前世の記憶を持つ男「僕は君を知りたい」


 僕には前世の記憶がある。

 と言うと、誰もが頭のおかしい奴だと思うだろう。僕が逆の立場だったら、間違いなくそう思っている。

 漫画やアニメでは普通に受け入れられるこの現象は、しかし現実においては受け入れられない。

 それは誰もが分かっているからだ。そんな非科学的なこと、現実で起こり得るはずがないと。

 絶対数が少ないというのは、それだけで爪弾きの対象になる。

 まあつまり、何が言いたいのかというと。


(僕自身半信半疑だったものが、彼女の出現で僕にとっての現実になった、てとこか)


 そう。彼女、榎本ましろさんの出現で。


「おはようございます、九條湊くん。相変わらずしまりのない顔ですね。もうちょっとそれ、なんとかなりません?」

「……おはよう、榎本さん。会って早々の君の毒舌も、なんとかなりません?」


 榎本さんは不思議な人だ。彼女の前世を知っている僕でさえそう思うのだから、口にしないだけでクラスのみんながそう思っているに違いない。

 一見すればクール系美人に見えなくもないのに、僕に対する態度を見れば、誰もがその中身を残念がる。

 初対面のときから始まって、休むことなく続いている僕への辛辣な言葉遣いのせいで。


「いい度胸ですね、九條くんごときが。道端に生えた雑草が人間様に刃向かいますか。大人しく踏まれていればいいものを……チッ」

「え、舌打ち? 今舌打ちした? あのさ、前から訊こうと思ってたんだけど、僕になんか恨みでもあるの?」


 なぜクラスメイトに、しかもただ席が前後であるだけの彼女に、僕はここまで貶されなければならないのだろう。僕にとってはただのクラスメイトではない彼女だけど、彼女にとっては僕なんかただのクラスメイトでしかないだろうに。

 しかも嫌いなはずの僕なんかにかまうから、彼女は自分の人気だって落としている。

 

(それとももしかして、そのことに気づいてないのか?)


 言い換えれば、朝は登校してくる僕を待ち構えて、日中も僕の姿を追いかけるように現れて、放課後は帰り際に必ず一言、彼女は脇目も振らず僕に尻尾を振ってくる。

 嫌味を言われている僕としてはたまったものじゃないけれど、嫌いならいっそ視界に入れなければいいのにと思うわけだ。

 でもそうしないのは、何か理由があるのだろうか。それを考えようとして、でも僕はそういえばと、いつかに見たテレビの内容を思い出す。

 そのときのお笑い芸人曰く、「本当に嫌いな奴とは関わりたくないけど、たまにいるよね〜、逆にどうしても嫌味を言わないと落ち着かないっていうなんか癇に障る奴」。

 

 ああ、いるいる。

 と、残念ながら同意はできなかったが、どうやら世間にはそういう人もいるらしい。

 つまりあれだ、僕は榎本さんにとってのそういう人間だってことか。

 オーケーオーケー。なるほどね。

 ――って納得できるか。


「もうさ、この際はっきりさせてくれない? 僕のこと嫌いなら話しかけなければいいと思うんだけど。それが互いのためだよ」

「ふざけないでください。どうして私があなたなんかの指図を受けなきゃいけないんです? 私は私の好きな、ように…………いえ、ちょっと待ってください」

「?」


 急に榎本さんが何かを考え込むように顎に手を当てた。

 あまりに真剣な表情をするから、僕は言われたとおり黙って彼女の次の言葉を待ってみる。

 

「……なるほど。話しかけない……確かにその手がありましたね。これは盲点でした」

「え?」


 ぶつぶつと何かを呟いている。

 小さくて聞き取りづらかったけど、たぶん僕の提案を盲点だとかなんだとか言っているような気がする。

 

「九條くん」


 すると、榎本さんが急に顔を上げてきた。


「なに?」

「九條くんがこのクラスで一番嫌いな人は誰ですか?」

「……はい?」


 あれ、おかしいな。もしかして僕、耳が遠くなったかな。

 僕は今、普通ならあまりしないだろう質問をされた気がする。

 何これ。答えなきゃダメなの?


