恐怖すらも

 十戯城高校との試合が決まり、試合まで四日と来たある日。


 雨野馳六華あめのちりっかは放課後に一人走っていた。

 

 本当は雪咲月華ゆきざきげっかも一緒のはずだったのだが、雪咲も自身の能力にあった練習をしなくてはならず、一人で走ることとなったのだった。

 

 雪咲のしてくれたアドバイスを思い出し、スピードにキレを与えるべく走る雨野馳。しかし相変わらず体力がなく、すぐに疲れてしまう。

 

 怖いのだ。

 十戯城という不良校の生徒達とコンキスタで戦うことが、怖くて怖くて仕方ない。

 その恐怖が、雨野馳から元々ない体力をさらに奪っていた。


 結局五回練習しただけで疲れてしまい、そのとき近くにあった自販機でスポーツドリンクを買って休憩した。

 

 電柱に寄りかかり、スポーツドリンクに口をつける。しかし息が上がっている中飲んだためにむせてしまい、逆に息苦しくなってしまった。

 しかしそうして咳き込んで丸まった雨野馳の背を、上から叩く手が一つ。

 見上げるとそこにいたのは黎明の一年生エースと呼んでも過言ではない存在、神門千鶴かみかどちづるだった。

 

「久し振りじゃん、六華」

「……えぇ、そうね」


 二人で近くの公園までジョギングして、再び休む。

 水道の蛇口を捻って大量の水を飲み干した神門の隣で、雨野馳は慎ましくスポーツドリンクに口を付けた。

 ベンチに隣り合って座って一息つくと、お互い近況報告に入った。


「へぇ、十戯城とねぇ……あそこって、不良校でしょ? んなとことわざわざやらなくていいのに」

「私もそう思うわ……でもまぁ、受けてしまったから……」

「ふぅん……逃げたくないんだ」

「え?」

「逃げたくないんでしょ、戦いから。怖くても、敵がヤバくても、逃げたくないんだよ。変わろうとしてんじゃない? なんか、怖がりな自分から」

「……まるで、私のことを知ってるみたいなこと言うのね」

「見りゃわかるよ。六華、自分から面倒ごとにツッコむタイプじゃないでしょ」

 

 まさしくその通り。

 だからこそ、中学時代の雨野馳六華は不登校になった。

 

 自らそのいじめから戦うことを諦め、逃げたのだ。

 自ら率先して困難と闘い、挑もうとする性格ではない。

 そうでなかったから、過去の自分が嫌いなのだ。

 

 そんな過去の自分を嫌い、蔑み、新たな自分に変わろうとしているのは自分自身でも気付けない変化だった。

 それをズバリと言われたことに驚きを禁じ得ず、さらに言えば一縷の恐怖すらも感じた。

 神門がズバリ自身の変化を言い当てたことではなく、神門に言われるまで自身の変化にすら気付かなかった自分自身に対して。


「まぁいい方向に変わろうとしてんならいいんじゃない? ってか悪い方向に変化しないでよね。また私とやるときに、弱くなってたら承知しないから」

「千鶴……!」

「試合、負けないでよね。私とやるまえに負けたら、メンタルやられそうだからさ」

「……? それって私の?」

「いや、私の」


 それだけ言い残して、神門は手を振り去っていく。


 二メートルを超える高身長はやはり遠目で見ても物凄い存在感で、十戯城の卓須たくすと呼ばれていたバイクの女性よりもその迫力は凄まじい。

 それを遠目で見たとき、雨野馳は思わず立ち上がった。


「千鶴!」


 呼び止められた神門は、首だけ振り向く。

 その大きな背中越しに見える目は、寝ぼけ眼なのに凄い眼力で、思わず怯みそうだった。


 しかし同時に思う。

 今自分は、そんなすごい人と一緒にいて、話して、平気だった。


 怒りに身を任せていたとはいえ、自分は彼女に向かって行けた。

 ならばきっと、彼らにだって立ち向かえるはずだ。


「……次は勝つから! あなたに!」


 こんな強気な言葉だって出せるんだ。

 立ち向かえないことはないはずだ。


「……あっそう」


 口元に微笑を浮かべ、神門は去っていく。

 その目はすでに現在ではなく、いつしか対峙するフィールドを見ていた。


 そのフィールドに行きつくまでに潜り抜けた修羅場の数と質は違くて、どれだけの戦いをしてきたのかをお互いに見ていても底までは知らなくて、そのフィールドに立つまでのドラマも違うわけである。

 だがお互いにこの舞台を目指してきたわけで、結局は似た者同士だったのだという結末。

 

 そのフィールドに立っている雨野馳六華は恐怖すらも力に変えてしまうほど強くて手強くて、自分でも倒すのが至難の業になっている強敵に進化している。

 そんなありえるのかありえないのか、誰にも肯定も否定もできない未来を勝手に想像した神門は、勝手に憂鬱になって勝手に胸を高鳴らせていた。


「まったく……メンタルやられそう」

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