未来から来た女「なんなんですかあなたはっ」
湊との関係を順調に悪くさせていたある日、私はその本人からある提案をされた。
――"僕のこと嫌いなら、話しかけなければいいと思うんだけど"
なるほど。確かにそれは盲点だった。
嫌われることしか考えていなかった私は、相手を無視するという一番嫌がらせとしては最悪なやり方を候補に入れていなかった。
無視すれば、湊と関わらなくて済む。
関わらなくて済むということは、つまり私と湊が付き合うことはなくなるということだ。
さすが湊。さすが私の彼氏。いや、もう彼氏ではないけれど。
でもその名案を、私はすぐに取り入れた。
本人が自分から言ってきたことなのだから、私が無視すれば湊も私なんていないものとして扱うことだろう。
(――と、思ったのに。っなぜ! どうして! こんなことになってるんですか!?)
私は隣にいる湊の左足を踏んづけた。
「いっ」
「どうかした、九條くん? 質問だったら後でまとめて受け付けるよ」
「や、なんでもないです。すみません」
「そう? じゃあ先進めるよ」
3年の先輩が黒板に向き直る。
白いチョークで書き足されていくのは、図書委員当番と書かれた下に、私と湊の名前だ。
ありえない。信じられない。何がどうしてこうなった。
私は湊の提案どおり、彼をシカトしようと日々頑張っているだけなのに――
「――なのになんッでその提案者が悉くそれを邪魔してくるんです!?」
委員会が終わったあとの廊下で、私は教室に戻ろうとする湊に向かって叫んでいた。
意味が分からない。もう耐えられない。
気づかないふりをして無視を続けても、湊のほうが私にしつこく話しかけてくるのだ。
「あ、やっと榎本さんから喋ったね。さっきはどうも。結構痛かったよ、足」
「そんなことどうでもいいんですよ! 足は痛くなるように踏んづけたんだから当然です。それより! あなたが私に言ったんですよね? 嫌いなら話しかけなければいいと。なのになんでそう言ったあなたが私にかまってくるんです!?」
たとえばだ。
たとえば、席が前後の私たちだから、プリントなんかが配られると前にいる私はどうしても湊を振り返らなければならない。
でもあえて私は振り返らず、投げ捨てるように湊にプリントを渡す。
そうしたらこの男、何をしたと思います? 私が振り返らないことをいいことに、まさにプリントを投げ捨てようとした私の腕を、がしっと掴んできたのだ。
びっくりしてつい振り返った私に、奴はにっこり笑ってこう言った。
ありがとう、榎本さん。
私の頭の中にはクエスチョンマークが乱立した。
いや、これが普通の関係なら、まだお礼を言われたことに理解はできたかもしれない。
でも私と湊の関係は、すでにクラス公認の犬猿の仲のはずだ。
それだけじゃなく、プリントを雑に放り投げてもいる。
なのになぜ、私はお礼なんて言われた? しかもにっこりと笑顔つきで。
まだある。
今回のこの図書委員だってそうだ。
私は湊が持ち前の面倒くさがり屋を発揮して、何の委員会にも入らないことを知っていた。
一年前は私も同じだったけど、これから湊を無視し続けていくのなら、こういうのに入っておくのもいいかもしれないと思ったのだ。
そうしたらどうなったか、この先はもう言わなくてもお分かりいただけるだろう。
「だってさ、普通本当にそのとおりにする? しかも君、かなり徹底してるしさ。おかげで僕は『美人に嫌われてるのにしつこい冴えない男』っていうレッテルを他クラスの連中にまで貼られる始末だ」
「はあ? 何ですかそれ。私が美人なのは嬉しいので
「うん、そこで謙遜しない君がいいね」
「あなたを冴えない男と評価した人は、とんだ節穴の目を持っているんですね」
「……というと?」
「どうせ自覚してないんでしょうから教えて差し上げます。あなたは幼なじみの相模くんに遠慮しすぎなんですよ。彼がかっこいいのは誰もが認めるところですが、それであなたが冴えないと決めつけるのは、間違っていますよ」
だって湊だって、その顔を隠すように長い前髪を短く切って、目が悪いからとつけている分厚いメガネをせめて今の時代に合わせたおしゃれメガネとかコンタクトにすれば、その原石はあっという間に女子の注目を集めるものに変わってしまう。
実際一年前、私と付き合い出したあとの湊は、少しは君に似合うようにならないとねと言ってイメージチェンジしてくれたのだ。
そのときの女子の目の変わりようと言ったら……今思い出しても腹立たしい。
「…………見つけたのは私なのに……」
「え? 何か言った?」
「別に、なんでもありません」
拗ねたように唇を尖らせる。
それでも、過去のことを思い出したってどうしようもないと、私は小さくため息をついた。そもそも私は、そっちの過去には戻りたくない人間なのだから。
「まあいいです。九條くんは冴えないほうがいいんじゃないですか。そのほうが私との差を思い知って惨めになってくれそうですからね」
私はそう言って歩き出す。
委員会が終わった今日は、あとはもう帰るだけだ。教室に置いてあるカバンを取ってさっさと家に帰ってしまおう。
「じゃあさ、榎本さん」
歩く私の後ろから、湊が追いかけてくる。
「冴えない僕が変わったら、君はまた僕と話してくれる?」
「……」
「あのとき言った言葉は取り消すよ。僕のことが嫌いなら、無視じゃなくて、僕に嫌味でもなんでも言ったらいいよ」
「……」
「そうしたら、僕も君を嫌いになってあげるから」
ぴたり。私の歩く足が止まる。
まるで私の計画を知っているようなその言葉に、私は思わず湊を振り返っていた。
「やっぱり。反応したってことは、そうなんだ?」
「?」
「君、僕に嫌われようとしてるでしょ?」
「!?」
「へぇ……存外、榎本さんって分かりやすい人だったんだね。これは新たな発見かな」
「は、あ!?」
「あのさ、榎本さん。僕に嫌われたいなら、無視よりもいい方法があるんだけど――」
――教えてほしい?