「えーと、榎本さん。もう一回言ってくれる? なんか今、変な質問された気がして……」

「変な質問なんてしてません。まったく、一度で聞き取ってくださいよ。もう老化が始まってるんですか、あなたは」

「始まってないし質問自体も聞こえてはいたから。今回のはどちらかというと突拍子もないことを言った榎本さんのほうが――」

「私のほうが悪いって?」


 ギロリと鋭く睨まれて、面倒くさがり屋の僕はすぐに首を横に振る。


「や、僕が悪いね。ごめん、謝るよ。だからもう一回いい?」


 こんなことで揉めるくらいなら、僕は自分のプライドなんて簡単に捨ててしまえる。

 だからすぐに謝ってみたのに、榎本さんはまるでそんな僕の心を見透かしたような目で僕をじっと見つめてきた。

 その強い眼差しに、なぜか責められているような感覚に陥る。


「なんであなたはそうやってすぐに謝るんですか。やっと直ったと思ったのに、ですか? 自分が本当に悪いと思ってないなら謝らないでください。適当な謝罪は見下されているようでこちらが不愉快です」

「えーと、ん?」

「『ん?』じゃありません! あなたは一度で日本語も理解できないんですか! ここまで脳が退化しているなんて最悪です。いいですか、もう一度言いますから今度は死ぬ気で理解してくださいよ」


 詰め寄られて、僕は「はあ」と気の抜けた返事をする。

 でも、仕方ないよな? だって榎本さんが怒ってるポイントが、いまいちよく分からないんだから。

 むしろ謝って怒られるなんて初めてだ。


「どうせあなたは争いごとが面倒なだけで、自分が悪くないものまでとりあえず謝れば済むと思ってるんでしょう。ですが、それは相手にもあなた自身にも失礼なんですよ。こいつはとりあえず謝っておけばいっか……相手を見下してますよね。僕が悪いわけではなさそうだけど僕が謝って済むならまあいっか……あなたに失礼ですよね。あなたは悪くないんだから謝らなくていいんです! ああもうっ、あなたのせいで思い出しちゃったじゃないですか。本当に最悪です。あいつのことはもう思い出したくもないのに……! で、どうなんですか分かったんですか!?」

「う、うん。分かった、かな」

「……本当にぃ?」

「本当だって! 本当に分かったから少し離れて榎本さんっ。近いから!」


 怒りで周りが見えなくなったのか、彼女はどんどん僕に詰め寄ってきて、最終的に僕らの距離は拳一つ分もないほどにまで近づいていた。

 クラスメイトの視線が痛い。

 今の時間帯は朝といえど、ほとんどの人が登校している。

 仲が悪い――一方的に――と有名な僕らだから、そんな二人が近距離でいるなんて格好の的だろう。

 予想に違わずちらほら耳に聞こえてくるのは、あの二人って実は仲良いの? という事実無根の誤解である。

 すると榎本さんもようやくそれに気づいてくれたのか、ぱっと僕から離れていった。

 そのことにほっとするも、なぜか開いた距離を寂しく思う自分がいて。


(? なんだ……? なんでこう……)


 胸にぽっかりと穴が空いたような、そんな気持ちになるのだろうか。

 不思議だったけど、僕はすぐに心当たりにぶつかった。

 懐かしい光景が甦る。



 ――どうしたのその怪我は!?

 ――ああ、姫様。なんでもありません。大丈夫です。

 ――なんでもない怪我ではないわ。すぐに医師くすしを呼びましょう。

 ――いえ、本当に大丈夫です。これくらいの怪我、私たち術者には日常茶飯事のことですから。

 ――だとしても! ……だとしても、血が流れることに慣れてしまわないで……っ。

 


 自分が怪我をしたわけでもないのに、僕なんかより痛そうに顔を歪める"彼女"を見て、このときの僕は不謹慎にも嬉しかったんだ。

 "彼女"が心配してくれている。他の誰でもない、僕を心配して、"彼女"は怒ってくれているんだと分かっていたから。

 そう思うと、"彼女"も怒るときは相手に詰め寄る人だったなぁと、なんとなく思い出す。

 詰め寄って、でも冷静になったとき、その距離の近さに気づいて恥ずかしそうに頬を染めるのだ。

 前世の僕がいた時代では、成人した女性は――特に"彼女"のような貴族の女性は――普通なら御簾の向こうに隠されていて、男は限られた者しか彼女と直に話せない。

 だから人目を盗んで逢瀬を重ねていた僕は、直に会うことでしか分からない彼女のそんな癖が好きだった。

 僕以外の男は知らない、"彼女"が僕にだけ見せる姿。

 添い遂げることが叶わないと知っていた恋だったから、余計にそんな小さなことを大切にしていた過去の日々ぜんせのきおく


 それらを思い出して、僕はふと、目の前の榎本さんを注意深く観察した。

 前世の"彼女"は近すぎる距離に、でも離れていくことはしなかった。あまり直接会えない僕らだったから、会えるときは互いを少しでも長く感じていられるよう、ずっと抱き合っていたときさえある。

