五十九話

 駆ける。

 自分のものとは思えぬ声と共に。


 「愛してるッ!」


 計画は簡単だった。

 あの時と比べれば、大したことでは無い。


 ――第二理科室に忘れ物をした奴がいたらしい


 閉ざされた第二理科室。溝の血痕。


 ――殺人事件かしら?

 ――そうかもしれない。違うかもしれない。


 あの理科室の前で、本物のかすみが殴られ、血を出した。

 気絶させた際の出血。想定外の事態。

少女Aはこれにも、冷静に対処したのだろう。

冷静に、ハンカチか何かで拭いた。


 だけど、想定外ゆえにミスを犯した。

 溝の中に、血の拭き残しがあったのだ。


 「先輩……!」


 叫び声に、少女Aが驚く。


 自分の顔と瓜二つの本物。

 それの登場に、驚愕する。


 「残念だったな」


 はっとした顔で、僕を見上げる。

 その彼女は腕の中。僕も彼女も、腕の中。


 「お前が第二理科室に、かすみをしまってる事なんて、最初からお見通しなんだ」


 広がる赤を感じながら、僕は強がりを言う。


 「あの場所では、僕の親父が死んだ――殺された。だから、ほとんど誰も近寄らない」


 何かを知っている者以外は。


 ――何やってるんですか

 ――猫さんのマネ


 全ては仕組まれていた。

 巧妙に。僕らは踊らされていたのだ。


 不可視の神によって、弄ばれていたのだ。


 「……ありがとう」


 少女Aは短く呟く。


 「何で……礼を……言うんだよ」


 僕は返事にもならない言葉を返す。

 返しながらも自覚する。


 何もかもボヤけたままでなんていられなかった。

 僕らは今は若く青いけれど、青いままではいられない。

いつかは終わってしまうから。


 「私を認めてくれ……ました」 


 だから、これでいい。

 これで、みんなみんな助かって。

結末はこれで。


 「バカ……言ってん……なよ……」


 4人は悲鳴を上げるだろう。

 しかして、それはいつか歓声と変わるから。


 「僕が認めたくらいじゃ……世界は……何にも変わりゃしない」


 その日を信じて、僕だけは最後まで演じ続けよう。

 父の複製としての自分。

鬼としての自分。

僕自身を否定する自分。


 混沌と異常多き十代を、今こそ終えてしまえるのなら。

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