未来から来た女「九條くんは前のほうがいいと思います」
高校生になって、一番最初のビッグイベントは何が思いつくか。
たぶんそれぞれの高校によって違うのだろうけれど、私たちの高校では中間テストがそれに当たる。5月の終わりから6月の頭にかけて行われる、大半の学生が不必要だと口を揃えるイベントだ。
そして私にとっては、二度目のテストである。
まあそうでなくても、私は一度目のテストでさえ学年1位の成績を取ってしまっている。これは自慢も含めるけれど、ただそんなことよりも、私はその成績を後悔しかしなかった。
だってそのせいで、私はあいつ――中原宏輝に目をつけられるようになってしまったのだから。
「というわけで、私、勉強はしません」
「いやどういうわけだよ」
鋭い茉莉ちゃんからのツッコミをもらっても、私の意思は揺るがない。
今回は絶対に1位なんか取ってやるかと、不動の目標を掲げている。
「なに、ましろって勉強嫌いなの?」
「好きでも嫌いでもありませんね。ただ他にすることがないので勉強しかしてないだけで」
「それ完全に友達少ない奴の決まり文句じゃない? え、少なかったの?」
「現在進行形で少ないですね」
「マジか!」
あははは! と茉莉ちゃんが遠慮なく笑う。
他の人だとこういうとき微妙な空気になってしまうから、遠慮なく笑ってくれる茉莉ちゃんは清々しくてやっぱり好きだ。
今日は土曜日ということもあって、私は茉莉ちゃんの家にお邪魔している。
前からクラスでももうすぐ中間テストだねという雰囲気はあったけれど、みんなが本格的に勉強し出すのはだいたいテストの一週間くらい前から。
どうやら茉莉ちゃんもその一人らしく、一緒に勉強しない? とお誘いを受けての今日だった。
だから私は今日は自分の勉強ではなく、茉莉ちゃんの勉強を見るために来たようなものなのだ。
(だって茉莉ちゃん、一年前のこの中間テスト、下から数えたほうが早かったから……)
確か赤点も取ってましたね……と思い出した私は、茉莉ちゃんの赤点を回避すべく、今日はやる気満々である。
「じゃあさっそく」
「ちょっと待って」
「?」
「ましろ、つまりあんた、勉強得意ってことよね?」
「まあ、ある程度は。あ、でも、数Aだけは苦手です」
「よし分かった。それ以外はいけるね?」
「茉莉ちゃん?」
茉莉ちゃんがスマホを操作しながらそんなことを訊いてくる。
いったいどうしたんだろうと私が首を傾げたのも束の間。
「喜べましろ。湊と祐介からヘルプのラインが入ったぞ」
「!?」
いやいやいや! それのどこに喜ぶ要素が!?
「茉莉ちゃんっ、私が九條くんに嫌われたいこと知ってますよね!?」
「ああうん知ってる知ってるー。大丈夫だって」
「どのへんが!?」
「ふふ、そういえば私って、湊とましろが揃うところ見たことないんだよねぇ。楽しみ楽しみ」
「楽しまないでくださいよっ。私は真剣に……!」
「はいはい、分かったから。いーい、ましろ? 少しは落ち着きなさい。それでよく考えるの。湊だって男なのよ。自分より頭のいい女なんて、男のプライドをズタズタにされたってことで嫌ってくれるかもしれないでしょ?」
「……!」
それは盲点だった。
と、言いたいところだけど。
「残念ながらそれはあり得ません。九條くんはむしろ勉強が楽になって助かると思うタイプです。面倒くさがり屋なので」
分からないところは自分で考えるよりも分かる人に教えてもらったほうが捗ると考える人だ。それは一年前に明らかになっている。
「……チッ、ダメか」
「舌打ちしましたね? 今」
「もうっ、ましろったらなんだかんだ言って湊のことよく見てんじゃん」
「誤魔化そうったってそうはいきませんよ茉莉ちゃん」
「チッ」
「舌打ち二度目!」
「まあでもさ、もうオーケーしちゃった」
最後にハートマークでもつきそうな茶目っ気でウインクされて、少しイラッとした私は間違ってます? ねぇ間違ってます?
