モグラの恋

林桐ルナ

モグラの恋


あれは僕が何歳の時分だったであろうか。


幼い僕は、庭の隅に、毛むくじゃらの黒い物体が横たわっているのを見つけた。


ネズミの死骸であるようなそれをよくよく観察してみると、こんもりと盛り上がった土の横に横たわるそれは、世にもおぞましい目のない小動物であった。


僕はその目のない小動物の奇態に恐れをなし、父の下まで走ってゆくと、怪物が庭で死んでいると報告したのであった。


僕の小さな体と比べるといやに大きかったそれは、まさしくおぞましく醜い怪物のようであった。


それが、僕が初めてモグラという動物をこの目で見た時の記憶である。


実際には小さな目はついているのだそうだが、体中を覆う薄汚れた毛で隠れていたのか、その時の僕にはそう見えたのである。


その怪物の姿を見た父はこう言った。


「日の光に当たって死んでしまったんだろう」


モグラが日の光に当たると死んでしまうというのは迷信であると知ったのは、僕がずいぶんと大きくなってからのことだ。


オス同士の戦いに敗れたり、他の動物に攻撃され傷ついたものが、地中から放り出されて死んでいる姿を見て、人々がそう言うようになったようである。


モグラ独特の臭いのせいで、モグラを食す動物もいないため、それはただ地上に放置されるように死んでいる。


その姿はまさに、暗闇から引きずり出された目のない奇形の怪物が、日の光に当たって死んでいるように人々には見えたのであろう。


僕の目に映ったそれも、まさにそのように形容すべきものであった。


それが僕の知る、モグラという生き物である。


——

僕はモグラである。


僕は一応人間と言われる体を与えられ、人並みに憧れられるような仕事に就くことが出来、この不景気な世の中で毎日食べるものにも困らずに、何不自由することなく生活を送っている。


それは、実に幸せなことだと人は言うかもしれない。


だけど僕は思うのだ。僕は毎日暗い地中をさ迷う視力を必要としないモグラとさして変わりはないのではないか、と。


毎日果てしなく続く漆黒のトンネルの中を、決められたレールの上を、決められたスピードで、決められた場所へと向かう。


景色はさほど代わり映えもなく、左右には一定の間隔で並ぶ蛍光灯の線がまるで点滅するかのように次々に現れては消え、また現れては消える。


どこでカーブが現れ、どこで分岐点が現れるかも目をつぶっていても手に取るように分かり(目をつぶることなどはけしてないのだが)、どこで減速が始まるのかも、それは自分が呼吸をするのと同じように分かるのである。


ただ一つ違うのは、それを制御しているのは自分ではないということだ。


現在僕の乗る列車にはATO(自動列車運転装置)が導入されており、運転士のすることと言えば、発車ボタンを押すことと、車両の開閉ボタンを押すことのみである。厳密に言えば他にももちろんすることはたくさんあるのだが、車掌が乗っていたころのツーマン運転時から比べると、呆気ないほどに運転士という名に相応しいほどの行為は無くなった。


僕が自分をモグラと呼ぶのは、ただ僕が地下鉄の運転士であるということだけではない。


体はでっぷりと脂がつき、顔はお世辞にもいいとは言えず、丸い鼻に小さく細長い目に、いつも不機嫌に見られる下へ醜く垂れ下がった口角は、人に不快は与えても、好感を持たれることはけしてなかった。


そんな風であるから、今年で36にもなろうとする年齢であっても、女性と付き合うどころか、会話をすることさえも殆どなかったのである。


一応は生殖機能を備えた人間であるから、女性の経験をしてみたいと思ったことはある。


同僚に勧められて風俗店の類に行ったこともある。


まだ若い、少なくとも何故こんな仕事をしているのか到底理解できないほど可愛いらしい女性が、僕の汚く膨らんだ欲にまみれたモノに舌を這わせ、一生懸命に頭を上下させる様は、僕に快楽を与える以上に、罪悪感を与えた。


