十戯城高校

「なぁ、雨野馳あめのちどこ行ったか知らねぇ?」

「雨野馳ちゃん? 雪咲ゆきざきちゃんと走りに行ったわよ」

「マジか……せっかく必勝コンボを考えたのになぁ」

「必勝コンボ?」

「俺がヴァー!!! ってやって雨野馳がビュオン!!! って感じでドガーン!!! ……みたいな?」


(いや、意味わかんないんですけど……)


 夜兎鳴狩野やとなりかりや晴渡省吾はれわたりしょうごの擬音ばかりの説明に困惑していた頃、雨野馳六華りっかと雪咲月華げっかは走っていた。

 

 同じ速度で並走し続ける彼女達だが、速度を合わせているのは雪咲の方で、雨野馳は必至に追いかけている状態である。

 最高速度では雪咲は雨野馳の足元にも及ばないが、しかし基礎的な走力と体力は雪咲が圧倒的に上だった。

 それはあの雨の日に共に練習しようと約束した日から、わかってきた事実である。

 

 覇星彩夢はじょうあやめに教わった技、スピード・スターを会得したい雨野馳であったが、まずは体力作りから始めている。

 速度をまるで落とさない走法であるスピード・スターを会得するには、雨野馳にはまず体力が足りていなかった。

 そりゃ、中学時代は引き籠もりで運動も碌にしなかった少女が、急に運動できるくらいの体力を持っているはずもないのだが。


「ねぇ」

「え? ……あぁ、ありがとう」


 休憩は、明星からずっと離れた丘の上の公園。

 坂の下に広がる住宅街を見下ろしながら、雨野馳は雪咲がくれたスポーツドリンクに口を付けた。


「まだまだね……」

「すぐにはできないよ」

「そうね……ねぇ、あそこって高校?」


 雨野馳が差したのは、住宅街の中に見えるなかなか年が経っていそうな学校。

 上から見てもわかるくらいにまで多くの落書きで塗れており、正直生徒達の素行と治安の悪さが容易に想像できた。


「あぁ……十戯城とうぎじょう高校だよ。なんか昔、あそこにお城の形をした遊園地施設があって、それが凄い有名になったから地名になったらしいけど。今じゃもうないし……その跡地が学校になったんだって」

「闘技場? 随分と物騒な名前ね」

「遊園地のときは十個の遊戯場があるお城ってことだったみたいだけど、今じゃあの学校のせいで本当に闘技場コロシアムの意味で取られてるみたい。この辺りじゃ有名な不良高校らしいよ」

「物騒ね。さっさと行きましょう」

「……ねぇ、知ってる? あそこにも今、コンキスタ部があるんだよ」


(いや、あの高校のことも知らなかったんだから、知ってるわけないんだけど……)


 雪咲はケータイを取り出し、十戯城高校を検索する。

 そしてホームページから部活動のページを見つけると、その中からコンキスタ部を探し出した。


「去年は東京都大会ベスト四。黄金世代って言われてたみたいだね」

「今もじゃあ強いの?」

「ううん。ほとんどの人が引退しちゃったみたいだから、今はそれほどでもないと思う」

「言ってくれるじゃねぇか」


 不意に、背後の上段から声がした。

 男口調で話しかけて来たのは、見るからに女性。

 癖の強い金髪を揺らし、ロングスカートでバイクに跨ったその人は、バイクに跨ったまま高い段差を飛び降り、二人のすぐ側まで走って来た。

 

 どこか煙草臭い彼女は背が高く、鋭い眼光が威圧的である。

 その存在感は、黎明の神門千鶴かみかどちづるを想起させた。


「今はもう力はねぇ? でけぇ口叩きやがって。てめぇらどこ校だ? あ”?!」


 確実に、十戯城高校のコンキスタ部員と見て間違いない。

 怒り心頭している彼女の気迫は恐ろしく、中学時代に引き籠もりだった雨野馳としては初めて絡まれた怖い相手だった。

 

 その場をすぐさま離れたいが、相手はバイク。

 バイクよりも遥かに足が遅いことは、前のひったくり事件で実証済みだ。

 

 それに何より、恐怖で脚がすくんで動かない。

 目の前の女性の覇気が驚異的に恐ろしく、全身を雁字搦がんじがらめにされたかのような硬直に襲われる。

 

 助けを求めて雪咲の方に視線を向ける。

 すると雪咲はまるで動じていない様子で、寝ぼけ眼のままだった。

 度胸が据わっているのか状況を把握し切れていないのか、それは知らないが。


「ダンマリ決め込んでんじゃねぇよ! さっさと吐けやてめぇっ!!!」

「私達は、明星のコンキスタ部よ」

「明星だ……?」


 明星と聞いて、その人は笑い出す。

 明らか嘲笑であるその笑い声は、とても大きく響き渡った。


「明星にコンキスタ部なんてまだあったのか!? 大会で一勝もできない超弱小校が! もう廃部になったかと思ってたぜ。何せ去年、俺達がコテンパンに叩き潰してやったからなぁ!」

