Act1.星に導かれし者

1-1 星に集う者


 『人魚の囁き亭』はいつにない賑わいを見せていた。明日からの祭礼の前夜祭とばかりに浮かれ騒ぐ人々の中、ベイツは眉間に皺を寄せたまま、奥の席に腰掛け、杯を空けていた。

 ごった返す店の中で、給仕の少女が跳ねるように人々の間を縫っては注文を取っていく。腹の突き出た丸顔の主人は、汗を拭くいとまさえも惜しんで注文の品を手品のようにカウンターに揃えていく。

「気にくわねえ」

 据わった眼でベイツは呟く。

 ―――ちょいと旅に出ていた間に何も彼もが変わっちまいやがった。相変わらずの浮かれた港町だと思っていたのに…。

 ベイツは昨日、十数年ぶりに自分の所属する盗賊ギルドを訪れていた。ブリタニア島南東部を占めるアグラス王国の北部地域、ここからほど近いスカルツ王国との国境にとんでもないお宝が眠っているらしい、と言う情報を掴んだからだ。その情報を裏打ちするものが、この街のギルドになら届いているかもしれない。このあたりで仕事をするのなら、ギルドの長にもたまには挨拶をしておくのが筋と言うものだろう。そう思いギルドを訪ねたのだ。

 しかし、長年の友人でもあったギルドの長は知らぬ間に代替わりして、見たことも聞いたこともないような若造が出てきた。『前の長は不幸な事故でなくなった』と、若造は愛想もなく言った。見ればいつもであればギルドにたむろしている旧友たちの姿もない。何かあるな、とベイツは直感した。だが、今となってはどうすることもできない。情報を得ようにも見知った者がいないのだ。

「ちっ」

 ベイツは知らず舌打ちしていた。

 どこかでハープの音がした。

 波のようにざわめきが遠ざかり、人々の目がハープの音の源に向く。

 吟遊詩人が朗々と謳い始めた。

 よくある英雄の武勇伝サーガらしい。

「よろしい、ですか?」

 頭の上から降ってきた言葉にベイツは不機嫌な瞳を上げた。薄汚れたマントが妙に膨れている。まだ若い、少年のあどけなさを残す若い……兵士?

「かまわねぇよ」

 ベイツは表情を崩さずに返事をし、じっと青年の動作を見つめた。金属の軋む音、険しい表情、薄汚れて見えるのは長旅のせいか疲れた表情のせいか。いずれにしろ自分には関係なさそうだ。それだけ見て取るとベイツは吟遊詩人の唄に耳を傾けた。


   ………おお、猛き若者 竜にむかい

   命鍛えし槍もて腹を裂かんとす

   祝福の杖輝かせ祈る乙女の声も虚し

   ああ、地上の闇よ………


 カツ、と背後に靴音を感じ、少女は顔を上げた。

 どれだけの間祈っていたのだろう、外はすっかり宵闇に包まれている。

「司祭様?」

 少女は靴音の主に問い掛ける。

「何を、祈っていたのです?」

 司祭の声が神殿に響いた。いつもは多くの神官たちで賑わう神殿も今はひっそりと祭りの前の静寂に包まれている。

「……無事を、祈っていました」

「無事? 祭礼の?」

 司祭は柔らかな笑みを浮かべながら少女の側に歩み寄る。そっと肩に置かれる手。少女はそれでも司祭を振り向きはしなかった。そして、ゆるりと首を横に振る。

「……星に集う者たちの、無事を」


 謳い終えた吟遊詩人は席に戻ろうとして、ふと奥の席に目を止めた。見知らぬ男がすきのない目をしたまま杯を片手に店中を見ている。その向かい側、濃いブラウンの髪、古ぼけたマントの後ろ姿に見覚えがあった。吟遊詩人はその後ろ姿に歩み寄り、向かいに座る男に声を掛ける。

「こちら、よろしいですか?」

 向かいの男は品定めでもするかのように吟遊詩人を見つめ、黙したまま頷いた。

 吟遊詩人は軽く会釈をして腰掛ける、隣に座る男に声を掛ける。

「お疲れのようですね、騎士殿?」

 男は顔を上げ、ゆっくりと振り向くと驚いたような表情を見せて呟いた。

「ファレル?」

 吟遊詩人はにっこりと微笑んで彼の目を見つめた。


 祭りを祝う人々のざわめき、風に乗って男の耳にまで届いた。男は片頬を上げて、くっと喉の奥で嗤う。黒いローブを風に任せたまま。


 祭壇は神殿の前庭中央にしつらえられていた。三つの台座は互いに向き合い、満月の朝、豊穣と繁栄の半月そして永久の天球をその座にいただく。三つの台座の中央には大地母神ラナーテの印が刻まれている。その印の上に大地の恵みを供え、天に昇華させることにより次なる大地の恵みを天に祈るのだ。

 司祭は少女を神殿の前庭へと誘った。少女は間もなく旅に出る、という。その真意は明かされていない。少女自身にも判らないと言うのだ。

「けれど、司祭様。星が私に戦え、と言うのです。そのための旅立ちだと」

「星が?」

「ええ。…星に導かれる者がいます。今夜、この街に。…重い業を負う者と風の民、そして…悲しみを知る者」

 会えば分かるのだ、と少女は言う。星が導いてくれるのだと。司祭は満月に一つ足りない十四夜の月を見上げながら嘆息を吐いた。

「ラナーテの加護を祈っていますよ」

 そっと少女の肩に手を置く。と、その肩がぐらりと揺れた。

 少女の視線を追い、司祭は天球の台座に置かれた丸い影を見とめた。いびつな丸い影の下に黒々と水が流れている。その不審な影の正体を見定めようと、一歩近付いて司祭は息を呑んだ。

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