どんなにか不快な気持ちでこんなことをしなくてはいけないのかと想像するだけで、申し訳ない気持ちでいっぱいになり、その少女が可哀想に思えて、いたたまれなかった。


だから、僕はそれ以降そういう店に行くことはけしてなく、ましてや女性に恋をするなどというおこがましくも人のような感情を持つということもけしてなかった。


ただそんな僕にも、今までは毎日の楽しみがなかったわけではない。


ATOが導入される前も、もともとATC(自動列車制御装置)はついていたので、スピードが出過ぎた場合などの減速の制御は機械がやってくれていた。


だから、昔の完全な人力での運転というほど技術を要求されていたわけではないが、ホームに滑り込む際の減速、定点にピタリとスムーズに停車させることには僕は情熱を注いでいた。


それだけでも、薄暗い地下に棲みつく孤独な僕の毎日に、ずいぶんと色鮮やかな景色を見せてくれていたのである。


目には見えないたくさんの人たちの朝を、気持ちよく送り出してやるという使命感が、僕のモグラとしての唯一の拠りどころだった。


それは醜くく薄汚れたモグラが、ささやかな幸せを感じられる瞬間だったのである。


たとえ日の光は当たらずとも、誰の目に触れることはなくとも、僕は多くの人に人並みに幸福な時間を与えてあげることが出来る。


こんな醜い姿でも。


しかし今は、そんなささやかな幸せさえも奪われてしまった。


ただ僕のすることは、ボタンを押すということだけ。


後は機械が全てやってくれる。僕のささやかな楽しみであった穏やかで心地よい流れるような定点停車さえも、それは何の使命感も感情も持たないで、サラリとやりこなす。


こんなことは機械でも出来ることなのだよ、と言われているようで、列車がピタリとホームドアの前で停まる度に、僕はやりきれない感情で包まれた。


醜いモグラのように、本当にただ地下をさ迷う塊になったような気分だった。


必要なのは、ただそこに何かがいること。僕でなくてはいけないということは何もない。


そんな僕は、長年地下生活をしているせいで、暗闇に目が慣れていて、明るい場所に来ると目がチカチカとする。


まるで地中にいて視力の必要としないモグラと同じように。


僕の運転する路線の内には、二駅だけ地上に出る駅がある。


それが近づいて来ると、運転士の目を慣らすためにトンネルの蛍光灯の本数が多くなるのだが、これはあくまでも気休めに過ぎない。


やがて眩い光が暗闇へと差し込み、一瞬にして閃光が走ると木々の緑や青い空が目の前に悠然と広がる。


それはさながら、地獄の淵に棲む者の目の前に、天空から神が光臨したとも形容出来るほどの印象を僕には与える。


自然の美しさ、時や季節の移り変わり、果てしなく遠くまで視界が開ける開放感。


その光景は、風のそよめきが僕の顔を優しく撫でていくような感触さえをも感じさせることがあるほどだ。


これは地中をさ迷い続ける者にしか分からない地上というものの美しさと非常さである。


その美しさは、僕の目に感じる鋭痛さえをも忘れさせてくれる。


何故僕がこんな話をするのかと言うと、僅かな楽しみさえもなくなった僕に、それはこの世のものとは思えないほどの神懸かり的な美しい景色と共に、まるで神聖なる者が目の前に光臨するかのような衝撃をもって現れたからなのである。


初めて彼女を僕が認識したのは、よく晴れた春の若葉が芽吹く朝だった。


いつもにも増してその景色は美しかったことは言うまでもない。


散り始めた桜の花びらが両脇に舞い、空はどこまでも青く染められていた。


地下を醜く這いずり回る僕にとって、まさに地上の楽園とでも呼べる光景だった。


僕は光の中で痛みに堪えながら瞬きを数回繰り返し、目の前にあるホームモニターを見つめ、乗客が全て乗り込んだことを確認すると、ドアの閉ボタンに手を伸ばした。


ちょうど僕の手がドアボタンに触れてドアが閉まりかけた瞬間に、一人の少女が改札から走り込んで来た。


新入社員なのか、まるで着せられたと形容した方がいいような不格好な黒いリクルートスーツを慣れない風に身につけた少女は、肩で大きく息をして、がっくりと座り込むと、まるで祈るように手を合わせ、それを頭上に掲げた。