 

 ということは、この女性は黄金世代と言われた十戯城コンキスタ部で、そのとき一年生か二年生だった一人。

 しかも試合に参加しているらしい発言からして、相当な実力者だろうと推測できる。

 

 ますます下手な真似はできないと、雨野馳が恐怖を唾と共に呑み込んだのと同じタイミングで、雪咲はあろうことか反論した。


「去年の明星の戦績は知らないけど、今年は強いよ。だって、雨野馳さんが入ったもの」

「ちょ……! 雪咲さん!」

「雨野馳だぁ? てめぇか……」


 女性の目が、雨野馳の心臓を射抜く。

 威圧的な目は雨野馳をそのまま殺しそうなくらいに、殺気を宿していた。


「てめぇがなんだって? 俺ら無敵の十戯城グラディエーターズだぞ。てめぇの能力は知らねぇが、ちょっとできる一年が一人入った程度でどうってことねぇんだよ。豪い口叩くんじゃねぇ、殺すぞ」

「あなたに雨野馳――いえ、六華は殺せないわ。もちろん私も。だって、あなた達じゃ私達に追いつけないもの」

「てっめぇぇ……!!!」

「そこまでや、卓須たくす


 卓須と呼ばれる女性を止めたのは、眼鏡をかけた一見優しそうな男。

 しかしその眼鏡の奥の細目は眼光が鋭く、熱を持つ眼光は雨野馳の背筋に寒気を走らせた。

 戦慄、という感覚を初めて知った。


「何を他校の生徒脅かしとんねん。喧嘩起こしたらうちが訴えられんねんで、ホンマに」

「だけどよリーダー! こいつら!」

「あぁ、わかっとる。わかっとるよ? なんやぁうちらがもう弱小やぁ言われたんが腹立つって話やろ? それは、うちも同感や。明星言うたら東京でも最弱クラスの弱小校。そないなところに弱い言われたくはないなぁ」

「じゃあ試しませんか。明星と十戯城、どちらが強いか」


 雪咲が恐ろしいことを言いだした。

 そもそも、彼女はこんな強気な少女だったのだろうか。

 

 まだ彼女と共に練習し始めて一週間も経っていないし、同じ部活に入っても一ヶ月も経っていないから、彼女のことを知り尽しているとはまだ言えない関係だが、しかしここまで強気な性格だとは思っていなかった。

 恐れ知らずと言えば頼もしいが、しかし雨野馳としてはもう心臓が持たないくらいにヒヤヒヤして仕方ない。

 

 というか怖い。

 もはや言葉を発する余裕すらなく、脚はただ立つことだけに力を注いでいた。


「面白いやないか。そこまで言われて引き下がるのは、先輩としてカッコ悪いわなぁ」

「どうするんですか?」

「……よっしゃ、受けたる」


「試合はそうやなぁ……来週の土曜日。場所はそっちのフィールドでどうや」

「はい、構いません」

「ちょっと、雪咲さん……部長にも許可取ってないのにこんなの……」

「大丈夫だよ。鏡根かがみね先輩、引き下がる人じゃないもの」

「なら決まりや……あぁそうや。うちは戦場ヶ原せんじょうがはらや。戦場ヶ原龍一りゅういち。十戯城グラディエーターズのキャプテンやってるねん。ほな、来週の土曜にまた会おな」

「はい、是非」

「……逃げんじゃねぇぞ」


 戦場ヶ原を後ろに乗せ、卓須はバイクを走らせる。

 二人が去ってようやく硬直が解けた雨野馳は、その場にヘタリと座り込んだ。

 泣きそうになるのを、必死に堪えている。

 その隣で平然とケータイを操作している雪咲を見上げ、雨野馳は吐息した。


「どうすんの……先輩達にも断りなしで……」

「大丈夫だよ。だって、弱小呼ばわりは悔しいじゃない」


 感情がほとんど表に出ない雪咲だが、その言葉に強さを感じた。

 

 東京最弱。

 そんな称号を与えられたまま黙っていることはできないと、雪咲は言った。

 そんなプライドを持っている人間なのだということを初めて知った雨野馳は驚くばかりだったが、しかし驚くのはまだ早かった。

 

 雪咲は鏡根のぞみに電話したのだが、その最初の文句が強烈的だった。

 それをほぼ眠たそうに言うので、若干の狂気を感じてしまって仕方がなかった。


「もしもし先輩。明星の東京最弱の称号……いらないと思いませんか?」

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