「いいじゃん。ましろ前言ってくれたよね? 私の恋、応援してくれるって」
「え、はい、言いました……ええ言いましたとも! え、急にどうしたんですか。ついに乗り気になったんですか!? ……あれ、でも確か、もう相模くんのことはどうでもいいとか言ってたような……?」
「あれはまあ、ちょっとヤケ入ってたっていうか? だからさ、応援してよ」
「ぅくっ、そう言われると私が断れないの、知ってて言ってますね?」
「あ、バレた?」
「バレバレですよ! ……はぁ……分かりました。茉莉ちゃんに免じて、今回だけですよ?」
「ありがとましろ! 大好きっ」
「はい、私も茉莉ちゃん大好きです」
女二人で「へへ」なんて照れていると、茉莉ちゃんの部屋の扉がなぜか勝手に開いていく。
二人して頭にクエスチョンマークを浮かべていたら、そこにはどこか気まずそうに立ち尽くす相模くんがいて……
「なぜに!?」
「あれ、早いね二人とも〜。もう来たの?」
「いやその前に! なぜすでに家の中なんです!?」
「ああ。それはね、中学の頃はよく祐介が
「そこは面倒くさがらないで!? 危ないですよ!」
「だいじょぶだいじょぶ。それより二人とも、なにそこでつっ立ってんの。中入ったら?」
「あ、ああ」
そう言った相模くんが最初に入ってきて、そのあとに続いて湊が入ってくる。
相模くんの後ろにいた彼を、私は最初認識していなかった。だから部屋に入ってきた湊の姿を見て、私は本日二度目の衝撃をくらう。
「!!?」
「えっ、うそ、湊!?」
どうやら茉莉ちゃんも今湊を認識したようで、私たちは二人揃って間抜けにも大口を開けて固まってしまった。
でも仕方ないと思うんですよ。だって湊のその姿は、一年前私と湊が付き合うようになってから拝むことのできた、湊のイメチェンバージョンだったから。
長かった前髪は視界良好と言えるような長さに切られており、見ることを重視した野暮ったいメガネはコンタクトにしたのか、湊の透き通るようなブラウンの瞳がよく見える。
そしてその顔立ちは、すでに他クラスの女子からも注目を集める相模くんに負けず劣らずの美貌っぷりだ。
むしろソース顔イケメンの相模くんより、私の好みをいく湊のシャープな整いぶりは、思わずかっこいいですっ! と叫んで堪能したくなるほどだった。
全体的に中性的な雰囲気のくせに、喉仏とか鎖骨とか、そういうところでは男っぽさを出してくるゴツゴツとした感じがもうたまらない。
私服ありがとう。
Vネックシャツありがとう。
湊を産んでくれたお母様、本当にありがとうございます!
「こんにちは、榎本さん?」
「はっ、い」
「そんなに見つめられると、さすがに僕も恥ずかしいんだけど。これ、気に入ってくれた?」
「そっ――」
れはもうっっ! なんて言えるかバカ!
「な、なんで……」
代わりに私が出した声は、ちょっとだけ緊張で震えていた。
「だって言ったでしょ? 僕が変わったら、今度は祐介じゃなく僕を褒めてよって。月曜日に見せるつもりだったんだけど、今日会えてよかったよ」
そういえばそんなこと言われた気がする、と私は記憶を掘り起こす。
でも確か、そう言われたのは少し前で、少なくとも私は忘れていた。
なのになんで今になってそんなことをするのこの人。
そんな疑問が通じたのか、湊が眉尻を下げて頬を掻く。
「それがさ、実を言うとそう言った週末に実行に移そうとしたのに、行った眼科に僕の度数に合うコンタクトがなくて。微妙にかっこ悪いんだけど、それの入荷待ちをしてたんだよね」
「にゅ、入荷待ち……」
「いいよ、笑って。自分でも間が悪いなって思ったんだから」
「ア、アハハハハ」
「棒読みすぎるんだけど」
「だっ、て……!」
だってだって、だってですよ?
そんなの別にかっこ悪いと笑えないくらい、今の湊がかっこいいんだから仕方ない。
一年前にも見ていた姿だというのに、それでも私はまた湊に見惚れてしまう。
本当に、神様って意地悪だ。
私が付き合わなければ、この湊と会う心配はないと思ってたのに。
一年前とは少しずつ違ってきているこの未来は、はたしてちゃんと良い方向に転んでくれているのだろうか。
「やー……でもましろが見惚れる理由も分かるわ。かっこよくなったねぇ、湊」
「あ、茉莉からの褒め言葉はいらないから、別にいいよ」
「はあ!? せっかく褒めたのにっ」
「僕は榎本さんのために変わっただけだし、茉莉はほら、僕よりもそう言ってやらなきゃいけない相手がいるだろ?」
「……っ」
茉莉ちゃんが言葉を失う。
でも同時に、私も言葉を失った。
今さらっと告げられたけど、その破壊力は凄まじい。
(私のためにとか、そんなの今は聞きたくないんですが……!)