僕は、それを見た瞬間に、彼女の事情が手に取るように分かったのである。


駆け込み乗車は一般の人が思うよりも実に危険な行為であり、怪我をする場合も多く、何よりも列車の遅延を招き、多くの乗客の不利益に繋がる。


だからこそ、僕は駆け込み乗車ということをする傲慢極まりない人間というのが大嫌いだった。


しかし僕は、その少女の祈るような姿を見た瞬間、閉まりかけたドアの開ボタンを押していた。


僕にとっては少し珍しいことではあったが、そこまでは別段記憶に残るというほどの出来事でもない。


僕に言いようのない衝撃を与えたのは、その少女が取った次の行動だった。


目の前のドアが意外にも開いた少女は、立ち上がると、急いで乗り込むこともしないで、キョロキョロと辺りを見回した。


そして、何を思ったのか運転席に体を向けると、深々とお辞儀をして、「ありがとうございます!」と、はちきれんばかりの大声で叫んだのである。


ホームモニターを眺めていた僕は、その少女の行動に度肝を抜かれた。


顔を上げた彼女の笑顔もまた実に美しく、桜の花びらのようにほんのりと色づいた頬が可愛らしくもあった。


その姿は、僕が今までに見たことがあるどんな晴れ渡る空よりも美しかった。


僕はあまりのことに、彼女が列車に乗車したのにかかわらず、閉ボタンを押すのを忘れてしまったほどだ。


慌ててドアを閉めて走り出した時には、いつもより25秒も発車が遅れていた。


しかし、列車が遅れたという、運転士にとって甚だしい事実よりも、僕の心は彼女の行動のことばかりを考えていたのだ。


今までに、駆け込み乗車をしようとする人間がいて、危険だと判断した場合に、ドアを開けたことは何度もある。


しかし、それに対してお礼を言われたことは初めてのことだった。


しかも、こちらをしっかりと向いて、お辞儀までするということは、ハッキリと僕がドアを開けてあげたということを認識し、その僕の行為に対して彼女はお礼を言ったのである。


これは僕にとっては衝撃としか言えない出来事だった。


他の人にはけして分からないだろうが、電車という乗り物を誰かが運転しているのだと認識して乗っている人間は少ないと常々思っている。


僕がどんなに気を配って停車したとしても、ドアを開けてあげたとしても、人はそこに人の温もりを感じたりはせずに、ただ目の前にある鉄の塊を認識するだけである。だからこそ、それが自動なのか人動なのかということはどうでもいいことで、誰も気に留めてなどいないのだ。


