!? な、なんで……」

「あなたが嫌いだからです。生理的に受けつけません」

「生理的に!? そ、そう、なんだ……」


 ああもう本当にイライラする。

 はたから見れば完全に私が彼をいじめているように見えるけど、この男にはこれくらいやっておかないと通じない。

 私はそれを体験してよく知っている。むしろ一度調子づかせると、これですら意味を成さないこともある。


「あ、あの、前、助けてくれてありがとうって、お礼が、言いたくて」

「そうですか。じゃあもう用はないですね? さようなら」


 そして二度と私に関わらないで。

 そう内心で付け足して、私はすぐにこの場を去ろうとした。

 しかし。


「ま、待って!」


 なぜか腕を掴まれる。

 私は反射的に「気持ち悪いっ」と叫びそうになって、でもなんとか喉元でそれを押し止めた。


「それだけじゃ、なくて。実はその、おれ……俺っ……君に一目惚れしたみたいなんだ!」

「きっ――」


 気持ち悪いッッッ!!

 今度こそ本気でそう叫びたくなった私は人でなしな人間だろうか。

 でも仕方ないと思う。目の前の男は、過去に私を散々ストーカーしてくれた最低最悪の男なのだから。


「あの日は俺、いつもより調子が良くなくて。本当に気分が悪くて……」


 今気分が悪いのは私だ。


「だから優しく声をかけてくれた君が、その、天使なんじゃないかって……」


 だったらさっさと成仏して。お望みの天使はそこにいる。


「あれだよね。さっき、あの男子に冷たかったのって、君が相当あの男を嫌いだからだろ? 優しい君が、普段からあんなに冷たいわけがないもんね」


 ぞぞぞ。

 私は自分の肌が一瞬で粟立ったのを感じた。


(きた……この感じっ。この暗くてじめっとしてて完全に自分の世界に入っちゃったなめくじみたいなこの感じ! これ、びっくりするくらい思い込みが激しくて人の話を全く聞いてくれないモードじゃないですか! なんでもうそのモードになってんですこの男!?)


 とにかく掴まれた腕を振り払おうと、私はぐぐぐっと力を入れるも、意外とそれはほどけない。


「に、逃げないで。あの、俺も分かるよ、君の気持ち。あんな顔だけの男に言い寄られても、君もその、困るよね? やっぱり人は、中身って言うし」

(あなたはその中身も最低ですけどね! ていうかなんでこんな奴に湊の悪口言われなきゃならないんです!?)

「君のような可憐な天使に、あんな悪魔みたいな男は似合わないよ。その、君にはお、俺みたいな、一途な男のほうが、似合うと思うんだ」

(いやああああ! むりむりむりむりむりなにこの人なにこの人ッ。進化してません? ねぇ進化してません!?)


 一年前は直接ここまで言ってくることはなかったのに。

 しかしここで、私ははたと気がついた。

 一年前と今とで違うのは、私が湊と付き合っていないということ。つまり彼氏というストッパーがいないせいで、こいつは人目を憚るということをしない。

 

 彼氏がいる女に言い寄るというのは、おそらく奴の中のイメージとしては悪かったのだろう。

 だからこそ、一年前は表立って私に近づいてくることはなかった。(人目のないところではあったけれど)

 それが今、私にそういう存在がいないことを知っているのか、勝手な妄言を直接私に吐きまくってくる。


「あいつには大っ嫌いって言って、俺には嫌いだったから、つまりあれだよね? 俺のことは、好きってことなんだよね?」

「なんっ――」


 なんっでそうなるんですかッ!!!


 ダメだ。疲れる。心が疲れる。

 私はもうこの男の言葉が同じ言語とは思えない。思いたくない。

 それどころか同じ人間なのかさえ疑わしい。

 

(やっぱり湊を突き放しておいてよかったです。これじゃあ一年前より最悪なことになってましたよ、絶対)


 私はとにかくどうやって今を切り抜けるかを考える。

 こんなことになるくらいなら、一ミリたりとも油断せず、あのときこいつを助けなければよかった。今さら後悔しても遅いけれど、強くそう思わずにはいられない。

 ひょろそうな割に女の力では叶わないその差が悔しくて、今度は私が本当に奴を殴ってやろうかと考える。

 そしてどうせ殴るなら、奴の急所を思いっきり蹴ってやりたい。


(あ、それがいいんじゃありません?)


 私はまるで名案を思いついたように得心した。


(そうですよ、蹴ってやればいいんです。今は他に誰もいない。つまり蹴ってもバレません。最悪騒がれても、女である私のほうがそういうときは有利です。……よし、急所、急所ですね。さすがに男の急所は私が嫌なので、弁慶の泣き所あたりを粉砕してやりましょう!)


 思い立ったが吉日。移せ行動。今すぐに。


「あ、あの、じゃありょ、両想いだし、キス、してもいいよね?」


 ……は?

 せっかくやる気だった私の頭が一瞬で真っ白になった。

 けれど幸いにもそれは本当に一瞬で、次にはもう怒りが腹の底から沸き上がってくる。

 私の我慢も、もう限界だ。

 もともとこいつにはいつか復讐してやりたいと思っていた。


「ほんと、ふざけんなって話ですよ」


 右足を後ろに引く。


「言っておきますが、あなたなんかとキスするくらいなら死んだほうがましです。だいたいあなたなんかが彼に勝てるわけがないでしょう?」


 腰を捻って。


「少しは――――少しは現実を見なさいってんですよこのストーカー男がっっ!」


 叫びながら右足を思いきり振り抜いた。

 そうして奴のすね目掛けて一直線に横蹴りをお見舞いする――いや、しようとした、そのとき。

 

「ほんと、僕も同感だよ」


 いとも簡単に私の渾身の蹴りを受け止めて、ストーカー男から私を隠すように間に入ってきたのは。


「おまえさ、いくらなんでもふざけすぎだよ、色々と」


 私がついさっき酷いことを言って傷つけた、九條湊その人である。

 


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