1-2 祭礼の朝

 朝の目覚めは最高だった。太陽は穏やかに山の端よりその姿を見せ、青い空を橙に染めている。この分でいけば今夜の祭りも問題なく執り行われるであろう。

「何年ぶりだろう?」

独り言ちてくすりと笑う。ラナーテの御許で育ちながらも神殿を離れ、いや、宛もなく飛び出してから神殿に戻ることはなかった。ラスやジャミルのように目的を持って都に上ることもなく、かといってスタームのように神に仕えるには猜疑心が強すぎた。結果、居場所を失ってフラフラと馬鹿なことを繰り返した挙げ句、旅の吟遊詩人について街を出た。

ハープを奏して詩を歌うことに自信が持てるようになり、日銭も稼げるようになった。だから、街に戻ってみようと思った。遠くからでいい、養父の元気な姿を見たいと。営業のつもりでもなく入った酒場で、気づいたら歌っていた。あの場所でラスと出逢えたのはほんの偶然、神の思し召しか。

いい気分で神殿に向かう。この分でいけば神殿に暮らすスタームは勿論、養父である司祭にも会えるかもしれない。今なら言えるかも。あの日のこと。あのときの思いを……。

神殿に上がる階段の下で数人の神官が祭礼の注意書きだろうか、立て札を設置していた。

祝いの日だというのに神妙な表情で、黙々と作業している。こういうところがどうにも合わなかった訳なのだが……。

「ご奉仕ご苦労様で…… ! 」

 立て札に目をやりながら声をかけたファレルの言葉は宙に消えた。

「どういうことだ?!」


 彼は扉を激しく叩く音で目を覚ました。結局心を決めることも適わず『人魚の囁き亭』に宿を取り、祭りの浮かれ騒ぎの中、独り沈んだまま昨夜遅くまで逡巡していた。もう、ここまで来てしまっているというのに。

「ラス!ラス!!」

 眠い目を擦りながら綿入れのまま、扉を開ける。血相を変えたファレルの顔が目の前に飛び込んできた。

「ラス!祭りが中止になった!」

「えっ?」

 ラナーテの祭りは月の祭りだ。月の出ない夜に祭りが行われることもないし、天候が悪ければ翌日に延期されることもある。だが、確かにこれまで中止されたことはなかった。それよりもラスが驚いたのは、子供の頃からよく知っているのんびり屋のファレルが息急き切って飛び込んで来たことのほうだった。

「祭りが中止になったって…どういう事だ?」

 ラスは苦い顔をしながらファレルの肩を支えて聞く。神殿から走ってきたのか息も整わないままファレルが話す。

「て…天球の台座が、血で汚された。―――神官戦士の、首が、台座に載っていると…。昨夜のことだそうだ」

 ふぅと一息ついて長身のこの幼馴染みはひどく不安そうに、ラスの顔をじっと見つめた。昨夜の酒場パブ、酒をあおるラスの姿に不安を感じていたのだろう。

「神官…戦士?」

ざわり、と背筋に悪寒が走る。まさか……?

「……スターム、だそうだよ」

 ラスはふいに聞かされた幼馴染みの名に耳を疑った。

「スターム? あのスタームか?」

 ファレルがこくりと頷く。

 腕に震えが走る。誰彼なく殴りそうになるのを必死で押さえ、こぶしを握る。

「なぜ……?なんでスタームを?」

 スタームは、孤児として神殿で育てられたラスとファレルの幼い頃からの友人だった。二人がそれぞれの夢のために街を後にしたとき、ラスと同年のスタームはラナーテの神殿を守るために街に残り神官戦士となったのだ。

 冷静で信仰心の強いスタームは優れた戦士でもあったという。その彼が何かに負けてその血で祭壇を汚すことになるなど、ラスには俄かには信じることができなかった。

「ラス?」

 急に肩から手を離し、黙り込んでしまったラスを心配気にファレルが見つめる。

 ラスは目を逸らしてくるりと背を向けると甲冑を着込みはじめた。

「ラス?」

 再びファレルが声をかけたとき、ラスはブーツの留め金をかけながら応えた。

「神殿へ行くぞ。真実を確かめに」


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