ただ時間通りに動き、そして所定の位置で止まれば、それは誰が運転しても構わないのである。


ただ彼女だけは、そうではなかった。そこに人の温もりを感じ、僕という存在を認め、僕の存在価値を認めてくれた。


泊まり勤務で更に早番であったために、朝の4時に起床し、身体的にも精神的にもちょうど辛い時間帯だった僕の体が、ほんのりと温かくなるのを感じた。


次に停まる駅、また次の駅で彼女の降りてくる姿をモニター越しに探している自分がいた。


ちょうど彼女が乗った駅から6つ目の駅で彼女は降車して行った。


パタパタと走り、改札に向かった彼女は、列車の発車ベルが鳴るのと同時に振り返ると、体をピョンピョンと跳ねさせてこちらに手を振った。


「そんなのはいいから、早く会社へ行きなさい」


僕は思わずそう呟いていた。


それからと言うもの、僕は毎朝彼女の姿を探した。


黒く不格好なスーツは、次第に彼女に似合う明るい色のスーツになり、あどけなかった顔も、次第に社会人らしくなっていくのが分かった。


僕は、彼女に恋をしていた。


一回り以上も年の離れた、実に可愛いらしい少女に。


当然、彼女に声をかけることはおろか、彼女の前にこの醜い姿を晒すことなど考えもしなかった。


ただ僕は、彼女を安全に会社に届けてやれることだけが、何よりも幸せだった。


それ以上は望む資格などははなからないのだ。


そういう僕を、僕はまた誇りに思い始めていた。


たとえ誰に認識されることはなくとも、毎日代わり映えのない同じ暗がりを走ろうとも、僕は人の幸せを運んでいるのだと実感出来た。


そうやって穏やかな時間が数ヶ月間流れた時だった。


彼女はいつもの時間に現れなくなることが増えた。同じ時間に現れても、彼女の目は空をさまようように虚ろで、時にはしゃがみ込んでいることもあった。


彼女に何かあったことは明白だった。


ただ僕は、そんな彼女をどうしてやることも出来ない。


嫌な予感が、まるで悪夢にうなされるように脳裏によぎるのを、毎日かき消すようにして過ごしていた。


そしてその悪い予感は、見事に的中してしまったのである。


その日彼女は、いつもよりもずいぶんと早い時間にホームに立っていた。


通常ならば、トンネルから地上に出る際にトンネル内から彼女の姿を見つけられることはまずない。


というのも、ワンマン運転のためにホームには柵状のホームドアが設置されているため、もともとホーム内側への見通しは悪く、さらにその駅はホーム自体が緩いカーブを描いていてホームの中間より前方に立っていることの多い彼女の姿は、トンネルを運転席のある車両が出ききってからしか見つけることは出来ないのだ。


しかし、彼女はその日、ホームの一番後方、つまり僕から見て一番手前のホームドアの前に身を預けるように立っていた。


それはまだ暗闇の中にいた僕の目にハッキリと飛び込んで来た。


そして、少女がこちらに身を乗り出して、彼女の胸の下あたりまではあるホームドアに両手をかけた瞬間、僕は即座にATOを解放し、手動の非常ブレーキを目一杯に押し込んでいた。


