未来から来た女「それは卑怯です」


 ――"僕に嫌われたいならさ、その逆、僕に興味を持つといいよ"



 湊曰く、しつこいくらいに自分に寄ってくる人間を、どうやら彼は鬱陶しく思う性質たちであるらしく――過去に色々あったらしい――だからこそ、自分を嫌う人間のほうが興味深くなるんだとか。

 私としては、あの面倒くさがり屋の湊が自分に興味のない人間をわざわざ追いかけるか? と若干の違和感を感じつつはあるけれど、それでもあの日、湊が最後に微笑みながら教えてくれたことを、私はさっそく実践している。


「おはようございます九條くん。今日も素敵な寝癖ですね。もったいないけど直してあげましょうか?」

「「ぶっ」」


 登校してきた湊と相模くんを見つけて、私はすぐさま彼らに駆け寄りそう言った。

 すると二人して顔をばっと私から逸らす。その肩が小刻みに震えているのは、もちろん私の気のせいなんかじゃない。

 私はジト目で二人を睨んだ。


「や、だって、ふはっ……――――凄い変わり様だね」

「思う存分笑いましたね」

「うん、ありがとう。もう落ち着いた。で? 直してくれるの?」

「〜〜っそれくらい自分で直しやがれってんですよ!」


 捨てゼリフだけ残して、私はトイレに避難するべく勢いよく教室を出て行く。

 後ろでまだ笑っていた相模くんはあとで復讐するとして、湊がああ言ったから私は自分のプライドを捨てたと言うのに、会って早々吹き出すとはどういう了見か。

 怒りやら羞恥やらがぐるぐると頭の中を暴れ回っていて、私はトイレの個室の扉にしばらく頭をガンガン打ちつける羽目になっていた。

 やがてそれも落ち着いた頃――その間にトイレに来た女子に怖がられていたことはもちろん知らない――私はとぼとぼと教室に戻っていく。

 その途中で、私は廊下の隅にうずくまる黒い物体を発見した。

 いや、黒い物体というか、普通に人がうずくまっているだけなんだけど。


「どうしました、大丈夫ですか?」

「……?」


 着ている制服は男子のものだったから、もちろん私は相手が男子であることは分かっていた。

 ついでに履いている上履きの色が青色だったこともあり、同じ一年生であることも、私は分かった上で声をかけていた。

 でも。でもですよ?

 それが"あいつ"だったなんて、後ろ姿で分かるわけがないじゃないですかと、私は誰とも知れぬ誰かに向かって言い訳をする。

 覗き込んだときに見たその顔を、反射的にぶん殴ってやりたくなった。


「あ、の、大丈夫、ですので……」


 顔色は蒼白で、彼が仮病でもなんでもなく、本当に気分が悪くて隅っこにうずくまっていたのだと一目瞭然の状態である。

 私は自分の中に沸き起こる怒り一色の感情をどうにか押し込めると、諦めのため息を吐き出した。

 本当は関わりたくなんてなかった男ナンバーワンだけど、こいつが私に興味を持つのはもうちょっと先だと知っている。

 そこで興味を持たれないようにすればいいわけで、とりあえず今にも死にそうなこの男を放っておくことは、さすがに人として憚られた。

 

「ほら、手を貸しますから立ってください。私ではあなたを抱えて運べません。それくらいできますね?」


 病人にこれでも十分冷たい態度だとは思うけれど、それでも私の中では百歩どころか一千万歩ほど譲った結果である。

 一年前に湊を嵌めてくれたこいつは嫌いだけど、幼少の頃から病弱な身体であるというのは本当のことらしいから。


「あ、す、すみま」

「謝罪はいりません。ついでに感謝もいりません。早く行きましょう」

「は、はい」


 こんな奴の手を引くことすら私にとっては屈辱だ。

 自分がこんなにも冷たい人間なのだと、こいつを前にすると嫌でも自覚させられる。

 それでも一年前、こいつが私を手に入れるために邪魔者だと認識した湊を嵌めてくれたせいで、湊は一週間の停学処分をくらっている。

 私はそれを、今でも許していない。

 だから時間を巻き戻してあげようととき、私は湊の命を救うと同時、その汚名も雪ごうと決めていた。

 

