それでも僕は、必ず君を
蓮水 涼
未来から来た女「私はあなたが大っ嫌いです」
世界は、今日も穏やかに廻っている。
誰が生まれようと誰が死のうと、世界は変わらず廻り続ける。
この世界で、彼らはとてもちっぽけな存在だ――。
***
始まりはきっと、とても些細なことだった。
いや違う。やっぱり訂正。
些細じゃない。とてもとても重大なことだった。
時は2月14日。
世間がお菓子メーカーの策略にはまってチョコを爆買いするバレンタイン。
かくいう私も
何度も何度も失敗を繰り返した後、ようやく納得のいくものを仕上げられた私は、不器用ながらもかわいいラッピングだって頑張ったのだ。
そして放課後、一緒に帰る約束をしていた湊を捜していた私は、なんと不運なことに、自分の彼氏が他の女から告白されるという最悪な場面に出くわしてしまったのである。
このとき私が思ったのは、どうしてこういう時に限って湊なんだろうということ。
世間がバレンタインだと言うのなら、よっぽど湊よりもモテるだろう彼の幼なじみのほうが、こういう遭遇率は高そうなものなのに。
なのになぜ私は、よりによって自分の彼氏の告白現場に遭遇してしまったのか。
そもそも一年くらい前までの湊は、全然モテない男だった。基本的に無駄なことを嫌う彼は、愛想というものがない。
ついでに元の顔立ちは綺麗なくせに、オシャレを無駄なものと決めつけた彼にかっこよさなんてものもない。優しさもない。面白みもない。
ないない拍子の湊のくせに、最近周りとのコミュニケーションを頑張り始めたからか、余計なものまで寄ってくるようになってしまった。
それでも私という彼女がいる湊は、バレンタインにかこつけて告白してきた女の子をちゃんと振っていた。
それはいい。大変素晴らしい。
せめてチョコだけでもと食い下がる女の子に「いや、いらない」と即答したのも褒めてあげましょう。さすが私の好きな人です。
――でも。
ふいを突かれてキスされたのは、どう考えてもおかしいでしょう?
なぜあなたは避けなかったんです?
非モテ男のくせに。
運動神経だけはいいくせにっ。
しかも、なんでよりによって、私の目の前なんですか!?
このあと、もちろん私と湊はケンカした。
最初はやはり悪いと思ってか、湊は包み隠さず謝ってはくれたけど、頭に血が上ってしまった私はそれをどうしても許せずにいた。
湊にとっては、不可抗力以外のなにものでもなかったのに。
でも、今なら分かる。
ちゃんと彼を許してあげられる。
むしろあんなに怒ってごめんなさいと、私のほうが湊に謝りたい。
――危ないましろッ!!
「湊なんか大っ嫌いです!」と叫んで飛び出した私の横から、2トントラックが突っ込んできた。後から聞いた話だと、どうやら運転手の居眠りが原因だったらしい。あのとき歩行者は青信号だった。
そして私なんかを庇ってトラックに轢かれた湊は、広がる血の海にどんどん沈んでいく。
そのときの光景を、私は一生忘れない。
声にならない声で絶叫したあの絶望を、私は二度と繰り返さない。
だから。
私は決めたのだ。湊を幸せにしようと。
私のいない幸せを、彼に捧げようと。
時は、湊が世界から消えたあの日より、およそ一年前に遡り。
私こと
誰よりも愛しいあの人に、世界で一番、私を嫌ってもらうために――
***
4月10日。
一年前の私は、今日という日をとても楽しみにしていた。制服がかわいいと有名な高校に入学できて、その制服を着た自分を全身鏡の前で何度もチェックするくらい。
新しい出会い。新しい学校。
もしかしたら初めての彼氏もできるんじゃないかと、そりゃあもうワックワクのドッキドキだったわけですよ。
「でも今は、そのワクワクのワの字も沸きませんけどね」
はぁ、と洗面台の鏡に映る自分を見てため息をつく。
どう見ても、誰が見ても、今日から憧れの高校に通えるようになった女の顔じゃない。目元にはクマがあって、薄っすらと泣いた跡も残っている。
それは過去に戻ってきた昨日、思う存分泣いた影響だ。間違っても湊の前で泣いてしまわないよう、先に涙を枯らしてしまいたくて。
「大丈夫。ちゃんと昨日、練習したんです。だから絶対、大丈夫」
