未来から来た女「魔王降臨……!」


 私と付き合いましょう、相模くん。


 私がそう言ったあとの彼の顔は、今思い出しても爆笑できる。





「と、いうわけで、浮気された」

「はあ?」


 翌日の放課後、相模くんが湊を連れ出すところを見て、さっそく作戦を実行してくれるんだなと察した私は、二人のあとをついて行った。

 そして二人が向かったのは、学生が放課後の溜まり場に選ぶ定番の一つ、某ファーストフード店だ。

 私は彼らに気づかれないよう細心の注意をはらった上で、湊が座っている側の二つ後ろに腰かける。

 これならたぶん、向かい合わせになる相模くんにすら気づかれない位置。それでいて適度に二人の会話が聞こえる位置だ。


「ちょっと待って祐介。浮気されたって、おまえ今誰かと付き合ってたの?」

「ああ、まあな。実はさ、湊には言おうかどうか悩んだんだ。ほらその、榎本さんとおまえって、仲悪いしさ」

「榎本さん?」


 湊の声が心なしか低くなる。

 私の名前を呼ぶときにそうなるということは、やはり私に対して嫌悪感は持ってくれているらしい。


「その、りぃな、言わなくて」

「いつからだ?」

「あー……一週間くらい前からか?」

「へぇ……。なのに、さっそく浮気?」

「そうなんだよ! いや、俺ってさ、自分で言うのも何だけど、来るもの拒まずじゃん? だからって付き合う以上はちゃんとその子のことしか見てないわけよ。それは湊だって知ってるだろ?」

「まあね。おまえが意外に一途なことも知ってるよ」

「だろ? だからさ、向こうから告白してきておいて、一週間で浮気とかマジ信じらんねぇんだけど。なんか湊にも理由なく当たりキツイし、やっぱ付き合うんじゃなかったかな、あんな女」


 いいよいいよ。いい感じですよ相模くん!

 それだけ聞いてると本当に最低な女ですよね、私。その調子でどんどん貶してくださいな。幼なじみをコケにされてるんだから、湊が怒らないわけがない。

 それはつまり、湊が私を嫌いにならないわけがないということで。


「ちなみにその浮気相手って、誰だったの?」

「え゛……」

「おまえがそこまで言うってことは、現場を見たかちゃんと証拠を掴んだんだろ? で、誰だった? 榎本さんの浮気相手は」

「あー、や、それはちょっと言いたくないっつーか」

「なんでだよ。僕が代わりにそいつに文句言ってきてやるから」

「いやいやいや、そこまでしてくれなくていいっつーか。とにかくあれだ、あの女は最低だってことだ。いやほんと、ないとは思うけど湊も気をつけろよ? あの女は悪女なんだからさ!」

「ふぅ〜ん」

「あ、はは……」


 うおおおおおおい!! なんですかその微妙な空気!

 なんで押されてるんだい相模くん!

 だいたい湊も湊だ。なんでそんなどうでもいいことを訊くの。あなたは自分の幼なじみを信じていればいいものを!


「ねぇ、祐介」

「っ、おう、なんだ?」


 あれ、おかしいな。

 なんか今、湊から寒気を感じたような……。


「おまえは僕の記憶力がいいこと、知ってるはずだよな?」

「? あ、ああ」

「そうだよな。だから僕はちゃんと覚えてるわけだ。おまえが、中学からずっと実は茉莉まつりのことが好きだってこと」

「!?」

「でも一度茉莉に振られたおまえは、それ以降やけくそになって来るもの拒まずになったんだよな?」

「なっ、んで、それっ」

「おまえと何年一緒にいると思ってんだよ。だからさっきも言っただろ? おまえが意外に一途なことも知ってるよって。おまえが自分から言ってくれることを信じて、僕はずっと待ってたわけだ。つまり、僕がおまえの口から聞きたかったことは、間違ってもおまえと榎本さんが付き合ってるってことじゃない」

「や、あの」

「祐介、僕に何か言うことは?」

「〜〜〜〜っすみませんでしたぁっ!」

 

 ゴツンッと相模くんの額とテーブルが勢いよくぶつかる。


「いいよ。おまえは許してあげる。どう唆されたのかは知らないけど、ある意味おまえは被害者だ。そうだよね? 榎本さん?」

「――ひっ」


 やばいやばいやばい。

 怖い怖い怖い。

 なんか殺気を感じますよ。魔王レベルの瘴気を感じますよ。瘴気なんて感じたことないけれど。

 

(これはもう戦略的撤退を……!)


 なんて画策した私はバカだった。

 荷物を掻き集めて腰を低くしてこっそり逃げようとしたというのに、逃げようとしたその先に、すでに仁王立ちした魔王が堂々と立っていらっしゃったんだから。


「僕が気づいてないとでも思ったの? 教室を出る段階から気づいてたからね、君の下手くそな尾行には」

「なっ――」


(んて恐ろしい魔王なんですかこの人!?)