「じゃああとはお願いします、先生」

「ええ。ここまでありがとうね。もう一限目は始まってるから、これを持って行きなさい。遅れた理由を書いといてあげたから」

「ありがとうございます」

「あ、あの、あり……」


 奴からの感謝の言葉なんて聞きたくなくて、私はそれを遮るように保健室の扉を閉めた。

 先生からもらったメモ用紙が、手の中でくしゃりと音を立てる。

 もう名前すら思い出したくもないあいつへの――中原宏輝こうきへの感情をぶつけるように、私は誰もいない廊下で短く怒りを叫んだのだった。






 教室に戻ると、やはり一限目はすでに始まっていて、古文の教科書を先生が音読しているところだった。

 注目されるのは苦手なので、素早く先生に保健の先生から渡されたメモ用紙を手渡す。

 すると心得たように頷いて、何のお咎めもなく席に着くよう言われた。

 もちろんすぐにそうしたかった私はそそくさと席に戻ろうとするが、そのとき意図せず視界に入った湊の姿に、なぜだかじわりと涙腺が緩みそうになった。

 きっと、予期せずあいつに出会ってしまったからだろう。無性に湊に抱きつきたくなった。抱きついて、また優しく頭を撫でてほしい。安心させてほしい。

 でもそれをぐっと堪えて、私は自分の席に着く。

 後ろから突き刺さる湊の視線は、自分の気のせいだと思うようにして――。




 


「榎本さん、変な顔してるね」


 一限目の授業が終わったあと、私はおそらく酷い顔をしているだろう自分の顔を元に戻すため、もう一度トイレのお世話になりに行こうとした。そこをなぜか湊によって引き止められ、そんなことを言われる。

 一応言わせてもらうなら、私は湊に嫌われようとしてるけど、私自身が湊を嫌いなわけじゃない。むしろ大好きだ。

 そんな大好きな彼から自分の顔を「変な顔」と言われれば、そりゃあ私だって傷つくというもので。


「さようなら九條くん。やはり私はあなたに興味なんて――」

「ストップストップ。言い方が悪かった。教室に戻ってきてから、変な顔してる」


 それ、対して変わらなくありません?

 私は内心でそう思うも、口には出さずに一歩足を引く。


「逃げようとしてるってことは、図星だ?」

「っ、」

「榎本さん、知ってた?」

「……?」

「実は僕って、逃げられると追いかけたくなるタイプなんだけど」

「ほら九條くん、手を放してください。私はどこにも逃げませんよ」

「うん、君ってほんと、なんていうかね。……かわいそうなくらい扱いやすいよね」


 ぽそりと湊が何かを呟く。

 それが聞き取れなかった私は、湊を見上げながら首を捻った。

 苦笑するだけでそれ以上何も言わない彼は、どうやらもう一度言ってくれる気はなさそうである。


「それで、何があったの?」

「なんであなたにそんなこと言わなきゃいけないんです?」

「突き放されると余計に……」

「ああもう分かりましたよ! あなた本当に私のこと嫌ってくれるんですよね?」

「もちろん。君が僕に興味を持ってくれたなら」

「絶対ですよ? ちゃんと嫌ってくださいよ?」

「はいはい。ほんと変わった人だよね、榎本さんて。なんでそんなに僕に嫌われたがるのか不思議だよ。むしろそこまでくると、逆に――」

「逆に?」

「……いや、なんでもないかな。どっちにしろ、僕のやることは変わらないわけだしね」

「? 意味が分かりません」

「いいんだよ、君は分からなくて」

「なんだかバカにされているような気がするんですが」

「バカにしたんじゃなくて、そんなところが榎本さんのいいところだよねって話」

「はあ?」


 なおさらわけが分からなくなった私は、素っ頓狂な声を上げる。

 そのあとすぐに二限目の担当教師が来てしまったため、結局私は腑に落ちない思いを抱えたまま前を向こうとした。

 けどそのときにかけられた湊の最後の言葉に、私はどうしようもなくこの人への気持ちを再確認させられる。


「よかった。もういつもの榎本さんだね」

 

 柔らかいその声音を今聞かせるのは、どう考えても卑怯だと思うんです。







「ほんッッッと、卑怯な奴ですよ九條湊って男はさぁ! そう思いません茉莉ちゃん!?」

「思う思う〜――って私が言うと思ったかこのバカ子がああああっ!」

「ひっ」


 お昼休み。屋上で友人の茉莉ちゃんとお昼ご飯を食べるのが私の日課であり、楽しみでもあるこの時間。

 いきなり茉莉ちゃんから雷を落とされた私は、面食らって震えた。

 茉莉ちゃんは見た目のタイプで言うならふわふわかわいい系ガールのため、高確率で大人しい女の子に見られがちだけど、その中身は全くの逆、結構サバサバしていてかっこいい。