列車の車輪が凄まじい金属音をあげ、列車には衝撃が走る。


彼女の足は、すでにホームドアの上辺を蹴り、体は空に投げ出された後だった。


彼女の顔は、しっかりとこちらを見つめていた。


その時初めて、彼女と僕は視線を交合わせたのだった。


僕がどんなにか恋い焦がれた少女の視線が、僕に注がれている。


胸を鋭利な刃物で突き刺すほどの悲しい表情で、瞳には涙が浮かんでキラキラと朝日を反射していた。


僕は、運転士になってから二度、人をひいたことがある。


それはホームドアが出来てワンマン運転になるよりずいぶん前のことで、ホームドアが出来てからは、人身事故というのは著しく減っていた。


人の最期を見るというのは、非常にショックなことである。


どんなに何回も当たったことのある人間でも、きっと慣れることはない。


というのは、運転士は必ずといっていいほど自殺する人と視線が合うのである。


その瞳の印象は、とても形容出来るものではない。


そして、視線が合ったその人間を、自分はどうすることも出来ずに、ひき殺すのである。


電車は急には止まれない。


ブレーキを押し込む手に力をどんなに入れようとも、けしてその人物のいる場所までに止まることがないのを知っている。


僕は、思わず目をつぶっていた。


そして、訳も分からぬ獣のように叫んでいた。


つぶった目からからは次々に涙が溢れ、体が燃えるように熱くなり、両手はワナワナと震えていた。


どうして、どうして僕なんだ。


どうして彼女を殺すのが僕でなければならないんだ。



醜いものは何故醜いか分かるだろうか。


それは、神に忌み嫌われているからに他ならない。


日の光を浴びることなど、けして許されない。


その時に僕はそう確信した。


それから数年という時が経ち、僕は運転士から、列車の運行を中央で管理する司令員となった。


もはやモグラではなかったが、中央管理司令室という中に閉じこもって仕事をしているのには変わりはない。


しかし、今は好きな時に、窓の外を見上げることが出来る。


その青く果てしない空を、いつでも見上げることが出来るのだ。


「やっぱりここだったか。電話入ってるよ、駅から」


社内にある一番大きな窓の前に立ち外を見つめていた僕に、背後から同僚の声が聞こえた。


急いで事務所の自分の席に戻ると、受話器を取り上げた。


「あの、お久しぶりです。早坂です」


懐かしいその声に、胸の中はじわりと熱くなった。いや、むしろチリチリと焦がされるような衝動さえも覚えたと言っていい。


「その後、どうですか?」


「はい。お陰様で、体の方はなんともありません」


「そうですか。良かった」


「私、来月結婚するんです。それを伝えたくて、駅の方に無理やりお願いして電話を繋いで貰いました」


「そうですか。おめでとうございます」


「運転手さんのおかげです。私が今こうやって幸せな生活を過ごせていることは。あの時、少しでもブレーキが遅かったら、助かってなかったって思うんです」


僕は、その言葉を聞きながら目を閉じて、数年前の彼女の姿を思い出す。


『直接会ってお礼が言いたかったんです。それと、ごめんなさい。本当に、なんて馬鹿なことをしたんだろうって…思います』


ぐしゃぐしゃに泣き崩れながら彼女はそう言った。


僕はそんな彼女を抱き起こすこともせずに、ただじっと身をこわばらせて俯いていた。


醜い自分が出来ることは、ただその言葉を聞いていることだけだった。


「ありがとうございます」


彼女のその言葉を聞き終えて、受話器を置いた僕は、「おめでとう」とそっと呟いた。


何年も経っているのに、彼女の姿はハッキリと思い出すことが出来た。


『ありがとうございます!』


僕はその彼女の姿を思い出し、恥ずかしげもなく泣いた。


それは、世界で一番醜いものの世界で一番醜い姿だったであろう。


彼女の言うことは概ね間違いなかった。あの時少しでもブレーキが遅かったならば、彼女が飛び込もうとしているのに気づくのが少しでも遅ければ、きっと彼女は助かることはなかっただろう。


しかし僕は思うのだ。あの時、彼女が死んでしまっていたら、こんなにも醜い自分を呪ったりはしなかっただろう、と。


手の届く距離にいる人に、触れられもしない自分をこんなにも情けなくも思わなかっただろう、と。


もし僕がこんなにも醜い姿でなかったならば、運命の出会いだったのかもしれない、という愚かな妄想を抱くこともなかったかもしれない。


だけど、僕は


彼女が、今、幸せで良かったと、思う。


こんな醜いモグラでも、恋をして、良かったのだと思う。


その時僕は、ふとあることを思い出した。


いつか見たモグラの後頭部には、パックリと開いた傷口があり、そこから血が溢れていたことを。


父がそれを片付ける際に反転したモグラの頭には、確かに赤い血がついていたのだ。


その脇には、大きな桜の木があった。


僕はそのまま社屋から飛び出して行った。


そして目的の場所に到着すると、力いっぱいにつぶった目を開いた。


そこには晴れ渡る青空が視界いっぱいに広がっていた。


どこまでも遠く、どこまでも高く、それは目も眩むような目映さである。


眼下には、散り始めた桜の花びらが桃色の絨毯を広げるように歩道を染め、春風は僕の頬を、腕を、足元を、優しく撫でてゆく。


思わず溜め息が出るほどに心地よい感触。


この世は、こんなにも美しい。天上の楽園である。


そしてまた、あの幼い時分に見たモグラの姿を思い出した。


日の光に当たって、死んでしまったモグラの姿。


それでもモグラは、自分の死と引き換えにしても、モグラは空を見たかったのである。


地中から見上げるのではなく、その空にたった一度、触れたかった。


たった一度だけ触れることが出来るのならば、死んでもいいと思うほどに。


最期に見た空は、きっとこの空と同じように、美しかったであろう。


たとえ、けして手は届かぬものなのだと気づかされたとしても、それに触れたいと願った気持ちは、この世のどんな美しい姿のものよりも、美しかったであろう。


僕は、そう思うのだ。



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