スピード・スター

 雨野馳六華あめのちりっかは興奮していた。

 

 しかし元よりそこまで物事に関して熱くなれる性格ではないし、大好きなものが目の前にあっても冷静さを欠くまで興奮することができない。

 何かと恥ずかしさが働いてしまい、キャーキャー言えない性格だ。

 

 故にこの場でもキャーキャー騒いで困らせるようなことはしなかったが、興奮しすぎて緊張し、完全に固まっていた。

 昨日まで動画で見ていた世界最速のコンキスタドーレス、覇星彩夢はじょうあやめが隣にいるからである。

 まだコンキスタを始めてまもない雨野馳ですら、緊張してしまうこのシチュエーション。

 隣でグビグビとジュースを飲む覇星が奢ってくれたジュースが、まったく喉を通らなかった。


「ありがとね、身代わりになってもらって。お陰で助かったよ」

「い、いえ……」


 早朝からひったくり犯と遭遇し、それを捉えた覇星だったが、現在代表選手の合同練習に合わせての調正期間らしく、人前に出て騒がれるのは嫌な状況だそうだ。

 そこで覇星は途中までバイクを追っていた雨野馳の手柄としてひったくり犯を捕まえ、自身は雨野馳がひったくり犯を警察に無事に突き出すまで見送ってその後は陰からコソコソと一部始終を見届けた次第である。


 半分身代わりにしてしまったことに対するお礼として、雨野馳にジュースを奢る覇星はフードを深く被り、顔を隠していた。

 すでに時間も経ち、二人のいる公園には人も多い。


「えっと……その……なんとお呼びしたら、いいんでしょうか。その、ここでその名を出すと……」

「そだなぁ……じゃあ星姉ほしねえでいいよ? もっと親しい感じにしていいから」

「じゃ、じゃあ……星姉は、どうしてこの街に?」

「あぁぁ……ハハハ、住んでるのは小田原とかそこら辺なんだけどねぇ……ホラ、私能力が能力じゃない? ちょっとランニングしようと思ったら、神奈川から東京まで走るくらいが調度よくってさ。とくにランニングコースは決めてないの。だからこの街に来たのは偶然」

「そ、そうなんですか……」

「あれ、もしかして緊張してる?」


 図星を突かれ、雨野馳は恥ずかしがりながらも小さく頷く。

 それを見た覇星はフードの下でクスリと笑ってみせた。


「べつに緊張なんてしなくていいのに。私はコンキスタっていう競技じゃ凄いかもだけど、他じゃあ全然大したことないんだよ?」

「そ、そんなこと……」

「ありがと。でも事実なんだよ。私の能力は単純な走力。速く走ることだけが特技なんだよ。他は何もできない。ホント、走るだけしかできないんだ。あなたの友達にもいるでしょ? すっごい能力持ってる人。そんな人と比べたら、私なんて普通だよ普通。だから、緊張しないで大丈夫。今の私は、ただの星姉だよ」

「……はい」


 覇星のなんとも和やかな雰囲気に、雨野馳も和まされる。

 少しずつ少しずつ緊張が解け、その後は少しずつ気楽に話せるようになっていった。

 話は、最近雨野馳がコンキスタを始めたことになった。


「そっかぁ……六華ちゃんもコンキスタやってるんだ。そうだよねぇ、高校生になったんだもん。解禁だもんねぇ」

「星姉は、どうしてコンキスタを始めたんですか?」

「近所でコンキスタをやってたお兄さんがいてねぇ……大好きだったんだぁ、初恋だった。その人に少しでも好かれようとして、コンキスタを始めたんだけど、最初はなんの武器も使えなくってさ、もう怒られてばっか。ベンチにも入れてもらえなかった」


「でもそれでもお兄さんに褒められたくって。だから頑張って頑張って頑張って、自分のスタイルを見つけた。そしたらなんか、世界最速とかなんとか言われ始めて……気付いたら、そのお兄さんまで追い越してたんだ」

「す、すごい、ですね……」

「努力はすごいんだよぉ、六華ちゃん。ただ頑張っただけじゃなんにもならないけど、頑張り続けることでそれが凄いことに繋がっていくんだ。だから努力だよ六華ちゃん。どんなときでも、努力だよ」

「……それが、強くなれる秘訣ですか?」

「お、来たねぇ? 強くなれる秘訣。みぃんな聞いてくるけど、やっぱりそだね……うん、努力しかないと思うな。身体能力も異能力も、神様は平等に凄いのをくれるわけじゃない。私達が平等に許されたのは、努力し続けることだから。だから精一杯努力して、神様見返してやるんだって強い気持ちでいることが、強くなれる秘訣かな!」


 すこぶる、底抜けに明るい人だと思った。

 フードの下に顔を隠していたって、そのいい人オーラは隠し切れない。

 余りにも善良過ぎて、雨野馳は強くなるにはどうしたらいいかと訊けずにいたのだが、それをも悟ってくれたかのように答えてくれた。

 だから調子に乗ってというわけではない。

 しかし訊きたい。

 同じ速度と言う武器しかない者同士、同じ速度しかないという立場の先輩である彼女に、自分の強さを今以上に磨く方法を。


「どうやったら……どうやったら、星姉みたいに速く、ずっと走ってられますか?! ……私は、人を追い抜かなけりゃ速くも走れない。普通に走ったら鈍足です。でもそんな私でも、必要としてくれるチームが、今の私のチームなんです。だから……少しでも、応えたくて……」

「……うぅん……そだなぁ」


 覇星は雨野馳の肩を叩く。

 そしてまだ蓋も開けていなかった雨野馳のジュースを取り、蓋を開けてから再度手渡した。


「じゃあ一つ、今回のお礼として教えて進ぜよう。あくまで少しだけ、少しだけ速く走るようになれる、かもしれない方法。私の走法の一つ、スピード・スターをね」

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