私は自分の両頬を思いきり叩いた。
ワクワクもドキドキも沸いてこない代わりに、私の中には強い使命がある。
「今度は私が、あなたを助けてみせます。……欺いてみせます」
無理やり口端を指で上げて、なんとか笑おうと形作る。
出会い頭は肝心だ。
非の打ち所が無い笑顔を、私は彼に見せなければならない。
そしてその口から吐き出すのは、嫌味のオンパレード。初対面でいきなり毒を吐く女など、誰も好きにはならないだろう。
気合いを十分に入れた私は、行ってきますと玄関で声をかけて、戦いの
それから最寄り駅まで歩いていき、電車に揺られ、通い慣れた道を進んで行く。一度右に曲がって、高校まで残すところ直線距離。
手前から奥までずらりと並ぶ桜並木は、この高校の校章にもなるほど親しまれているものだ。
昨年の私はその様に圧倒されて、内心でアホな声ばかり出していたっけ。
だからそのせいで、私は人にぶつかってしまった。残念すぎるくらいのバカである。
でも湊が死んだその日まで、私はそのアホでバカな自分に感謝さえしていた。
だってそれが、私と彼の出逢いだったから。
なんてベタな展開だろう。
でもそのベタな出逢いが、私たちにとっては大切な思い出になったのだ。
(ああ、もうすぐで……)
風が舞う。目の前で、薄桜が空に散る。
あともうすぐで、私が湊にぶつかってしまった地点にやって来る。
そう思うとなんだか緊張してきて、私はぎゅっと拳を握った。
胸の内にある不安は、本当に湊を助けられるのかということと、本当に湊が生きているのかということ。
その答えがこの先にあるのだと思うと、あまりの緊張に息が苦しくなってきた。私はそれを和らげるため、深く息を吸って吐く。
一度じゃ治らない鼓動を落ち着かせるため、もう一度息を吸う。吐いて、吸って。
また吐こうとした、そのとき。
(――あ、)
前方に、見覚えのありすぎる背中を見つける。
一年前と同じように、一人ゆっくり歩く背中を。
間違いない。あのいかにも全身が眠いと語る後ろ姿は、私の大好きな人のもの。
少しだけついた後ろ髪の寝癖は、どうせ気づいているくせに面倒だからと直さなかったものだろう。
間違いない。湊だ。湊だ。
湊が、生きている――――!
「よか……た……っ」
あまりの安堵に、私はそのまま膝から崩折れそうになる。
けれどなんとか踏ん張って、目尻に滲む枯らしたはずの涙を拭う。
本当に、なんて情けない。
彼の後ろ姿を見ただけで、まさかここまで泣きたくなるなんて思わなかった。
(って、そんなんじゃダメでしょう! 私が何のために戻ってきたと思ってるんですか。ほら、そのためにまずすることは?)
A、初対面でいきなり相手を貶すこと。
(よしきた。任せなさい。じゃあさっそく――)
「っと。ごめん、大丈夫?」
「――っ」
人がせっかく気合いを入れて口を開けた瞬間、誰かが私の背中にぶつかってきた。
正直私の今の勇気を返してくれませんかと文句を言いたいところだけど、気合いを入れすぎて叫ぶ前に立ち止まった私にも非があるだろう。
仕方ない。相手に謝って、それから仕切り直しといきますか。
と、そう思ったのに。
「いえ、こちらこそすみ……――――え゛」
私にぶつかった相手というのが、最悪なことに知っている人だった。
いや、これがただの知り合いならまだよかったかもしれない。
でも彼は、湊の幼なじみである彼だけは、今はやめてほしかったと思う。
(ああ終わりましたね、これ。湊に嫌われるつもりではありましたけど、彼にまで嫌われるつもりはなかったのに)
むしろなんとかこちら側に引き込んで、湊に危険が迫ったら教えてもらおうと思っていた人物なのに。
幼なじみの彼――
なるほど。どうやら私はここにきてようやく学んだかもしれない。
私は悲しいくらいに運がない。
自分の目が遠くなっていくのを感じた。
「おいおい。ちょっとあんた、本当に大丈夫か? 体調
「え? ああはい、まあそうですけど、別に体調は悪くありませんので」
「遠慮すんなって。あ、なんだ湊もいんじゃん。ちょうどいいや。俺と俺の連れで運んでやるよ」
いやあああっ。それだけは絶対やめてください断固拒否ッ! 私、体調は悪くないって言いましたよね!?