私の意思に関係なく高鳴る鼓動は、自然と頬に熱を集める。
前からずっと思ってたけど、湊って羞恥心というものを持っていないのだろうか。きっとお母さんのお腹の中に置いてきたに違いない。
いつもいつも事もなげに自分の感情をぶつけてくるから、ぶつけられる私のほうが恥ずかしい思いをすることはしばしばあった。
一年前は付き合っていたから、まだ私も恥ずかしさの中に嬉しさも感じて受け取っていたけれど、今はそういうわけじゃない。私に受け取る資格なんてない。
だからこそ、そんな惑わすようなことを言わないでほしいと切実に思う。
「つーか、おまえら俺の存在忘れてるだろ」
そこで呆れ半分、恨めしさ半分の声が響く。
「まあでも、俺は湊は磨けば光るって知ってたからな」
「なぁにそれ、負け惜しみぃ〜?」
「ばっ、ちっげぇよ!」
私は相模くんの存在を忘れていたけど、もちろん忘れるはずのない茉莉ちゃんがいち早く彼をからかう。
そのおかげで私も少しだけ冷静さを取り戻し、動揺した心を悟られないよう湊から視線を外した。
「いや〜でも、月曜日が楽しみだわ。かなりの女子が目の色変えそうね〜」
「俺もそう思う」
「うわ、それは面倒だな。学校はメガネにしようかな」
「ええっ、もったいない!」
「おい、なんでそこで茉莉が食いつくんだよ。まさかおまえのタイプって……」
「タイプは違うわよ。でも言うじゃない。イケメンは目の保養って。ね、ましろ?」
「え? あ、ああ、そうですね」
「ほらね」
ぼーっとしていた私は急に話を振られてびくりとする。
大丈夫だっただろうか。ちゃんと違和感なく会話に交じれていただろうか。少し自信がない。
だって想像してしまったのだ。今の湊が、そのまま学校に行くところを。
一年前は付き合っていたから、だから私はまだ安心していた。湊も寄ってくる女子を悉く振っていたし、全く興味の欠片も持たなかったから。
でも、今は。
今は、私は湊と付き合っていない。むしろ付き合わないようにしている。
途端、私の心に焦りが生じた。
そんな感情を抱く権利など、湊に嫌われようとしている私にはないというのに。
「榎本さん? さっきからだんまりだけど、どうかした?」
「……っ」
何の違和感もなくすっと私の隣に腰を下ろした湊が、俯く私の顔を覗き込んでくる。
そのときふわりと香った懐かしい湊の匂いに、私はあんなに厳重に鍵をかけたはずの自分の心が少しだけこじ開けられるのを感じた。
本当にそばまで近づかなければ感じられない、湊のさわやかな匂い。
香水でもなんでもなく、それは彼の家が使っている柔軟剤の匂いだということを私は知っている。
懐かしいその匂いが、私の閉ざした口を開かせる。
「く、九條くんは」
「うん?」
「九條くんは、前のほうが、いいと思います……!」
ああ最低だ。
そう分かってはいても、一度開いた口は動き出したゼンマイのように止まらない。
「……なんで?」
「だ、て……野暮ったそうなメガネも、長い前髪も。全部全部、九條くんを守ってくれてましたっ。あなたの外見しか見ない女子から、あなたのこと――――」
でもそこで、私はハッとなって立ち上がった。
ようやく自分が言ったことの身勝手さに気がついて、衝動的に口走ってしまった己の弱さを呪いたくなった。
「あ、あの、すみません私っ、やっぱり今日はこれで失礼します!」
「え、ましろ!?」
かばんを乱暴に引っ掴んで、急いで茉莉ちゃんの家の階段を駆け下りる。
茉莉ちゃんが呼び止める声はもちろん聞こえていたけれど、それに止まることなんてできなかった。
とにかく自分の勝手さが恥ずかしくて、いっそこの世界から消えてしまいたくなる。
靴もかかとを踏んだ状態で、とにかく早く湊から離れたくて、乱暴に玄関の扉を開けた。
太陽の光が眩しい。一瞬それに目を細めるも、構わず私は駆け出していく。
もっと速く。もっと遠くまで。
湊の前から、消え去りたい。
その願いが儚くも散ったことを、私は後ろからかけられた声で知る。
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