 たぶん、今僕が感じた虚無感は、そのせいだろうと思う。

 前世の記憶があるせいで、昔の温もりを無意識に追ってしまったらしい。

 

(バカだな。そんなの追いかけたって仕方ないことくらい、分かってるのに……)


 今世の僕は薄情な人間だから、たとえ前世でとしても、それを律儀に守るつもりなんてなかった。

 だってそうだろう? 前世は前世で、今世は今世。

 前世の僕が愛した"彼女"はここにはいなくて、逆に"彼女"が愛した前世の僕も、ここにはいないのだから。


 なのにどうして、君はそんな顔をしているの? 

 

 まるで淡く色づいた今年の桜のように、ほんのりと頬に染まるその色は、あのときの"彼女"と全く同じ色だった。

 恥ずかしそうに目を泳がせているところは違うけれど、むしろ泳いでいるからこそ、今の榎本さんの羞恥が僕にもダイレクトに伝わってくる。

 おかしいでしょう、その反応は。

 だって今世の君は、僕のことが嫌いなんだろ?


(……あれ、でもそういえば、榎本さんが怒ってる理由って……)


 

 ――"僕が悪いわけではなさそうだけど僕が謝って済むならいっか……あなたに失礼ですよね。あなたは悪くないんだから謝らなくていいんです!"



 ああ、おかしい。

 おかしいよ、榎本さん。

 それじゃあまるで、僕のことを心配して怒ってくれているみたいじゃないか。

 ようはこれって、自分が悪くないことまで背負うなってことでしょ? 

 昔の君が、痛みには慣れていると言った僕に、そんなものに慣れないでと怒ったように。

 もしかして君も――

 

「ねぇ、榎本さん」


 必死に顔の熱を下げようとしているのか、手でぱたぱたと風を送っている榎本さんに、僕は内心の感情を押し込めて至極不思議そうに首を傾げた。


「でもさ、今もそうだけど、たとえ僕が悪くなくても、そういうことにしてしまったほうが問題はすぐに解決すると思わない? 揉めるほうが面倒だよ。それだったら僕が悪者になるくらい、どうってことないけど」

「っ、あなたは! それの重大さに気づいてないだけです!」

「重大さ?」

「そういう事勿れ主義のせいで、あなたはあいつに嵌められたんですよ!?」

「……『あいつ』?」

「! い、いえ、今のは何でもありません。とにかく! そうやって自分が悪者になることに慣れないでください! こんなに怒っておいてなんですが、今回のは私があなたに意味もなくケンカを売るようなことをしたのが原因です。あなたは何も悪くありません。ただ……」

「ただ?」

「私も、謝りません」

「ぶっ」


 榎本さんが毅然と言う。

 嘘でしょこの人。面白すぎるんだけど。


「九條くん。もしかして今、笑いました?」

「…………いや?」

「じゃあその間はなんです?」

「なんだろうね?」


 ジト目で睨んでくる榎本さんから逃れるように、僕は視線を横に外す。

 正直、僕はこのとき自分の口角を上げないよう必死だった。まあざっくり言えば笑いたい衝動を抑えるのに苦労していた。

 だってそうでしょ。なんなのこの人。自分が悪いって認めてるのに謝らないとか言ってるんだよ。僕と真逆じゃないか。相手ぼくと正面衝突する気満々だよ。

 しかもさ、何が一番笑えるって、僕が予想した通りのことを榎本さんが言ってくれたから。

 


 ――"そうやって自分が悪者になることに慣れないでください!"



 ああもう、たまんないね。

 "彼女"と君は違うと分かってるけど、その啖呵は思わず惚れちゃいそうになる。僕限定の口説き文句だ。

 君はきっと、そんなこと知る由もないけれど。





 前世の僕が愛した人へ。

 ごめんね。僕はどうやら、あなたとの約束を守れそうにはないみたいだ。

 僕は僕として、彼女――榎本ましろさんがどんな人なのか知りたい。

 


 

 未だに僕を睨む彼女に向けて、僕は嘘偽りのない笑みを浮かべる。


 初めまして、榎本さん。

 これからどうぞ、よろしくね。


 そう、内心で呟きながら。

 


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