「おーい、みっなとぉー」
「ちょっ……結構ですから! 私本当に体調なんか悪くないですから!」
お願いだから人の話を聞いてくれません!?
こんな状況でどうやって湊に毒舌を吐けって言うんですか!
「ん? なんだ祐介か。朝からなに大声なんか……――――!?」
ああ、最悪です。
ついに湊が私を視界に入れちゃいましたよ。私としてはもっと強烈で最悪な出逢い方を想像していたというのに。
普通だ。
これじゃあ普通の出逢い方じゃあないですかっ。
え、なに、これが運命のイタズラだって? ふざけんな本当余計なことしてくれましたね、運命とやらは。
「実はさ、この子ちょっと体調不良みたいで。なのに俺がぶつかっちまって……って聞いてる? 湊ぉー?」
相模くんがどこか呆然としている湊の顔を覗き込む。
さっきまでこの状況にテンパっていた私は、ここでようやく湊の視線に気がついた。
どういうわけか、湊は最初に私を視界に入れてから硬直したまま動かない。
「? な、なにか?」
つい口端をひくつかせてしまうほど、湊がじっと私を見つめてくる。
そういえば一年前に私と湊が初めて出逢ったときも、湊は私を見てしばし固まっていたような気がする。
何をそんなに驚く要素があるのか分からない私は、しかしここでハッとなった。
危ない。己の目標を忘れるところだった。
未だに私を見たまま微動だにしない湊に、これは好都合だと私は思う。
あごを上げて。眉尻をつり上げて。
練習した虫ケラを見るような目で目の前の人を睨みつける。
「あの。いい加減不愉快なんですが」
「……え?」
湊がやっと我に返った。
「初対面の女性をじろじろ見るだなんて最低最悪の男ですね。男の風上にも置けません。性転換手術をお勧めしましょう」
「は……せいてん、かん?」
いきなり初対面の女に言われたことが頭では理解できなかったのか、湊が呆然と繰り返す。
私も毒舌なんて言い慣れていないため、本当にこんなので効き目があるのかは不安だけれど、一度乗ってしまった船は降りられない。
「そうです。あなたのような男性がいるから世の他の紳士な男性がいわれのない悪意に晒されるんです。たとえばこちらの彼のように」
「俺!?」
「み……あなたに会うまでは私にとってありがた迷惑という印象だった彼が、あなたという友人がいることを知ってしまったせいで、私の中の彼の評価はだだ下がりしてしまいました」
「え、俺ありがた迷惑だったの?」
「今はゴミ虫の友人Aです」
「ゴミ虫!?」
大げさにリアクションを取る相模くんと違って、湊は静かに私を見下ろしている。
最初にあった驚きの瞳は鳴りを潜め、今の彼の瞳に浮かぶ感情は、おそらく少しの不機嫌さ。
そりゃそうだ。誰だって初対面で突然こんな攻撃的な言葉を吐かれたら、なんだこいつ? と思うはずなのだから。
(それでいい。それが私の目標ですから。でも、もうちょっと分かりやすく怒っていただかないと)
「だいたいなんです? その死んだ魚のような目は。あなたのような人と同じクラスにはなりたくないものですね」
「……あのさ、一応訊くんだけど。僕らって初対面だよ、ね?」
「それがなんだと言うんです? 世の中に一目惚れという言葉が存在しているのなら、その逆があっても何ら不思議ではないでしょう?」
「つまり君は、初対面で僕のことを嫌いになった?」
「そのとおりです。私にはあなたが腐った卵の風呂にでもつかって大量の生ゴミの中で寝ているんじゃないかと思いたくなるような、そんな不愉快な生物にしか見えません」
「いやそれどんな生物」
「ということですので、今後一切私の気分を害すようなことはしないでくださいね。それでは」
私はとにかく頭の中に浮かんだことを言うだけ言って、初めてにしては上出来じゃないかと内心満足しながらその場を後にする。
最後に見た相模くんのぽかーんとした顔や、湊のなんとも言えないような複雑な顔に、罪悪感がないわけではないけれど。
タイムリミットは一年間。
私はなんとしてでも、この勝負に勝たなければならないのだ。
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