放浪おじさんとローズの子

@awanoQB

序章 春のキャベツ祭にて

 グレゴリウス暦一五三八年。赤煉瓦と春キャベツの祭りで有名な街で、一騒動が起こっていた。

 厳しい越冬を経た春キャベツの収穫祭で絞められる牡牛が暴れ出したのだ。大鍋に入った春キャベツのスープは宙を舞い、大人子どもはこぞって建物の影へ隠れようとした。

 暴れ牛だって生きているのである。たかが人間たちの祭の為に捧げられる命など、堪ったものじゃなかった。

 暴れ牛の握られた角に、ヒビが入る。

「ご主人様、お肉食べれましたっけ?」

「なるべく生で」

「そうですか」

 暴れ牛の騒動で人気のなくなった大通りで、収穫祭のスープを飲んでいる少女に牛の暴走は止められていた。

 幼い少女は底に残るキャベツを、器を傾けることでなんとか食べようとする。

「でも、あたしはステーキにして食べたいです。スープにするのも良さそうです」

「それ、食べられるのはローズだけじゃないかな」

『ローズ』と男から呼ばれた少女は、照れ臭そうに笑った。男は少女の誤魔化しを気にすることなく、スープを飲み干す。

 男が柔らかい春キャベツを咀嚼すると同時に、少女の手から滑った牛の角が、攻撃の矛先を変えた。

「うわ」

 地面を蹴った暴れ牛の後ろ足が少女の目を奪い、スープを食べていた男は自分へ向かってくる牛の頭に目を見張った。

 奪われる営みを奪われようとする牛の目は血走っている。鼻息も荒く、冷静に宥めさせようとしても説得は無に終わるだろう。

 男はポカンと口を開ける。

 男の喉と牙が渇きを覚えたと同時に、男の視界が赤く染まった。




 * * *




「いやぁ、ご迷惑をおかけして申し訳ない! 旅の人! 今回の牛は、ちょっと活きが良かったようだ」

「はぁ、そうですか」

「そう言えば、旅人さんにしては荷物が多いな? もしかして、行商人の方かな?」

「はぁ、まぁ、そう言えばそうですね」

「そうか! じゃぁ、君はお父さんのお仕事を手伝っているのかな? えらいな!」

「えぇっと、まぁ、はい。そうですね?」

 暴れ牛の血を拭った少女は、乱暴に頭を撫でてくる手に目を瞑る。

 目の前で盛大に暴れ牛の血を浴びた男は、差し出された布で血を拭ったものの、頑なにローブのフードを外そうとしなかった。

 男の目の前で暴れ牛を串刺しにした自警団の男は、ペンと紙を取り出した。

「ところで、今回の騒ぎに対するお詫びを、後で宿に持って行きたいからさ。二人の名前を尋ねても大丈夫かな?」

「あー、えぇっと、はぁ。はい、えぇ、はい」

「歯切れが悪い返事だな! じゃあ、お父さんの方から名前を教えてもらおうかな」

 少女を気遣った言い方に、ローブの男は視線を逸らす。

 歯切れの悪い返事をした男は暫し迷ったあと、口を開いて自分の呼び名を伝えた。

「あー……『ガスト』。『ガスト』と呼んでくれ」

「はい。『ガスト』さん、と。じゃぁ、お嬢ちゃんは自分の名前、いえるかな?」

「『ローズ』です。どうぞ、よしなに」

「ハハッ! お父さんの教育がよっぽどいいと見える!!」

 黒と白を基調としたロリータドレスの裾を掴んだお辞儀をした少女の頭を、ガシガシと自警団の男は撫でる。

 自警団の男の発言に、ローブの男は微妙な顔をする。

「じゃぁ、九時課の鐘が鳴ったら宿に来るとしよう! いない場合は宿の女将に預かってもらうからな」

「はぁ」

「では、他の仕事があるので失礼するとしよう。良い滞在を!」

 少女の白銀の髪を撫でるだけ撫でたあと、自警団の男は応接間を去った。

 少女はグシャグシャになった髪を、手櫛で整える。去った嵐に胸を撫で下ろした男に、少女は呟いた。

「さっきの、思い付きでいいませんでした?」

「いいや、多分。ちゃんと考えていったさ」

 厭世家の口振りをする男――『ガスト』――は、唇を尖らせる少女――『ローズ』――にそう告げた。



 * * *




 暴れ牛の騒動から自警団の事務所を出れば、既に収穫祭の活気が戻っていた。

 服を着た二足歩行の犬は暴れ牛の肉に舌鼓を打ち、丸く肥えた大柄の女性は街の井戸端会議にコロコロと笑う。

 ――何度目かの破滅を迎えた星で、また文明が開かれたのだ。

 破滅に導いた人類はまた同じ歴史を刻み、昔と変わらない営みを行う。ただ、変わったところはあった。それは自らの姿と異なる“人種”が誕生したことである。

『獣人』『精霊人』『魔人』と人類は自分たちと見た目の異なる人種を、大きく三つに分けて分類した。『獣人』は獣の力を引き継ぐ者、『精霊人』は自然との親和性が高い者、『魔人』は劣悪な環境下でも生き残るタフさを持つなどの特徴を持つと取り決めた。

 だが、【例外】は勿論いる。

『魔人』の分類に属する種族の一つ――【吸血鬼】――の純粋な血を引くガストは、人類に伝わる『魔人』の強さを持ってはいなかった。

 ガストは、吸血鬼の持つ《万物を切り裂く爪》が《糸切りハサミ》と同じくらいの力しか持っていなかった。腕力も弱く、顎の力も弱い。固い筋肉を貫いて血を啜る芸当もできなかった。また家主の許可を貰えない限り他人の家屋へ入ることができず、水の上を歩けない。己の身一つで水の中を通ることもできなかった。

 万が一水の中に入ってしまうと、ガストは灰となって消滅していた。

 そう、ガストは【吸血鬼】――それも力のある【ロードヴァンパイア】としては例外的な弱さを持っていた。

 それに対して、ローズはガストの弱点を全て補うような強さを持っていた。“【吸血鬼の眷属】は主となる【吸血鬼】の力を引き継ぐ”という常識を覆しての力である。

 なぜ、ガストが吸血鬼として例外的な弱さを持つのか?

 なぜ、ローズが【吸血鬼の眷属】として例外的な強さを持つのか?

 この点は、いくら考えても二人に答えが来ることはなかった。

 ただ、明らかな事実だけが、二人の間に転がっていただけだった。

「ねぇ、ご主人様。私たちが休めるようなところは、いつになったら現われますかね?」

「さぁ、なぁ」

 ――、ただそれだけだった。

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