湊の瞳が、悪魔のように意地悪く微笑んだ。
その笑みに悪寒を感じた私は、たぶん間違ってないと思う。
忘れていた。九條湊。
この男は、レッサーパンダのごとく腹黒く、うさぎの皮を被った危険なオオカミなのである。
「お、教えていただかなくて結構ですっ」
なんだかこれ以上今の湊の相手をしてはいけないと本能で感じ取った私は、この場からすぐに脱出すべく走り出そうとする。
しかしその前に腕を掴まれ、かくんっと後ろに引っ張られた。
「約束。変わったら、今度は祐介じゃなく、僕を褒めてよ」
「っ、りませんそんなの!」
力づくで掴まれていた腕を振り解く。
覗き込まれたメガネの奥の瞳が、あまりにも真剣だったから。
だからなんだかいたたまれなくなって、私は今度こそ彼から逃げ出した。
湊の中で、いったいどういう心境の変化があったのかは見当もつかない。
でも最初は本当に順調に進んでいた私の計画が崩れ始めたのは、あとから思うとこのときからだったのだろう。
そしてこのときほど、湊が分からないと感じたことはない。
付き合っていたあの頃でさえ、湊を分からないと思ったことはなかったのに。
どうやら敵は、一筋縄ではいかないらしい。
やはり私一人で戦うにはちょっとだけ手強い相手だった。
(それは認めましょう。だったら次の段階に入るまでです)
私は怒っているのか嬉しいのか、はたまた悔しいのか照れているのか、複雑に絡み合った感情を持て余しながら、スマホを乱暴に取り出した。
***
「ごめん、その前に一ついい?」
ついさっき湊から逃げてきた私は、その勢いのままスマホを使ってある人物を呼び出した。
湊の幼なじみ、相模祐介だ。
彼は典型的な「来るもの拒まず去るもの追わず」の人なので、遠慮なく行きたかったカフェに連れ出す。女性に慣れている彼だから、こういうところも文句なく付き合ってくれるのはありがたい。
「なんですか? 私に答えられる質問ならどうぞ」
「俺と榎本さんって、そんなに喋ったことないよな? なのにどうして俺の連絡先なんか知ってたの?」
「ああなんだ、そんなこと」
そりゃあ知ってますよ。と、心の中で答える。
だって一年前は、湊も含めてよく4人で遊んでましたからね、私たち。
もちろんそんなこと、口が裂けても言えないけれど。
「相模くんは人気ありますからねぇ。ちょっとそこらへんの女子を捕まえて、おおげさにお願いすれば万事解決です」
「なんか怖ぇんだけど。お願いじゃなくて脅してねぇよな、それ」
「心外です。私が攻撃的になるのは九條くんだけであって、その他の方には当たり障りなく接しているはずですが」
「うーん、まあそうみたいだな。俺のことも、初日のあれ以来なんにも言ってこないし?」
「言う意味がありませんからね」
「じゃあさ、湊には言う意味があるってこと?」
「……」
相模くんの探るような瞳と、私の無感情な瞳がぶつかった。
彼は外見も相まって軽そうな印象を与えてしまう人だけど、私は知ってる。実はそう見せているだけで、本当は湊にぞっこんだということを。
いや、違う。これだと誤解を招きそうだ。
相模くんは別に、湊を恋愛対象として見ているわけではない。
そういう意味でのぞっこんなのではなく、簡単に言えば、子供の頃に憧れたヒーローを追い続けるような、そんなある意味かわいらしい心根の持ち主なのである。
今でさえかっこよく成長して周りからちやほやされるようになった彼は、湊曰く、昔はとにかく女の子のようにかわいくて泣き虫だったとか。
そしてそんな彼をガキ大将から守っていたのが、ヒーロー湊というわけだ。
(なんて羨ましい、相模くん。子供の頃に会ってたら私がそのポジションにいたかったくらいですよ……っ)
と、私は何度も思ったことがある。
まあ、懲りずに今も思ってるけど。
とにかく相模くんにとって湊とは、永遠の憧れのヒーローというわけなのだ。
二人を知らない人から見れば、湊が相模くんにくっついている金魚のフンのように思うかもしれないけど、実際はその真逆もいいところ。
だからこそ、彼は協力者たりえるのだ。
「あなたは九條くんのことが大切ですよね?」
「あ? 急になに?」
「そんな威嚇しないでください。私知ってるんですよ。あなたが昔はよくいじめっ子にいじめられていたことや、それを九條くんがいつも助けてくれたこと。小学生のときの将来の夢作文で、九條くんの右腕になりたいと書いたことも」
「ばっ……なんでそんなの知ってんの!?」
「知ってるからです」
「答えになってねぇけど!?」
「いいから、とにかく質問に答えてください。あなたは九條くんが大切ですね?」
「〜〜っ、だったらなんだよ。それで俺を脅してどうするつもりだ? 言っとくけど、俺も湊もそんな昔のことバラされても、痛くも痒くもないぜ?」
「そうでしょうね。安心してください。脅すつもりはありません。ただ私は事実確認がしたかっただけですから」
「事実確認?」
「はい。相模祐介くん、あなた、私の協力者になりませんか?」
「は……? 協力者?」
わけが分からないと困惑する彼に、私はゆっくり頷いて見せた。
「簡単なことです。あなたはただ、私に振り回されてくれればいいだけですから」
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