 そのせいか、他の女子からはよく「榎本さんと高木さんって、中身交換したほうがしっくりくるよね」と冗談交じりに言われることが多かった。そしてそれに関しては私たちも十分理解しているので、一緒になって頷いている。

 そんな茉莉ちゃんとは、一年前は湊と付き合うようになってから友達になった子だ。

 クラスが違うため、湊や相模くんを通さないと知り合いにすらなれなかった子なのだ。

 でも湊と付き合うことはないこの人生で、そうなってくると私は茉莉ちゃんと友達になれなくなってしまう。

 私はすぐに結論を出した。

 

 断固反対。


 だって茉莉ちゃんは、私の数少ない友達である。昔からなぜか男女共に敬遠されることが多かった私には、悩みを打ち明けられるような友達は少ない。

 でも湊に茉莉ちゃんを紹介してもらってからは、私の世界が大きく変わった。

 なんなら一方的に、私は茉莉ちゃんのことを親友だと思っている。怖いので本人に確かめたことはないけれど。

 とにかく、だから私は入学と同時に行動を開始した。

 

 茉莉ちゃんのクラスは知っていたから、道場破りのような気迫を携えて、私は彼女の元を訪れる。そんな私を茉莉ちゃんは最初こそ訝しんでいたけれど、そのあと私が土下座する勢いで「友達になってください!」と頭を下げたため、拍子抜けからの大爆笑をもらった。

 私としては爆笑されたのは不本意ではあるけれど、おかげでまた茉莉ちゃんと友人関係になれたのだからこの際文句は言わないことにする。

 

「おうコラましろ、どういうことか説明しろやコラ」

「茉莉ちゃん、ガラが悪くなってますよ」

「おまえがそうさせとんねん。さっさと吐けや」

「なんで関西弁……」

「いいから吐け!」

「はいぃっ」


 茉莉ちゃんは怒ると怖い。学んだ。

 

「あのですね、前も言ったとおり、私は九條くんに嫌われたいわけですよ」

「オウそれは前も聞いたな。でも理由は教えてくれなかったけど」

「そ、それは追い追い……。とにかく、茉莉ちゃんの許可ももらって相模くんに協力もしてもらってちゃんと悪女を作り上げたんですよ私っ」

「うんうん。私が散々止めたのに本気で土下座までして許しを請うてきたもんねぇ? で、その結果は?」

「うっ……」

「その、結果は?」


 茉莉ちゃんがずいっと顔を近づけてくる。

 そこには「どうせダメだったんでしょ」と書いてあるような気がして、私は渋々観念した。


「茉莉ちゃんの言うとおりでした……」

「ほら見なさい! だあっから言ったでしょうが! そんなの湊は見破るよって。あの男の観察眼は本当に恐ろしいんだから」

「……なんか、まるで以前それの餌食になったみたいな言い方ですね……」


 ふと思ったことを呟いてみれば、途端に茉莉ちゃんが沈黙する。そして。


「…………今は私のことなんかどうでもいいのよ」


 あ、逃げた。そう思った私は間違ってないだろう。

 

「オホンッ。それで、今度の作戦は湊に興味を持とう作戦? だっけ」

「そう、そうなんです! だってそうしたら九條くんが私を嫌ってくれるって言うから……!」

「あー……なるほどねぇ」


 なのに本当にそうしてくれる気があるのか、今のところ始めたばかりということもあり、手応えは全く感じられていなかった。

 むしろ湊は必死になる私をからかうような素振りまで見せてくる。


「もしかして私、弄ばれてるんじゃ……」

「その言い方だと湊がとんでもない最低男になるからやめなさい? いや、でもちょっと待って……あながち間違いでもなさそうな……?」

「茉莉ちゃん?」

「ううん、なんでもない。それよりましろも頑固だよねぇ。そこまで嫌われたいなら無視すればいいのに」

「しましたよ! それもうやりました! そしたらどうなったと思います!?」

「もしかして……ましろが無視するのに比例して逆に湊がかまってくるようになった、とか?」

「正解です!!」

「うわーさっすが湊。狙った獲物は逃がさないな、ほんと」

「え? 何か言いました?」

「ましろドンマイって言った」

「いやもう本当にっ」


 優しい言葉をかけてくれる茉莉ちゃんに、私は遠慮なく抱きついた。

 このあともお昼休みが終わるまで延々と私の愚痴は続き、優しい茉莉ちゃんはそれを最後までちゃんと聞いてくれる。

 うん、やっぱり持つべきものは茉莉ちゃんだ。私はそれを再確認したのだった。

 


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