 付き合っていた頃はそんなところが頼もしいと思っていた私よ、今すぐ目を覚ましなさい。

 これは頼もしいどころじゃない。普通に恐怖のレベルだ。


「さて、じゃあ榎本さんもこっちにおいで。ゆっくり話を聞こうか?」


 あくまで冷静な湊に、私はいっそ泣きたくなる。

 ちらりと視線で助けを求めた相模くんも、私同様顔を真っ青に染めていて、とても助けてもらえそうにはない状態だった。

 結局私は無理やり湊たちの席に連行され、怖くてせめて相模くんの隣に避難しようとする私を、湊は問答無用で自分の隣に座らせた。

 しーんと沈黙が訪れたこの空間に、湊の感情の読めない声が落ちる。


「君の行動力にはあっぱれだよ、榎本さん。まさか祐介を巻き込むとは思わなかった」

「ま、巻き込むってそんな……私と相模くんが付き合ってるのは事実ですから……」

「そうなんだ? じゃあ今ここで、僕が見てる前でキスできる? 祐介と」

「は……え!?」

「ほら、見ててあげるから、二人が本当に付き合ってるならキスくらい簡単にできるよね? しかも君から告白したって聞いたから、なおさらできるはずだよね。もちろん、唇に」


 そう言った湊は本当にじぃーっと私を見てくる。

 相模くんは完全に混乱していて、私と湊の様子を交互に窺っていた。


「わ、かりましたっ。だったらそこをどいてください。それであなたが信じてくれるなら、人前だろうとやってやります」


 湊によって奥側の彼の隣に座らされていた私は、さっそく実行に移すべく相模くんのところへ移動しようとする。

 本当は湊以外の人となんて絶対に嫌だけど、これで湊が私を嫌ってくれるなら、私の唇なんて安いものだ。

 減るもんでもなし。

 

(一瞬……一瞬でいい。一瞬だけ我慢すれば、信じてもらえるんです。その間は相模くんも我慢してくださいね!)


 そんな念を相模くんに必死に送っていると、なぜかどいてくれずじっと私を見ていた湊から、それはもう盛大かつ深いため息が漏れ聞こえてくる。

 それに反応した私の肩が、小さくビクついた。

 今度は何を言われるのかと身構えた私の頭に、突然、ぽんと優しい温もりが落ちてきた。

 

「ごめん。ちょっと気にくわないからって言い過ぎた。そんなに震えなくていいよ。もうあんなこと言わないから」

「……え?」


 恐る恐る顔を上げる。

 私は今、思いっきり虚をつかれたような顔をしていることだろう。

 だって、震えている?

 誰が――――私が?


「もしかして、気づいてなかったの?」

「……っ!?」


 本当だ。震えている。

 湊が優しく取ってくれた自分の手を見て、私はその小刻みに揺れる自分の変化にようやく気づいた。

 

「び、くりです」


 思わず、乾いた声で呟いていた。


「私、まさかこんなに…………こんなに相模くんのことが嫌いだったなんて」

「いやそっち!?」

「そうだよ。榎本さんは祐介なんか好きじゃないんだよ。だから正直に言ってごらん? なんでこんなことしたの?」

「いやちょっと待て。なんかおかしくね? なんで俺が一番傷ついてんのこれ」

「ちょっと黙ろうか祐介」

「ハイ……」


 急に相模くんがしょんぼりし出したけど、正直それにかまってあげられる余裕はなかった。

 たかがキス。そう思いたいのに、そう思えない自分がいる。

 湊との最期がそれを原因としたケンカだったからか、私にとってキスというのは、そんなに簡単なものじゃない。

 けど一年後、無事に湊を救い出せたなら、私はその先湊以外の人とそうなることがあるかもしれないのだ。

 あるかもしれないということを、今さらになって思い当たった。


(逆に、湊が私以外の人とそうなることも、あるわけで……)


 フラッシュバックする。

 あの日、湊が私以外の女の子にキスされた場面が。

 甦る。

 そのせいで、大っ嫌いと叫んだ私なんかを助けて、湊が血の海に溺れていく光景が。

 

 どうして今さら、そんなことを思ってしまったんだろう。

 今さら、もう遅いのに。

 そんなことは湊が死んだあの日よりも、もっと前に思うべきだったのに。

 

「榎本さん? どうしたの、顔色悪いよ?」

「っ、あ、あ、や、いやっ、みなっ……と――――」

「榎本さん!?」


 ふっと、突然視界が暗くなる。

 力が抜けて立っていられなくなった私の身体は、重力に従って傾いでいった。

 それを湊が受け止めてくれたことをなんとなく感じながら、私は自分の意識が深い闇の底へと堕ちていくのも感じていた。

 

 

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